自分の人生は空っぽで何も中身がない。
思春期の頃はそんなことを考える人が多いですが、稀に大人になってもそれを引きずる人がいます。
お前wまだそういう感じなのかwww
といじられたりもします。
僕のことです。
僕は色んな人から「渡辺君は自己評価が低い」と言われ続けてきました。
自分が空っぽな人間だと感じるのは、この自己評価の低さから来ていると思います。
しかし、矛盾するようだけど「僕は結構できる奴なんじゃないか」という自尊心の高さも備えているので、心の中は年中荒れ狂っています。
『春と修羅』どころかオール修羅状態です。
そんなわけで今回は、自分への虚無感にどう向き合えばいいかを考えてみました。
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空っぽで中身のない仕事
空っぽを感じる瞬間はたくさんありますが、
社会人で最も身近にそれを感じるのは「仕事の時」ではないでしょうか。
・毎日同じことの繰り返し。
・何の進歩も成長もなく何年も続けている。
そんなことを感じるのは、必ずしも単調な仕事をしている人ばかりではありません。
大抵の仕事は日々の中で変化があるし、工夫や意識の持ち方という意味では成長もあります。
しかし朝早く起きて出社して、仕事をして、上司と飲んで、自宅でスマホをいじりながら寝落ちする。
そんな風に、生活がルーティン化していることに充実感を感じられない人も大勢いると思います。
それが望んで就いた仕事ならまだしも、やりたくないけど仕方なくやっている人にとっては苦痛でしかありません。
甲本:昔から、「やればできる」なんていう言葉を聞かされても、まったくぴんと来なかったし。
大人になってマトモな仕事をして、社会人としてやっていける自信がなかったっていうか、そもそもイメージが浮かばないんですよね、なんにも。
空っぽなんです。
なのに、学校で質問されるんですよ。
「将来なんになりたい?」って。堀内:されますよね。
甲本:だけど……「ねえよ、そんなもん」と。
(一同、笑)
甲本:「無い」っていう答えをね、言わせないような空気があるでしょ。
あれは、おかしいと思うんですよね。
小学生とか中学生ぐらいの人がね、大人になったら何になりたいかなんて分からないですよ。
分かってたら、気持ち悪いよ。
働きたくなーい、仕事したくなーい、学校も行きたくなーい、ご飯食べて、漫画読んで、寝たーい。
これ、普通でしょ。
僕はこの話にかなり共感できました。
ちなみに、ここでヒロトさんが話しているのは小中学生時代のことですが、
僕は高校に行っても大学に入っても、まだそういう感じでした。
学生時代をモラトリアムと呼ぶなら多くの人はその間に何かを見つけたり、
折り合いをつけたり納得するなりして社会に出ていくんだと思います。
けど、僕はそれができませんでした。
結果、追い詰められた末に会社で働かずに済む方法を真剣に考えることになったので、
人生どう転がるか分からないもんです。
空っぽで中身のない毎日
単調な毎日がきつい、全てを投げ出してどこか遠くへ旅に出たくなる。
会社員時代にそんなことばかり考えてたのは僕だけではないと信じています。
けど、そんなことは許されないしする勇気もないってのが実際のところ。
でも冷静に考えてみると、
現代は昔に比べて遥かにローリスクでその欲求を実行できる環境になっています。
昔はどこか遠くに旅に出ようと思ったら、仕事を辞めるしかありませんでした。
『深夜特急』で有名な作家の沢木耕太郎さんも、仕事を辞めて旅に出ていますね。
旅の間は貯金を切り崩していくしかないから、必然的に貧乏旅行になります。
そして、場合によっては現地で働いて旅費を捻出する必要もあります。
バックパッカー=貧乏のイメージがあるのはそうした背景があるからです。
空っぽで中身のない人生
自分の人生が空っぽで中身がないと感じている人は、
充実感、満足感を欲しています。
一見人生を謳歌しているように見えるパリピや陽キャと呼ばれるような人たちの中にも、
この虚無感を抱えている人は大勢いるんじゃないかと思います。
どんなに遊びまくっても、友達が大勢いても、恋人を作っても、
なぜだか自分の人生を空っぽに感じてしまう。
なぜそう感じてしまうのでしょうか?
