なんでいっつもそんなにつらそうなかおしているの?と
わたしはなにをいわれているかわかりませんでした。
まるで巨大な穴に渦を巻いて吸い込まれていくようだった。
高速で回転しているのか、耳が聞こえなくなるかと思うほどの轟音がする。
緑色の炎の渦で悪くなる気分、先ほど飲んだ珈琲が胃の中でチャプチャプ揺れる。
(あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"……こりゃ酷い……ウプッ……吐きそうだ)
目を細めて見ると、輪郭のぼやけた暖炉が次々と目の前を通り過ぎ、その向こう側の部屋もチラッチラッと見えた。
次第に回転の速度が落ちていく。
何か硬いものが肘にぶつかったり、冷たい手で頬を打たれるような感じが多くなっていく。
やがて唐突に回転が止まり、ボクの身体は暖炉から勢い良く放り出された。
ドサッ……ゴロゴロッと暖炉の床を転がったものの、咄嗟に受身を取ったお陰でダメージは殆どない。
「クソッたれが。急拵えとは言っていたけど、これは流石に雑過ぎるよ。まともに繋がってないじゃないか」
体に付いた炭や埃を払いながら何とか立ち上がったボクはじっくりと周囲を見渡す。
そこはおかしな小さな物音で満ち溢れる、広くて美しい円形の部屋だった。
紡錘形の華奢な足が付いたテーブルの上には奇妙な銀の道具が立ち並び、くるくる回りながらポッポと小さな煙を吐いている。
壁には歴代校長先生の写真がかかっていたが、額縁の中でみんなスヤスヤと眠っている。
「チッ……死人は呑気で良いね」
眠っている壁の校長先生達に毒づいたものの、それで何か変わるわけでもなし。残念無念。
幸いにも部屋の様子からして目的地にはちゃんと到着出来たようだ。
これでフランスだのアメリカだのの魔法学校に飛ばされていたら目も当てられない。
「ほほほ、派手な到着じゃから誰かと思えば……久しぶりじゃなメルム」
声の方に視線を向けると、そこには大きな鉤爪脚の机に座り、背もたれの高い椅子に腰掛けた老人がいた。
半月型の眼鏡をかけ、長い銀髪に長い白髭をたくわえる鼻の曲がった好々爺……アルバス・ダンブルドア校長である。
「お久しぶりです、校長先生。ご健勝で何より」
「休暇は楽しめたかね?」
「すこぶる休暇は楽しめましたよ。同じく登校日も楽しめたら良かったのですが」
挨拶もそこそこにして、ボクは机に歩み寄った。
早速、懐にあったキングズリーから受け取った書類をダンブルドア校長に差し出す。
無造作に突っ込んであったせいでクシャクシャになった書類を見た校長は、憂鬱そうにため息を吐いた。
「次に書類やレポートを提出する時は、もう少しマシな形で届けて貰えると嬉しいの。提出された先生が不憫じゃ」
「急いでいたんです。大目に見てくださいよ」
そのつもりじゃ、と呟いたダンブルドア校長は、書類を端から端まで丁寧に延ばすと、手早く判子を押して机の中に閉まった。
そして明るいブルーの瞳で、全てを見通すような眼差しをボクに向ける。
「災難じゃったの。ホグワーツ特急列車のプラットフォームが閉じたとか」
「えぇ。校長先生の遠回しな嫌がらせかと思いましたよ」
「それはいらぬ心配じゃよ。1人の生徒に構ってやれるほど、校長職というのも暇ではないからの」
それもそうか、とボクは申し訳程度の苦笑を浮かべる。
ひょっとしたら賢者の石の件での仕返しかとも思っていたが、よくよく考えてみれば、そんなちんけなお遊びをするジジイでもない。
(うーん。そうなると犯人は誰だという事になるけれど……ま、どうでもいっか)
校長の嫌がらせにせよ、はたまた第三者の妨害にせよ、ボクはこうしてここにいる。
それだけで充分だった。
────その時である。
奇妙なゲッゲッという音が聞こえ、ボクは思わず振り返った。
扉の裏側に金色の止まり木があり、羽が半分抜けた七面鳥のようなヨボヨボの鳥が止まっていた。
じっと見つめると、鳥はまたゲッゲッと声を上げながら哀れっぽい目でボクを見返してくる。
