●【④読誦(Swadhyaya)】 「読誦とは、聖音ॐ等の浄化作用のある真言を誦唱すること、あるいは解脱を説く聖典を学習することである」(ヨーガ・スートラ2-1ヴィヤーサ註解)。聖典を学ぶことの大切さについて、ヴィヤーサはこう語る。「自ら勉学する気のある者は、諸神や仙人や聖人たちが見えてくるし、またその仕事場に臨席する」(ヨーガ・スートラ2-44ヴィヤーサ註解)。ひたすら読誦に励む者の前には、神々など偉大な存在がその姿を現す。
●かつて私は、ガヤトリー・マントラを1200万回唱え続けたことがある。それには4年という歳月がかかった。
●【⑤最高神への信仰(Ishwara-pranidhana)】 「最高神への信仰とは、全ての行為を、最高の導師としての最高神に捧げること、あるいは行為の結果に執着しないことを言う」(ヨーガ・スートラ2-1ヴィヤーサ註解)。「最高神は、太古の導師たちにとっても導師である。なぜなら、最高神は時間によって制限されないからだ」(ヨーガ・スートラ1-26)。この最高神への信仰とは、神に「没入する」ことではなく、神に「奉仕する」こと、即ちカルマ・ヨーガに属する。神に没入するのは、三昧の境地にあって行われることであり、戒律で実現されることではない。
●「全ての行為を神のために為し、それから生ずる結果も神からの恵みとして受ける」ことが最高神への信仰だ。どんな行為であっても、その底には何らかの「我欲」がある。ヨーガ行者の場合であっても我欲が動機付けとなっているが、彼らはその我欲を心の底に押さえ込み、自分自身が行為するのだという「自我意識を消し去る」ため、全ての行為を神に捧げる。最高神への信仰や他の戒律を守る行為なども、厳密には無我の行為ではないが、こうした行為の底に潜む我欲は非常に少なく、殆んど我欲は無いと言えるほどなので、一般に無我の行為と言われている。
●「非暴力に徹し、正直で、よく感覚器官を制御でき、生きとし生けるもの全てを彼我の区別なく慈しむことができる修行者だけが、解脱の境地に達し得る」(マハーバーラタ・シャーンティ・パルバ章245-20)
「心穏やかにして、人々から尊敬されている者と、意思と理智の働きによって諸感覚器官の外へ向かう働きを内に引き戻した者は、最高神を知ることができる。なんとなれば、その者は、心が身体外の事物に向かわぬようにして、唯一高尚なることのみを想い、自分自身がやっているのだという自我意識を捨て去っているから」(マハーバーラタ・シャーンティ・パルバ章246-6,7)
「精神の寂静さを得て、ヨーガ行者は善悪に執著せぬようになる。こうして行者は、何事にも動かされることなく至福を味わい続けるのだが、こうした境地は言葉で表現できない」(マハーバーラタ・シャーンティ・パルバ章246-30)
「無執着の境地にあるヨーガ行者は、たとえ山と積まれた財宝を差し出されたとしても、心動かされることはない。そうした世俗の富よりも、むしろ自ら到達し得た至福の境地にあるのを楽しむ」(マハーバーラタ・シャーンティ・パルバ章246-20)
●私たちの内的心理器官たる理智は、唯一、神我に没入する境地に至ることだけのために働かねばならない。故に、理智が行う分析・判断・決定する働きは、全てこの解脱という目的にためになされるようでなければいけない。
●「最高神を知る者は解脱に達する」。人間としてこの世に生を受けた者だけが、最高神を知ることができるのであり、この悟りを得るために私たちは人間としての生を受けている。もし人として生まれてきたにもかかわらず、神我の知識を得ることなく、輪廻転生の中から抜け出す努力もしないようでは、あなたの人生は全く無駄なものとなってしまう。人として生まれてくること自体、非常に有り難いことなのだ。「前生における多くの徳行の故に、我らは人としてこの世にある。かくのように得た人生であるにしても限りがあり、しかも神我の知識を得ることは最も困難なことである」(バーガヴァタ・プラーナ2-29)
●「聖音ॐを繰り返し誦唱せよ。また、その意味にの思いを馳せながら、ガヤトリー・マントラに節をつけて唱えよ」(ヤジュル・ヴェーダ36-3)
「最高神を表す言葉は聖音ॐである」(ヨーガ・スートラ1-27)
聖音オームの語源は、「保護する」という意味の言葉「アヴァ(Ava)」から来ている。ガヤトリー・マントラの「ブフー」「ブハー」「スワハー」という3つの語は、素晴らしく力のある言葉であると言われ、それぞれ「リグ・ヴェーダ」「ヤジュル・ヴェーダ」「サーマ・ヴェーダ」を意味している。また「行為」「智慧」「信仰」という、神が造られた3組の知識を意味しているとも言われる。
「ブフー」(魂や魂の基となる力)。「ブハー」(あらゆる苦悩を解消してくれる神)。「スワハー」(至福をもたらしてくれる神)。
「タト」(かくのように)。「サヴィトゥル」(あらゆる繁栄を約束してくれる主)。「ヴァレンニャン」(喜びをもって受け入れる)。
「バルガハ」(智慧の全てであると共にあらゆる罪を浄める存在)。「デーヴァッシャー」(全ての願いを叶えてくれる力と智慧の神)。「ディーマヒー」(我らは神に瞑想を施す)。
「ディヨー・ヨー・ナー・プラチョダヤート」(どうか神よ、我らの理智がより良く働けるよう、瞑想できるようにさせて下さい)。
以上のように、ガヤトリー・マントラは、神の属性について述べ、そうした属性に向けて瞑想すれば、私たちは解脱の境地に到れると言っている。私たちはこの真言を唱え、この真言の意味に向けて瞑想する必要がある。
●解脱の境地は、今この世に生を受けている間にこそ到達せねばならない。そうなって初めて、私たちはこの世の束縛の中に生きつつも、全てに囚われることなく、自由に生きて行くことができるようになる。
【坐法(Asana)】
●精神集中・瞑想・三昧に熟達するには、まず基本の16種の坐法の内、最低でも一つの坐法には完全に熟達しておく必要がある。少なくとも3時間は一つの坐法で坐り続けられなければならないからだ。
●坐る最も良い時間帯は午前5~7時。必ず胃が空のときに行うように。身体の動きを妨げるような服は着ない(着る服はできるだけ少ないほうが良い)。一つずつゆっくり行ずること。行の後にすぐ食べ物を口にしてはならない。
●身体の右半分を使ったら、必ず次に左半分も使うようにして、バランスを取ること。手足の関節は、必ずその前の坐法の動きとは逆の動きをさせる。
●瞑想のポーズの共通事項は、脊柱・首・頭・腰は必ず真っ直ぐに保つこと。
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