『キョンと佐々木とハルヒの生活 1日目』
結婚して、サラリーマンになって、子供ができて、繰り返しの日常を送って行く。 それは本来、ずっと昔の、俺自身はそんな漠然とした未来なんて信じていなかった。 自分はもっと特別だと信じて、きっとヒーローか大金持ちにでもなれるもんだと思っていたと思う。
ただ、年を重ねるごとにそんな現実に気づき始めて、そして、そんなありきたりの人生を送ることが当たり前になっていた。 しかしながら、実際にそうなってみると意外と楽しいもので、充実したものだと気づく。 そして、そんなありきたりの生活いかに大変であるかということも。
○月○日
朝の7時半、それがいつも俺が目を覚ます時間だ。それから朝飯を食って、子供を保育園へ送りがてら仕事へ向かう。 朝飯を作るのは俺のヨメの係で、子供の送り迎えは俺の役目だ。 俺たち夫婦は共働きで、俺が子供を送るついでに仕事へ出て行った後、1時間ほどしてからヨメさんの方は仕事へ行く。
あいつと付き合い始めたのは中学の終わりの頃からで、そのまま同じ高校へ行き、そして同じ街の大学で下宿生活を送った。 (こんな表現をするのは、あいつの行った大学が某有名国立で、俺は同じ都市にあるマイナーな地方公立大学へ進学したからだ。) 働きながら家事も立派にこなすし、俺よりも高給取りだ。なんで、こんな出来たヨメさんを俺がもらえたかというのは七不思議だが、実際にそうなったんだから仕方が無い。これはそんな俺の一日一日の記録である。
「こらー、早く起きろー、キョン!」
との声が聞こえるが早いか、腹にドスンとした衝動を感じて俺は目を覚ました。早速の訂正で申し訳ないが、朝の7時半それが俺の文字通り叩き起こされる時間である。
「毎回毎回言っていると思うが、もうちょっとましな起こし方はできないのか…」
腹を押さえながら上半身だけを起こす。
「ネボスケさんが悪いのー!」
はぁ、3歳の娘がいると毎日がプロレスだ。まだ、20代で体力があるうちでよかったよ。そして、かわいい我が家の暴君はもう一度布団ダイブの体勢を取った。
「わかった、わかった。起きる、起きるから、お前はお母さんのところへ行っていなさい、ハルヒ。」
「10秒以内に来ないと死刑だからねー」
そう俺に告げるとタパタパと音を立てて、ダイニングのほうへ走って行った。しゃあねえ、起きるか、死刑はいやだからな。
「うぃー、おはよう。」
寝癖頭を掻きつつ、ダイニングに入る。
「おはよう、キョン。まったく、なんて顔をしているんだ。早く顔を洗ってきたまえ。」
パジャマにエプロンをかけたわがヨメはそう言うと、あっち行って来い、といわんばかりに右手をひらひらさせた。
ここで、疑問に思われた方も多いと思う。なんで、俺が娘からパパ、とかお父さん、とかダディではなく、「キョン」なんて間抜け極まりないあだ名で呼ばれているか。
その主犯格はこのヨメである。
こいつが、俺のことをパパだとか、お父さんだとか呼べばいいのに、学生時代のあだ名で今でも呼び続けるものだから、娘にまでそう呼ばれるようになってしまった。
本人曰く、それが一番呼びなれているらしいが、こっちはいい迷惑だ。
顔を洗って、食卓に戻る。ちょうどトーストとハムエッグが焼き上がったところだ。
「キョン、遅いー。」
口に物を入れながらしゃべるんじゃありません。
「はい、コーヒー。」
「おっ、サンキュー。」
本当に俺にはもったいないくらいに出来たヨメだ。大学を卒業して、就職してから24歳で結婚した。 娘が生まれたのが、それから1年後で、現在俺たちは28歳である。
ヨメさんは一流外資系コンサルタントに就職し、育児休暇中も会社から早く帰ってきてくれ、と懇願されるほどの凄腕コンサルだ。 対する俺は普通に公務員で市役所勤務。 よって、毎日時間に正確な、そしてそれくらいしか取り柄の無い、俺がハルヒの送り迎えをしているわけである。
飯を食ったらさっさと着替えて仕事へ行く準備だ。ハルヒの着替えはヨメがやってくれている。というわけで、服を着替えたら準備OK。
「キョン、早く早くー。」
娘にせかされて玄関で慌てて靴を履く。3歳児の癖によく口が回るやつだ。
「じゃあ、気をつけて行ってらっしゃい。」
「おう。」
フレックスタイム制のヨメは俺とは違って10時出勤で働いている。なんでもラッシュアワーの満員電車はもううんざりだそうだ。
ハルヒの手をとった後、後ろを向いて、こちらに手を振っているヨメに手を振り返す。 ちなみに娘のハルヒは母親似で俺とはあまり似ていない。 ただ、ヨメいわく素直じゃない性格は俺そっくりらしいが。
「ママ、いってきまーす。」
「はい、いってらっしゃい。」
ごくごく当たり前の日常の風景だが、ここでヨメと娘の笑顔を見ることによって、俺の一日のエネルギーは充填されるといっても過言ではない。
っていうか、なんで母親はママで父親はキョンなんだ?
「だって、キョンはキョンなの!」
わけのわからんトートロジーで返すな。 あぁ、一度でいいからパパと呼ばれたい…
自転車にハルヒを乗っけて保育園まで走り出す。 後ろで、「あぁ、抜かれた!」とか娘がギャーギャーうるさいが、パパはお前のためを思って安全運転をしているのだ。 文句を言うでない。
そうこうしているうちに保育園に到着。
「あ、おはようございますー。」
甘い声と共にこちらに駆け寄ってくる。走るたびにゆれる胸。
「おはようございます。今日もハルヒをよろしくお願いします。」
「おはよう、みくるちゃん!」
って、まったくお前は。年上に対する尊敬というものを知らんのか。
「こら、朝比奈先生だろ!」
「ふふ、別にかまわないですよ。ねーハルヒちゃん。」
「ねー」
まったく、親の教育が行き届いていなくてすみません。まずは父親をパパと呼ばせることから始めます。
「それじゃあ、よろしくお願いします。いい子にしているんだぞ、ハルヒ。」
「しっかり働いて来いよ、キョン。ただでさえママより給料少ないんだから!」
こんなところで、大声でそんなことを言うな!あぁ、恥ずかしい。
と、怒鳴ってやりたいところだが、ハルヒの満面の笑みに何もいえなくなってしまう、親馬鹿な俺が一番悪いのかもしれない。 ちなみに、俺が毎日律儀にハルヒの送り迎えをしているのは朝比奈先生に逢えるからだっていうのは内緒だ。
『キョンと佐々木とハルヒの生活 2日目』
○月○日
今年大学を卒業して就職した妹が遊びに来た。 こいつは重度のかまいたがりで、昔猫を飼っていたときは猫が嫌がるほどの猫かわいがりをしていたものである。 そして、今ではその対象はうちの娘に代わっている。
「ハルにゃん~、おーっきくなったねえ。かわいい。」
そう言って家に来るやいなやハルヒに抱きつく。
「お前なぁ、ハルヒに抱きつく前に久しぶりに会った兄に挨拶とかはないのか。」
うれしそうに妹に飛びついて、頭をなでてもらっているハルヒを横目に見ながら文句を言う。
「あ、キョンくん。ひさしぶりー。」
はぁ、どいつもこいつも人のことを気安くキョンキョン言いやがって。
「あ、いらっしゃい。」
妹の気配を察して台所で晩飯を作っていたヨメが、エプロンで手を拭きながら出てきた。
「あ、お邪魔しています。おねえさん。」