「おいおいマジか」
白鳥大の真紅の鳥。金色の長い尾と鉤爪。
今でこそ羽毛が抜けて哀れな七面鳥のような姿だが、間違いない。
紛れもなく
「各国を旅して回ったけど、不死鳥なんて初めて見たかも」
なんせ不死鳥を飼いならすことは非常に難しい。
スキャマンダーさんも、不死鳥を上手く飼いならした魔法使いは殆どいないって言っていた。
驚きで目を見開くボクを見て、ダンブルドア校長が満足そうに頷く。
「フォークスと言うんじゃ。うっとりするような生き物じゃよ、不死鳥というのは。驚くほどの重い荷を運び、涙には癒しの力がある。そして……」
「そして死ぬ時が来ると炎となって燃え上がる。燃え上がったあと、灰の中から雛として蘇る事ができる、ですか?」
ボクの言葉にダンブルドアはにっこりと微笑んだ。
「よく知っておるの。儂が魔法生物学の教諭なら君の寮に点数を入れておるところじゃ」
「それはどうも。それにしても元気がないですね。”燃焼日”が近いのでは?」
「恐らく年内じゃろう。早く済ませてしまうように、と何度も言い聞かせておるんじゃが。中々踏ん切りがつかんくての」
そう。この鳥は驚くべき事に自らを再生する能力があった。
不死鳥は、体が衰えると定期的に炎となって燃え上がり消える。そして再び燃え残った灰の中から雛となって蘇る。
これが起こる日を”燃焼日”と呼び、この性質こそが不死鳥と名付けられる所以だった。
「さて。君と一緒に列車に乗り遅れた2人も、あと数時間もすれば学校に着くじゃろう。困った事になったわい」
折れた鉤鼻をポリポリ掻きながら、ダンブルドアが今日の夕刊予言者新聞をくるくると広げた。
────”空飛ぶフォード・アングリア、いぶかるマグル”
なんと一面の大見出し記事だった。
それだけでも凄まじいのに、更にパンチが効いているのはその内容だ。
何とか笑いを堪えながらもボクは必死に記事を読み上げる。
「ロンドンで二人のマグルが……ぶふッ……郵便局のタワーの上を中古のアングリアが飛んでいるのを見たと断言……ぶははっ! ……今日昼頃、ノーフォークのヘティ・ベイリス夫人は洗濯物を干している時……おほほほッ! ……ピープルズのアンダースフリート氏は警察に通報した……あはははははははっっ!!! あーもう我慢できない! だ、だってバ、バカ過ぎるもんっ! げほげほっ! はははは! しっかり記事になってんのもう最高っ! あはははっっ!!」
笑いの堰が決壊しケラケラと笑い転げるボク。
その様子をじっと眺めていたダンブルドアは、長い指の先を合わせ憂鬱そうにため息を吐く。
「……良いのう、子供は呑気で。大人からすれば笑いごとじゃないわい。マクゴナガル先生など顔がロブスターみたいになってしまっておる」
しょうがない。
あんな面白記事をぶっこまれたら誰だって大笑いするに決まっている。
なんなら笑わない方が失礼だ。我慢しろという方がどうかしている。
「あははは……ん、んんっ……げふんげふんっ」
とはいえ流石に笑い過ぎではあった。
腹筋も痛くなってきたことだし、咳払いをしてボクは笑いを納める。
「まったく世知辛いの。少しは景気の良い話が聞きたいもんじゃ」
そう言って新聞を丸めたダンブルドア校長が、やおら立ち上がるとボクの傍を通り過ぎ、窓のカーテンの開けた。
窓の外はルビーのように真っ赤な空、まさに夕日が沈むところらしい。
「日が沈んで1時間もすれば組み分けの儀式じゃ。今の時間帯なら余裕をもって歓迎会の席に合流出来るじゃろう。折角の年に1度の祝いの席じゃ。お説教を受ける2人の分まで楽しんでおくれ」
「うーん、それも良いんですけど。あー、なんというかその……たった今、頼み事が一つ出来まして」
なんと切り出すべきか。
ボクは人差し指を顎にやって思案する。
ダンブルドアがにこやかに微笑んだ。
「ほう。何か欲しいものでもあるのかね?」
そんなに物欲しそうな顔をしていただろうか?
