「市民の党」斎藤まさしと民主党で書いたことだが、最大の謎は彼らの資金源だ。
1986年、フィリピン――。
アメリカの強力な庇護の下、20年間続いたマルコス独裁政権が100万民衆の力で倒れた。フィリピン人民革命、いわゆるピープルパワー革命である。
この革命の一翼を担い、殊に資金面で大きな貢献を果たしたのが、斉藤まさしさんと彼の率いる地下革命組織「同盟」だった。――自身の口で斉藤さんがそう語っている。
この時期、およそ7年間にわたって日本-フィリピン間を往復していた斎藤まさしさんは、1年の半分以上フィリピンにいた。そして、現地の反マルコス勢力を結集してマルコス政権打倒のために駆けずり回っていたという。その努力が実って、終にマルコス政権は倒れた。
荒岱介との対談でこう言っている。
斎藤 統一戦線の発展で、ぼくの言うことは割合影響力があった。実際、予想外に早くマルコス政権は倒れたし、アジア最大の米軍基地もなくなった。
(略)
荒 「同盟」はどうかかわっていたのですか。
斎藤 グループの総力をあげて支援していました。今、選挙に注ぎ込んでいるよりも多額の資金を支援した(笑)。彼らが一番困っていたのはお金だから。
組織の総力を挙げて、日本の選挙より多額の資金を注ぎ込んで、フィリピン革命を支援していたという。
20世紀の初頭、ロシア革命の裏で暗躍した明石元二郎大佐を彷彿させる。「たった一人で日本の満州軍20万人に匹敵する成果を挙げた」と言われた明石大佐は、現在の価値にして百億円以上にものぼる資金をレーニンらの革命運動に支援し、ニコライ2世の帝政ロシアを揺さぶった。
斉藤さんもまた、フィリピン共産党の新人民軍などを資金面から強力にバックアップして、フィリピン革命を助けた。
しかし、ロシア革命の例でもわかるように、一国の革命に影響を与えようと思えば100億からのカネが必要となるのだ。そんな莫大な資金がどこから湧いて出てきたというのか。……
日本陸軍の大佐だった明石元二郎の場合は、当然のことながらその資金は日本の機密費から出ていた。この革命が日露戦争を勝利に導く主動因の一つになったのだから、日本が惜しみなく資金を注ぎ込んだのは当たり前だ。
しかし、当時の日本とフィリピンはアメリカを通じた間接的な同盟関係にあった。マルコス政権を転覆させなければならない動機は、日本には一つもない。
「正論」誌の論文を書いた直後、じつは私は池袋で斎藤まさしさんに会って、直接そのことを聞いている。
私から訊いたわけではないのだが、多分私が資金の出処を疑っているのを知っていたのだろう。斉藤さんのほうから問わず語りに、
「フィリピンの有名歌手やアグネス・チャンが協力してくれて、チャリティ・コンサートでカンパを集めたんだ」
そう言った。
が、もちろん私は信じなかった。
一国の革命がカンパでできるはずなどない。
数十億、数百億の単位で外国に資金を出すなど、国家の意志がなければ到底不可能だ。
ということは、フィリピンに革命が起きてもっとも国益に寄与する国がどこかを考えれば、おのずと答えは見えてくる。
マルコス政権が倒れ、アジア最大の米軍基地だったスービックとクラークの2大米軍基地が撤去された。
その結果、現在南シナ海を我が物顔で泳ぎまわっているのが中国海軍であることはすでに書いた。
* * *
さらにもう1つ。
この資金がどこから出ているのだろう――と、非常に不思議に思ったことがある。
2003年11月14日から17日にかけての4日間、沖縄の那覇市で「第5回 アジア太平洋の平和・軍縮・共生のための国際会議 in 沖縄」という長ったらしい名称の国際会議が開かれ、ここに世界の左翼著名人士が結集するという噂を聞いて、取材に行ったことがある。
略称をPDSAP(Intrernational Conference for Peace,Disarmament and Symboiosies in the Asia-Pasific)というこの会議は1991年にスタートした。冷戦後のアジア太平洋地域の平和と友好を創出するため、世界中から結集した政治家、学者、市民活動家らにの集まりであるという。
ホスト役である日本側共同代表は、
河野洋平
土井たか子
豊田利幸(名古屋大学名誉教授)
伏見康治(原子物理学者、元参議院議員= 公明党)
武者小路公秀(元国連大学副学長)
など、日本を代表する左翼人士の顔がずらりとならぶ。