「おい、ちょっとまて。なんであいつをおねえさんと呼んで、俺はキョンくんなんだ?普通はお兄さんだろ。」
「だって、キョンくんはずっとキョンくんって呼んでるから、いまさらお兄さんなんて呼べないもん。」
「あのなぁ。」
「それに、まだ佐々木さんなんて呼んでたら変じゃない?だって、結婚して苗字が変わったんだからさぁ。」
「それもそうだね。」
と、笑いながらヨメが相槌を打つ。
まったく、お前は―
自分をほっとかれたやりとりに我慢できなくなったのか、ハルヒは妹のスカートのすそを引っ張っている。
「早くテーブルにおいでよー。おばちゃん!」
「お、おばちゃん!?」
妹の目が丸くなって、素っ頓狂な声を上げる。 ふふふ、俺もやられてばかりではない。
「だって、お前はハルヒから見ればおばさんだろ。」
「だ、だからって、今年大学卒業したてのおねえさんを捕まえて…」
「まぁ、間違ってはいないけど、それはちょっとひどいんじゃないかな。」
ヨメが苦笑いしながらコメントを入れた。
「そうだ、そうだ。それにわたしがおばちゃんなら、キョンくんの年なんか殆ど三十路のもうおっさんおばちゃんじゃん!」
と、言った瞬間妹がしまったという顔でヨメのほうを見た。 そういえば、こいつと俺は同い年だったよな…
「…そろそろ夕ご飯にしようか。」
すみません、その笑顔がすごく怖いんですけど…
こうして俺と妹は借りてきた猫のようにおとなしく、ヨメ特製の晩飯をいただきましたとさ。
その日は自分で仕掛けた地雷を思いっきり自分で踏んでしまった夜だった…
『キョンと佐々木とハルヒの生活 3日目』
△月×日
ハルヒを保育園に送った後、自転車を漕いでいたら意外な人物に声をかけられた。
「キョンくん、ひさしぶりね。」
その声は…
「朝倉?」
「お、ちゃんと私のこと覚えていてくれたか。感心ね。」
スーツ姿の元大学の同級生はいたずらっぽく笑った。
「まあな。」
「結婚生活はどう?娘さんがいるんだって?」
「うん。これがまた、誰似たのかじゃじゃ馬でねー。」
「でも、顔が笑っているわよ。親馬鹿してるんじゃない?」
「ばれたか。」
ちなみにこの朝倉というのは俺たちの大学時代のマドンナだ。 同級生の谷口なんかは顔よし性格よし成績よしのAA+ランクとか言って、ずいぶんと熱をあげていたものである。
「ところで、お前は今日は仕事か?」
「うん。」
スーツ姿の同級生を眺めると、時がたったという実感が沸いて来る。
「お前はたしか大手のコンビニに就職したんだっけ?」
「そう。でも、あらかじめ断っておくけどバイトじゃないわよ。」
「わかってるよ。今はどんな仕事をしてるんだ?」
「今は商品企画の仕事をしてる。」
「何の商品?」
「おでん。」
「おでん?」
そう聞き返した俺の口調が気に食わなかったのか、朝倉はすこしムキになった。
「ちょっと、その言い方は聞き捨てならないわね。 おでんといえば冬のコンビニの主力商品よ。 ただでさえ差別化の難しいコンビニチェーンの間で、もっとも個性をアピールできる重要な商品なんだから。 そもそも、おでんっていってもね、その奥は非常に深くて――」
と、こうして20分ばかり熱くおでんトークを聞かされた。
しかし、かつては大学のマドンナとして名を馳せた朝倉がおでんについて熱く語る女になってしまったか。
…28歳独身、この先の道は険しいな。
と、朝倉に会ったあと遅刻ぎりぎりで役所に着いた俺はいつもどおりの業務をいつもどおりにこなし昼休みを迎えた。
というわけで、飯でも食いに行くかな。 基本的に俺は昼飯は役所の近くの長門屋という食堂で食うことが多い。
「いらっしゃいませー。」
店に入った俺にそう明るく声をかけてきてくれたのは喜緑さんだ。 この人結構いい年だと思うのだが、どうやらまだバイトのようで
「ここでバイトしているのがばれたらまずいのでよそでは言わないでくださいね。」
と口止めされている。
その割には店にもいつもいるので、バイトしているのがばれたらまずいという先が非常に気になる。 その正体が非常に怪しい人だ。
「いらっしゃい。」
それから、数テンポ遅れてこの店のオーナーである長門有希が言葉を発した。
客商売をやるにはおよそ無愛想過ぎると思うのだが、なぜか人気があるようで、この店はそれなりに繁盛している。
ちなみに長門とは大学時代からの知り合いで、俺が市立図書館で試験勉強をして閉館まで寝てしまったときに(勉強していないという突っ込みはなしだ)本を読みながらにいすに座って根っこでも生えたように動かなかったのが長門である。
そこで、閉館時間だぜ、と声をかけてしまったのがきっかけで俺が図書カードを持っていないこいつの図書カードを代わりに作ってやるはめになった。
それ以降、図書館で会うたびにぽつぽつ話すようになり、就職してから近くの食堂にいったらこいつがいたというわけである。
「注文は?」
必要最小限しかしゃべらないが、べらべらしゃべられるよりも俺としては居心地がいいのでこの店によく来るのである。
「えーと、それじゃカレーで。」
「わかった。」
普通はもう少し愛想のある受け答えをすると思うのだが、まぁ長門らしくていい。
「出来た。」
えらい早いな。 まぁ、この早さが長門屋の魅力だ。
「ん?隣の人より量が多くないか?」
「サービス。常連さんの。」
そうか。
まぁ、こうやってサービスしてもらえるから俺も通っているんだけどな。
こんな長門であるが完全に無表情であるわけではない。 俺が結婚すると言った時は少しだけ悲しそうな顔をした。 ああ見えてもあいつも女の子だから、俺みたいなやつに結婚の先を越されたという事実にちょっと思うところがあったんだろうな、きっと。
飯を食って、いつもどおりの仕事をいつもどおりにこなすと5時ジャストに終業だ。 そこから俺は自転車を漕いでハルヒを迎えに幼稚園に行く。 仕事の後に朝比奈、じゃなくて娘の顔を見ると疲れもふっとぶってもんさ。 そう思いながら、保育園に付くと一人の保父が花に水をやっていた。
この男は藤原といってどうやらここの園長の息子かなんかで、いやいや保父をやらされているらしい。 そのせいか非常に態度が悪い。 憎ったらしい顔をしながらパンジー畑に水をやっている。 こんな悪態ばかりをつくような男の子供たちからの人気はというと―
「あ、パンジーだ。」
「パンジー、パンジー」
「おい、こら誰がパンジーだ!」
「パンジー!」「パンジぃー」「パンジーーー」「ポンジー」「パンジー」
「誰がパンジーだ!っていうか今誰かポンジーっていわなかったか?」
「ポンジー、ポンジー」
「ええい、人をまるで愛媛県民みたいに言うんじゃない!」
「えー、ちがうのー」
「当たり前だ!」
「じゃあ、みかんの産地といえば?」
「愛媛。」
「やっぱ愛媛だー!」
「違うって言っているだろ!」
「日本の温泉といえば?」
「そりゃ夏目漱石の坊ちゃんの舞台になった松山の道後温泉に決まっているではないか。」「やっぱ愛媛だー」
「だから違うって!」
「甲子園の常連といえば?」
「もちろんそれは愛媛県はタオルの町、今治西高校に決まっているだろうが!」
「やっぱ愛媛だー」
「だから違うといっているだろうが。これだから子供は…」
どうやらポンジー先生は大人気のようだ。
