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特別鼎談「ジェンダーバイアスと表現についての考察」~前編〝ジェンダーバイアスとはいったい何なのか〟

特別鼎談「ジェンダーバイアスと表現についての考察」~前編〝ジェンダーバイアスとはいったい何なのか〟

楠本 私にとっても、ジェンダーバイアスという言葉の意味があれほど理解されていないというのは予想外でした。

小宮 「バイアス」というのは、後でお話ししたいと思いますが、要は「偏見」のことであって、ある描写に「偏見」が反映されているかどうかを考えるにはいろんな文脈を考慮しないといけない。
例えば漫画で「お母さん」を描こうと思ったときに特段の理由なく「エプロン姿でオタマを持たせてしまう」ようなステレオタイプを「ジェンダーバイアス」だと思えるのは、もっぱら「家事をしていること」で「お母さん」を表現するのは偏見ではないかという考えが現代にはあるからですよね。
もうちょっと丁寧に言えば、女性ばかりがケア労働を負担している現状が公正ではないという価値観が現在の我々にはある、ということです。これは50年かけて私たちの社会が獲得してきた価値観です。
だから何が「バイアス」かは、社会の中で女性がどのような不公正な扱いをされてきたかという歴史的・社会的な文脈の考察抜きには決まらない。

「何が“バイアス”かは、社会の中で女性がどのような不公正な扱いをされてきたかという歴史的・社会的な文脈の考察抜きには決まらない」(小宮さん)
「何が“バイアス”かは、社会の中で女性がどのような不公正な扱いをされてきたかという歴史的・社会的な文脈の考察抜きには決まらない」(小宮さん)

楠本 ただ、考えてみると、対応する日本語がなく、gender biasという英語をそのままカタカナにしただけでは、本来の意味がわからなくなるのも無理のないことなのかもしれません。「セクシュアル・ハラスメント」という言葉が出てきたときに、「なんでもセクハラになってしまう」と矮小化されたり、冷笑的な扱いを受けて、その後それなりに理解されるまでにものすごく時間がかかったことに似ているように思います。
今もまだ完全に理解されているとは思えないですし。ちゃんと対応した日本語がない、というのは大きな障害ですね。
言葉の役割は大きいから。

宮川 「ジェンダーバイアス」という言葉自体が、まだあまり定着していないということですね。

楠本 そういうことですね。「ジェンダーバイアス」という言葉は、頭でわかっている人でも、説明するとなると結構難しいんじゃないかと思いますので、まずはこの鼎談を、一緒に理解を深める機会にしていただければいいな、と思います。

ジェンダーバイアスとは何か

ジェンダーバイアスの定義  
善悪や是非・能力の有無・業績など、社会規範上公正かつ客観的に判断・計測・評価されるべき事象が、ジェンダーに基づく評価基準や価値観などの混入によって歪められてしまう場合、その歪みを生み出す評価基準や価値観、それによって生み出された歪んだ社会認識、歪んだ社会認識によって維持されている男女不平等な社会状況のいずれか、あるいはすべてをいう。
―『事例で学ぶ 司法におけるジェンダー・バイアス 改訂版』総論・江原由美子(明石書店、2009年)

宮川 ジェンダーバイアスの定義について、改めてジェンダーが専門である小宮先生に解説していただきたいと思います。

小宮 「ジェンダー」は「性別」という意味の言葉で、特に生物学的な側面とは区別された、性別の社会的側面を指して使われる用語です。「バイアス」は「偏見」という意味を持つ英語ですから、「ジェンダーバイアス」は簡単に言えば「性別に関わる偏見」です。もちろん何が偏見なのかということに関しては議論となりますが、ジェンダーバイアスは「よくないもの」という価値判断を含む言葉だというのは共通了解であると言ってよいでしょう。
楠本さんの記事に対して起きた一部の否定的な反応で言うと、事実として男女のあいだに観察できる違いのことをジェンダーバイアスと誤解して、「違いを描くなと言うのか」という形で受け取られている節がありました。
医学などの領域ではジェンダーバイアスという言葉を事実的な偏りを指す意味で使うこともあるようですが、あの記事ではそうではないことは明白でしたので、ジェンダーバイアスという言葉への大きな認識の差があるなと感じましたね。

楠本 「ジェンダーバイアス」とは通常、「セクシズム(性差別主義)」「ホモフォビア(同性愛嫌悪)」などと同じく、どう転んでもネガティヴな単語という認識で使われるものなのですが、どうも「性癖」あるいはいわゆる「性差」のようなものと誤って捉えられているのかな、と思いました。

宮川 たしかに「バイアスがあっていいじゃないか」とか「ジェンダーバイアスをなくすと何も描けなくなる」みたいな反応もありましたね。

ジェンダーバイアスの定義は現代の日本社会においてはまだまだ理解されていない側面も
ジェンダーバイアスの定義は現代の日本社会においてはまだまだ理解されていない側面も

小宮 もう少し丁寧に言えば、「ジェンダーバイアス」とは「女性」「男性」とはどのような存在であるかについての不公正な認識だと言えます。「不公正」というのは価値にかかわる概念ですから、何が「不公正」かは事実によって決まるわけではありません。
たとえば先ほどの「エプロン姿でオタマを持ったお母さん」の例で言えば、事実として家事育児を多く担っているのは今でも女性ですが、「家事は女性がするものだ」という言葉の中に「それが当たり前だ、良いことだ」という価値観が含まれていれば、事実とは別に価値観として公正かどうかが現代では問題になるわけです。
同じように、夫が妻を殴ることはかつては「そういうもの」だったかもしれませんが、今は「DV」であり悪いことだと理解されるようになりました。そうなれば夫が妻に手をあげることを描写する意味も変わってくるでしょう。
先ほど楠本さんのおっしゃった「セクハラ」なども同様ですね。そうやって社会の持つ価値観は変わってゆくので、今多くの人が「当然」だと思っていることの中に不公正がないかどうか、点検と議論が重要になります。

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楠本まき

くすもと・まき
漫画家。1984年、『週刊マーガレット』でデビュー。代表作に「KISSxxxx」「Kの葬列」「致死量ドーリス」「赤白つるばみ」など。最新作「赤白つるばみ・裏」の単行本は2020年春頃集英社より刊行予定。2021年には原画展開催の予定も。ロンドン在住。
Twitter:@makikusumoto

小宮友根

こみや・ともね
社会学者。東北学院大学経済学部共生社会経済学科准教授。社会学(ジェンダー論、エスノメソドロジー/会話分析、理論社会学)を専門とし、刑事司法とジェンダー、裁判員評議の会話分析を研究キーワードとしている。2011年 の著書『実践の中のジェンダー―法システムの社会学的記述』(新曜社)で西尾学術奨励賞(ジェンダー法学会賞)受賞。Twitter:@frroots

宮川真紀

みやかわ・まき
合同会社タバブックス代表。PARCO出版にて書籍編集、2006年よりフリーに。2013年6月、出版社タバブックス設立。近年、『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。』小川たまか著、『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』イ・ミンギョン著などジェンダー・フェミニズム関連書の発行を続けている。
http://tababooks.com

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