少し恥ずかしいな。
若干照れながらボクは金色の止まり木まで行き、床に散らばっている数枚の尾羽を手に取った。
「これください」
「……子供にタダでやるには少々お高い代物なんじゃがの」
たちまちダンブルドア校長は表情を渋いものへと変える。
それはそうだろう。”燃焼日”直前の尾羽根は不死鳥の落とす羽の中で最も魔力に満ちた逸品だ。
無料でくれてやるには惜しすぎる代物だろう。
とはいえボクも引き下がるつもりはさらさらない。
「どうせ使い道もないんでしょ? この立派な尾羽をゴミ箱行きにするくらいなら、価値の分かる人間が有効活用すると言っているんです」
「しかしのう……」
当然、羽の秘める魔力について知っているであろうダンブルドア校長も粘る。
飼い主である彼がここまで渋っているのは、単に値打ちのあるものだからではない。
この羽は強力な魔法の品である為に、闇の魔術に使われる事も多々ある。
恐らく、ダンブルドア校長はそのような事態を憂慮しているのだろう。
「ボクがこの尾羽で闇の品々を作るとでも? 想像力はもっと有意義な事に使った方が良いですよ」
「ならば誓ってくれるかのう? 悪い事には使わない、と」
「勿論。ご所望なら血の誓いでもしましょうか?」
血の誓い。痛い過去を擽るお遊び。
ダンブルドア校長は深く溜息を吐いて首を横に振った。
「……そこまでせんでよろしい」
「じゃ、これは貰っていきますよ」
嬉々とした表情で、ボクは尾羽根達を懐に大事にしまい込む。
レア物ゲットだ。今日の最悪な出来事が全部頭から吹き飛ぶくらいには嬉しい。
今にも飛び跳ねそうなボクの様子に、ダンブルドア校長は肩を竦めた。
「フォークスの羽を貰って喜ぶのも結構じゃが。校長としては学校に戻って来た事にも少しは喜びを感じて欲しいのう」
「もちろん嬉しいですよ! 沢山の本があるし、魔法に必要な基礎を固め直してくれる先生もいる。こうして珍しい貰い物が手に入るのもグッド。まさに
「それは何より」
ダンブルドア校長はにっこりと微笑んで腕を振る。
すると長机の後ろにある棚の上に置かれた古帽子が、ふわりと浮かんでその手に収まった。
「組み分け帽子ですか?」
「そうじゃよ。よく覚えておったの」
当たり前だ。
忘れるわけがない。忌々しいクソ帽子め。
今でこそスリザリン寮も悪くないなと思えているが、組み分け当時はイラついてしょうがなかった。
具体的に言うと、古帽子をズタズタに引き裂いてしまいたいぐらいにはカッカッしていた。
ダンブルドアが見透かすようにブルーの瞳を細める。
「今はどうか知らぬが。当時の君は、自身の組み分けに不満を持っていたそうじゃの? メルムや」
「……まぁそうですね」
本当に忌々しいクソ帽子だ。プライバシーなんてありゃしない。
イラッとしたボクは、懐から取り出したロリポップを口に咥えた。
舌で蕩ける甘さ。空きっ腹に糖分が沁み渡る。
「元々希望していた寮はどこだったのかね?」
「レイブンクローです。儚い夢でした。資質と実力自体は認められましたが、その力を他者に振るう思いやりがないと言われまして」
まったく馬鹿げた話だ。
施しの精神がなければ真面に寮も選べないらしい。
憤慨するボクの傍らで、なるほどのう、とダンブルドア校長が納得したように頷いた。
「確かに君は、友人と認めた相手には
「それが?」
「レイブンクローは孤高である事も重視しておる。個性の塊の群雄割拠と言い換えてもよい。衝突などザラじゃ。試験の際の壮絶な足の引っ張り合いはもはや伝統になっておる」
何が言いたいのだ、このジジイは。
不可解な話の流れにボクは眉を顰めた。