ハルヒを自転車に乗せて帰ってくると、家の前に見覚えのあるワゴン車が止まっている。
ということはあいつが家に来ているのか。
「ただいま。」
「おかえりー。」
やはり思ったとおりヨメのほうが先に帰っていた。
そして、
「あら、おかえりなさい。」
「ただいま。っていうかお前来ていたんだな。」
「あれ、迷惑でした?」
そううそぶいてわざとらしく微笑んでみせるこの女の名前は橘京子。 うちのヨメさんの職場の後輩だ。 とはいっても、学部卒で就職したヨメさんと違って、院卒で就職しているため後輩とはいえ1個年上である。 それでも、うちのヨメさんが仕事の出来る女だったためおとなしく後輩としてなついているというわけである。
「相変わらずお早い仕事のお帰りですねー。ちゃんと働いているのかな?」
むっとする俺の心を察したのか
「橘さん。」
ヨメさんから制止のお言葉が入った。
「はい、すみませーん。」
ぜんぜん反省してるように聞こえんぞこら。
そして、普段は物怖じしないくせに人見知りのハルヒは俺の脚にしがみついたまま黙っている。
「ほら、ハルヒも橘さんにご挨拶。」
「…こんにちわ。」
ヨメさんに捉されてやっと言葉を出した。
「あぁ、そうだ、キョン。ちょっと夕飯の材料に買い物をし忘れたものがあるんだ。悪いけど、買いに行ってくれないかな?」
ああ、いいよ。 どうせ橘にとっては俺はお邪魔虫だからな。
この橘はヨメになつくのはいいが、半分宗教の領域に達してるんじゃないかと思うほど心酔している面があって、俺のことは結構疎ましく思っているらしい。
というか、結婚するといったときなんでこんなボンクラと、と言われたしな。
「じゃあ、買い物行くぞハルヒ。」
ハルヒは黙って付いてきた。
「いってらっしゃい。」
やれやれ。
「ほんと佐々木さんはなんであんなのと結婚したんですか?佐々木さんくらいの人ならもっといい人と結婚できただろうに。」
「橘さん、私は結婚して名前は変わったから佐々木じゃないよ。」
「いーえ、私にとっては佐々木さんは佐々木さんです。っていうか、私の質問をはぐらかさないでください。」
「わかったよ。じゃあ、聞くけど私にふさわしそうな人ってどんなひと?」
「うーん、仕事も出来て、かっこよくて、お金持ちで…例えばうちの会社の古泉さんとか。」
「くっくっ、キミのライバルグループのエースをおすすめするのかい?」
「それは、それ。これはこれですぅ。」
「古泉くんとは確かに話はあうだろうし、キョンよりもお金は稼ぐだろうね。」
「じゃあ、なんであんな人と結婚したんですか?」
「あんな人とずっと一緒にいたいと思ったからだよ。」
そう言って俺のヨメは笑ったらしい。 その場にいなかったのが残念だ。
『キョンと佐々木とハルヒの生活 4日目』
×月○日
今日も今日とて繰り返しの日常は過ぎる。 いつもどおりに仕事を終えた俺は、いつもどおりにハルヒを迎えに保育園にやってきた。
「すみませーん。」
そう声をかけながら保育園の教室の前に立つ。
「おっ、どちらさまかな?」
朝比奈さんではなくえらく威勢のいいお姉さんが俺を出迎えてくれた。 腰まで伸ばした髪を一つにくくり、にこっ笑いながら近づいてくる。 笑ったときの八重歯がとても印象的だ。
「え、と、あの…」
「おー、紹介が遅れたね。ごめんなさいなのさっ。」
両手に腰を当てて威勢のよい声で返事をしてくれる。
「私がこの保育園の園長の鶴屋ですっ。よろしくねっ!」
よろしくといわれても。
「あぁ、こちらこそよろしくお願いします。」
って、あれ? この幼稚園の園長って藤原じゃなかったっけ?
「あー、それね!実は前の園長めがっさ借金こさえて夜逃げしちゃってさ!で、私が代わりに園長をしてるってわけさ。」
え、まぢすか? じゃあ、あの藤原は…?
「んー、言い方は悪いけど、俗に言う借金のかたに働いてもらうってやつ?」
ポンジー…
少し背中につめたいものが走った。
「キョン、遅い!遅刻、罰金!」
と、教室の表で鶴屋園長と話をしていたらハルヒが出てきた。 ちなみにこの罰金というのは、俺が迎えに来るのが遅いとハルヒに何かひとつお菓子を買ってやる約束になっていることだ。
「お、キョンくんはハルにゃんのお父さんだったのか!」
鶴屋さん、あなたまで私をその名で呼びますか。
「ええ、まぁ。」
「みくるからよっく聞いてるよ。毎日お迎えご苦労さん。」
朝比奈さんからよく聞いている?
それはいったいどういう風に… あの、お父さんかっこいいですねー、とか結婚さえしてなければ私が、とか?
「あ、こんばんわー。」
とか妄想を張り巡らせていると奥から朝比奈さんが登場した。
「ども、お世話になっています。」
「やぁ、みくる。ちょうどキミの噂話をしてたのさ!」
えっ、といって朝比奈さんの頬が赤くなる。 かわいいなぁ。
「キョン。」
そんな俺の心の変化を察したのかハルヒが冷たい視線を送っている。 ええい、そんな目で見るな。
「でも、みくるちゃんかわいいもんね。」
こら、ハルヒ。 何度朝比奈さんのことをみくるちゃんと呼ぶなといったらわかるんだ。
「とう!」
とか、注意しようと思ったらハルヒが朝比奈さんに飛びつきやがった。 うらやまし、じゃなくて迷惑だからやめなさいっての。
「こんなに細いのに、ほら、おっぱいだってママよりぜんぜん大きいし。」
そういいながら朝比奈さんの胸をもみしだく。 こら、お前はなんということを。 朝比奈さんも顔が真っ赤になってだなぁ… と、思っていたらハルヒのやつがこちらに軽蔑の視線を送っている。
「「間抜け面。」」
お前父親に対してそれはないだろ。 っていうか、声が重なって聞こえなかった?
なぜか朝比奈さんは口を押さえて震えてるし、目の前の鶴屋さんは口を押さえて笑いをこらえてるし。 え、俺の後ろに誰か…
「やぁ、たのしそうだね。キョン。」
あら、我が愛しのヨメさんじゃないですか。
「あれ、ひょっとしてお邪魔だったかな?」
そう言って俺の表情を覗き込むように笑いかける。 でも、目が笑ってないですよ?
「いや、ハルヒのいたずらをだなぁ・・・」
「何をいいわけしてるんだい?何かやましい心当たりでもあるのかな。」
助けてハルヒ。
「ふんっ。」
って、おい! お前のまいた種だろ。
っていうか、鶴屋さんもう思いっきり爆笑してください。 そこまで笑いをこらえると体に悪いですよ。
「っていうか、なんで今日はお前がここに?」
「ここにいたらお邪魔だったかい?」
質問の仕方が悪かった。 火に油だ、こんちくしょう。
「まぁ、いい。今日は仕事が早く終わったから、運動がてら保育園に少し寄ってみようと思っただけだよ。」
「そうですか。」
「まぁ、僕としてはグッドタイミングだったのだが、キミとしては少し違うみたいだね。」
いや、だから笑顔が怖いです。
「まぁまぁ、夫婦喧嘩は犬も食わないって言うしさっ。その辺にしとくにょろ!」
そう軽快に言い放つと、俺とヨメの肩をポンッ叩く。
助かりました、鶴屋さん。
「それじゃあ、親子水入らずで帰るといいさっ!」
とまぁ、鶴屋さんのフォローのおかげでなんとかその場をしのぎ、ヨメは鶴屋さんと朝比奈さんと軽く会釈しハルヒの手を引いて俺の前を歩いている。
「あ、ちょっと。」
朝比奈さんが俺に声をかけた。
な、なんだ? まさか、本当に俺に…?
