関東に転勤してきた3年前の5月、人生で初めてオートレースを打ちに行ったのが、一番近いオートレース場だった船橋オート。

 競艇のいわゆる標準型モーターでも十分ウルサイと思っていたけど、それをはるかに上回るバイクの爆音に衝撃を受け、虜になっていきました。


 まさか、それがたった3年で、廃止になってしまうとは、思いもしませんでした。


 船橋がナイターをやりだすと聞いた頃から、千葉県・船橋市的には、オートよりも競馬を推していくスタンスが見てとれましたが、まさかこれほど早くなくなってしまうとは・・・。


 そしてその最終節が、今日3月21までのGⅠ5日間。

 公営競技ブロガーのはしくれとして、船橋オートの最期を見届けなければという想いにかられました。


 この記事、むちゃくちゃ長くなりますが、どうかお付き合いください。

 現地に行けなかった人のための情報提供もと思い、写真もできるだけ大きいサイズで掲載しています。


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 今節、最初に船橋オートへ足を運んだのは3月19日

 この日の天候はあいにくの雨でした。しかし、最終日にはおそらくとんでもない人混みになってしまうことを考えると、まずこの悪天候で客も目減りする日に、ある程度情報収集しておかなければと思い、あえてこの日を選びました。


 今回は船橋競馬場駅からの無料バス。
 ららぽーと行きのバスとは、明らかに客層が異なる、賭場へのバスです。

 朝早い時間ではありましたが、バスの乗客は30~40人いたにも関わらず、わし以外に20代とおぼしき人は一人もいませんでした。わしももう29歳と半年以上すぎているから、実質30歳とすれば、あのバスには20代の客は一人もいなかったことになる。

 若い人がやらないんじゃあ、廃止になってもやむなしか・・・


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 雨の船橋オート。普通、雨が降ってりゃ行かないので、実は人生初の湿走路でした。


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 最終節は全レースオープン。スタートで誰が出ていくかの予想がまずむずかしい。


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 場内はこれが最後の開催ということで、船橋オート・オートレース全体の歴史をたどるブースが多数設置されていました。
 まず入場門を入ってすぐの1コーナー付近、船橋オートの歴史をたどるコーナーが。かつては船橋競馬の内側コースで、四輪のレースも行われていたそうです。

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 船橋はオートレース発祥の地。すなわち船橋の歴史はオートレースの歴史なのです。

 これだけ伝統のある公営競技場が、廃止になってしまうこと。たいへん残念なことです。
 (もちろん、もっと打ってやればよかったのかも・・・という想いはありますが)


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 続きまして、メインスタンドから階段を登った2階、いつもは人気のない元・投票所のエリアですが、かつて発行されていたオートレース雑誌の表紙や、内容の一部が展示されていました。


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 ミスターオートと呼ばれた飯塚将光選手。わしがオートを初めてすぐ、引退されました。
 そういえば、かつてたまたまその引退セレモニーに立ち会ったことがあるのですが、今節に負けないくらい、人が多かったのを覚えています。本当にレジェンドだったんだな・・・


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 「レジャーとしてのオートレース」という記事もありました。
 わし、関西人なので、船橋ヘルスセンターがあった頃も知らなければ、でっかい人工スキー場があった頃も知らないけれど、このへん一帯はかつてからいろんなレジャー施設があったというのは存じております。

 今もららぽーとはレジャー施設といえなくもないけど、ららぽーとに行ったついでにオートや競馬に行く客って、まずいないよねぇ・・・


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 田久保食堂の前には「船橋オート65年のあゆみ」というコーナー。
 関西人的に注目すべきは、オートレース草創期に、園田、甲子園、長居でオートレースが実施されていたこと。関西はオートレース不毛の地といわれていますが、今はないだけであって、かつてはあったのです。
 これは、いい情報を手に入れました。


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 さて、田久保食堂の前まで来ましたので、公営競技界でもかなりレベルが高かった、船橋オート場内グルメの食べ納めといきましょうか。


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 ハイ、まずは田久保といえばこれ、「もつ焼き」です。
 個人的には桐生の「とりもも」、常滑の「どて丼」、盛岡の「ジャンボ焼き鳥」と並んで、公営競技4大グルメのひとつを形成していました。

