2020年10月22日
日本生殖医学会倫理委員会では、わが国の提供配偶子を用いた生殖医療の実情に鑑みて、本会が提供配偶子を用いる生殖医療について、生まれてくる子どもの福祉を第一に考え、会員、患者および社会に向けて方向性を示す必要性があると判断した。
前回2009年の倫理委員会提言は先進的かつ網羅的なものであったが、前回提言以降10年経過した現在も、法整備を含む将来的制度設計を見据えたシステム構築に向けての進展はない。この間に、提供精子を用いた人工授精における精子提供者の供給不足と国内での提供配偶子による生殖補助医療の実施困難、海外での治療増加などの問題点が、明らかになってきている。海外では匿名制廃止の動きがますます活発になっているが、それと同時に多くの国で提供者減少、輸入配偶子や渡航医療の問題、および匿名性廃止以前の情報保全の必要性などが、この10年の間に顕在化している。このような状況が生まれてくる子どもの幸せと夫婦の自己決定権を妨げている現状を憂慮し、今後のあり方を再度考察すべき時期と考え、前回提言をふまえて改訂を行う。
1)わが国における提供配偶子治療の需給について
日本産科婦人科学会倫理委員会登録調査小委員会(2009-2017年)に報告されている限りでは、提供精子を用いた人工授精は年間3000~4000周期程度施行され、毎年100人前後の子が誕生していた。しかしながら、2018年以降、提供精子を用いた人工授精における精子提供者の減少が問題となっている。これに伴って治療そのものを受けることが困難となっていることから、Social Network Serviceを利用した個人間の精子提供も行われているが、感染症等のリスクや親子関係の混乱が懸念され、容認できない。
一方、女性側の不妊因子を合併しているために体外受精・胚移植に提供精子を必要とする夫婦や、良好な卵子が得られないため体外受精・胚移植に提供卵子を必要とする夫婦は、子を望む女性の高齢化によりますます増加していることが推察される。実数把握は困難ながら、現在、提供配偶子治療における需給のバランスは以前に増して、供給困難となっていると考えられる。
2) 海外での治療者数の増加
提供配偶子を用いる体外受精・胚移植を国内で受けることは困難であるため、前回提言の時点から既に、国外に渡航して治療を受けた夫婦は特に卵子提供においてこれまで相当数存在し、現在も増加し続けていることが推定される。しかし、海外渡航による治療は高額な費用を要し、この方法を選択できる夫婦は限られている。本邦において現在、提供配偶子を用いる治療についての法律やガイドラインが存在しないため、現状のままでは生殖年齢を超えた女性や、妊娠により健康に重大な影響を及ぼす疾患を持つ女性さえも、リスクに関する正確な理解なしに国外で提供卵子を用いる治療を受ける可能性がある。また、これらの女性は治療を受けたことを医療機関に伝えないことが多く、出産する女性および出生する子の安全の確保についての懸念も大きい。
3) 法整備の必要性
日本産科婦人科学会倫理委員会登録調査小委員会の集計や公的な研究報告によると、提供精子を用いた人工授精および提供卵子により出生した子は、国内に累計1万人以上存在すると推定される。しかし、前回の提言において強調されていた民法など関連する法規の改定は、いまだ実施されるに至っていない。そのため、親子関係が不安定のままであるとともに、子の自己の出自を知る権利についても議論が進んでおらず、提供配偶子により出生する子の権利と福祉が十分に保障されていない。さらに、遺伝子検査の結果などにより提供者が特定されてしまった場合には、現在の民法では親子関係に疑義が生じる可能性があることから、親子関係を規定する法整備は喫緊の課題である。
一方、提供配偶子による生殖医療以外の選択肢としての養子縁組などに関する情報提供体制は十分ではなく、今後整備していく必要がある。
4)出自を知る権利と配偶子提供者の匿名性