「最近鶴屋さんともよく相談してるんですけど、ハルヒちゃんあまりクラスに溶け込めていないみたいなんです。」
「本当ですか?」
家ではまったくそんなそぶりを見せないのに。
いや、でも意外とそういうのは親の目の届かないところで進行するらしいから…
「ええ、だからあのハルヒちゃんのおうちでの様子にも注意してあげてください。」
「キョンー!はやくぅー!」
当人のハルヒが呼んでいる。
「わかりました。注意してみます。」
そう短く返事をすると走って二人を追いかけた。
「よっ。」
ハルヒを自転車の前に乗せてやる。
「よしっ。じゃあ行くか。」
と、自転車にまたがると後ろに誰かが乗る感触がした。
「ん?まさか、僕を置いて行こうなんて思っていたわけではないよね。」
めっそうもございません。
「なわけないだろ。でも、久しぶりだな。お前とこうやって二人乗りするのも。」
「三人乗りー!」
ハルヒから突込みが入る。
「ごめん、そうだね。」
ヨメはハルヒに謝ると、俺の腰に手を回した。
「出発進行ー!」
「ほいよ!」
ハルヒの威勢のいい声に押されて、自転車を漕ぎ出す。
なんだ、ハルヒは元気じゃないか。 先ほどの朝比奈さんの言葉が気になっていたけど、安心した。
「キョン、せっかくだから少し遠回りして帰ろう。」
後ろのヨメが呟くように言う。
「別にかまわないけど?」
「川沿いの桜並木がきれいだそうだ。そこを通ろう。」
「いいか、ハルヒ?」
「うんっ。」
ちょっとした日常の変化にハルヒの目はきらきらしている。
「なつかしいね。中学時代もこうして二人で自転車に乗っていたものだ。」
「あぁ。」
「こうやってみると、何も変わっていない気がするね。」
「そうだな。」
でも、あの頃は俺たちが結婚して、こんな風に子供を持つなんて考えもしなかったな。
「そうだね。あの頃は本当にこんな風になるなんて思ってもみなかったよ。」
「あの頃の俺たちが今の俺たちを見たらなんていうかな?」
「キミは素直じゃないからきっと否定的だろうね。」
「それはお互い様だろう。」
川べりを抜ける風が心地よい。
「―僕たちは家族になったんだね。」
「あぁ。」
そういや初めてこいつを自転車の後ろに乗せたのも春だったかな。
「そして、娘が生まれたのもな。」
「そうだね。」
腰に回された手の力が少し強くなる。
「じゃあ、あの橋の向こうまで行ってもらおうか。」
「おい、結構距離があるぜ?」
「まぁ、キミへの罰ゲームの意味もこめて。」
「なんの罰ゲームだよ。」
「僕にもよくわからないけど、君にはうしろめたいことがあったみたいだから。」
はいはい、わかりましたよ。
そういえば、こいつの言葉遣いも変わっていないな。
と、思っているとうしろでアマガエルが鳴くような笑い声が聞こえた。
「なんだよ。」
「くっくっ。いや、キミが真に受けているのが面白くてね。」
「なんだそりゃ。」
「ただ単に家族水入らずでのサイクリングをもう少し楽しみたいだけさ。」
「ならそう言えよ。素直じゃねえな。」
「キミには言われたくないね。」
ん? そういえばハルヒがおとなしいな。
「おい、ハルヒ?」
…寝てやがる。
普段はにくったらしい癖に、本当に寝てる顔は天使みたいだな。
中学生の頃より、自転車のペダルは重くなった。 それだけのものを今の俺は背負っているということなんだろうな。
そして、ペダルを漕ぐ力を少し強めた。
『キョンと佐々木とハルヒの生活 5日目』
×月○日
今日もいつも通りに目が覚める。 春眠暁を覚えず、というが春の朝日は心地よく、それを浴びるだけで体が動き出してしまうようだ。 気持ちよく背伸びをして隣に目をやると、
「おはよう、ママ。」
3歳の娘には大きすぎる布団の中から、目をこすりながら娘が出てきた。 私の起きる気配を察知するのか、娘は私が起きた直後にいつも目を覚ます。
「おはようハルヒ。
―また、キョンの布団にもぐりこんだの?」
娘のハルヒはむっとするように口を尖らすと
「違うの!キョンが一人で眠るのは怖いだろうと思って一緒に寝てあげたの!」
そう言い放つとプンッと顔をあさっての方向へ向けた。
娘のハルヒは普段は別のベッドで寝ているのだが、何か怖い夢を見たときとかはキョンの布団にもぐりこんで眠る。 おそらく、ハルヒにとってキョンの傍が一番安心できる場所なのだろう。 母親としては少しばかりうらやましく感じるところだ。
「はいはい、わかったわかった。」
そうやって、まだ不満げに口を尖らせた娘を軽くいなすと私は起き上がって朝食の準備に取り掛かる。 私の後をハルヒがタパタパと足音を立てながら付いてくる。
この年頃の娘というのは何でも母親の真似をしたい年頃であり、私のやることをすぐに自分もやりたがる。
「はいっ、ハルヒ。」
そうやってハルヒに食パンを一切れ渡すと、ハルヒは器用に椅子に登ってそれをトースターに入れる。 キョンの朝のトーストを焼くのはハルヒの仕事だ。
一度ハルヒが焼いたトーストを食べたキョンが、ハルヒの焼いてくれたトーストはいつもよりずっとうまい、なんてほめたものだからハルヒはそれから毎日キョンのトーストを焼いている。
正直、今まで私の焼いていたトーストはなんだったんだと言ってやりたいところだけど、娘と張り合っても仕方がない。
ハルヒもハルヒで大の父親っ子だ。ことあるごとにキョンキョン言って、何かにつけてキョンにかまいたがる(かまってもらいたがる)。
ちなみにハルヒが父親のことをキョンと呼ぶのは私の悪影響らしい。何回かキョンに、俺のことをパパとかお父さんとか呼んでくれ、と頼まれたことがあったが、キミは僕にとって父親ではないからその呼び方は不適当だ、と一蹴しておいた。
とか思いながらサラダの用意をしているとトースターが鳴った。
「ハルヒ、キョンを起こしてきて。」
「はーい。」
トースターの前で焼きあがるのを待っていたハルヒはそう返事するとうれしそうに寝室へ駆け出した。
キョンには昔から不思議な人徳があったが、娘にこうもなつかれると母親として少し嫉妬を覚える。
「いつまで寝てるのー、おきろーキョン!」
ボフッ!
「うげっ!」
・・・だけど彼の立場と取って代わりたいとは思わない。
私たち夫婦は共働きだから家事は分担して行っている。例えば朝ごはんを作るのは私の仕事でハルヒの送り迎えはキョンの仕事だ。
「毎回毎回むちゃくちゃな起こし方しやがって・・・」
とぶつくさ文句を言っているキョンにコーヒーを渡す。
「さんきゅ。」
私はこの朝の時間が好きだ。家族がみんないて、そして穏やかなこの時間が。
「ほんじゃ行ってくる。」
「いってきまーす。」
「行ってらっしゃい。」
キョンとハルヒを玄関で見送ると、今度は自分の支度に取り掛かる。化粧をするのは正直めんどくさいが、この年ですっぴんで歩けるほどの勇気もない。スーツを着て化粧を済ますと玄関へと向かう。
フレックスタイムで働く私は通勤ラッシュをさけて10時から6時まで働くことにしている。一人で玄関から出て行くのは少し寂しいが、帰ってくるときは愛する夫と娘が出迎えてくれる。そんな風に私の一日は始まる。
「おはようございます、佐々木さん!」
会社に着くと後輩の橘さんが元気よく挨拶をしてくれる。
「おはよう。」
橘さんは私が産休で休む前にいた部署での後輩だ。それから仕事に復帰した私は橘さんとはライバル関係ともいえるグループに移った。なので、橘さんとは同じフロアーだが席は少し離れている。橘さんはそれから何か話しかけようとしたが、私の後ろの人影に気付くとぷいっと踵を返した。
その人物は橘さんの背中を見て苦笑いのような表情を浮かべると、今度は私の方に爽やかなスマイルを向けた。
「おはようございます、佐々木さん。」
「おはよう、古泉くん。」
彼は私の同期であり、この会社における実績ナンバーワンのエースのような存在だ。
ちなみに今の私の苗字は佐々木ではない。けど、仕事ではその方が都合がいいので旧姓を通しているというわけだ。
「橘さんは相変わらずですね。」
「彼女なりにライバルグループっていうことを意識しているみたいね。」
そうやって朝の挨拶を交わすと私は仕事に取り掛かる。
「佐々木さんと古泉さんがライバルグループにいるなんて反則ですよー。」
「そうはいわれても私の決めたことではないからね。」
