ベルリンの壁崩壊から30年 繰り返す「分断」
壁は「飛び地」にあった
ベルリンの壁とは、ソ連と米国が対立していた東西冷戦時代に、ベルリン市街を分断していた壁のことです。1961年8月に東ドイツ政府が国民の西側への流出を防ぐ目的で作りました。東独内にあった西独の飛び地の西ベルリンを取り囲むように壁を設け、高さは3メートルで総延長は155キロに及んでいました。
戦勝国が首都を分割
第2次大戦末期の1945年2月、クリミア半島のヤルタで米大統領のルーズベルト(当時)や英首相のチャーチル(同)、ソ連首相のスターリン(同)が集まり、戦後の世界のあり方を話し合いました。米ソ間の緊張関係を生み、戦後の東西冷戦の端緒になった会議でした。国際連合の設立も協議したほか、ソ連の対日参戦もここで決まったとされています。
壁は崩れた
冷戦が終結
1989年11月のベルリンの壁の崩壊で東西対立の構図が崩れる中で、同年12月に米ソ首脳が地中海の島国マルタで会談し、約40年にわたった東西冷戦の終結を宣言しました。この前の87年12月にはレーガン米大統領(当時)とゴルバチョフ・ソ連書記長(同)との間で中距離核戦力(INF)全廃条約が調印され、東西雪解けをもたらしました。
今のベルリンを歩いてみた
分断の壁、再び
冷戦終結後、世界では東西を隔てていた壁が取り払われ、モノやお金、人が自由に動き回るグローバル化が大きく進展しました。しかし、ここにきて再び内向きなムードが世界に広がり始めています。象徴的なのが米国で「アメリカ・ファースト(米国第一主義)」を掲げるトランプ大統領が誕生したことです。不法移民対策を重要政策に据えるトランプ政権は隣国メキシコとの国境沿いで「壁」の建設を進めています。
30年を経て、世界はまた本格的な分断の時代に戻ってしまうのでしょうか。
文・加藤彰介 編集・森本学、槍田真希子、鈴木輝良