Johan G. Reinhardミイラ「アイスメイデン(氷の乙女)」を発見してから
ヨハン・ラインハルトのキャリアの中でも、彼が発見した500年前のインカの「アイスメイデン(氷の乙女)」というミイラは最高の収穫であったといえるだろう。しかし、彼はこれに満足することはなかった。もっと保存状態のよいミイラがあると信じ、アンデスの人々の文化的伝承に貢献しようと決心していたのである。
ロケーション ペルー
ロレックス賞を受賞したとき、彼は素晴らしい実績のあるフリーランスの人類学者、考古学者、ライターだったが、財政的支援はほぼ受けていなかった。きわめて標高の高い場所で調査をしたがっていた数少ない科学者の一人であった彼は、1995年、ロレックス賞のおかげで、ペルーのアンパト山でコロンブス以前の時代で最も保存状態のよいミイラ、「アイスメイデン(フアニータ)」を採取することができたのである。
アイスメイデン(氷の乙女)」は偶然見つかったのです。そこには独自のドラマがあり、素晴らしい冒険の始まりとなりました。見つけた瞬間、これが重要な発見であると分かったのです。
しかし、彼はそこで満足することはなかった。その後も標高5,200メートル超の場所へ200回以上も過酷な遠征を敢行し、50か所以上の儀式場を発見した。1996~1999年に行ったアンデスの調査では、さらに14体の生贄のミイラを見つけている。中でも最も重要なのは、1999年にアルゼンチンのユーヤイヤコ山頂付近、世界一海抜の高い遺跡発掘現場で発見した3体である。これら3体のミイラはかつてないほど保存状態がよく、ペルーの「アイスメイデン」を凌ぐものであった。その年のTime 誌で「最も重要な10の科学的発見」の一つにも選出されている。
現在、ナショナル ジオグラフィックの探検家であるラインハルトは、米国のマウンテン研究所の上級主任研究員も務めている。彼の発見を展示するための博物館が、アルゼンチン、ボリビア、ペルーに設立された。
6,739メートル
1999年にラインハルトが3体の凍結したミイラを発見した、ユーヤイヤコ山頂の標高
70本
ラインハルトによる刊行論文の数。6冊の著書も含む
13~15歳
「アイスメイデン」のミイラが頭部への打撃により亡くなった時の年齢
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