その日はお昼ごはんを近くのカフェテリアで橘さんと食べていた。
「でも、すごいなー、佐々木さんは。仕事も出来るのに、結婚もして子供もいて…」
そして、ふぅっとため息をついた。
「橘さんにはそういう人はいないの?」
「いませんよー。」
「でも、橘さん結構もてるじゃない。」
「寄ってくるのは大したことない男ばかりですよー。これっていうのがなくって。」
橘さんは自慢のツインテールを指で遊びながら答えた。
「ふーん。」
橘さんの話に適当に相槌を打つ。
この子は顔も可愛らしくて、性格も少しきついところはあるけど根は優しい子だし、きっと言い寄ってくる男の人は多いだろう。けど、如何せん理想が高すぎるというか男性に厳しいというか、そういった関係にはなかなか発展しないようだ。
「だったらうちの古泉くんなんかどう?紹介してあげるよ。」
「それはぜったいいやですよ!いくらなんでもライバルグループの人となんて付き合えません!」
そうかなぁ、意外と似たもの同士だと思うけど・・・
「それに彼、むちゃくちゃもてるくせに彼女がいないから、実はゲイなんじゃないかってうわさまで出ているんですよ!」
実はキミにも同性愛のうわさは出ているのだけれどもね。
と、いつも通りの堂々巡りの会話をしてその日の休み時間は終わった。
「うーん。」
私は少しだけ頭を抱えていた。
予想外の仕事が入ってきたせいで、今日の分がなかなか終わりそうにない。一応、重要な部分は終わらせて後は雑用的なことしかないのだが、それがまた時間を食うのだ。
今日はキョンの仕事が少し遅くなるって聞いていたから、早めに切り上げてハルヒの保育園に行くつもりだったのにな。
「あぁ、もう定時ですね。後は僕がやっておきますから、佐々木さんは帰ってあげてください。」
その矢先、そう古泉くんが爽やかな笑顔で私の帰宅を促してきた。
「いや、でもまだ仕事が残っているから。」
「そんな雑用は僕が片付けておきますよ。今日は8時から友人と食事の予定が入っておりまして、それまでどう時間を潰そうか考えていた矢先でしたし。」
彼はとても細やかな気遣いの出来る人だ。つくづくそう思う。
「でも、自分の仕事は自分でやらないと。」
「いえいえ、それは大丈夫です。佐々木さんにはきっちり定時に帰ってもらわないと。」
「なぜ?」
「佐々木さんが仕事と家庭の両立が出来ないとなって、会社をやめるようなことにならないように僕は上司から仰せつかっておりますから。」
そして、大丈夫、と言わんばかりにウィンクしてみせた。
まったく、彼には敵わない。ここはありがたく彼の厚意を受けることにしよう。
「ありがとう。それじゃあ、お先に失礼します。」
「ええ。お疲れ様です。旦那さんとハルヒちゃんによろしく。」
当初の予定より少し遅れてしまった。 もう、キョンはハルヒを迎えに来た後だろうか。 そんなことを考えながら保育園の中に入っていくと、聞き覚えのある声がする。
よかった、入れ違いにはならなかったみたい。
だが、キョン、ハルヒが朝比奈先生に失礼なことをしているのになぜ止めないのかな。 ハルヒは朝比奈先生に後ろから覆いかぶさるようにして、その胸を触っていた。 まったく、私が注意してやろ―
「こんなに細いのに、ほら、おっぱいだってママよりぜんぜん大きいし。」
・・・キョン、今キミ少し頷かなかったかい?キミという奴は―
「「間抜け面」」
思わず口から出た言葉がハルヒと見事に重なった。
一瞬キョンは何が起こったのかわからないように右左と頭を振ると、後ろを振り返った。
「やぁ、たのしそうだね。キョン。」
人がキミが仕事で遅くなるからってわざわざ仕事を早めに切り上げて来たというのに。青ざめていくキョンにもう一発ダメ押し。
「あれ、ひょっとしてお邪魔だったかな?」
「いや、ハルヒのいたずらをだなぁ・・・」
「何をいいわけしてるんだい?何かやましい心当たりでもあるのかな。」
キョンは助けを求めるようにハルヒのほうを見たが
「ふんっ。」
キミの味方はいないみたいだね、キョン。
「っていうか、なんで今日はお前がここに?」
「ここにいたらお邪魔だったかい?」
人がせっかく気を回してやってきたというのに、そういう言い方はないだろう、まったく。
「まぁ、いい。今日は仕事が早く終わったから、運動がてら保育園に少し寄ってみようと思っただけだよ。」
「そうですか。」
「まぁ、僕としてはグッドタイミングだったのだが、キミとしては少し違うみたいだね。」
朝比奈さんを前にしたキョンのデレデレの顔を思い出す。
「まぁまぁ、夫婦喧嘩は犬も食わないって言うしさっ。その辺にしとくにょろ!」
と、そこで園長の鶴屋さんが仲裁に入ってきた。まぁ、確かにハルヒの前でこんなくだらないことでけんかするのはよくないな。
「それじゃあ、親子水入らずで帰るといいさっ!」
それからキョンは朝比奈さんに呼び止められて、何かを話していたみたいだった。会話の後のキョンの表情からその内容があまりよくないものであったことが伺える。キョンはそんな私の視線に気づくと大丈夫だといわんばかりに片手をあげて見せた。
「よっ。」
キョンがハルヒを自転車の前に乗せてやる。
「よしっ。じゃあ行くか。」
と、自転車にまたがったので、私も久々に荷台に座った。
「ん?まさか、僕を置いて行こうなんて思っていたわけではないよね。」
けんかはやめようと思ったのだけど、ちょっと機嫌が悪いのか毒づいてしまう。
「なわけないだろ。でも、久しぶりだな。お前とこうやって二人乗りするのも。」
「三人乗りー!」
ハルヒから突込みが入る。
「ごめん、そうだね。」
私はハルヒに謝ると、中学時代にそうしていたように彼の腰に手を回した。
「出発進行ー!」
「ほいよ!」
ハルヒの威勢のいい声に押されて、自転車が進み始める。
こうやって走り出すと、なぜかけんかをしていたのが馬鹿らしくなってくる。
久々に乗ったキョンの後ろ。頬を差す風が心地よい。
「キョン、せっかくだから少し遠回りして帰ろう。」
このまままっすぐ家に帰るのはもったいない気がした。
「別にかまわないけど?」
「川沿いの桜並木がきれいだそうだ。そこを通ろう。」
「いいか、ハルヒ?」
「うんっ。」
こうして家族三人のちょっとしたお出かけが始まった。
「なつかしいね。中学時代もこうして二人で自転車に乗っていたものだ。」
「あぁ。」
「こうやってみると、何も変わっていない気がするね。」
「そうだな。」
「でも、あの頃は俺たちが結婚して、こんな風に子供を持つなんて考えもしなかったな。」
「そうだね。あの頃は本当にこんな風になるなんて思ってもみなかったよ。」
そう、あの頃は遠く感じた彼の背中がずっと身近に感じる。
「あの頃の俺たちが今の俺たちを見たらなんていうかな?」
「キミは素直じゃないからきっと否定的だろうね。」
「それはお互い様だろう。」
自分も体外素直ではないほうだと思うが、キョンほどではない。
彼の体温をもっと近くに感じたくて、額を彼の背中に付ける。
「―僕たちは家族になったんだね。」
「あぁ。」
そう、彼が私の夫で私が彼の妻。
「そして、娘が生まれたのもな。」
「そうだね。」
彼と私の娘、か。
あの頃はよくそんな空想をしていたな。名前はどんな風にしようとか、夫婦で子供を連れてどこへ遊びに行こうとか。
よしっ。
「じゃあ、あの橋の向こうまで行ってもらおうか。」
「おい、結構距離があるぜ?」
「まぁ、キミへの罰ゲームの意味もこめて。」
「なんの罰ゲームだよ。」
「僕にもよくわからないけど、君にはうしろめたいことがあったみたいだから。」
確かに彼に言われたとおり私も素直じゃないな。
「なんだよ。」
「くっくっ。いや、キミが真に受けているのが面白くてね。」
「なんだそりゃ。」
「ただ単に家族水入らずでのサイクリングをもう少し楽しみたいだけさ。」
「ならそう言えよ。素直じゃねえな。」
「キミには言われたくないね。」
キミの天邪鬼さに私はどれほど苦労したことか。
「おい、ハルヒ?」
思い出したようにキョンがハルヒに問いかける。
返事はない。耳を澄ますと寝息が聞こえる。どうやら眠ってしまったようだ。 ありがたいことに夫婦水入らずってやつだね。
中学生時代の私が今の私を見たとき、昔の自分に対してなんて言おう?
