「正しい情報は邪魔」なのだとしたら…
福島県では、震災と原発事故の風評・風化に対して、継続的に対策を行っています(https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/01010d/senryaku-sakutei.html)。前述したように、「福島の今」に対する誤ったイメージが、こうした風評や偏見と密接に関わっている以上、国や県が正しい情報を発信し続けることは非常に重要であると言えます。
その一方で、原発事故後の一部メディアによる報道を何年にもわたって追いかけていると、一つの疑念が湧いてくることも否定できません。
それは、そうしたメディア、あるいはその顧客にとっては「福島の正しい情報は、むしろ求められていないのではないか」という疑念です。正しい情報が「伝わっていない」のではなく、実は「正しい情報が邪魔」なのではないか──。
たとえば、福島での放射線被曝リスクについて「科学的な見地から一定の信頼がおける結論」ともいえるUNSCEAR(国連科学委員会)2013年報告書は、5年前の2014年時点ですでに公開されており、その後もこれを補強する見解が継続的に示されています。
しかし、日本のメディアがこうした知見を、原発事故後に「危険」「不安」を報じたのと同等の熱量をもって報道したと言えるでしょうか。報じなかったどころか、そうした知見の集積に真っ向から対立するような報道が、その後も繰り返されているように思えます。今もなお、UNSCEAR報告書の存在すら知らない国民は、どれだけいることでしょうか。
メディアに対するこうした疑念は、今も拭い去ることはできません。
その一例として、つい最近の実例を複数挙げることすらできます。昨年の12月16日には、長崎新聞で「放射線の影響で福島では経験できない海水浴」と書かれた記事が掲載されました。
福島ではもう何年も前から海水浴場の安全性が確認されており、大勢の人が普通に海水浴を楽しんでいます。これは県外に住む一般の人でも、少しネットで調べる程度ですぐに判る事実です。それを新聞社が見過ごしたのは、いったいなぜだったのでしょうか。
記事には多くの批判や問い合わせが寄せられたようで、その後長崎新聞は記事を突然削除しましたが、その際にも何のコメントもありませんでした。SNS上には「抗議のメールに全く返事がなかった」との声もあります(https://twitter.com/junmurot/status/1074984987764568064)。
今年1月には、東京新聞が「(福島の)11歳少女、100ミリシーベルト被曝」というセンセーショナルな見出しの記事を「特ダネ」として一面トップで報道しましたが、これも不確かな数字と不安とを独り歩きさせるような報道でした(詳しくは2月19日掲載記事「『福島の11歳少女、100ミリシーベルト被曝』報道は正しかったか」を参照ください)。
そして2月になると、冒頭でとりあげたように全国の少なくないテレビ局が「風評払拭CMの放送見送り」を判断しました。
詳しくは本記事の最終ページに掲載する文面をご覧いただきたいと思いますが、今回、CMの放送見送り判断をしたと報じられた富山県の民放局3社には、その理由についての質問状を2月(筆者から)、3月(筆者から、その後現代ビジネス編集部から)の3回にわたって送付し、最終的に2社からご回答をいただきました。しかし率直に言って、納得のいくご説明をいただいたとは思えません。(※3月11日追記:その後、3月11日に3社目からのご回答もいただきました)
等身大の「福島の今」を伝える情報を流すことを、少なからぬメディアがなぜ拒否するのか。その背景にあるものは何か。福島への偏見や差別がここまで長く「温存」されてきた原因は、必ずしも「素朴な不安と無知」だけでは説明できないのではないか──。
震災から8年目を迎える今、原発事故後に引き起こされてきた「もうひとつの災害」ともいえるこうした問題とその正体について、そろそろ社会は真剣に向き合うべき時期が来ているのではないでしょうか。
(※3月11日追記:その後、3月11日に富山テレビ放送様からも郵送でご回答をいただいたことを確認し、その内容も追加掲載しました)
(※3月12日追記:北日本放送さまから、下記のようなお問い合わせをいただきましたので、記事公開当初、ご回答の一部を抜粋する形でのご紹介となったことをお詫び申し上げるとともに、いただいたご回答の全文を掲載する形に更新いたしました。
〈記事の中で「…北日本放送様及びチューリップテレビ様より回答が
しかし、弊社の回答として書かれている文章は、原文の一部を抜粋
質問に対してお答えできる範囲で丁寧に回答したと思っているだけ