それはその人が、自分の本当の欲求に向き合っていないからです。
心から信頼し合える人がいない寂しさだったり、
自分のことを認めてもらいたいという承認欲求であったり、
本気で打ち込めるものがない虚しさだったり。
そうした欲求を抱えつつ、他のことで充実感を得ようとするからいつまで経っても満たされることがないんですね。
空っぽの感覚に向き合う年齢は人によって異なります。
15歳くらいから悩む人もいれば、
20歳を過ぎてから考えるようになる人もいます。
30、40になって急にその感覚に陥る人もいれば、
ずっと気づかない人だっているのかもしれません。
空っぽで中身のない自分
空っぽを感じながら生きていると、ある日突然気付くことがあります。
「空っぽなのは会社や生活じゃなくて自分自身じゃないのか?」
この感覚は寂しさや虚しさが混ざりあったような、上手く言葉にできない感情です。
自分の感情なのに上手く理解できないから、
多くの人は友達と遊んだり、趣味に没頭したり、
とにかく時間の隙間を埋めて、自分と向き合う時間を減らすことで考えないようにします。
いや、考えないというより日々を忙しなくすることで、「自分は充実してる」と納得させようとしているのかもしれません。
いざ、その感情に向き合ってもどうしたいのかよく分からない。
そうなった時、どうすればいいのでしょうか。
有効な解決策としては、
「自分が皆から愛されていて、貯金が無限にあったら何をしたいか?」
という問いをとことん考えてみることです。
したいことを100個、200個と出していくとその中に、
お金や承認欲求が動機になっていない、
何かを得るためではなく、あなたが純粋にやってみたいと思っていることが見つかるかもしれません。
空っぽで中身のない自分が嫌い
冒頭で、僕は自己評価が低いけど自尊心が強いと書きました。
この意識はどちらが先に芽吹いたのかと考えた時、おそらく後者ではないかと思いました。
つまり、元々僕は自尊心が高くて「自分は特別な存在」だと思っていたんですね。
しかし、その気持ちが強すぎて、
・自分の真価が問われるような舞台に上がるのを拒むようになり、
・競争したり、目立ったりするような機会を避けるようになり、
結果、外面はそういうの苦手です的な空気を出して、
内面の自尊心を守ろうとする性格になってしまったのだと思います。
つまり、僕は負けも失敗もしなければ勝つことも成功することもない空っぽな人間だったのです。
ここでもう一つはっきりしているのは、僕の心が弱いということです。
だから僕が中身のある人間になるためには、まず勇気を出して行動することが最低条件でした。
今までは何かをするに当たって、人と比較したりどう見られているかを気にしたり、上手くやろうとか格好つけようとか、
ごちゃごちゃと面倒なことばかり考えて、結果上手く動けなくなる or 何もしないということになっていました。
そういったごちゃごちゃした気持ちは出来れば消し去りたい、もっと自然体で行きたい、と思いますがそれは二の次。
まず、どんな形でもいいから挑戦してみないと何も始まらないってことです。
つまり、僕含め「自分は空っぽだ」と感じている人は、
自分が空っぽだということに薄々気づきながら、それを実際に突き付けられるのを滅茶苦茶ビビってるだけなんです。
そして、世の中大半の人が空っぽで薄っぺらいですよ多分。
で、自分が空っぽだってことに対して、
・それを見ないようにしたり
・露呈しないようにしたり
・中身があるように振る舞ったり
・別の部分(身だしなみ、SNS依存)でカモフラージュしたり
そういうことに力を注ぐ生き方をしていたら、いつまでも満たされることはありません。
中身のある人間になりたいと思ったらやることは一つ。
自分に空っぽを感じさせる一番の欲求に向き合って、
その欲求に従って自分で中身を作るしかありません。
空っぽな状態から中身を作る
空っぽな自分に何を詰め込むかは人それぞれです。
やりたいと思いながらやっていなかったことを始めてみたり、
趣味でやっていることを人目に出してみたり、
今取り組んでいることに全身全霊をかけたり、
様々な経験を積んでみたり、
どこか遠くへ旅してみたり、
僕の場合は何事においても勇気を持って挑戦する、というマインドであったり。
空っぽな自分に詰め込みたい何かが見えているならそこに向かい、
今取り組んでいることがあるなら磨き上げて、
何をすればいいか分からないなら、本を読むなりして学べばいいと思います。
自分が空っぽなんて当たり前のことなんだから、それを気にするより、
「自分は本当は何がしたいのか」という気持ちに向き合って行動することが大切です。
人としての厚みだったり内面の充実は、行動しているうちに自然とついてくるものだと思います。
まとめ
■自分が空っぽで中身のない人間なのは普通のこと
■自分が空っぽであることに向き合う(逃げたり隠しても根本的な解決にならない)
■良く見られたい、恥をかきたくない、評価されたいといった感情を度外視した欲求を探る
■自分が本当にやりたいことに向かって行動を起こす
■内面の充実は求めるものでなく、↑のプロセスで自然と宿るもの。
■何も見つからなくても焦らず、気楽に生きる
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