「あなたの選択は間違っていないよ。」
たぶんこの一言で十分なはずだね。
『キョンと佐々木とハルヒの生活 6日目』
★月○日
今日は普通に目が覚めた。いつものハルヒの凶悪ギロチンドロップを食らうこともなく、それこそまぁ普通の人の目覚めを得られたと来たもんだ。というわけで、逆に普通の目覚めすぎて不安になる。
この非人道的な目覚めがいかに俺の日常としてこの体に馴染んでしまっているかを認識し、朝から軽く落胆しつつリビングへと向かった。
「だから、ハルヒ。ポニーテールはもっと髪が長くないと出来ないの。」
リビングでは嫁さんとハルヒが鏡の前で何かをやっている。
「でも、ポニーテールじゃなきゃだめなの!」
鏡に映った自分の姿を眺めながら、駄々をこねるハルヒと苦笑いのヨメ。いったい朝から何をやっているんだ。
「あぁ、おはようキョン。ハルヒが朝から突然髪型をポニーテールにして、ってうるさくて。」
そしてヨメは、どうしたものかね、とでも言いたげに両手を挙げた。
突然に何を思いついたんだ、ハルヒは。なんかへんな夢でも見たのか?
まぁ、ポニーテールがいいという意見には全面的に満場一致で大賛成だが。そして、この朝の騒動は結局ヨメが強引にハルヒの頭を後ろでくくってポニーテール風にするということで落ち着いた。
「なぁ、なんで突然ポニーテールなんだ?」
自転車でハルヒを保育園まで送りがてらささやかな疑問をぶつけてみる。ハルヒの奴は不機嫌そうに口を尖らせたまま答えない。
ふふーん、ということは
「まさか、好きな男の子でも出来たのか?」
「違う、そんなんじゃない!バカキョン!」
そうやって器用にこちらを振り返って叩いてくるこらこら、危ないからやめなさいって。
「わかった、わかったから。」
そう謝ると、ハルヒはまたプイッと前を向いた。
「どう思う?」
ハルヒがぼそっと尋ねてくる。
「似合ってるぞ、ハルヒ。」
今日のハルヒは不機嫌そうだ。少なくとも顔の面だけは。
そうこうしているうちに保育園に到着と相成りました。
「それじゃあ、よろしくお願いします。」
「はいっ。」
朝から朝比奈さんのエンジェルスマイルを見る。あぁ、この世にこれ以上の幸福があろうか。
そういえばですね、
「ところで、今日ハルヒが突然ポニーテールにしたいとか言い出したんですけど、心当たりは何かありますか?」
朝比奈さんはえっ?と声を出して唇に指を当てると天を仰いで考えるしぐさをはじめた。
「そういえば最近ハルヒちゃんには、その、好きな子が出来たみたいで。」
な、なんですと!?
「あの、それで、昨日その子と私がじゃれ付いているのを見てハルヒちゃん焼餅を焼いたみたいで・・・」
ちょっと待て、あのハルヒに好きな男の子だと。いったいどこの誰だ、誰の許可を得てうちのかわいい娘を。
「あの、そんなにショックを受けないでください。それにハルヒちゃんにとってはいいことだと思いますよ。」
「いいこと?」
すみません、ハルヒがお嫁に行くところを想像して軽く泣きかけていましたが。
「その子と話しているときはハルヒちゃん本当に生き生きとしていて、あの、少しずつですけど周りにも溶け込めるようになってきたんです。」
どこの誰とも知らぬ、まだ少年と呼ぶには年端も行かぬ男の子よ。感謝する。
でも、ハルヒを嫁にやるかどうかは別だ。
通りでハルヒは保育園につくなり朝比奈さんとの挨拶もそこそこにさっさと中へ入っていたわけだな。どんな奴か面を拝んでおきたい。俺の眼鏡に適わなければハルヒとのお付き合いなど認めんからな!
「―というわけだ。」
「なるほど。事情はよくわかった。しかし―」
「しかし?」
「昼休みの保育園のフェンスに大の大人が二人張り付いているのはかなり面妖な光景だとは思わないかい?」
あれから俺はヨメに連絡をとり、噂の男子の顔を拝むべく保育園に二人してやってきていた。
「で、肝心のその男の子っていうのはどの子かな?」
ヨメはあきれ気味にため息をつくように俺に問いかけた。
「ちょうど今ハルヒが話しかけている奴だ。」
朝比奈さんから大体のホシの特徴は聞いていた。
「ふーん。」
「ふーん、ってお前娘がかわいくないのか。」
「いや、そこまで親が大騒ぎするほどのことでもないと思うけど。それにまだ3歳児だし。」
「馬鹿野郎、ハルヒはあいつのために髪型まで変えたんだぞ!」
「僕はキミが娘の恋愛よりも自分の恋愛にそれくらい真剣になってくれたほうが助かったんだけどね。」
う、痛いところをつくな…
「それはそうと、あの子キミとなんか雰囲気が似ているね。」
「え、そうか?」
そんな会話をしている俺たちの目の前で目標はハルヒに対して、似合っているぞ、と言っていた。
「あぁ、もう!ハルヒはお前のためにわざわざ髪型を変えたんだぞ!そんな素っ気無い一言だけじゃなくてもっとこうだな。」
「本当にキミにそっくりだね。」
そうこうしているうちに目標はハルヒに手を引かれブランコのほうへ連れて行かれていた。
「あぁ、くそ!なんだそのやる気のなさそうな顔は!」
「いや、だからキミそっくりなんだって。」
そして、ハルヒたちはグループになってなにやら遊びを始めた。組み分けをやっているようだ。
あ、ハルヒとあいつが別々のペアーになってしまった。
「あぁ、ハルヒの奴があんな膨れっ面をしているのに気づかないなんて、なんて鈍感な奴だ!」
「そういう台詞はみんなキミに返ってくるからやめたまえ。」
そして目標は朝比奈さんのほうを見ている。
それをハルヒがジトーっとした視線で見つめている。
「お前の年で朝比奈さんに興味を持つなんて早い!ハルヒが焼餅を焼いているのがわからないのか!」
「キミのその観察力の十分の一でも僕に向けてくれていたらね・・・」
と、思っていたら今度はショートカットのおとなしそうな同級生の方を見ている。
「あぁ、こら。同級生って、同い年である分朝比奈さんより性質が悪いじゃないか。ハルヒの目が少し悲しそうな色合いを帯びてきたぞ。なんて鈍感な奴だ!」
「それはひょっとしてギャグで言っているのかい?」
「あんたらいったい何をやっているんだ?」
突然声をかけられて全身が冷や水を浴びたように硬直する。
ハルヒの観察に夢中で気づかなかったが、斜め前のパンジー畑に藤原先生が水をやっていた。
「「・・・不思議探索パトロール?」」
「・・・わざわざ探さなくても、お前らが十分不思議だ。」
如雨露からパンジー畑に降り注ぐ水が春の日差しを浴びて綺麗な放物線を描きながら光り輝いていた 。
『キョンと佐々木とハルヒの生活 7日目』
×月○日
「名前はどうしようか?」
「そうだね。春生まれだから春を感じさせる名前がいいな。」
「春っぽい名前ねえ。そうだ、ハルヒなんてのはどうだ?」
「いいんじゃないかい。響きも綺麗だし、どこか壮大で温かみを感じさせる名前で僕は気に入ったよ。」
「じゃあ、字はどうするかだな。春日・・・、だめだ、カスガって読まれそうだ。春陽。ん~、これもなんか違うな…」
「そうだ、キョン。いっそのことこうしたらどうだい?」
そしてあいつは手元にあったメモ用紙にこう書いた。
『ハルヒ』
「ぐげぇ!」
腹に感じた衝撃で俺は目を覚ました。今日もまたいつものアレか・・・
「お前、もうちょっとマシな起こし方はできないのか。ハルヒ」
「今日はせっかくの私のお誕生日なんだから、はやく起きなきゃだめなの。誕生日は特別な一日だから一分一秒も無駄に出来ないの!」
「わかった、わかったよ。」