海外では前回提言以降も、提供配偶子により生まれてきた子に対する告知を親にすすめ、また子には、配偶子提供者に将来面会を含めた接触をする権利(出自を知る権利)があるとする考え方がますます強まりつつある。しかしその一方で、匿名性の廃止により、提供者の確保が困難となって海外渡航による治療や輸入配偶子による治療が増大する危険性がある。さらに、法により出自を知る権利を認める方向にシステムを変更したとしても、法律発効以前の提供者情報を医療機関が破棄するという問題も顕在化している。
このように今後解決すべき問題点が多いとはいえ、提供者・被提供者の医学的適応の限定や各々への十分な情報提供と同意の任意性の確保、治療によって生まれる子の出自を知る権利への配慮などの子の福祉に関する条件を設定した上で、提供配偶子使用の適正化をはかるべきである。
1)配偶子被提供者の適応と要件について
卵子の提供を受ける女性は、患者の体内に卵子が存在しないか、あるいは自己の卵子では妊娠の可能性がない場合を適応とする。また、a)機能を有する子宮を備えること、b)生殖年齢を超えていない、c)健康状態が良好であり、妊娠の継続と出産に支障がない、という要件を満たしていることが必要である。この際、妊娠・出産には身体への負荷が加わることから、不妊治療開始時点で健康状態が良好であっても、加齢のため周産期リスクおよび養育期間の健康リスクが相当上昇することを考慮し、適応については慎重に決定すべきである。
精子の提供を受ける男性は、精巣から成熟した精子が得られないか、得られても医学的に受精能が備わっていない精子を持つものとする。
2)配偶子提供者の要件と安全性
2-1) 卵子提供者は、原則として35歳未満(参照1)の身体的・精神的に健康な第三者の成人であることが望ましい。卵子提供者に対しては、卵子提供に伴う投薬や採卵手技の内容、これに伴う合併症その他のリスクの同意を得なければならない。
2-2) 精子提供者は、加齢による精子の異常発生リスクを考慮すると、40歳未満(参照1)の身体的・精神的に健康な第三者の成人であることが望ましい。しかし一方で、提供者には将来において治療で生まれた子と面会する可能性も含め、詳細で包括的な情報を提供したうえで、提供への同意を得る必要がある。このような将来的な問題を考察して提供を決定するためには、既婚あるいは社会的経験を積んだ提供者が望ましいと考えられる。
2-3) 諸外国における先行事例から配偶子提供、特に卵子提供においては第三者からの無償での提供は現実には困難であることも報告されている。したがって、例外として本人の親族(血族および姻族)や知人などからの提供も可能とするが、この場合提供者の特定が容易であること、提供者と子どもがその後も近い距離で生活することが多いということをふまえ、第三者の場合に比較して極めて慎重な事前のカウンセリングや情報提供が、提供者および被提供者に対して必要である。
さらに、治療施設は提供者に対して、感染症スクリーニングをはじめとする諸検査を行い、被提供者にリスクについて明示しなければならない。
参照1: American Society for Reproductive Medicine: Third-party Reproduction: Sperm, Egg, and Embryo Donation and Surrogacy: A guide for patients, revised 2017
3)提供配偶子により出生した子の権利と福祉について
3-1) 子への情報開示(知る権利)
わが国において提供配偶子を用いた生殖医療をおこなう場合、家族関係における混乱が生じることを考慮して、提供者および被提供者がお互いの情報開示に同意した場合を除き、被提供者夫婦に対して提供者に関する情報を開示しないことを原則とする。一方、治療により出生した子には、成人に達した時点で、提供者に関する情報を得る権利を認めることを提案する。