 けっこう周りの注文を聞いていると、自分の好きな種類を好き勝手頼んでる人が多かった。(特にレバーは敬遠されていた)
 しかし、デブリンはいつも「全部1本づつ!」で、5種類盛り合わせにしてもらうのがデフォでした。
 たまに切れてるネタがあって、「●●ないから4本でいい?」と言われて若干スベったのもいい思い出。


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 そして煮込み丼。平和島では単価が600~700円するけど、500円とリーズナブル。
 これは、船橋競馬とクオリティは変わらない。寒い日にはたまらない。

 結局、田久保にしろ東西商会にしろ、オートが廃止になっても競馬場のほうで食えるんだけど、ここでおばちゃんが焼いてくれるもつ焼きは、船橋競馬とは一味違う印象だった。
 そんな田久保のおばちゃんたち、常連との会話を聞いていると、どうやら船橋オート廃止と共に「引退」されるとのこと。残念だ・・・。

 WITH売店のフライドチキンも食べおさめようかなと考えたが、とっくに閉まってた。あれも中山競馬で同じタイプのフライドチキン売ってたから、いいや・・・。


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 締めはこれ、揚げちくわ
 1本50円という公営競技界最安値の価格設定で、ポケットが小銭でじゃらじゃらし始めたら、必ず食って帰っていました。

 ということで、土曜は情報収集プラス食べ納めで終了。気まぐれに打ったら外れたのは内緒。



 日曜日は行かず、ついに3月21日。
 船橋オート65年の歴史の締めくくりとなる開催最終日となりました。



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 現場に入ったのは10時、しかし10時の時点で、メインスタンドはおろか、1コーナースタンド、防音スタンドもそれなりに人で埋まる状況。サイン会を開けば数十人の行列。東西商会と田久保には長蛇の列という状況でした。
 田久保の行列がまだそれほどでもなかったので、なんとか15分並んで、「もつ焼き」の本当に最後の食べ納めをすることができました。


 1レースの試走は田久保の行列にまみれており見れずでしたが、試走前の場内アナウンスが、すごく印象に残りました。

「船橋オート65年の歴史も、本日の優勝戦を持ちまして最後になりました。泣きたい気持ちをぐっとこらえ、最終レースまでスタッフ一同頑張ってまいります」

 これはもう・・・・アナウンスを聞いてるこっちが泣きそうになっちまったよ。


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 マークシートの「船橋」にマークするのも、この日が最後かと思うと。・゚・(ノД`)・゚・。



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 1レースは土曜に足を運ばなかった1コーナーのスタンドで見ました。ちなみにこの1レースの時点で、通路より前方は座る場所がありませんでした。とにかくすごい人だったね・・・。パン戦の時は土日でも、すっからかんの座席にオッサンが横になって寝てた場とは思えないよ。


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 2レースは船橋所属の鈴木聡太選手から2連単を流したが、ヒモが合わず。
 レース後のガッツポーズが印象的でした。
 なお、最終日は全選手にとって船橋ラストランということで、次レースの試走後にレース終えた選手がもう一度バイクに乗って場内を回るという演出がありました。


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 3レースは見だったけど、同じく船橋所属の谷津選手の気合い駆けには、涙した観客もいたとか。


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 2レースが終わった頃だったと思いますが、防音スタンドにいたところ、裏手で聞き慣れないエンジン音が。
 元選手の田代祐一さんが所有している「トライアンフ」の展示が行われていました。「セア」に比べるとワイルドなエンジン音で、バイクに詳しくないわしでも「あっ外車な感じがする」という印象を持ちました。
 バイク自体はよく展示してあるけど、トライアンフのエンジン音を聞いたことはなかったので、聞けてよかった。


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 船橋オート廃止後は場外発売をするというのは聞いていたので、廃止された地方競馬場みたく施設そのまま使って場外発売するのかと思っていたら、船橋オートの敷地は全部取り壊して、物流施設になるとのことです。
 サテライトも船橋競馬の敷地内に移動するとのことで、船橋オートの走路や施設に関しても、見納めだったんですね今日。


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 ということで、満杯の駐車場をうろうろして、できるだけ近いアングルで。
 「オートレース発祥の地 ふなばし」も、既に建設されているもう一つの物流施設のせいで、京葉線からは見えなくなっていました。


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 帰りは船橋開催の本当に最終レースとなる12レースの単勝を全通り、記念車券に持って帰りました。