右手で頭を描きながら、目の前で仁王立ちしている我が家の暴君をなだめる。
はぁ、夢で出てきた生まれたてのお前はかわいかったのに、どうしてこんな凶暴に育ってしまったのか。
トーストの焼けるにおいがする。ヨメはもう起きて朝飯の用意をしてくれているみたいだ。
「わかった、起きるから。そんな怖い顔で見るな。」
フン、とかわいい我が家の暴君は鼻を鳴らすと嫁のいるリビングへと走っていった。
たまの休みくらいゆっくりさせていただきたいものだが、仕方が無い。ハルヒの言うとおり誕生日っていうのは特別な一日だから。俺にとっても、ハルヒにとっても、そして当然あいつにとっても。
「やぁ、おはよう、キョン。」
「おはよう。」
俺がリビングに入ると、卵焼きを焼いているエプロン姿のヨメが顔だけを振り向かせた。 先にテーブルに座ったハルヒはご機嫌斜めだ。
「牛乳取ってくれ、ハルヒ。」
「・・・」
やれやれ。
このようだと朝から先が思いやられるよ。
「あれ、なんでハルヒは拗ねているんだい?」
「いや、朝から俺が起きるのが遅いって。」
俺がそう言うと、ヨメは喉の奥で蛙が鳴くような笑い声をたてた。
「ハルヒは大好きなキョンに自分の誕生日を忘れられたと思って拗ねているのだよ。」
「ちがうもん!」
ハルヒが大声で否定する。
「ほんとにそう?」
「別にキョンのことなんて好きでもなんでもないもん。」
その一言は父親として非常に耳が痛い。
「じゃあ、キョンのことが好きでもなんでもないんだったら、そこまで怒る必要はないでしょう。」
ハルヒはう~っと言葉にならない。
こういう屁理屈をこねさしたらうちのヨメは天下一品だ。こんな詐欺まがいの調子で仕事をこなしているんじゃないだろうな。急に心配になってきた。
「何か言ったかい?」
何も言っておりません。
「・・・ハルヒ。」
「何?」
ぶすっとしたまま、かわいい娘は好きでもない父親に答える。
「今日は街の不思議探索パトロールに行くぞ。」
「ほんとっ!」
ハルヒは目を輝かせて俺のほうを向くと、しまった、みたいな顔をして
「まぁ、別にキョンがどうしても行きたいっていうなら、仕方ないわね。」
とおうそぶきになられた。
やれやれ。
ヨメと目が合うと、ヨメは両手を挙げてジェスチャーをした。
説明しよう。
不思議探索パトロールとは、我々親子三人で駅前に繰り出し、そこからあちらこちらをうろつきまわってこの世の不思議を探すというパトロールなのである。まぁ、平たく言えば家族水入らずのお出かけといったところだろうか。
何をどう考えたのか、ハルヒの奴はこれを不思議探索パトロールと呼び、毎回毎回なにか不思議なものはないかとあたりを見回しているのである。怪しいからやめなさいって。
今日は朝からヨメががんばって用意してくれたお弁当を持って、適当に散策だ。
白いワンピースがよく似合うな。俺とヨメの間にハルヒが入り、二人と手をつないでいる。 ステレオタイプな家族像だが、これはこれでいいもんだ。
突然、ハルヒは立ち止まり、真剣な顔で何かを数え始めた。
「いち、に、さん・・・」
「ん?ハルヒ、何を数えているんだ?」
「ふうん。前と同じか。」
「?」
「ここの道の数。なんか新しい道がないかなって。」
新しい道って、こんなところに異世界への入り口が開いていたら困るぜ。
「ざんねん。」
そりゃそうだ。
そして俺たちは公園について、そこで昼食をとることにした。ベンチに腰掛けて、ヨメの作ってきてくれた弁当を広げる。サンドイッチか。
「まぁ、ピクニックといえばやはりこれだね。」
ヨメは笑いながら紙コップにオレンジジュースを注ぎ始めた。
「そうだな。今日は天気もいいし。太陽の気持ちのいい一日だ。」
「そうだね。」
ベンチでのんびり弁当を広げている俺たちの前でハルヒはじーっと噴水の水面を覗き込んでいる。実はこの噴水の名前は河童淵で河童でも泳いでいるのかね。
「全く、あいつのみょうちきりんな振る舞いは誰に似たんだか。」
「間違いなく、キミだね。」
あっさり断言された。
「なんでだ?」
「遺伝性のエンターテイメント症候群さ。」
そう言い放つと、ヨメは喉の奥でくっくっと笑い声をたてた。
「こんな日だったね。」
「何がだ?」
「ちょうど4年前のこの日。」
「あぁ―」
そう言われて俺は記憶の糸を手繰り始めた。
4年前、ちょうどハルヒの生まれた日。あの日も雲ひとつない快晴で、春の太陽の光が降り注いでいたな。
「もっとキミのことだから娘の名前を考えるのに時間がかかると思っていたのに、あっさりと決定されてしまったね。」
実はハルヒが生まれる前に名前についてあれこれ、あーでもないこーでもないと色々候補を考えていた。が、結局決められないままその日を迎え、そしてその日のうちにあっさり決まってしまったのである。
「まぁ、インスピレーションってやつだな。」
ヨメは俺にくっくっと笑い声を出しながら笑顔を向けると、今度は視線をハルヒの方に向けた。
「いい名前だよね。僕は気に入っている。」
ハルヒの奴は噴水に手を突っ込んでパシャパシャやっている。
「当たり前だろ。俺とお前で名づけたんだから。」
いい加減昼飯を食うぞ、と噴水で遊んでいるハルヒをベンチまで手を引いて連れ戻した。
「ハルヒ、手を出して。」
そしてヨメはウェットティッシュを取り出しハルヒの手を拭いた。相変わらず用意周到だ。ヨメ、バスケット、ハルヒ、俺という並び順でベンチに座りみんなでサンドイッチをいただく。
と、気づけばハルヒが俺の手元をじーっと見ている。なんだ、お前このサンドイッチが欲しいのか。
「キョン、そのサンドイッチはハルヒが作ったんだよ。」
ヨメは悪戯っぽく、俺のかじっているサンドイッチを指差す。
なるほど。
「どうりでうまいわけだ。ハルヒ、お前きっといいお嫁さんになれるぞ。」
その奇矯な振る舞いさえなんとかすれば。
ハルヒはぷいっとあっちの方向を向くと
「別にいいお嫁さんなんかになりたいわけじゃないもん。」
そうか。
まぁ、一生俺の傍にいてくれるというならそれはそれで―
「なにを馬鹿なことを言っているんだい。」
ヨメがあきれ返った声を出す。
「でも、キョンがどーーーしてもって言うならキョンのお嫁さんになってあげてもいいわよ。」
とハルヒがのたもうた。
まぁ、娘が父親のお嫁さんになるって言うのはよくあることらしいが、うん、悪い気はしないな。
「でも、ハルヒ。ママがもうキョンのお嫁さんになっちゃてるから、ハルヒはキョンのお嫁さんにはなれないんだよ。」
おいおい、子供の夢っつうか俺の夢を壊すような発言をするんじゃない。
「なんで?」
「うーん。お嫁さんになるのは早い者勝ちだからかな。」
平たく言えば確かに早い者勝ちだな。
ハルヒの奴はふーん、と少し何か考えるような仕草をすると
「じゃあ、しかたないか。でも」
「でも?」
「ママと私がヨーイドンで勝負したら私が勝つ自信がある。」
「え、なんで?」
「だってママなんてキョンに対して積極的にアプローチ出来ずに、結局何も出来ないままずっと友達のままでいて終わりそうだもん。」
ちょ、なに説得力のある分析をし始めるんだい、ハルヒ君。
思いもよらないハルヒの発言にヨメの表情を伺うと・・・うん、顔は笑っているが目は笑っていないな。
「そんなことないよ。ハルヒだって、あまのじゃくなところがあるからキョンを振り回すだけ振り回すけど、肝心なところでうまく好きって言えなさそうだよ。」