しかも、韓国からは当時の金大中大統領や、北朝鮮の代表団もやってくるので、どんな左巻きな祭典になるのかと胸を躍らせていたのだが、結局やってきた大物は土井たか子ただ一人。
その少し前、北朝鮮が拉致自白という大ポカをやって、総選挙で社民党が大敗を喫した直後であったから、そのリハビリににでもやってきたのかもしれない(そして、その場で私は土井センセイに直撃インタビューを申し込んで玉砕するのだが、そのことは04年2月号の『諸君!』に書いた)。
公安情報によれば、この国際会議には同年の北京での6ヵ国協議に対抗する国際平和会議を日本で開いてくれ、という北朝鮮からの要請もあったのだという。
2日目のシンポジウムで、「PDSAP in 沖縄」は早くもその本性をあらわした。
「北朝鮮は50年間にわたって危険な端を渡らされてた。北朝鮮が核武装するまで追い詰めてしまった責任は紛れも無くアメリカにある」
「朝鮮半島問題を平和的に解決しない限り、沖縄から基地が消えることはない」
「昨今のきな臭い反動世論の盛り上がりのなかで、唯一の救いは太陽政策以降韓国で民主化の機運が高まっていることだ」
……等々と言っている。
ようするに沖縄から米軍基地が撤去されない限り、朝鮮半島に平和は訪れないというとうのが、この会議全体の主張であり、それを言わせるために十数ヵ国から30人を超す来賓を招き、さらには政治家や学者など国内の著名人も多数招来して市内一流ホテルの大会議室や客室を4日間にわたって借り、島内観光や土産まで持たせて返したのだ。
数千万円からの必要経費があったはずだ。 国内外の来賓が自腹を切って来るはずはないから、当然主催者持ちである。
当然のことながら、この“世界左翼の祭典”のバック、すなわちケツ持ちが朝鮮総連ではないかと疑惑が持ち上がったのだが、この時期、2000年を前後して全国の朝銀信用組合がつぎつぎと破綻し、総連の財政は瀕死の状態であった。
かといって、もちろん、北朝鮮本国にそんな余分の支出をする余裕が会ったはずもない……。
資料によれば、このPDSAPの日本委員会はまったくの任意団体で、「言論の自由を確保するため、どこの省庁にも所属しないNPO法人ではないNPO」であるのだという。公的機関からは一切資金援助を受けておらず、融資からの寄付とカンパで運営されているという。
何か思い出さないだろうか?
そう。「フィリピンで革命を起こした」と大略言った斎藤まさしさんの言い分とそっくりである。
だから、先に紹介した斉藤さんの話を聞きながら、私がすぐさま思い出したのは、この沖縄国際会議のことだった。
なぜといえば、会議の資金の出所を訊ねるため、この日本委員会の事務局に電話したことがあるからである。
資料のどこを探しても事務局の所在がわからないので、会議中に名刺交換した関係者に手当たり次第電話して訊いて回ったところ、ようやくこの委員会の連絡先が判明した。
現在はもうなくなった、東京の宇都宮徳馬軍縮研究室のなかであった。
ある程度以上の年齢のかたはご存知と思うが、宇都宮徳馬といえば日本共産党の活動家として逮捕され、その後転向して自民党から衆議院に入り、自民党のなかで唯一、ソ連、中国、北朝鮮といった共産圏と外交チャンネルを持っていた政治家である。公安筋では偽装転向を疑われており、北京直属のエージェントとも、金日成直通のエージェントとも目されていた。
そしてその斉藤さんのことを調べながら沖縄のことを思い出したのは、斉藤さんが荒岱介との対談で「僕の唯一の政治の師匠は宇都宮徳馬先生」と語っていたからだ。
斉藤まさし=宇都宮徳馬=中国・北朝鮮……そんな図式が見えてきたのである。
* * *
さらに加えて言えば、昨今物議が喧しい従軍慰安婦問題――。
そのクライマックスシーンが、「天皇ヒロヒト」に「有罪」を下した2000年12月の「女性国際戦犯法廷」であったことは言うまでもない。
靖国神社に隣接する九段会館で、国内から約600人、海外は30ヵ国以上から約400人を集め、それにメディアを加えて連日1200人が見守るなか、5日間にわたって展開されたこの大仕掛の国際イベントに際し、優に億単位の資金を必要としたはずである。
こうした国家的な大掛かりの国際謀略にカネを出すことが出来る国は1つしかないと私は睨んでいるのだが――10年以上の歳月を経て、まだ確たる証拠が掴めないでいる。❏
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