廃線レポート 木戸川森林鉄道 (乙次郎~木戸川第1発電所) 第7回

公開日 2022.12.28
探索日 2006.12.09
所在地 福島県楢葉町~川内村

 “最後の難所” はじまる!



2006/12/17 14:34 《現在地》

よくぞまあ次々と橋が現われるもので、早くも「橋20」である。
そしてこの橋、規模が特別大きいわけではないが、周囲の風景とセットで額縁に入れて飾りたくなるくらい綺麗な橋だ。
3径間連続の単純木橋で、門形コンクリート橋脚によって支えられた桁は、一部架かった状態で残っていた。
橋脚の堅牢性こそが、木橋が長持ちするための最も重要な要素なのだろう。これまで現われた橋で、桁がわずかでも架かっていたのは、だいたいがコンクリート橋脚の橋だった。

また、橋脚の流失が起こりにくい桟橋の方が現存度が高く、この橋のように明確な流水のある谷を渡っている橋は対照的に現存度が低かった。
その点からも、本橋はよくぞ(一部とはいえ)現存してくれていたものだと思う。点数高いよこの橋は。




この橋の美観ポイントの一つが、多角形カーブとなっている右岸側の石造橋台だ。
この林鉄で見られる石垣は、路肩などの土留め擁壁はありふれた谷積みだが、橋台はどれも手の込んだ布積みになっていた。

布積みの石垣は、谷積み以上に石材を丁寧に整形する必要があり、手間がかかる。
また、布積みの石垣には古い鉄道構造物の印象が強い。そのため、林鉄でありながら、より上等な鉄道構造物を思わせる雰囲気を醸していた。




右岸橋頭より見渡す橋の全景。
第一径間は完全落橋、第二径間は主桁一本のみ健在、そして第三径間は、三本すべての主桁が架かっている。

渡って進むことは当然出来ないので、谷底へ迂回して進む。


(←)
実際の大きさ以上に巨大に見える、マッシブな質感を持ったコンクリート橋脚。表面はツルツルしている。

この路線の開設年度には完全に解明されていない部分があり、本橋を含む区間の開設は昭和13年から23年までとされるが、おそらく昭和13~17年頃と考えられる。なぜなら、この期間に他の路線から4kmを越える長さの6kg軌条が木戸川林道へ転用された記録がある。

ということは、太平洋戦争中に建設された区間である可能性が非常に高い。
戦時中、木材は極めて重要な物資であったから、全国的にも多くの林鉄が開設されたが、建築資材や技術の不足が慢性的していたために、粗製濫造の傾向が強かった。
このことを実際の構造物から判断する手掛かりとして、コンクリートの品質の劣悪さがある。

だが、本橋をはじめとする木戸川林鉄に多数ある門形コンクリート橋脚には、コンクリート品質の劣悪さを感じない。戦時中の構造物には見えない綺麗さである。

おそらくだが、開通当初は全て木造だった橋脚を、戦後、老朽化した木橋を更新する際に、一部の橋脚をコンクリート化する改良工事が行われたのではないだろうか。もし林道台帳が保管されていれば、改良工事の有無が確認ができると思う。

路線の廃止は昭和36年だが、コンクリート化してからは数年しか使われていないのかも知れない。そのくらい状態の良い橋脚が多かった。
なお、この路線にまつわる謎の一つである、多くの橋台は石造なのに、橋脚には石造のものがなく、木造かコンクリート造であるということの答えも、戦後の改良にあるのではないだろうか。



14:41

無名の支流を渡る「橋20」を越えてすぐ、本流沿いに戻ったこの写真の場所が、楢葉町といわき市の境である。
といっても道路のように標識があるわけではないし、地図を見ていなければ間違いなく意識せず素通りする場所だろう。

ここまでは双葉郡楢葉町で、昭和31年以前は双葉郡木戸村といった。
そしてこのさきはいわき市で、昭和41年以前は石城郡小川町、さらに昭和30年以前は石城郡上小川村であった。
林鉄が走っていた時代は、これらの町や村の境だった。(そして郡境だった)




14:48

いわき市……という感じが全くしない寂しい道を進んでいくと、木戸川の両岸が鋭く切り立っていくような変化を感じた。
前方にV字谷的なシルエットを感じるでしょう?

この先に険しい部分があることは、地形図からも予想していた。
木戸川の両岸を塗り潰すほどの等高線の密度は、これまでの最大の難所だった“クランク谷”に匹敵しており、険しい区間の長さはそれを上回っている。
極めて険悪な地形が予想されるが、ここさえ抜ければゴールは間近である。

具体的な数字でいうと、車をデポしてある地点まで残り700mほどだ(極端な迂回がないと想定して)。
そして、日没までの残り時間はあと1時間半。
普通に考えれば余裕で間に合う距離なのだが、万が一、どうやっても前進できずに引き返すような事態になると、途端に絶望的な状況となりそうだ。
なにせ、引き返してから1時間以内で安全地帯へ脱出できるエスケープルートがまるで想定できない。入山ルートだって、ほとんど無理矢理に乙次郎の滝を下りてきたわけで…。

……うん…、結構怖い状況だよこれは。
別にいま初めてそれに気付いたわけではなく、ずっと徐々に気付いてはいたんだけど、最後の難所を意識したところで、初めて文章化した次第。


でもまあぶっちゃけ、御託はどうでもいい。

黙って700m歩き通せば俺らの勝ち。そこははっきりしている。




14:49

これは始まったな。

この先は、高い石垣で守られた狭路になっている。

最後の難関エリア、突入!




14:50 《現在地》

!!!

唐突の桟橋出現!

橋の存在を予感できるような前景なしで、突如現われやがった。

渡らなければ進めない桟橋が!




渡る!

この「橋21」、厳密には迂回不可能ではないと思うが、

そのためには谷が険しくなる前まで戻ってから、川に下りて迂回する必要があるだろう。

もちろん、この橋が渡れない状況……落橋……だったらそうするしかなかったが、

渡れそうな気がするんだよな。何となく…。



この桟橋は2径間で、中央にコンクリートの橋脚がある。

手前の第一径間は、全ての主桁が健在で十分に頑丈そうだが、

問題は橋脚の先の第二径間だ。あるべき位置に桁が見えないので、壊れている。

中央の橋脚まで行ってみないと、渡りきれるかどうかが分からない。

緊張で心臓がバックバクいっている。頼むぞ、戻りたくないんだ。



行けるッ! 渡りきれるッッ!!

第二径間はおそらく落石の直撃によって破壊されていたが、

一番左側の主桁が、なんとか残ってくれていた。

この写真の印象よりも恐ろしい一本橋状態となった主桁を、

幸いにも手が届く位置にある崖を左手で触りながら、よくバランスを取って渡った。



14:54

渡橋成功!

この右端の桁が落ちていたら、たぶん渡れなかった。
渡れなければ、ずっと戻って迂回する羽目になっただろう。
直近の崖がいかに険しいか、この写真から分かると思う。

つうか、川を迂回するのも相当大変だったんじゃないかなこれ…。
ちょっとしたゴルジュみたいになっていて、簡単には歩けそうにない。



「 いやー。怖かったがよく越えた、いまの橋…! やった! 」

滝が好きなくせに高所は苦手なくじ氏も、ほんとによく頑張った!



… … … … ん?



「くじさん、前見て!」