まぁまぁとダンブルドアは宥めるように話を続ける。
「組み分け帽子は、君の他者への容赦の無さを恐れたのじゃよ。自寮で友人も出来ず一人になった時、周囲の人間からの悪意に対して君がどんな反応をするのか。もちろん苛烈な反撃に出るのは目に見えておる。不毛じゃ、まったくもって不毛じゃ。それでは旅に出ていた君をこの国に呼び戻した意味が無い」
「……」
「幸いにもスリザリン寮は仲間意識が強い。足の引っ張り合いも個性の違いでの軋轢も全てを呑み込む。それがスリザリンの良い所じゃ。連帯意識とも言う」
「なるほどねぇ」
悔しい事にその通りだと言わざるを得ないだろう。
レイブンクローの陰湿さは、ちらほらとボクの耳にも入ってきてはいる。
下剤を試験前に盛ったり、ノートを破いたり、誤った試験の情報を故意に流したり。
そんなしょっぱい連中と気が合うワケもない。
スリザリン寮はボクの出自を知っても仲良くしようとしてくれる人達がいた。
先輩達も過去問を惜しみなく後輩に譲渡してくれる人ばかりだし、普段は敵対しているマルフォイですら、その過去問をセオドール伝いにボクにちゃんと回してきた。
────ドンドン気に入らない奴は希望とまったく別の寮にぶち込む事にしている。さぁスリザリンが良いかね? あるいはスリザリン? どうしてもというならスリザリンにするが
(あんな事言ってたけど、組み分け自体はちゃんと考えてくれていたのかな)
今は校長の指先でくるくると回る、歌って喋る古帽子。
少しだけ、ほんの少しだけ。
ちょびっとだけ、この古帽子のことを見直してやるかという気持ちになった。
◇◇◇◇◇◇
「あー良い貰いもんした!」
エスカレーターのように滑らかに下の方へ動く螺旋階段を降り、ガーゴイルの石像が門番をする校長室を後にする。
行き先は歓迎会の行われる大広間だ。
荷物の方は問題はない。
ボクの収集品や今年一年必要な学用品が全部入っている旅行鞄は、二フラー兼ペットであるゴールディの腹の中にしまってあるので気が向いた時に取り出せる。
去年の終わりに考えついた方法だ。もっと早く思いつけば良かった。
「おぉ……」
大広間に着くと、待ちきれない生徒達が既にちらほらと着席しているのが見える。
ちなみにスリザリンのテーブル席に、ボクのお目当ての友人達はいなかった。
代わりにいたのはボクの天敵である三馬鹿トリオだ。
(マルフォイは相も変わらずオールバックと。ダサいなぁ……アレが好きなパンジーの気が知れないよ)
そんな事を思われているとは露ほども知らずに、ドラコ・マルフォイは偉そうに腕を組んで鼻歌を歌っている。
その両隣でクラッブ&ゴイルが、涎を垂らしそうなバカ面で何も無いテーブルを見ていた。
まるでお預けを食らった犬である。
「関わらんどこっと」
彼らからなるべく離れた端の席にボクはコソッと座る。
幸いにもマルフォイ達がこちらに気づいた様子はない。
ただ若干失敗だったのは最前列の席になってしまった事か。
教授達の席は真ん前で、恐らく組み分けの儀から一番近い特等席。
目立つのはあんまり好きじゃない。
(今のところ周りは誰もいないし、知らない人が隣に座ったらどうしよう)
少し憂鬱な気分になったボクは、テーブルの上にあるティーカップに口をつける。
苦い。ここでも珈琲か。
「やれやれ。左右真ん前全部が新入生なのはご免被りたいんだけどね」
────ちなみにその心配は杞憂だった。
目の前のカップを空にする頃には、目敏くボクの姿を見つけた友人達が続々と集結して来たのである。
「久しぶりだなメルム。列車に乗り遅れたんだって? 面白いことやってるな」
