源義経=チンギス・ハン説の謎
鬼滅の戦史100
奥州平泉(ひらいずみ)で自害したはずの源義経(みなもとのよしつね)が、実は逃げ延びてモンゴル高原の韃靼(だったん)にまでたどり着き、挙句チンギス・ハンになったとの説が、17世紀からまことしやかに語られている。一見、荒唐無稽(こうとうむけい)な話とも思えるが、どんな背景によるものなのだろうか?
シーボルトや新井白石が提唱
元寇の様子を描いた『蒙古襲来絵詞』(模本)。義経は本当にチンギス・ハンとなり、孫のクビライ・ハンに日本征服を命じていたのか? 東京国立博物館蔵 ColBase
「源義経が蒙古に渡って、チンギス・ハンになった」
こんな突拍子もないお話が、かつてまことしやかに語られたことがあった。もちろん、多くの人が、「そんなことはあり得ない」と、にべもなく否定した。当然のことながら筆者も、「あり得る話ではない」と断言したいところではあるが、実のところ、この説を100%否定するには、少々、材料が少な過ぎるようである。
僅かながらも可能性が残るとすれば、この辺りでもう一度検証し直して見るのも悪くないだろう。
この「源義経=成吉思汗(チンギス・ハン)」説を最初に唱えたのは、博物学者で、かつオランダ商館医として来日したことのあるフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトであった。彼がオランダに帰国後、自著『日本』(全7巻)の中に、そう記載したからである。1852年のことであった。
しかし、実はその百数十年も前から、義経がモンゴル高原の韃靼へ渡っていったとの説を唱える御仁がいたことを忘れるわけにはいかない。それが、江戸時代中期の旗本で、朱子学者としても名高い新井白石(あらいはくせき)だ。白石はそれ以前にも、義経が蝦夷地(えぞち/北海道)へ逃げ延びたとの説をも唱えていたが、後にさらに説を進めて韃靼にまで話を広げたのであった。
さらに、明治時代になると、東洋学者のウィリアム・グリフィスまでもが、自著『ミカドの帝国』において「源義経=成吉思汗」説を提唱。彼らの影響を受けた政治家・末松謙澄(すえまつけんちょう)までもが同様の説を唱えた論文『義経再興記』を発表したことで、大ブームが巻き起こったという。
さらに大正時代の1924年には、牧師でアイヌ研究家でもあった小谷部全一郎(おやべぜんいちろう)が『成吉思汗ハ義経也』を著してベストセラーに。この頃は「源義経=成吉思汗」説が、かなり真実味を帯びて、語られるようになっていたのである。
チンギス・ハン騎馬像。2008年に完成した像は、台座も含めると全長約40mにもなり、モンゴル高原にそびえ立つ。
義経とチンギス・ハンの奇妙な一致点
ちなみに、シーボルトがその説の根拠としたのは、新井白石の義経韃靼行説を信じたことに加え、義経とチンギス・ハンの奇妙な一致点を見出したからであった。義経が自害したと見なされる時期と頃合いを合わせるかのように、テムジン(チンギス・ハンの幼名)が活躍し始めていることに想いを寄せたのである。
確かに、義経が奥州平泉で自害したとされるのは1189年であるが、彼の地でテムジンがハンの称号を得てモンゴル帝国を建国したのが1206年(ハンの称号を得たのを1189年と見なす説もある)のこと。義経が平泉から逃げ延び、韃靼に渡来した後、大帝国を築いたとしても時間的なギャップはない。
一方、1178年にテムジンがコンギラト族の娘と結婚して以降、10年近くにわたって彼の動向が不明というのも気になるところ。その時期の義経といえば、1180年に突如、黄瀬(きせ)川に現れて、兄・頼朝(よりとも)と対面したという逸話があるが、何やら因縁めいて興味深いものがあるのだ。
また、両者ともに白旗を掲げる点、蒙古語の「汗(ハン)」と日本語の「守(かみ)」の語源が同じという点、さらには彼の地の「元」とは、義経の姓であった「源」を書き改めたものであるとの説も、シーボルトは本気で信じたようだ。
何(いず)れにしても、この説を明確に否定するだけの情報が今ひとつ不十分な感は否めない。義経が1159年生まれで、チンギス・ハンが1162年生まれ(諸説あり)と、ほぼ同世代の人物であったことに加え、ともに類稀なる戦術を駆使する英傑で、奇抜さにかけても飛び抜けていたなど、共通点が多かったことも、「さもありなん」と思わせた一因である。
つまるところ、かの義経なら破格の人物ゆえ、蒙古にでも飛んでいきそうだ…との人々の思いが、このような伝承を生んだに違いない。果たして真相や、いかに?
義経が1159年生まれで、チンギス・ハンが1162年生まれ(諸説あり)で、ほぼ同世代だった。「堀川夜討」『日本外史之内』歌川豊宣筆/都立中央図書館蔵
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