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 ということで、昼までに船橋オートを後にしましたが、表彰式、セレモニー、オーバルウォーク含めて、最後までいればよかったかな・・・とちょっと後悔しています。



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 優勝戦は船橋支部長・永井大介が貫録のV。船橋勢で3着までを締めていました。
 場内は泣いてるお姉さんも。自宅でユーストリーム中継見てたら、アシスタントの姉ちゃんが泣きだしたのはびっくりしましたが、わしも本場にいたら絶対もらい泣きしとるわ・・・。

 表彰式には千葉県の森田知事が登場したのですが、船橋廃止を決定した張本人の登場に場内は「帰れ!」コール。
 現地情報によると泣きながら帰れコールをしていた観客もいたのだとか・・・。

 最後のセレモニーで、壇上にいた永井支部長が「ファンの近くに行きたい」と、走路までマイクを伸ばして観客の前であいさつしていたのは感動的だった。船橋廃止をせめて延長させるために、もっとできることがあったのではないかという選手会の想いも伝わってきました。


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 鈴木圭一郎選手が持ってたこのパネル。・゚・(ノД`)・゚・。

 わしも、もっと船橋に行って打ってやらないといけなかったかなって、後悔しています。

 これからオートレース打つために西川口まで行かないといけなくなっちゃったからね・・・。


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 ということで、船橋オートとはお別れとなります。

 65年という長い歴史の中のたった3年だったけど、船橋オートで遊ばせてもらって、もつ焼き始めいろんな美味しい公営競技グルメを堪能できたのは、いい思い出になりました。
 デブリン、数年にわたる旅打ち生活の中で、初めて「行ったことのある場が廃止になる」という状況に遭遇したのですが、こんなに悲しいものなのか・・・。
 家で見ていても泣きそうだったから、きっと本場にいたままだと涙せずにはいられなかったと思います。


 今回一番の驚きだったのは、休日でも座席に座って隣の人と肩がぶつかるなんてまずない、というくらい客がまばらだった船橋オートが、最終日に身動きがとれないくらいの観客で埋まったことです。
(約13000人の観客が訪れたとのこと)

 つまり、場には行かないだけであって、潜在的にはオートレース愛好者が、スタンド埋められるくらいは存在するということです。

 ただ、今はかつてのように本場に行かないと投票券が買えないわけではなくて、あらゆるところに場外売場があり、インターネットでも観戦・投票ができるから、結果的に本場は人が入らなくなる。

 どこでも買えるということは、裏返すと「どこで開催していても客は博打を打てればいい」ということになるため、究極的には「場がどこにいくつあろうが、毎日開催していればいい」ということになります。
 ミッドナイト競輪なんて、目的がスポーツ観戦ではなく賭け事にかなりシフトしているから、その典型ではないでしょうか。

 「場外発売」という概念が全くない時代に、船橋オートを廃止にしよう、となったとしたら、地域住民にとっての娯楽がひとつ丸ままなくなっちゃうわけですから、そりゃあ大問題になるけど、オートが赤字です、客入らないから本場廃止します、それでもギャンブルしたい人は場外発売所用意するからそこで打ってね、っていうのは合理的っちゃあ合理的。

 つまり同じような理屈で、今後公営競技場の「本場」がつぶされていくということは、十分にある気がしています。

 ボートピア梅田を作ったら大阪方面から客が本場に来なくなった尼崎競艇なんか、個人的にはやべえんじゃないかと思っています・・・・。
 


 最後は公営競技に対する問題提起になってしまいましたが、この言葉で締めたいと思います。


 ありがとう船橋オート!

 さようなら船橋オート!




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 余談ですが、土曜日に「あのNHKの72時間密着取材する番組、船橋オート特集しねえかなあ・・・」なんて思いながら船橋オートに行ったところ、なんとNHKのクルーが場内ウロウロしていました!

 ドキュメント72時間「船橋オート(仮称)」4月22日(金)夜に放送予定だそうです。
 乞うご期待です!
  ⇒ 実際に放送されました。
   
下記関連記事に番組の感想を述べていますので、よろしければご覧ください。


 【関連記事】
 ドキュメント72時間「さらば!俺たちの船橋オート」 感想
 http://blog.livedoor.jp/nirubed/archives/52016256.html



 長文にお付き合いいただきありがとうございました。



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