「お久しぶりセオドール。笑いに来たのかい?」
「まぁな」
友人第一号、セオドール・ノットはニヤリと笑って左隣の席に腰掛ける。
彼の首には相変わらずの十字架のアクセサリー。
親の都合で信じてもいない神様に祈るのも大変だ。
そんな事をぼんやりと思っていると、不意に右隣から
言わずもがな、友人第二号のご登場だ。
「まったく列車ん中をどれだけ探したことか! お前さんがいないと学校生活の楽しみ半減さね! 次は一言あって欲しいもんだね!」
「ぐっ……まぁ良いじゃん、間に合ったんだからさ。終わりよければ全てよし。違うかい? ミリセント」
「そりゃーそうだが。でも心配なもんは心配さね」
ミリセント・ブルストロード。
久しぶりに再会した彼女は、また一回りデカくなっていた。
しかもクラッブやゴイルのように、ただ太った訳ではない。
横にも縦にも身体付きがゴツくなり、まるで冷蔵庫みたいな体格へと変貌を遂げていたのだ。
組み手には自信のあるボクだけど、彼女は心底相手にしたくない。
純粋にパワーが違う。
「そういやグリフィンドールの席に足りない人間がいると思わないか?」
休暇中にあったくだらない思い出をそれぞれ語り尽くし、広間も次々と到着した生徒達で大体埋まる頃、暇を持て余した様子のセオドールがそんな事を言った。
グリフィンドールの席を見ると、いっつも三人で連んでいるハーマイオニー・グレンジャーが対面の席にいるネビル・ロングボトムと何事かを深刻そうに話している。
彼女の両隣は空いており、ウィーズリーとポッターの姿はない。
(あーららまだ着いてないのか。もしかして予想外のビッグトラブルにでも見舞われた?)
教授席を見ると、ダンブルドア校長やマクゴナガル教授は席に座しているが、我らがスリザリン寮の寮監であるセブルス・スネイプ教授の姿も見えない。
遅刻という線は無いだろう。スネイプ先生は時間に厳粛だった。
恐らくだが、愚かにも車で飛んでくる二人を絶対に逮捕する為に校内を巡回しているのだろう。
それこそ目を皿のようにして。まったく精が出ることだ。
「学生の間じゃ噂になってるぜ。”英雄”ハリー・ポッターがお供のウィーズリーと一緒に空飛ぶ車に乗って登校してきたって」
「空飛ぶ車ぁ? あぁ……”夕刊預言者新聞”のアレはあいつらだったのかい。ったく派手な事が好きだねぇグリフィンドール生は」
「まったくもってその通り。奴らは静謐さのありがたみをよく知るべきだね……お、始まるぜ」
大広間の扉が開き、マクゴナガル教授に率いられた新入生が入ってくる。
大広間に入ってきた新一年生の反応は様々だ。
集まる視線に居心地悪そうにしていたり、天井に仕掛けられた夜空が見える魔法に気を取られたり、飛び交うゴーストに驚いたり。
うん、なるほど。去年は見られる側で気分が悪かったが、見る側にたつと分かる。
確かに見ている分には面白い。豪華な食事の余興としてこれ以上適切なものもないだろう。
しかし、そんなものにまるで興味を示さない者も勿論存在する。
ギュルルゥ……とお腹の鳴る音が響き渡る。
音の出処であるミリセントが力のない声でボヤいた。
「新入生歓迎会なんてどうでもいいさね。腹が減った。とっととご飯を食べたいんだが」
「やったね。クラッブとゴイルも同じこと思ってるよ」
「あのトロール2人と一緒にされるのは不本意だねぇ」
四本足の椅子の上に用意された組み分け帽子が寮への賛歌を歌い出す。
今年の歌は去年と少しだけ内容が違った。
斜め前にいたジェマ先輩が言うには、歌の内容は毎年少しずつ違うらしい。
もしかして忘れているのかな?
