勉強すると別の人間になってしまう

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勉強嫌いについて考えてみる。ここで想定するのは、本当に頭が悪いわけでもないが、勉強したくない人のことである。そこそこの知力はあり、やろうと思えばできないことはないが、それでもやらない。その大きな理由として、勉強時間は異物であり、自分自身の時間ではないというのがある。自分自身ではないものに時間を奪い取られるわけである。あるいは、一念発起して猛勉強というのがあるが、これはおそらく、「新しい自分」の運命として引き受けたということだろう。経理の勉強に拒絶反応を持っていたひとが、新しい人間に生まれ変わろうと一念発起して、経理の勉強に没頭するような具合である。逆に言うと、「今の自分」を反芻するためには勉強してはいけない。勉強とはそういうものなのである。ペリーの黒船みたいなものである。日本人は西洋文明を受け入れて新しい自分に生まれ変わろうと決断して猛勉強したわけであるが、こういうときには拒絶反応もあるわけだ。西洋文明と剣術を両方やるわけにはいかず、西洋文明を身につけるためには刀を捨てる必要がある。大昔の話ではなく最近のことでいえば、Windows95の頃は、パソコンを拒絶する中高年の姿が浮かび上がった。パソコンで人間が生まれ変わるというと大げさだが、パソコンという黒船を拒否した中高年は多数派であり、現在の80歳くらいの高齢者はパソコンを使えないのが普通である。パソコンを使いこなせている80歳はなんか普通とは違うオーラがある。通俗的に言えば、頭が固いとか柔らかいということだが、おそらく人間観の問題である。パソコンの難易度はそんなに高くないわけで、毛嫌いせずにやってみればできるわけだが、生理的な拒絶反応というか、黒船に対する態度の違いである。パソコンを使える80歳と使えない80歳は別の人種みたいなもので、やはり勉強すると人間は変わってしまう。勉強嫌いな人は怠惰という一言では片付けられない。
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