修行に取り組む姿勢 | 法友(とも)へ

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皆さん年末年始を利用して集中修行に励んでおられる事と思う。(笑)


なので、これもついでに書いておこう。




元TD師のブログのコメントを見ていて思ったんだけど、修行に対して何か思い違いがあるように思える。


修行というものはすぐに結果が出るものではない。


まあ、この結果というのは、体験という意味ではなく成就という意味ではあるのだが。



オウムソング「超越神力」では、いかにもすぐにでも不思議な力が身に付くかのように歌い上げている。


これに対して麻原は、


「そんな事など、あるはずなかろうが!」


と、言っている。



そもそも、オウムソングはステージの低い者たち向けの、修行をやる気を起こさせるための方便に過ぎない。


これは、アストラル音楽や決意も同じである。


そんなものは成就の役には立たない。



成就のためには、このブログで解説した行法を行うのが最も効率が良い。


しかし、修行において、同じことを続けるのは、非常に苦痛が伴う。


なぜなら、エゴが嫌がっているからだ。



これはどういう事かというと。


エゴを滅するのが修行の目的であるからである。


従って、修行が進むとエゴは修行の邪魔をしようとする。


何かと理由をつけて、修行から目をそらせようとする。


このブログで解説した修行法から目をそらせ、他の修行法が気になったり、このブログで解説した教義ではなく仏教経典が気になったりするのはそのためなのだ。



逆に言えば、このブログに書かれていることが、どれほどエゴを滅するのに効果的であるかという証明になっている。


しかし、苦しい時こそがエゴを滅する絶好のチャンスなのだ。


というよりも、苦しくないときにエゴを滅するのは絶対に不可能なのだ。




続けることだ。


あれやこれやと、次々に色々なものに手を出すのではなく、一つの事を極めるまで続けることだ。


そのためには、ある程度の工夫は行ってもよい。



例えば、マントラ。


100万回達成するというのであれば、ひとつのマントラにこだわる必要はない。



例えば、プラーナーヤーマ。


ヴァヤヴィヤだけにこだわる必要はない。


アパンクリア、スクハプールヴァカ、ブラーマリー、合計で1000時間達成すればよい。



例えば、ツァンダリー。


ヒンズーツァンダリー、第二のプロセス、第四のプロセス、合計で10万回達成すればよい。



実は、回数にはこだわる必要はない。


無制限に続けるという心の状態を作り出すことに意味がある。


その時に大きな変化が起きる。

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