適当過ぎる組み分け帽子に、ボクが呆れていると組み分けの儀式が始まった。
「クリービー・コリン!」
「グリフィンドール!」
言い渡された寮の結果に、小柄な少年が嬉しそうな様子で帽子を脱ぐ。
幸いにも彼は己の寮決めに満足がいっているようだ。何よりである。
それはともかくとして、あの首にぶら下げたマグル製のカメラは何なのだろうか?
ボクと同じ事を思ったらしいセオドールが首を傾げる。
「なんでマグル製なんて使ってるんだ? 動かない写真なんて面白くないだろうに」
そういう問題だろうか? 彼はいっつも少しズレている。
まぁ確かに面白いか面白くないかで言ったら、面白くないだろう。
しかし動かない写真というアナログさも悪くはない。
画質の精度や色彩はマグル製の方が上だしね。
(にしてもマクゴナガル先生の顔が怖い怖い)
ポッター達の件があってか、マクゴナガル先生は機嫌最悪といった様子で矢継ぎ早に生徒達の名前を呼んでいく。
そりゃそうか。組み分けの儀式を終えても、マクゴナガル先生には自分の寮生へのお説教が残っている。
下手したらご飯お預けだ。不機嫌にもなるだろう。
「カロー・フローラ!」
「スリザリン!」
「カロー・ヘスティア!」
「スリザリン!」
スリザリン寮は、双子姉妹であろうクリソツのおチビさん達を取り敢えずゲット。
茶髪のロングにブルーグレーの瞳の少女達が、ボクらのテーブルへてちてちと歩いてくる。
なんと歩幅や歩き方まで同じだ。
「双子ってのは、何でこうもそっくりなんだろうね」
「カロー姉妹だ。今年の有望株。カロー家は聖28一族に連なる家で、昔からノット家やブルストロード家とも繋がりがある」
「そんなのはどうでもいいよ。競馬の馬じゃあるまいし。由緒正しい血統なんかに興味は無いね」
「だろうな。だからそんなお前に吉報だ。あいつら良い具合にぶっ飛んでるぜ、きっと気に入るさ」
ニヤニヤとセオドールが悪そうな顔をしている。
彼の言い様からして余程の問題児らしい。
テスト勉強をサボって追い詰められ、その挙句にカンニングをする彼よりかはマシだと信じたい。
「それにしてもペース早いなぁ」
今年の組み分けは、去年よりもスムーズに行われている印象だ。
大体の生徒が帽子を被って三十秒もしない内に寮の名が告げられている。
生徒を次々と捌いていく様は、まるでベルトコンベアのようで少し面白い。
(まぁ組み分けされる当人達は不安で仕方ないと思うけどね)
己とまったく価値観の違う子供達と同じ寮に入れられたらどうする?
ホグワーツの生徒が学校に在籍する年数は七年。その大半を学校で過ごすことになる。
寝食を共にする友人の一人も出来ない学校生活。控え目に言って悪夢だ。
「その点、ボクは君達みたいな友人が出来て本当に嬉しいよ」
「唐突になんだよ、気持ちわりぃな……」
ボクが肩を組もうとすると、セオドールがドン引きながらそっと席を離した。
照れ隠しだよね? ガチじゃないよね?
