義経は奥州平泉で死なず、実は北方へ逃げ延びていた?
鬼滅の戦史98
奥州平泉で自害した後、鎌倉へと運ばれた義経の首。実はそれは偽物で、義経本人は北方へ逃げ延びていたという北行伝説が今日まで伝わっている。その真相や、いかに?
義経の首は本物だったのか?
奥州藤原氏最後の当主・泰衡(やすひら)に裏切られ、無念の死を遂げた源義経(みなもとのよしつね)。首は美酒に浸され、黒塗りの櫃(ひつ)に収められたまま、鎌倉に向けて送られたようである。自害したのが閏(うるう)4月30日、鎌倉の腰越浦(こしごえうら)に運ばれて首実検が行われたのが6月13日のことであった。
通常なら2週間もあれば運べる道のりを、何と43日もかかったというのだから不思議である。頼朝が母の法要のためと称して、鎌倉入りを禁じたからとも言われることもあるが、それがかえって不信感を募らせることになったようだ。
季節は、新暦で言えば夏。酒に浸したとはいえ、腐敗が進んで判別し難い状態であったことは想像に難くない。ましてや、焼け焦げた首のはずである。首実検した梶原景時(かじわらかげとき)までもが、思わず「予州(義経)の首にあらず」と口走ってしまったことが、真相を物語っているかのようである。
この頼朝の首の鑑定があやふやだったところから、いつしかまことしやかに語られるようになったのが、義経生存説だ。運ばれてきた首は義経の替え玉で、頼朝がそれを知っていたにもかかわらず、武将たちが動揺することを恐れて、ひた隠しにしたとの説まで伝えられているのである。
義経生存説と北行伝説
ここからは、この義経生存説について考えて見ることにしたい。まず、義経の没年について振り返ってみよう。一般的に、義経が自害したのは、文治5年(1189)閏4月30日とされている。しかし、実はその1年以上前に、義経が密かに平泉を脱出していたというのだ。影武者としての役割を果たしていたのが義経の従兄弟で、年齢や背格好が義経と似ていた杉目太郎行信であったとか。自害したのも行信で、鎌倉へと運ばれた首ももちろん行信のものだったという。
この説は俄(にわ)かには信じ難いものがあるが、宮城県金成町にある明治期に建てられた行信(ぎょうしん)の墓に、「源祖義経神霊見替」と刻まれているのが何とも気になるのだ。
その真偽はともあれ、この義経生存説は、同時に、義経北行伝説を生み出すことになった。
一関(いちのせき)から奥州、遠野(とおの)を経て、宮古(みやこ)、八戸(はちのへ)、青森、十三湊(とさみなと)などを経由しながら、津軽半島から蝦夷地(えぞち/北海道)に渡海していったとの伝承が、数多く言い伝えられているのだ。注視すべきは、1本の筋道に沿って伝承地がきちんと連なっている点である。明らかに、義経本人あるいは、ゆかりの者が実際に辿ったことを物語っているとしか考えられない。
奥州、遠野、八戸などを経て十三湊へ
この義経北行に同行したのは、武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)をはじめとする家臣数名で、正妻である郷御前(さとごぜん)と娘をも伴っていたようである。
奥州平泉(ひらいずみ)を脱出した義経一行は、観福寺(岩手県一関市大東町)で一夜を明かした後、玉崎駒形神社(奥州市江差玉里)で武運長久(ぶうんちょうきゅう)を祈願。葉山、赤羽峠を越えて上郷(遠野市上郷町)に辿り着いた。ここで、とある民家で風呂に入れてもらって疲れを癒したようである。今もそのお宅の姓が「風呂」というのが興味深い。
さらに、義経が愛馬をつないだとされる駒形神社(遠野市上郷町)を経て、宮古市郊外の黒森神社へ。ここで3年3カ月も過ごしたとも。
さらに北上し、久慈(くじ)を経由して八戸へ。何とここには10年近く暮らしたというから驚くばかりだ。青森県八戸市に「高館(たかだち)」の地名が残っているというのも、曰くありげで興味深い。
八戸からは、青森を経て津軽半島の十三湊へ辿った模様。この辺りは、義経に目をかけてくれた藤原秀衡(ふじわらのひでひら)の弟・秀栄(ひでひさ)が治めるところ。泰衡とは違って秀栄は、義経を快くもてなしてくれたようだ。
この後、義経一行は津軽半島突端にある三厩(みんまや)の湊から蝦夷地に向けて旅立っていったと言い伝えられることもあるが、その模様は次回に詳しく解説することにしたい。
いずれにしても、義経が平泉から脱出して北へと逃げ延びたかどうかは定かではない。もしかしたら、生きていて欲しいと願う人々が作り上げた虚像であったかもしれず、その思いが霊のごとく人々の心の中に生き続けたことによって、新たな伝説が生まれたとも考えられる。ここでは、義経の北行伝説は真実の可能性が大きい…とだけ言うに止めておこう。
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