一般に縄文時代とは、日本の先史時代のうち約1万2000年前から約2400年前までの、ざっくり1万年間続いたと考えられており、ほぼ日本列島全部を範囲とした、日本独特の文化である…というのである
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ここで注意したいのは、現在の日本の領土(版図)がそのまま縄文文化の範囲とはならないということ
所謂国語辞典的な説明の「日本列島全域に分布した」を鵜呑みにしてはいけないのだ
1万年(100世紀)も続いた縄文時代は、その間の文化変容で約2千年毎に草創期:、早期、前期、中期、後期、最後の800年間くらいをとし
また、採集・狩猟に大きな影響のある気候や植生区分によって大まかに七つの小区域にわけて考えられている
一口に「縄文時代」「縄文文化」といっても地域や年代が異なれば様相はがらりと変わってしまう
したがって、次の文化である弥生文化や古墳文化も地理的な要因でその伝播には差が出てくる
弥生も古墳も朝鮮半島から渡来した人々によってもたらされ、その渡来人との交流(混成)によって成立ししていったと考えられている
北海道の歴史区分には弥生文化がなく、従来の縄文文化に鉄製品の使用などの一部アップグレードした続縄文文化、北方民族由来のオホーツク文化と結合してアップグレードした擦文文化と本州とは違った進化をした
いわば、本州人(所謂和人)は弥生人・古墳時代渡来人に乗っ散られた人々で、北海道にいたアイヌは小規模な渡来人との交流、混交はあったが縄文人の気質を色濃く残したまま現代までたどり着いた人々だと言える
ここで注意しなくてはならないは「縄文人こそ先住民族である」という言説である
「少数民族」や「先住民族」は国家や地域において複数の民族が存在する時に、多数派民族から見て相対的に認識されるものでるということ
library.shinjuku.tokyo.jp/lib/files/libi
中世の鎌倉、室町時代でも北海道は版図として認識されてはいない
エゾやエミシと呼ばれた人々が暮らしていたという認識である
この夷というのも中華思想の輸入品で、東方に住む蛮族は十把一絡げにした呼び名であることに注意したい
すこし、横道にそれるが…
現代的な考えや感覚で過去をみると、見誤ることがある
織田信長の用いた「天下布武」を『日本統一』と認識する人がいるけど、実際はこの「天下」が示す範囲は機内地方だという指摘がある
同じように「日本人」という言葉を現代の範囲や感覚で歴史認識にあてはめると思わぬ失敗をする
アイヌが日本に編入されたのは明治5年の戸籍令(壬申戸籍)以降で
その時に元々の和人(本邦人)とは異なり新たに編入された北海道以北にすむ現地の人という意味で「旧土人」と記した
それ以前の江戸時代はといえば、徳川家康の発出した黒印状が建前上は効力を発揮しつづけ、アイヌの自治は保障されていた
「夷之儀は、何方ぇ往行候共、夷次第たるべき事」と明確に書かれている
その為、形式上は和人商人は(松前藩、もしくは幕府の許可を得て)アイヌと交渉し、アイヌの族長に貢物を渡し、その返礼として交易品を受け取る、もしくは労役に協力するという形式での交易が行われた
しかし、実態は不平等な上に和人側の一方的で横暴な取引が多かった
日本政府は平成21年にこれらの歴史的事実を踏まえた上でアイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会からの報告書という形で
アイヌの人々が日本列島北部周辺、とりわけ北海道に先住し、独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族であるとの認識を公に認めた
kantei.go.jp/jp/singi/ainus
こういうことから、「縄文人こそが北海道の先住民族」という主張が、この問題を正しく認識しない上に、間違った歴史認識と、学問軽視と、民族差別意識に懲りかたまった世迷い頃であることがわかると思う
大分、言葉足らずだったり誤解を招きそうな部分は有識者の皆さんに方向修正をお願いしたい
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