照れ屋さんな彼を席ごと定位置に戻すべく、無理矢理ボクは彼の椅子を引っ張る。
────そんな時だった。
マクゴナガル先生の一年生の名前を呼ぶ声が一際大きく響く。
「ラブグッド・ルーナ!」
「ん?」
何気無しに組み分けの方を見る────思考が一瞬停止した。
金のプラチナゴールドの髪、どこかぼんやりと遠くを見据えた瞳、色白の端正な顔。
ズキズキと頭が痛む。
周囲の話し声がどこか遠くに聞こえる。
────姉さま、もっと笑おうよ!
過去に失った声が脳裏に響く。やめろ。
あれは他人の空似だ。優しかったあの子なんかじゃあない。
必死にそう心に言い聞かせても、トラウマにも似た過去はぽっかりと口を開けてボクを呑み込もうとする。
「はッ、はッ、はッ……」
酷く寒い。ガラガラという幻聴が聞こえる。
ずしり、と人間の重みが背にかかる感触が蘇る。
脳内を引っ掻き回すように、フラッシュバックする思い出。
マズイ、呼吸が若干安定しなくなってきた。
激しくなる動悸、目眩でグラグラ揺れる視界。
これ、マズい、何とかしないとっ……でもどうやって?
「おい、メルム! しっかりしろ!!!」
突如、バチン! と背中を思いっきり引っ叩かれる。
いち早くボクの異常に気づいたセオドールによるものだ。
内臓に響く強烈な衝撃に、乱れた息が一瞬止まった。
そのままセオドールはボクを前かがみに座らせると、あやすように背を撫でる。
「よぉし良いぞ。ゆっくり息を吐け、んで止めろ。吸うことはあんま考えるな。深呼吸だ、深呼吸」
この体勢だと胸で息を吸うことがしづらい。
なるほど、自然と腹式呼吸をしやすくさせるのか。
息を吐く時に何度も咽せてしまうものの、彼に言われた通りに深呼吸を続ける。
「すぅー……はー……はっ……すぅー……はぁ」
数分もすると、大分呼吸が落ち着いてくる。
まだ若干の息苦しさが残ってはいるが、これで一安心だろうか。
険しい顔をしたままのセオドールが、ボクの懐からロリポップを取り出して口に突っ込んで来る。
「むが……ッ!?」
「今、ミリセントがマダム・ポンフリーを呼びに行ってる。お前は取り敢えず、あの人来るまで飴ちゃん舐めとけ。良いな?」
「むぐむぐ……はぁい」
口に広がる甘みに顔が緩む。
心做しか最悪だった気分も少し良くなってきた。
そして落ち着いて来たお陰で周囲を見る余裕も出てくる。
(くそ……やったわー)
斜め前にいたジェマ先輩が慌て過ぎてオロオロしていた。
周りのテーブルに座るスリザリン生達も何事か? とザワついている。
ムカつく事に、ゴイル&クラッブにマルフォイまでもが興味深げに席を立って、ボクの様子を伺っていた。
教授陣も一部の人間はボクの異常に気づいたらしく、フリットウィック先生やダンブルドア校長が心配そうにこっちを見詰めている。
「レイブンクロー!!」
バットタイミング。
場違い感半端ない組み分け帽子の声が、ザワつく大広間に空虚に響き渡った。
声の方を見ると、帽子を脱いだ金髪の女の子が不思議そうな顔をして、顔色の悪いボクを見下ろしている。
(あぁ……くそったれが。本当に似てやがるな)
ミリセントに担がれてやってきたマダム・ポンフリーへ視線を逸らす。直視に耐えない。
ボリボリバリリッ……
口の中でロリポップが噛み砕ける音がした。