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エッセイ

底辺で燻っている実力あるワナビにこそ読んでほしい、なろうテンプレの書き方、あるいはなろうテンプレがいかに優秀かを解説してみたテキスト

作者:いかぽん

 まず僕という作者の立ち位置を、最初に書いておこうかと思います。


 僕はなろうテンプレ作品を書くのが、あまり得意ではありません。

 技術的にはわりと書ける気にはなってきたのですが、メンタル的には、もっと底辺でぐずぐずするような作品を書く方が好きな人です。

 なので、僕が「底辺」と言った場合、これはわりと親近感と敬愛を込めた自虐的な表現だと思ってください。


 それでも、試しに何本かテンプレに挑戦してみて、一応はヒットしたと言えるようなテンプレっぽい作品を二本ぐらい書けた感じがするので、こんなことを書いてみてもいいかなと思ってみました。

 そんなスタンスの作者が書いている文章だと思って、読んでみてくださいませ。




1.ハーレムものは主人公一人称文体必須


 なろうテンプレを書くにあたって、主人公の一人称で書くことは、かなり重要な要件だと思います。

 特にハーレムものは、主人公の一人称で描いた方が、絶対に人気が出ると思います。

 主人公が羨ましい目に遭っているのを上から俯瞰するよりも、主人公=読者という視点で羨ましい目に遭う疑似体験をする方が、読んでいてハッピーだからです。


 なお、ハーレムものと言っても、重婚状態を作る必要はないと思います。

 何となく主人公の周りに可愛い女の子が多数いて、彼女らと適当に楽しくキャッキャウフフしているだけで、十分にハーレムものとして通用するでしょう

 キリトくんとかお兄様とかベルくんのような先人を見習えば、雰囲気は掴めるかと思います。




2.異世界の意義


 これも主人公の一人称文体を前提とした話なのですが、異世界モノをやる最大のメリットは、現代人の感覚や用語を使って、ファンタジー世界を説明できることです。

 このことは、作者にとっては書きやすさに、読者にとっては読みやすさに繋がります。


 例えば、ハイ・ファンタジー作品では「野を駆ける馬のような速度で」という表現になるところを、異世界モノ(ロー・ファンタジー作品)では主人公が現代人の感覚と知識を持っているという前提があるため、「高速道路を走る車のようなスピードで」という表現を使うことができます。


 前者は趣きあるファンタジー世界を描けるという点では優れた表現技法ですが、現代人は「野を駆ける馬」なんてものを目の前で見たり、乗馬で体験したことのある人はそう多くはないので、それがどのような速度を示すものなのか、実感的にイメージしづらいという欠点も持ちます。


 一方で、「高速道路を走る車のスピード」がどんなものであるかは、だいたいの読者が容易かつ実感的にイメージできるため、その情景イメージは、読者に伝わりやすいという強みを持っています。




 また、異世界モノの場合は、「主人公が知らないもの」と「読者が知らないもの」がかなりの精度で一致するため、主人公が疑問に思ったことを素直に書いてゆくことで、作中での説明事項が読者の興味に沿った流れで行なわれ冗長になりにくい、というメリットもあります。


 古典的なハイ・ファンタジーの書き方では、これを実現するために主人公を小さな村の出身にして、「村の外のことはほとんど何も知らない」という立ち位置にして同じことをやろうとしたりしますが、それよりも、読者と同じ現代日本に住んでいた主人公の方がより読者に感覚が近いため、読者に世界を見せる「視点」としては、極めて優秀です。


 あるいは、『スレイヤーズ!』を読んだことのある人にしか分からない話ですが、世界観解説に必要な脳みそウニのイケメン戦士の立ち位置まで、現代日本から来た主人公という存在は、内包してしまえるわけです。




3.読者にとって馴染みのあるものを書くという意義


 作品のオリジナリティは、大きければ大きいほどウケるというものでもないようです。

 多くの人にとって、「まったく知らないもの」を受け取るのは大きなストレスになるため、オリジナリティばかりの作品は、先を読み進めるのがしんどくなってしまうからです。


 読者にとって馴染みのある世界の中に、ほどよく読者が知らない要素オリジナリティが混ざっているぐらいの方が、多くの読者が心地よく物語を楽しめるようです。

 この比率は、読者にとって馴染みのあるもの7~8に対し、作者のオリジナリティ2~3というのが、読者から好まれる黄金比であるようです。


 これは『小説家になろう』という場に限らず、様々なエンタテイメントの場で言われていることのように思います(僕の知っている範囲では、漫画家の柴田亜美先生が、ちょっと違うけど、似たようなことを言っていたと記憶しています)