子に対して開示すべき配偶子提供者の具体的情報範囲については、提供者が親ではないことを規定する親子関係法規が存在しない現状では、提供者本人を特定できる住所、氏名については、非開示とせざるを得ないため、住所、氏名以外の基本情報(配偶子提供者の年齢、身長、体重、血液型、疾病情報など身体的および医学的情報と学歴、職業など社会的情報)までの開示を原則とする。さらに将来、住所、氏名についても開示が求められる可能性があることを、あらかじめ配偶子提供者に説明する必要がある。ただ、このいわゆる遡及的開示については、その主旨が子と提供者双方の最大限の幸福を達成するためのものであることをふまえ、海外事例も含めて説明する。
3-2) 提供者情報の保存
配偶子提供者から提供された個人情報については、後述するように、医療機関が毎年、生殖医療に関する公的管理運営機関(国や学会などにより運営される;以下では、管理運営機関と略す)に対して報告・登録する義務を有するとともに、各医療機関においても、配偶子提供者に関する情報をできるだけ長期間保存することを提案する。
なお、諸外国の例からは、子からの開示請求や出自を知る権利の法制化に伴い、匿名制保持のためにそれまでの情報を破棄する医療機関があらわれている。出自を知る権利の確保を考慮する上では、このようなことが起こらないよう、法整備も含めた慎重な配慮が必要であると考える。さらに、わが国における多くの不妊治療が公的医療機関よりも私的医療機関で行われている現状をふまえ、医療機関の閉鎖による情報消失を防ぐ方策の考案が急務である。
4)提供者への補償について
本邦では、生殖医療に対する配偶子の提供は、一部の例外を除いてほとんどの場合、基本的に無償とされている。本委員会も、配偶子に対する一切の金銭等の対価を供与することは認めず、原則として無償提供とすることを提案する。
しかし、特に卵子提供の場合、提供者が多大な時間的負担、ならびに身体的侵襲を負うことを考慮すると、精子提供と同等と判断することは適切でなく、諸外国においても妥当な範囲の補償が行われる場合が多い。すなわち、卵子提供のために要するゴナドトロピン製剤注射など薬剤費、処置費、通院のための交通費などの実費相当分、および配偶子提供のための不都合に対する妥当な範囲の補償は、許容されると考えられる。また、卵巣過剰刺激症候群の発症など、卵子提供者が要した医療費についても補償することは妥当と考える。
一方、精子提供者に対する補償は、提供精子を用いた人工授精において、現在、提供者に対して支払われている標準的な額と同程度が妥当と考えられる。
5)提供配偶子を用いる治療を行う施設について
5-1) 施設の要件
提供配偶子を用いる治療を行う施設は、治療の実施にあたり管理運営機関の認定、および各施設の倫理委員会の承認を受け、各施設、およびその倫理委員会の責任の下にこの治療を実施する。治療施設は、国が定める要件を満たした倫理委員会を設置し、配偶子提供を受ける夫婦に対する適切で十分なカウンセリングとインフォームド・コンセントのための要員および場所を確保しなくてはならない。
治療に先立ち、治療の内容、提供者の要件、将来において子が出自を知る権利を認められる可能性があること、告知の重要性などの、詳細で包括的な情報提供と、十分な時間を費やしたカウンセリングを行う必要がある。
5-2) 施設認定について
治療施設は、管理運営機関によって認定、および認定の更新を受ける必要がある。管理運営機関は各治療施設の配偶者間の生殖医療の実施状況、倫理委員会、カウンセリング体制などについて審査し、認定を行う。
治療施設は、配偶子提供者と被提供者夫婦の同意書を含む情報をできるだけ長く保存するのが望ましい。その情報は、同時に管理運営機関において保存されるべきである。また、施設が閉鎖された場合、廃業した場合、あるいは原本を保存できない何らかの事態が生じた場合には、その情報を管理運営機関に付託する。
6)管理運営機関と法整備の必要性についての提言
本委員会では、管理運営機関の業務は、a)提供者情報の保管管理、b)出生した子についての情報の保管管理、c)出生した子が成人に達した後の提供者情報開示請求への対応、d)各施設の査察監督と治療実績の収集、統計処理及び公表、さらにe)提供者が関与する生殖医療のこれからのあり方の検討等とすることを提言する。また、管理運営機関は、各施設から送付された配偶子提供者と被提供者夫婦の同意書を含む情報を、できるだけ長く保存する。
