3.再び増加し始めた兵員の損失

 ロシア軍兵員の損失は、侵攻当初の1か月間が最も大きかったのだが、5~6か月後から徐々に増加し、9か月後には当初の記録を上回った。

 傾向としては、戦車・装甲車、火砲の損失と似ているが、9か月後が特に目立って多い。8か月後から7000人増加して、約2倍に近い数字だ。

侵攻後、兵士の月毎の死者数

 その理由は、ウクライナ軍が反撃に出ていること、ロシア軍の撤退時の混乱があったこと、HIMARS等の兵器の効果があったからだ。

 だが、他の兵器ではなかった9か月後に最も多いということは、別の理由も考えられる。

 新たに招集された兵士が、訓練も十分に受けずに戦場に行かされていること、そして、東部で無謀な攻撃をさせられていることがうかがえる。

 へルソンからクリミア半島にかけて、ロシア軍は塹壕を掘り、兵士や戦車などを守る戦法を取っている。

 だが、東部では、無謀な攻撃を何度も何度も繰り返して、兵士たちが死傷しているのだ。