中国国民党による堅壁清野作戦
日本の空襲と砲撃による被害は、主に軍事施設に限定されていました。
日本軍による総被害は、中国軍自身による破壊の10分の1未満でした。
朝日新聞1937.12.10
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返信先: さん
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南京の嘘bot
@Lie_of_Nanjing
【南京大虐殺】12月10日の朝日新聞「何となればその敵は確かに一時的には侵入者であるには違ひないが決してこの土地を植民地にして了はうとは考へてはゐないのだから、支那軍によって破壊されたところのものは即ち彼等祖先が額に汗して孜孜勉励刻苦、何代かに亙って蓄積したものなのである。」
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南京の嘘bot
@Lie_of_Nanjing
【南京大虐殺】「中隊長矢口大尉は、乃木大将の『昨日の敵は今日の友』という言葉を引用されて、『中国の投降俘虜に対しては、絶対に暴力をふるってはならない。民家に入ったら厳重に処罰する』と厳しく注意された」(12月14日に城内南部地区を掃蕩した独立軽装甲車第七中隊上等兵・渡辺末蔵)
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南京の嘘bot
@Lie_of_Nanjing
【南京大虐殺】安全区内に遁入した敗残兵は12月14日と16日の2回にわたって摘出し処断した。本格的に便衣兵の摘出をはじめた24日以降は憲兵が治安維持会の中国人立ち会いにて行い、約2千人を摘出したが、これらはすべて外交部に送られ捕虜の待遇とした。(佐々木到一少将回顧録からの要約)
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戦禍を免れた避難民
昭和12(1937)年12月15日撮影
難民(安全)区内を撮影
撮影者 佐藤振壽(さとうしんじゅ)
毎日新聞カメラマン
history.gr.jp/nanking/dec15-
外国人住宅の横、寒空のもと小屋がけで生活する難民と湯を沸かして売る店
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南京陥落4日後、南京城外の畑を耕す
昭和12(1937)年12月17日
南京城外にて撮影
河村特派員撮影(朝日カメラマン)
history.gr.jp/nanking/dec17-
南京城外の早春 戦火すでに去って南京の空に和平が来た。日章旗を腕に巻いて耕作する南京。
皇軍入城に安堵して城外の畑を耕す農民たち
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