2017年07月28日

ナムカイ・ノルブ「チベット密教の瞑想法」(7)

●夜の修行は大変重要だ。第一の理由は、一生の約半分は夜だということだ。ゾクチェンの修行の究極の目標は「三昧に入り続ける」ことであり、そのためには夜の修行を達成する必要がある。第二に、夜の修行ができるようになれば、体験・理解という点でより大きな進歩を遂げることができるからだ。夜の修行は夢と密接に結びついている。もしその夢を自覚することができるようになれば、悟りを深めるために極めて重要な道になる。

理論的には、全ては実在ではないと知っている。しかし実践においては、全て実在だと信じている。そこから、ありとあらゆる執著と緊張が生まれる

●大抵私たちは、苦しみ恐れながら生活している。生きることを恐れ、死ぬことを恐れ、全てを恐れている。そういう恐れの原因は何かといえば、信じすぎていること、全ては実在だと考えていることにある現象は実在ではなく、幻の如きものであるということが少しでも分かれば、恐怖は消えてなくなる。

ある対象に意識を鋭く集中し、それからその集中した注意をゆっくりとリラックスさせるような修行をサンスクリット語で「シャマタ(samata)」、チベット語で「シネー(止)」、静寂の瞑想と呼ぶこれに対して思考の動きに取り組んでいく時には、サンスクリット語で「ヴィパッシャナ(vipasana)」、チベット語で「ラントン(観)」と呼ぶ

●夜の修行の場合、最小限意識を集中し、自分の心をチェックすることが必要だ。そして禅定と睡眠を融合し、意識集中を保ち、自覚を保ちながら眠る。

横になって眠るとき、眉間に豆粒くらいの大きさで、はっきりと輝く「白いア字」か「5色の光のティクレ(円輪)」を観想し、意識を集中し、リラックスしてから眠る

ゾクチェンの秘訣の部の教えでは、この白い種子あるいは小さな光の輪を、心臓のチャクラに観想する。なぜなら眉間に観想すると、あまりに意識がはっきりしすぎて眠れないこともあり得るからである。だがこの修行の場合は、額のチャクラに観想する。なぜなら、それによって生命エネルギー即ちプラーナを、全て自動的にコントロールすることができるからだ。

プラーナをコントロールするため、眉間に意識を集中する

もし白いア字を観想することが難しければ、適当に調整する。修行では、自分の状態をよく知って前進していく必要がある自分の状態に合わせて修行するのであって、修行法に縛られ、にっちもさっちもいかなくなるのでは困る。

「白いア字」の代わりに、「ティクレ」即ち「虹色に輝く光輪」(孔雀の卵に似ている)を観想する方法もある。5色のティクレを観想できれば、心身を構成する原質を支配する悟りを得るためにも極めて有益だいずれにせよ、瞑想の対象にまず注意を集中し、それから少しリラックスさせる。そうすれば眠ることができる

ゾクチェン本来のグルヨーガは、祖師などを観想するのではなく、ア字を用いる。なぜなら、ゾクチェンの根本は一切の二元論から自由であることだからだ。目の前にパドマサンバヴァを観想するということは、パドマサンバヴァは「ここ」にではなく「あそこ」、自分の外部にいるということだ。これに対し、ア字のグルヨーガの場合、ア字とティクレを自分の内部に観想する。ア字とティクレは自己の存在そのものであり、同時に全ての導師と如来たちの境地であるア字のグルヨーガは、宗派意識や狭苦しい制約を乗り超えるためにも有益

●それには、元々の始まりから清らかである(本来清浄:カダク)とともに、自然状態で完成している(任運成就:フンドウプ)という2つの側面がある。本体清浄というのは「空性」のことだ。任運成就というのは、元素のエッセンスである純粋な光が、自然状態で完成している在り様において現出してくるということだ。その過程を「3つの原初の潜在エネルギー(音・光・光線)」と呼ぶ。私たちの存在の本質は空でありながら、しかも無限のエネルギーを内蔵している。その潜在エネルギーが3つの側面を持って現出してくるのだそのことを単に知的に分析するのではなく、体験として理解する必要がある。ア字を使ったグルヨーガは、この3つの原初の潜在エネルギーが私たちの本質に内蔵されているということを、象徴を通じてありありと理解させてくれる。

●まず、グルヨーガの白いア字は、エネルギーの根源である「音(sgra)」を象徴している。白いア字を見ると自動的にその音が想起される。他の文字でも同じだ。文字には音の情報が内包されているのだ。音が全てのエネルギーの現出の根源だというと、「なぜ音がそんなに重要なのだろう? そもそも音がエネルギーの根源だというのはよく分からない」と思う人もいるだろう。そういう人は、通常の物理現象としての音を考えているのだ。これに対して、原初の潜在エネルギーの現出の根源に音があるという時には、そういう物理的な音ではなく、より隠された秘密の音を指しているのだ。

 ア字は、音だけでなく「光」をも象徴している。ア字そのものは音を、そして白い色は光をそれぞれ象徴している。まだ具体的な色の光に分光する以前の光の状態を、白い色は象徴している。その後分光して、5色になった状態を「光線」と呼ぶ。5つの色は、5つの原質の精髄を象徴している。

私たちの本質には、音・光・光線として現出してくる原初の潜在エネルギーが内蔵されており、副次的条件(縁)があるとき初めて、本尊の姿として現れる。

もちろん、ア字もティクレも象徴に過ぎない。しかしそういう象徴を通じて、原初の潜在エネルギーを悟る道が開かれる。もし象徴すらなかったら、どうやったら根源的な境地に入れるか、理解することは難しいだろう。全てを映し出すことのできる鏡の能力を発見するためには、鏡にまず何かが映る必要がある

何でも映し出す鏡の能力を知るには、まず何かを映す必要がある

誰にとっても額に観想するのが良いとは言えない。睡眠に問題がなく、寝床に入ったらすぐに寝てしまうような人にとってはとても良いだろう。しかし、なかなか眠れないとか、修行をするというので緊張している人は、眠りにくくなる可能性がある。そういう場合には、額ではなく、心臓に観想したほうがいい。

心臓は静寂な境地に、頭部は光明により深く関わっている。

ゾクチェンでは、心が脳だとは考えない。脳は心にとって「事務室」のようなものだ。情報を最初に受け取るのは事務室だ。外部の対象との接触に開かれている扉も、仕事をする人間も、皆事務室にある。それと同じように、事務室としての脳が様々な情報を真っ先に受け取って、それから直ちに心にメッセージが伝達される。心は脳にではなく、体の中心たる心臓に位置している、とゾクチェンでは考える。

ヒンドゥー教やインド哲学の伝統と同じ。心は心臓に位置



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posted by samten at 06:07| 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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