毎週のように鯛が釣れる。
船出して竿投げたら釣れる。
湧くように釣れる。
これは江戸時代から。
それが三原の海。
瀬戸内海は魚影がとても濃い。
関東ではクロダイが来ると喜ぶ
が、瀬戸内海ではクロダイなど
は下魚の外道として、釣り上げ
ても喜んだりしない。
私はかなり好きだが、磯臭いと
の事で瀬戸内海地方の人は食べ
ない。
まるで猫も避ける程まずいから
としてネコマタギと関西人がウ
グイの事を呼ぶように、瀬戸内
海ではクロダイを格下論外の魚
と見做している。
関東のほうが食に貪欲なのよね(笑
食材少ないから関東のほうが
雑食。
ウグイも食べるし(笑
かつて山間部では、ウグイとて
貴重なタンパク源だった。
西日本は朝廷があったからか、
はたまた食文化が発達していた
からか、食に肥えている。
ただ、食材が豊富だったからか、
食品を加工する思考性や工夫や
その食品を愛でる事には西日本
は薄い。納豆やカンピョウ等の
煮しめの技術は存在しない。
握り寿司も何もネタに仕事をし
ないで刺身を載せたのが握り寿
司かと勘違いしている。浅い。
納豆などはうちの親戚の老人の
ババアなどは、「あっぎゃーな
まずいもん食わんでもこっちに
はうまいもんがえっとある!
(あんな不味い物を食さずとも
こちらにはもっと美味しい物が
沢山ある!)」と口汚く罵って
いた。実に口汚い。こちらの
地方のお決まりだが。
明治人は自慢げに言っていた。
「広島が何でも一番よお」と。
こちらの西日本の地方は人や
物を罵る人間が大集合だ。
美味い納豆を食った事がないと
いう自分の視野狭窄と狭量は
棚上げして、人や物を罵倒する。
パターンはいつもそれだ。
それらがジモチーは全員。
ネラーが圧倒的に西日本人が
多いのも、社会現象としてそ
のあたり関係しているだろう。
人的質性の社会現象として。
納豆などは、実は未知の経験不
足から来る偏見でしかない。
面白い現象として、大学では
九州人が多かった。
東京の大学で納豆定食に目覚め
たという。
九州には美味しい茨城の納豆が
入っていない時代だったからだ。
だが、その頃、広島、岡山の連
中は「納豆などは人間の食う物
ではない」などと罵倒していた。
お里が知れる。
また、東京を指して「人間の住む
とこじゃない」とも。
カッペである。
てめえの狭い了見が通用する地方
の狭い地域の感覚が都会で通用す
る筈もない。感覚が全国区ではな
いからだ。とっとと田舎に帰った
ほうがよい。
東京に住む一千万人は人間ではな
いとでも言うのか。
これだから、イナカモンはダメな
のだ。人間がとてつもなく小さい。
瀬戸内海は魚影がとても濃い。
抜群の環境だ。
だが、それは、瀬戸内海地方に
住む人間たちの手柄ではない。
勘違いしてはいけない。
天からの恵みであり、万人の物
であり、瀬戸内海地方の人間の
占有物ではない。
お国自慢は、料理や工芸品や製
造物というその地方の人たちの
努力をそこ自慢したり自負を持つ
ものであって、山や川や海を自慢
するのは心得違いだ。
ドカンチかましてっと、ただの
世の中を知らないイナカモンに
なってしまう。
田舎という地方に住むのがイナ
カモンではない。
東京にもイナカモンはいる。
要するに猫の額のような狭い思考
しか持っていない俺様最高の自己
自慢、自己絶対性に凝り固まって
いるトロい人間がイナカモンなの
だ。
世間に出て来ずにどっか人の知ら
ない隔離エリアで勝手にやってろ、
の類。
魚介類の良環境にいる事はとても
ラッキーではあるが、自慢する事
ではない。
自慢できるのはこういう人の手が
入った物こそ自慢できる。
今、コーストガードのシェリフの
友人が瀬戸内海に船で来ている。
地元のシースー屋でアナゴに舌鼓
を打ったらしい。
これはイケる!と。
「身が締まっていて、昔の江戸前
の穴子と良い勝負ですね(笑)
身の厚さでは江戸前に軍配が揚が
るけど、押し寿司なので薄く感じ
たのかもです」
との事。
東京生まれ東京育ちの東京もんだ。
全世界を股にかけるバイク乗り。
さらりと瀬戸内海の寿司屋の寿司
を評価している。
これが江戸もんだ。
美味い物に国境はない。
ウマいもんはウマい。
「これ食いんさい、ウマいけえ」
(これが美味しいから食べろ)と
強要して快感を持つ感性は東京
人と横浜人には無い。
「江戸っ子だってねえ、寿司食い
ねえ」はカッペの石松が言った事
だ。
強要はしない。
しかも、地元自慢をするにも人に
食の押し付けなどはしない。
全国区の日本人は。
国際人と同じく、国内でも全国区
日本人は、狭い視野思考は持たな
い。
そうしたものは人の社会でろくで
もないものである事を知っている
からだ。