生殖補助医療に関連する法整備の必要性については、前述したように長い間議論が行なわれて きた。しかし、本委員会は、包括的な合意形成が困難である以上、現状では、少なくとも民法上の法的親子関係を明確化する法律(親子法)の整備が必要であると提言する。すなわち、a)子を懐胎、分娩した女性が子の法的な母であること、b)分娩した女性のパートナーで、配偶子提供に同意した者が法的な父であること、c)精子提供者は、治療によって生まれた子を認知することができず、子から提供者に対して認知請求することもできないこと、を明確化することが最低限必要である。この範囲の法律が制定されれば、提供配偶子を用いる生殖医療の運用は、ガイドラインと政策的配慮により十分実現可能であると考える。
1) 国内における配偶子提供者の確保
国内においては、配偶子提供者、特に精子については現時点でも極めて不足しており、今後、提供配偶子を用いた生殖医療が行われるにあたっては、輸入配偶子に頼らざるを得なくなる可能性が高い。しかし将来、出自を知る権利が何らかの形で認められたときに、提供者が海外に在住している、言語が異なるなどの問題を生じることが海外で指摘されており、輸入と同時に国内でも提供者をリクルートできる体制を構築することが望ましい。国もしくは公的管理運営機関による配偶子バンクの設立も考慮されるべきである。
2) 提供配偶子を用いた体外受精・胚移植
提供配偶子を用いた体外受精・胚移植治療を希望する患者数は相当数存在することが推定されるが、社会的労力と費用を要する治療であること、さらには卵子提供の場合には被提供者の年齢が高いことが多いことから、治療の安全性ならびに周産期リスクが危惧される。
3)法整備
提供配偶子を用いた生殖医療を進めるためには、親子法の整備が急務である。
4)法的に婚姻している夫婦以外の治療
提供配偶子を希望するLGBTカップル、未婚女性や事実婚以外のカップルの需要が高まっているため、将来的に対応が必要である。
提供配偶子を用いた生殖医療については、この治療を必要とする夫婦が一定数存在することは事実であるが、解決すべき課題は多い。配偶子被提供夫婦の安全と利益を担保し、生まれてくる子および提供者の権利と福祉を守るためには、法律やガイドラインなど提供配偶子を用いた生殖医療の従事者と利用者がそれぞれ遵守すべき条件を設定するなど、社会的環境を整備して治療を実施する必要性がある。
そのためには、現時点で実行可能な情報の保存に向けての努力が必要であるとともに、提供配偶子を用いる生殖医療の情報を管理するための公的管理運営機関の設立、および民法上の法的親子関係を明確化する法整備について、至急取り組む必要性を訴え続けることが肝要であると提言する。
役職 | 氏名 | 所属 | 専攻 |
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委員長 | 原田 省 | 鳥取大学医学部 | 産科婦人科学 |
副委員長 | 久慈 直昭 | 東京医科大学 | 産科婦人科学 |
委員 | 石原 理 | 埼玉医科大学 | 産婦人科学 |
委員 | 市川 智彦 | 千葉大学医学部 | 泌尿器科学 |
委員 | 苛原 稔 | 徳島大学医学部 | 産婦人科学 |
委員 | 岩瀬 明 | 群馬大学医学部 | 産婦人科学 |
委員 | 大須賀 穣 | 東京大学大学院医学系研究科 | 産婦人科学 |
委員 | 片桐 由起子 | 東邦大学医学部 | 産科婦人科学 |
委員 | 齊藤 英和 | 国立成育医療研究センター | 産科婦人科学 |
委員 | 辰巳 賢一 | 梅ヶ丘産婦人科 | 産科婦人科学 |
委員 (幹事) |
谷口 文紀 | 鳥取大学医学部 | 産科婦人科学 |
委員 | 原田 竜也 | 窪谷産婦人科IVFクリニック | 産科婦人科学 |
委員 | 平池 修 | 東京大学医学部付属病院 | 産科婦人科学 |
委員 | 湯村 寧 | 横浜市立大学附属市民総合医療センター | 泌尿器科学 |