「鎌倉殿の13人」の時代をたどる
保延4年(1138)
北条時政、誕生。
保延5年(1139)
保延6年(1140)
保延7年/永治元年(1141)
永治2年/康治元年(1142)
康治2年(1143)
康治3年/天養元年(1144)
天養2年/久安元年(1145)
久安2年(1146)
久安3年(1147)
源頼朝、誕生。
久安4年(1148)
久安5年(1149)
久安6年(1150)
久安7年/仁平元年(1151)
仁平2年(1152)
仁平3年(1153)
仁平4年/久寿元年(1154)
久寿2年(1155)
近衛天皇が崩御し、後白河天皇が即位。
久寿3年/保元元年(1156)
7月、保元の乱で後白河天皇方が勝利。
保元2年(1157)
北条政子、誕生。
保元3年(1158)
保元4年/平治元年(1159)
源頼朝、右兵衛権佐となる。
12月26日、平清盛、六条河原で源義朝軍を破る。
平治2年/永暦元年(1160)
1月、源義朝、謀殺される。
永暦2年/応保元年(1161)
応保2年(1162)
応保3年/長寛元年(1163)
北条義時、誕生。
長寛2年(1164)
9月、平清盛、嚴島神社に『平家納経』を奉納。
長寛3年/永万元年(1165)
永万2年/仁安元年(1166)
仁安2年(1167)
2月、平清盛、従一位太政大臣に昇る。
仁安3年(1168)
2月、平清盛、出家。
仁安4年/嘉応元年(1169)
6月、後白河上皇、出家して法皇になる。
嘉応2年(1170)
嘉応3年/承安元年(1171)
平清盛の娘・徳子(建礼門院)、高倉天皇に入内。
承安2年(1172)
9月ごろ、伊東祐親、上洛。
承安3年(1173)
承安4年(1174)
後白河法皇、嚴島御幸。
承安5年/安元元年(1175)
9月、源頼朝、北条へ。
この年、法然が専修念仏(浄土宗)を唱える。
安元2年(1176)
安元3年/治承元年(1177)
6月、鹿ヶ谷の陰謀発覚(鹿ヶ谷事件)。
治承2年(1178)
治承3年(1179)
治承4年(1180)
4月、以仁王が平家追討の令旨を発する。
6月、平清盛、福原へ遷都。
10月、源頼朝、鎌倉に入府。
11月、平清盛、京へ遷都。
平清盛の五男・重衡が東大寺と興福寺を焼き討ちする。
治承5年/養和元年(1181)
閏2月、平清盛、死去。
3月、墨俣川の戦いで源行家が敗走。
養和2年/寿永元年(1182)
寿永2年(1183)
5月、倶利伽羅峠の戦いで木曽義仲が平家軍を破る。
閏10月、木曽義仲、水島の戦いで平家軍に敗れる。
この年、北条泰時、誕生。
寿永3年/元暦元年(1184)
4月、源義高、斬られる。
12月、藤戸の戦いで源範頼が平家軍を破る。
元暦2年/文治元年(1185)
2月、屋島の戦いで源義経が平家軍を破る。
3月、壇ノ浦の戦いで平家滅亡。
6月、平宗盛、斬られる。
文治2年(1186)
文治3年(1187)
10月、藤原秀衡、死去。
文治4年(1188)
文治5年(1189)
文治6年/建久元年(1190)
12月、源頼朝、両職を辞任して、鎌倉下向。
建久2年(1191)
栄西が宋より帰国し、臨済宗を伝える。
建久3年(1192)
3月、後白河法皇、死去。
7月、源頼朝、征夷大将軍任官。
12月、鎌倉で永福寺落慶供養。
建久4年(1193)
8月、源範頼、流罪。
建久5年(1194)
建久6年(1195)
東大寺大仏殿の落慶法要が営まれる。
建久7年(1196)
11月、九条兼実、関白職を罷免される(建久7年の政変)。
建久8年(1197)
7月、大姫、死去。
建久9年(1198)
建久10年/正治元年(1199)
正治2年(1200)
10月、源頼家、左衛門督任官。
正治3年/建仁元年(1201)
建仁2年(1202)
7月、源頼家が従二位・征夷大将軍叙任。
建仁3年(1203)
6月、阿野全成、謀反のとがで誅殺される。
7月、源頼家、発病。
運慶、快慶らの慶派仏師が東大寺の金剛力士像を完成。
建仁4年/元久元年(1204)
元久2年(1205)
3月、『新古今和歌集』奏覧、竟宴。
元久3年/建永元年(1206)
明恵が高山寺を創建。
建永2年/承元元年(1207)
朝廷が専修念仏を禁じ、法然・親鸞らを配流。
承元2年(1208)
承元3年(1209)
承元4年(1210)
11月、土御門天皇が順徳天皇に譲位。
承元5年/建暦元年(1211)
建暦2年(1212)
この年、幕府、閑院内裏造営に協力。
鴨長明が随筆『方丈記』を著す。
建暦3年/建保元年(1213)
2月、泉親衡の乱。
5月、和田義盛が一族とともに挙兵、討ち死にする(和田合戦)。
建保2年(1214)
建保3年(1215)
建保4年(1216)
6月、源実朝、権中納言。
建保5年(1217)
4月、唐船の入水失敗。
6月、公暁、鎌倉下着。
建保6年(1218)
1月、源実朝、権大納言。
3月、源実朝、左近衛大将・左馬寮御監。
6月、源実朝、左大将拝賀の儀。
10月、源実朝、内大臣。
12月、源実朝、右大臣。
建保7年/承久元年(1219)
公暁、誅殺。
承久2年(1220)
この頃、慈円が『愚管抄』を著す。
承久3年(1221)
1月、後鳥羽上皇、城南寺で笠懸を開催。
2月、後鳥羽上皇、熊野詣。
6月、鎌倉方が後鳥羽上皇方との激戦を制して入京。
幕府は京に六波羅探題を設置する。
承久4年/貞応元年(1222)
貞応2年(1223)
貞応3年/元仁元年(1224)
6月、北条義時、死去。
伊賀氏の変。
元仁2年/嘉禄元年(1225)
7月、北条政子、死去。
12月、三寅、元服(実名、頼経)。
嘉禄2年(1226)
1月、九条頼経、征夷大将軍。
嘉禄3年/安貞元年(1227)
道元が宋から帰国。曹洞宗を伝える。
安貞2年(1228)
安貞3年/寛喜元年(1229)
寛喜2年(1230)
寛喜3年(1231)
寛喜4年/貞永元年(1232)
北条泰時が「御成敗式目」を制定する。
貞永2年/天福元年(1233)
天福2年/文暦元年(1234)
文暦2年/嘉禎元年(1235)
この頃、『小倉百人一首』成立か。