第94回日本社会学会大会に関する問い合わせへの回答
2021年11月にオンライン開催された日本社会学会において、私が司会をつとめた性・ジェンダー(1)部会で私が「トランス女性は女湯に入っていい」という結論を表明していたとの書き込みをSNS上で発見したが本当か、という問い合わせをいただきました。ご回答いたします。
そのような発言をした覚えはありません。当該部会に参加していた方にも(もちろん全員ではありませんが)確認しましたが、そのような発言を私がした記憶はない、とのことでした。もしかしたら当該の書き込みをなさった方が、何か勘違いをなさっているのかもしれません。
なお、正確な記録がないものかと学会事務局に問い合わせましたが、事務局でも録音などは行っておらず、参加者にも録音・録画は許可されていませんので、直接的な証拠に基づく判断は残念ながら困難です。しかし、そもそも当該部会にはトランス女性の女湯使用を論点として呼び起こすような報告がなく、私がその話題に触れる機会がないため、私が書き込みにあったような発言をした蓋然性がかなり低いことはご納得いただけるのではないかと思います。
最後に、当該の「表明」を聞いたという方から直接問い合わせがあったわけでもないのになぜこの文章を書いたかについて付記します。
「性別適合手術を受けていないトランス女性も、女湯を使用したがっている/使用すべきだ」という発言は、しばしばトランスジェンダー(とその支持者)に帰属させられ、「このような主張にシスジェンダー女性が恐怖を感じるのは当然であり、このような無茶な主張をするトランスジェンダー(の支持者)は受け入れられない」という形で、トランスジェンダー差別を正当化する効果を持ちます。しかし、トランスジェンダーの人々は、このような要求をしていません。(とりわけ、性別適合手術の経験の有無という重要な条件を抜きにトランス女性「一般」について女湯に関する主張が可能であるとトランスジェンダーの人々が考えているとは到底思えません)
マイノリティ自身が語っていないことをマイノリティの主張として帰属させることが許されるならば、マイノリティの主張をいくらでも正当性に欠けたものとして仕立て上げることが可能です。このような状況では、マイノリティ(を含むすべての人々)の安心や安全、自由や平等の問題をフェアに議論することはできないでしょう。意図的に仕立て上げないことはもちろん、不注意や無知によって結果としてマイノリティの主張の正当性を毀損することのないよう、私たちはマイノリティがどのような困難を感じ、どのようなニーズを持っているのかを正確に把握することに何度でも立ち返らなければなりません。「私たちのことを私たち抜きで決めないで」はもともと障害者運動の中から生まれた言葉ですが、マイノリティをめぐる対話や議論一般にとって重要な指針のはずです。今回の問い合わせをきっかけに、私を含めて多くの人がその指針をいま一度確認すべきだと考え、こうしていささか長い回答を記した次第です。
以上