渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

インラインスケート

2022年12月31日 | open


20年程前だが、本格的ではなく、
遊びで娘とインラインスケート
をやっていた。近所のコンクリ
地面の場所で。

娘も楽しんでいた。
こんな感じで。




アイススケートとは勝手が違う
が、私はアイススケートは滑れ
るので楽しめた。
アイスは5才の時から始めた。
品川スケートリンクで。
小学生の頃の冬のレジャーは
アイススケートだった。
履いていたのはホッケー。

インラインスケート、ローラー
ブレードは、アイスのようにエッ
ヂを利かせてザッと止まれない
ので勝手は違うが、面白い。


ただ、履いていた専用靴が悪いの
か、アイスではなんともないのに
足裏が数時間で痛くなった(笑
アイススケートも、もう玉撞きの
ように際限無いもので、何時間で
もずっと滑っていたくなる。
小学生の頃は、冬休みとかはそれ
こそ朝から閉園まで滑っていた。
友人たちも付き合いがいいよね。
ずっと一緒に滑っていた。

スケートとスキーは異なるとは
言われるが、生まれて初めてス
キーをしたのは、成人になって
からだった。遅い。
だが、午後からはパラレルで30
度の傾斜を滑っていた。
インの抜重と外足荷重がバイク
と全く同じだったので、ボーゲン
よりもパラレルのほうが簡単だ
った。
ただ、バイクのように前傾せず
上体を起こしてのバランスは二輪
とは大きく違ったし、イン側の足
が外足よりも前に出すのが二輪と
は違った。
二輪のハングオンはイン側の足
が外足よりも後ろになる。爪先
でステップを操作するので。
というか、足裏がマシンを抑える
ような感覚。

スキーは生まれて2度目で、緩斜
面では、スケートのようにクルク
ル回ったり、片足で滑ったり、
後ろ向きで自在に滑れた。
一緒に滑ったアメリカ人の友人は
「2度目?絶対に信じられない」
と言っていたが、スケートと似て
いるのでそんなもんだった。
本格的な選手競技は難しいのだろ
うが、レジャースキーは簡単に
できた。
これ、多分だが、スケートやって
いたからかと思う。
あと、運動神経は幼児期からトロ
いほうではなかったので(というか
はしっこくて、背は幼い頃から高
かったがすばしこさは忍者みたい
だった。小田原城の石垣を登って
しまい、係員にこっぴどく叱られ
た)、スキーは初日から楽しめた。
30度はまともには滑れなかった
が(笑

私は一つどうしても苦手がある。
サッカーだ。
ド下手。
私のサッカー偏差値30位ではなか
うか(笑
リフティングが10回以上もできな
い(笑
バスケ、バレー、短距離走、剣道、
柔道、水泳、スケート、スキー、
野球、抜刀術、撞球、卓球、テニ
ス、モータースポーツライディング、
格闘技・・・いろいろそこそこに
できる。
陸上では記録あったし、水泳など
は横浜市で3位だ。
野球は投手だが、これは少年リーグ
まで。それでもそこそこ球は速かっ
た。背番号28(笑
江夏投手が私にとって「神」だった
からだ。江夏がいたから阪神ファン
になった。絶対的王者の巨人に対峙
する江夏に漢を見たからだ。
あと、星飛雄馬の大リーグボール
を打ち込もうと秘密の命をかけた
特訓をした花形満が私のヒーロー
だった。人に隠れて命がけの努力
をする。決して派手で華やかな
花形ではない。泥と血にまみれた
隠れた努力をして成し遂げた。
オトコだ、と思った。

しかし、サッカーは、どうしてこ
なにド下手なんだ?という程に
はできない(笑
てんでサッパリ、というやつ。

親子でやるスポーツは楽しい。
剣道はスポーツではないが、日本
剣道形の稽古を娘につけている時
も、共に精進という点でも楽しめ
た。
剣の道であっても、楽しむのを
否定する事を私は拒否する。
稽古の中にも、掴みどこを見つけ
た時の楽しみはひとしおだ。
あ、これか?と。
そして、一歩また前に行く。
それを実感する。
これがどうして楽しくないのか。
どんどん進む。前に前進する。
これはもう、言葉にできない程
に楽しい。
そこには武道もスポーツも垣根
はない。
前に進んで行くその感覚を得る
事は珠玉の感受性の獲得だと私
思っている。
大切な情操の一つだと思っている。
特に子どもたちは、教えていると
勉強でもスポーツでも、できなか
った事が出来るようになった時に
誰もが眼を輝かせる。
どんなに小さな一歩でも、前に
自分の力で進んだ事を子どもたち
は実感した時に活き活きとした
ハツラツとした眼をする。
誰もが幸せの眼をしている。

楽しく楽しめる事。
これか、これなのか?と技術を
通して得た実感。
これは人間にとっての宝だと私は
思っている。
苦行僧のような自己落とし込みは、
高度な技法の獲得も、精神の高み
の境地の獲得も無い。深いところ
では。
出来なかった事が出来るようにな
るからこそ、人間はそこに喜びを
見出す。
スポーツや武道が人間的涵養を
求めるのは、そこに理(ことわり)
があるからである。
私のこの確信は、当たらずとも
遠からずではなかろうかと思う
のだ。



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