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山王母講 山口澤鳥
山王母講 山口澤鳥
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山王母講 山口澤鳥さんのツイート
餓鬼道の亡者がかかってるといふ審神の結論が出たので。
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もうトムキャットネタは終了。
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「曲津神を大神というならばそれも確かに大神ですが」
この毒は友清流。
なる程、餓鬼道ねぇ。それぢゃそもそも担当が違ふわな。真〇苑で診てもらふべきだ。あそこはそんなに評判悪くないから。ほんたうだったらそれこそ家族なんとかとか、信濃町とか、顕〇とか、親〇会とかにいってもらひたいんだが。
なかなかここまでいってくださる方もをられないでせう。感謝せよ、トムキャットよ。(といってもあの男は不利な文言は脳裡に映らないやうにできてゐる)
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古川陽明
@furunomitama
返信先: @hukatokuanさん
大本教の歴史や霊界物語を見ると、こういう曲津よりのしぶといのがああじゃないこうじゃないと関わってきて、最後の最後に改心して神様の大きな働きをするみたいなのがあるので、それを待ちましょう
ああ、それか! 羽田師のブログで拝見しました。なるほど、さすが大人、ご慧眼。程よく毒も利いてますなw
引用ツイート
古川陽明
@furunomitama
返信先: @rokutenshoboさん, @hukatokuanさん
施餓鬼の時、餓鬼は人間の食べ物が喉を通らないので、真言と印の所作で喉を広げてやらないといけないのですが、これから彼にはそれを施してから食事ですね
あと正神界の大神レベルが民間の一人間にそんな指示はしないというのが審神者の基本ですね
曲津神を大神というならばそれも確かに大神ですが
「私が勝手に感得する「印象」」ではなく「本質」ですね。訂正。
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改めて聴くに未だその印象は不変。
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以前ベルギーの楽団によるプロコフィエフをミストレスの画に添へたのは、この曲調こそが私が(勝手に)感得する印象に最も適ってゐると思はれたから。つまり「パンク」のひとと認識してゐたのでなく、そのテイスト「も」帯びたフェティシズムのひとと認識してゐたといふこと。
youtube.com
Valse-Galop (From Cinderella, Op. 87)
Provided to YouTube by WM Benelux BVValse-Galop (From Cinderella, Op. 87) · SoledadLogical℗ 2017 Soledad Productions under exclusive license to Warner Music ...
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音楽でも文学でも表現者にはままあることだが、過去に発信したものについてが当の発信者には意外なほど拘りがなかったりする。表現・発信されたものは寧ろ受け手に於て重要な意味を持つといふことだらう。
返信先: さん
あー、なるほど。その辺はなんとか世話人の蠢動で――と考へてをります。現状を考慮するとあまりなかなかむつかしいところもありますが、唯一神道を世に出すことも講の重要な目的ですから。
返信先: さん
そもそもが私が吉田神道に惹かれるのは、やはり龍雷神人大神貫道大人の影響です。それにしても矢野大人はほぼ平田派にしてただ一人『養神延命録』にたびたび言及してますね。他の平田門人はまったく無視なのに。
トムキャットがいふには、この男にギルドを推薦したのは八幡書店の武田社主であるとのことだが、それが本当であればまったくえらいことをして頂いたものだ。或いは武田社主は一発でトムキャットの本質を看破したからこそギルドに放り込んだとも考へられる。だとすれば流石といふほかはないが。
トムキャットみたいな論理破綻者でも大人(うし)は別に排除しないといふことですよ、感謝しなさい。私はもうコムレイドも辞めたから二度とトムキャットとはかかはらないつもりだったけど、さうもいかなくなった。まったくしぶとい男だよ。
③なんだかんだいひながら、結論としては「今後も残飯を出す」といふことらしい。いいよ一緒に食事しないから。因みに一応「幽の帰神」らしい。これで「顕の帰神」だったらもう意思の疎通が不可能だが、からうじて「命じる声が聞こえた」とかではないらしい。
②「よもつへぐひ」といふことで私が黄泉津神の眷属だかと認定されたのは(那智崇敬者として)名誉なことだが、それが厭ならそもそも一緒に食事するなよ、といひたい。なんで「黄泉」の連中との会談にわざわざ出席すんの? 貴殿はまっさきに挙手するよね、「行きますっ!」って。
いや論理破綻が凄すぎるんだが、まづ①トムキャットは喰ってんぢゃん。それで残してんぢゃん。「よもつへぐひ」っていふなら一口も喰ふなよ、っていふね。
トムキャットといへば、凄いことをいってきたな。曰く「私が残飯を出すのは大神様の命令で『よもつへぐひを止めよ』といはれた為で私個人の意思ではないので今後もご勘弁を」と。
たしかに他の連載記事に比べて突出して急進的な記事ではありましたね。だからこそ経年しても価値がいささかも減殺されてません。改めて拝してびっくりですよ。これほど異色の連載だったとは。
いえいえ、読んでる者はしっかり読んでます。六天斎氏やトムキャットwとか。トムキャットはリアルタイムで完全フォローの上、記事を永久保存してますから。そこだけは偉い。そこだけは。
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古川陽明
@furunomitama
返信先: @hukatokuanさん
誰も読んでないのに淡々と宗源道を開示して行くのを許した今井社長は傑物でした
この連載は是非ともまとめて世に出さねばならぬであらう。小さい字で三段に亘ってびっしり濃厚な情報が書き込まれてるから、一段に直して字を大きくすれば結構な頁数になるのでは。編集技術でどうにでもなると思ふ。
ま、今も労務者には変はりないんだけど。
大人(うし)のスタピの連載、改めて拝してこれほど濃厚なものだったとは――今更らながら驚く。連載開始に当たって関はって置きながら、急遽労務者として日々の生活に追はれる身となりまったくフォロー出来てなかったから。まぁ機縁が熟してなかったといふことだらう。
お召し物は所謂「木の葉の衣」であり「山女」を想起させますが、どうやら少彦名命神社の影向(少彦名命と神農)の流用のやうです。
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賛意をありがたうございます。これは江戸時代の戸隠あたりで流布してゐた摺仏(ほとけではないが)といふことなのですが道教的です。一般的には山姥と道教とは直ちに繋がらないと思ふのですが、やはり大人が仰言るとほり、姫大神は大司命の大神仙にてあらせられるといふ神異事実の傍証でせう。
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「承平の頃、京師高貴の人の女(むすめ)、宮風なるもの諸国勝地を回ぐらんと密かに皇都を忍び出、本国に来り更級郡姨捨山に登り、月を詠み、後該山の渓澗石窟に入り身を終りしが、忽ち其の姿見へずなりければ、里人奇異の思ひをなし、神に崇めて王母大神と称し、後改称して岩長姫命とす」『日影村誌』
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