「そう?でも、きっとママだって中学のときにそれなりにいい仲になれそうなところまで行けるけど、そこから先へ踏み出せなくて、結局想いに気づいてもらえることもなく高校進学で離れ離れになって忘れられちゃうって感じだよ。それに私のほうがきっとおっぱいが大きくなるし。」
「ハルヒだって、愛情表現がへたくそでかまって欲しいのにうまくそう言えなくて、それで彼の女友達に嫉妬とかしたりして彼に迷惑をかけたりして、で結局友達以上恋人未満のままって感じがするけどな。それとおっぱいの大きさはきっと関係ないよ?」
・・・ちょっとキミら。もしも、もしもの話ですよね。えらくリアリティあるけどそうですよね。
この二人の間に入った俺にはまるで氷柱を抱え込んだがごとく寒いものが走っていた。
なんだろう、なぜかよくからんが冗談に聞こえん・・・
そして、なぜか二人の俺を見る視線が痛い。
そんなプチ修羅場?をくぐりぬけ、午後の散策を開始した我が家ご一行は駅前の繁華街でプレゼント探しを始めた。
ハルヒの奴は相変わらずわけのわからんものを気に入る。こら、バニーガールのコスプレセットなんか欲しがるな。
「ちぇ。」
女の子はおしゃれさんだと言うが、こいつの場合なんか単純にコスプレに走っている気がする。今度はカエルの着ぐるみをもの欲しそうに見ている。だめだ、こりゃ。
「はぁー。バニーガールのコスプレなんて4歳児の選択じゃないぞ。」
「いいじゃないか。無邪気だからこそ、だよ。」
ヨメはそうフォローしてくれるが、ハルヒがこのまま成長したときのことを考えると心配だ。
しかしながら、ハルヒにもバニーガールの衣装が似合うような年が来るのかな。
成長すればいつかそうなるだろう。でも―
「キョン。・・・なぜ僕の胸を見ているのかね?」
ごめんなさい、なんでもありません。
結局、ハルヒの奴が欲しいものを買ってやるととんでもないことになりそうだということで、ハルヒをヨメに任せて俺がなにかよさげなものを見繕ってくることになった。
女の子のプレゼントだからヨメが選んだほうがいいと思ったのだが、ヨメいわく
「キョンが選んでくれたものなら、なんでもハルヒは喜ぶよ。」
とのことなので俺が探すことになった。
とはいってもハルヒの喜びそうなものなんて俺にはよくわからん。ありきたりのものでは喜ばないだろうし・・・かといって奇をてらいすぎると着ぐるみになってしまうからな。
やれやれ。
そう思いながらあたりを適当に見回していると俺の目に何かが入ってきた。
「おっ、これは・・・」
「やぁ、キョン。いいものは見つかったかい?」
「あぁ。まあな。」
そしてヨメに手に持った包みをアピールする
やっとこさそれなりのブツをゲットした俺はヨメとハルヒの元へ戻ってきた。ちなみに、その間にヨメたちはケーキやらなにやらを買っていた。
「それじゃあ、そろそろ家に帰って準備を始めようか。」
そのヨメの一言で本日の不思議探索パトロール隊は解散。各自持ち場に戻り、誕生日パーティーの準備をせよ。
誕生日ケーキとご馳走に囲まれてハルヒはご機嫌だ。
こうやってハルヒが笑っていてくれると家の中まで明るくなった気がする。
お前が生まれてきてくれて本当によかったよ。嬉しそうなハルヒの顔を見ると心の底からそう思える。
「それじゃあろうそくに火をつけようか。」
ヨメがろうそくに火をつけると、ハルヒは大きく息を吸い込み一息でそれを吹き消した。
「ハッピーバースデーハルヒ。」
「誕生日おめでとう。」
もう、4歳か。時間が経つのは早いもんだ。
ハルヒの笑顔は百万ワットの電球みたいな輝きを放ている。いつもこうやって笑っていてくれりゃ、かわいいのに。
「キョン、ちょうどいいタイミングだからプレゼントを。」
「おお。」
そして手元に置いてあった包みを取り出す。
「誕生日おめでとう、ハルヒ。」
むずがゆそうな笑顔でプレゼントを受け取る。素直にありがとうと言えない所がこいつらしいな。
「ほら、ハルヒ開けて見せて。」
ヨメがハルヒと一緒に包みを覗き込む。
ハルヒが包みを開けるとそこから出てきたのは
「おぉ。」
ヨメが感嘆の声を上げた。
「キミにしてはセンスのいいものを選んでくれたね。」
ふふふ、そうだろ。
偶然店で見かけて、その瞬間ハルヒに絶対よく似合うと思ったのさ。
「ほら、ハルヒ付けて見せて。」
ハルヒはしばらくそれを見つめた後、自分の頭に付けてみせた。それは両側に黄色いリボンのついたカチューシャだった。
「おぉ、思ったとおりよく似合っているな。」
「本当に。ハルヒのイメージとよくあってるね。」
ハルヒはこういうときにどうしたらいいかわからないというように、怒っているのか笑っているのかよくわからない表情で、大切そうにずっとカチューシャに手を当てている。
「でも、キョン。」
「ん、なんだ?」
「これ、大人用だからハルヒにはまだ大きすぎるよ。」
・・・
「起きろー!」
ボフッ
「うげっ!」
また、今日の朝もこれか・・・
眠い目を擦りながらリビングへ向かう。
「おはよう、キョン。」
「おはよう。」
相変わらず俺よりも早く起きるヨメが俺を出迎えた。
「あれ?」
「ん、どうしたんだい?」
「ハルヒのやつあのカチューシャどうしたんだ?」
ハルヒの奴は昨日の夜からずっとカチューシャをつけたまま、寝るときになっても外さなかったのに。
「あぁ、あれかい。よっぽど気に入ったんだろうね。昨日は付けたまま寝そうになっていたよ。」
結局、寝る直前になってヨメから、付けたまま寝ちゃうとカチューシャが壊れちゃうよ、と言われてしぶしぶそれを取ったのだった。
「あの勢いなら今日の朝も付けていると思ったのに。もう飽きたのか?」
ヨメははぁーっとため息をつくと
「全然違うよ。あのカチューシャはハルヒにはまだ大きすぎただろう?」
そういえばそうだったな。俺はサイズを確認せずに買っちゃったんだった。
「それで、あのカチューシャはとっておくんだってさ。」
「とっておく?」
「そう。」
そしてヨメはトースターを覗き込んでいるハルヒの方に目を向けた。
「これから大きくなって、なにか特別ないいことがあった日。その日からそれを付けるんだってさ。」
そして『その日』がやってきたのは、今までと同じあの日だった。俺たちがあいつの名前をつけた日、そして俺があいつにカチューシャを送った日。
16歳になったその日、高校1年生になったハルヒは突然長かった髪を切ってそのカチューシャを付けた。
「それじゃあいってきまーす!」
「行ってらっしゃい。」
「気をつけてなー。」
久々にみせる百万ワットの笑顔とともにあいつは学校へ向かった。あのころとは違ってもう俺が送り迎えすることはない。
「やっとあのカチューシャを付けたね。」
ヨメが笑いながら俺に話しかけてくる。
「あぁ。なんかハルヒが一つ大人になったっていうか、なんか一歩俺たちの手から離れたって感じだな。」
「そうだね。きっとなにかいいことがあったんだろうね。」
「あれがちょうど12年前か。今まで長かったような、短かったような・・・」
思わず遠い目をしてしまう。
「本当にそうだね。」
そんな会話をしながらヨメと俺は仕事へ行く支度を済ました。今では俺たち二人は一緒に家を出て仕事に行くことにしている。玄関から外に出ると春の日差しが気持ちよく俺たちを出迎えてくれた。
「あぁ、そういえば―」
「ん、どうした?」
「ちょうど僕がキミと付き合い始めたのもちょうどこの日、ハルヒと同じ高校1年生だったね―」
そしてあいつは俺に笑いかけた。
あの頃と同じ笑顔のままで。
そして、この春の日差しもあの頃のまま俺たちを照らしていた。