 同人誌でも、完全なオリジナルより二次創作作品の方が手に取られやすいのは、読者がそこに気楽さや安心感を覚えるからという側面もあるのでしょう。

 完全なオリジナル作品は、読むのにちょっと気合が必要なので、その分だけ手に取ってもらいにくいのです。


 『小説家になろう』では、とりあえずテンプレ的な作品を書いておけば、「読者にとって馴染みのあるもの7~8」は満たせるかと思います。

 あとは、作品のオリジナリティを適度な量で注入すればオーケー、というわけです。


 ただ、このオリジナリティが、1とか0.5しかないのも、またダメなのだと思います。

 評価される作品にするためには、「適度な」オリジナリティは、必要でしょう。




4.ストレス展開は避ける


 本気で小説家を目指しているワナビほど陥りがちな罠だと思うのですが、おそらくなろうテンプレを書く際には、主人公が大きなストレスを受けるような展開は、避けたほうが無難です。


 文庫本で十万文字を一気読みする通常のライトノベルの読書と、毎日3,000~4,000文字程度の短い文章を細切れで読むことになる『小説家になろう』での読者スタイルとでは、前提条件がまったく異なります。


 例えば、毎日苛酷な仕事を頑張っている社会人が、その日の仕事を終えて「あー、疲れたー! さあ、楽しいラノベでも読んでリフレッシュしよう」と思って新規更新分を開いたときに、そこにストレス満載の展開が描かれていたら、余計気分が重くなって鬱々してしまうでしょう。


 文庫本ならば、その気になればすぐに先を読めるので、読者は寝る時間を削ってでもすっきりするところ(おそらくは一冊の最後)まで読み進めることができるでしょうが、先が書かれていないなろう小説では、そういうわけにもいきません。

 読者はその日、鬱屈した気持ちを抱えたまま、床に就かなくてはならなくなります。


 なので、そこ──すなわち、毎日更新される3,000~4,000文字程度の新規テキストには、主人公に強いストレスを与えるような鬱展開よりも、獣耳の可愛い女の子と楽しくにゃんにゃんしたり、強い主人公が悪党をスカッとブッ飛ばすような楽しくてハッピーでワクワクするような文章が、常に書かれているべきなのです。


 なおこのような文章が、十万文字という文庫本枠全体でより深みのある物語を描いた文章よりも質的に劣っているという考えは、確実に作者の傲慢であり不遜です。

 少なくともなろうテンプレ作品を書く上では、その考えは、捨てるべきです。

 どちらにも相応の良さがあり、魅力があるのだと考え、あとは個々の読者の好みの問題であったり、『小説家になろう』というプラットフォームに合った適材適所であったりするのだと見做すべきです。


 ちなみに、僕がわりとヒットしたテンプレ作品で「次回から鬱展開ですよ~」と更新のあとがきで書いた日には、ブクマが100を超える単位でゴリゴリ削れました。

 ブクマ全体と比較して、軽く5%ぐらいは減った気がします。

 鬱展開を絶対的に忌避する読者層が、大多数ではないにせよ、そのぐらいの比率では存在するということです。


 なおこのような現象は、週刊少年漫画の作者も、如実に感じていることのようです。

 この辺りは『荒木飛呂彦の漫画術』などを読んでもらうのが一番いいと思いますが、とにかく、スタート地点以降、主人公が上がって上がって上がり続ける作品のほうが、少ない分量の物語を細切れで発表する媒体では、人気を得やすいのでしょう。




結論:なろうテンプレは伊達じゃない!


 さて逆に言えば、これらの要件をすべて満たせるなら、なろうテンプレの要素に頼らずとも、作品の質的にはなろうテンプレと同格の作品が作れることになります。


 つまり、異世界ものの主人公並みの優れた「視点」役を用意し、主人公一人称ハーレムのような幸福感を味わえ、読者に馴染みのある要素とオリジナリティとを適度な割合で内包し、短い一話ごとの文章で毎回多幸感を得られるような物語、です。


 しかしこの方向で考えていくと、なろうテンプレがいかに優秀であるかが、身に沁みて分かってしまいます。

 というのも、どこをどう考え直しても、「だったらテンプレでいいじゃん」になってしまうのです。


 現在出来上がっている形が、それらすべての要求を満たすパズルのピースの形として、かなりの最適解なのですね。

 テンプレ通りに何となく書くことで、読者にとって読みやすくて面白いと思える作品に必要な要素が、自然にクリアできるようになっている──なろうテンプレとは、そういったとんでもなく優秀な雛型なのだと感じます。


 もちろん、テンプレ的な作品(そういったもの)ばかりでは面白くないという意見には、同意です。

 ですがそれは、「評価ポイント」や「ランキング」という軸で見る以上は、その上位がマジョリティに支配されるのは、仕方のないことであるようにも思います。

 マイノリティが高評価を下すような作品が埋もれるのは、何も『小説家になろう』に限った話ではなく、現実の市場でもそうであるように思います。


 前回のエッセイと食い違ったことを言っているようですが、僕はその現実を土台にした上で、僕らの行動が試されるのだと思っています。


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