【完結】ファイアーエムブレム 烈火の剣~軍師と剣士~   作:からんBit

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間章~巡り巡って(前編)~

ニルスが動かせないため、この砦で一泊することになったハング達。

ウーゼル様が帰り、砦の厳戒態勢は解除されている。穏やかな静けさを取り戻した古城の片隅で木剣がぶつかる音が鳴り響いていた。

 

日課であるハングとリンの稽古だった。

 

お互いの手の内をほとんど知り尽くした二人の剣はかち合うことが増え、隙を突くのが日々難しくなっている。二人は既に息を切らせ、心臓を高鳴らせつつあった。

 

不意にハングがリンの剣を外側に弾いた。ハングはここぞとばかりにリンに懐に潜り込み、竜の爪を持つ左腕をリンの喉元に突きつける。

 

お互いの動きが止まる。

 

「はぁ・・・はぁ・・・」

「・・・勝った・・・のか?」

 

ハングの声に疑問符がつくのも仕方が無い。

 

こんな綺麗な形でリンから一本取ったのは初めてだった。

 

今まで何回敗北したかなど、とうの昔に数えるのを止めている。

ようやく掴んだまともな一勝。これは大いなる一歩であると誰もが思っただろう。

 

「・・・・・・・」

 

なのに勝った当人はどうにも浮かない顔だった。

ハングはゆっくりと左手をリンから離した。

 

「す、すごいじゃない。ハング、今日は私の完敗よ」

「・・・・・・」

「ハング、どうする?今日はもうやめとく?」

「・・・・・・」

 

ハングは何も答えない。

 

「ハング・・・その・・・」

「今晩の勉強会はやめとくか」

「え?」

 

ハングは剣を腰に戻しながらそう言った。

 

「ど、どうして?どこか痛めたり」

「いや、俺は平気なんだけどな・・・」

 

焦ったように言葉を繋ぐリンを遮って、ハングはそう言った。

 

「じゃあ、どうして!?何か他に約束があるの!?」

 

そう言ったリンの声音は妙に鋭さを帯びていた。一晩休むぐらいで随分ときつい物言いだった。

ハングは少し困ったような顔をして、自分のうなじのあたりに手を置いた。

 

「あぁ・・・まぁ、約束は・・・あるんだけどさ」

「え・・・」

 

リンがか細く声を漏らす。それはまるで親に見放された子供のようであった。

 

「まぁ、どっちにしろ。何やってもお前の頭に入らなさそうだしな」

「そんなことない!!」

「こんだけ毎日剣を合わせてるんだぞ。さすがにお前の体調ぐらいわかる」

「わ、私は平気よ!」

「・・・・あのな・・・一度鏡見て来い」

 

リンが言葉に詰まる。自分の状態がいつも通りでないことなど、彼女自身が一番知っていた。

 

「だから、今日は止めとこう。俺もちょっと約束があってさ。休むならちょうどいいだろ。お前も一晩ゆっくりしとけ、次はいつ屋根のあるとこで寝られるかわかんねぇしな」

「・・・・あっ、ハング・・・」

 

ハングはそのまま背を向けて歩き出してしまった。

無意識に伸ばしていた手が宙を彷徨う。

 

ハングが角を曲がり、姿が見えなくなった。

 

「・・・・ん・・・」

 

残されたリンはその手を胸の前にもってきた。心臓が真綿で締められているような鈍い苦しさで満たされていた。

 

「どうしちゃったのかしら・・・私・・・」

 

稽古に全く身が入っていなかったのはリン自身がよくわかっていた。さっき取られた一本はあまりにも不用意すぎた。ハングを相手にあんな隙を与えるなんてどうかしている。

それに、相手がハングでなくとも、相手が短刀を隠し持ってるだけでさっきのリンは殺されていた。

 

「・・・・う・・」

 

リンは自分の胸の真ん中を掴む。

 

苦しい、とても苦しい・・・

 

そんな時に星明かりの中からハングの声が聞こえてきた。

 

「おう、何だ?やけに疲れてんな」

 

微かに笑いながら、優しく、気遣う声音が耳をくすぐった。

 

周囲を見渡すが、ハングはいない。

彼の言葉はリンに向けられたものではなかった。

それだけで、リンの胸は苦しさを増してしまう。

 

本当に自分がどうなってしまったのかわからない。

 

そして、声をかけられた相手が返事をした。

 

「半分以上はハングのせいだぞ」

 

ヒースの声。

 

その瞬間、リンの胸に何かが刺さったような痛みが走り抜けた。

 

「・・・・っ!」

 

痛みは現れた時と同じぐらい急激に消えてしまう。だが、リンはその場に蹲ってしまった。

痛みは大したことでは無い。ただ、それ以上に苦しいのだ。

 

どこがどう苦しいかなど全くわからない。でも、泣きたいほどに辛かった。

 

ハングとヒースの会話が研ぎ澄まされた鏃のようにリンの胸の奥まで貫通していく。

 

「なんだよ。それじゃ、再会を祝うことはできなさそうか?」

「何言っている。竜騎士は祝いの席は断らない・・・よく生きててくれたなハング」

「お前もな、ヒース」

 

二人の会話をなぜか聞きたく無い。それなのに、いくら耳を塞いでも二人の声は鼓膜ではなく、胸に響く。ハングとヒースの穏やかな話声が果てしない痛みを伴った。

 

「・・・うっ・・・うっ・・・」

 

喉から嗚咽が漏れる。

 

気が付けば涙がこぼれていた。なんで自分が泣いてしまっているのか訳がわからない。それなのに、瞳から雫が次から次へと溢れでてくる。

 

遠ざかって行く二人の足音が混乱し続ける頭にガンガンと鳴り響いていた。

 

「・・・・ハング・・・」

 

弱々しく、彼の名前を読んでみる。

 

返事は無かった。

 

「・・・・リンディス様?」

 

そんな時に見張りを終えたフロリーナがそこを通りがかった。

 

「リンディス様!リン!どうしたの!?リン!!」

 

慌てて駆け寄る彼女。あまりに慌てていた為に話し方が素に戻っていた。

 

「リン!大丈夫!!?」

「フロ・・・リーナ・・・」

 

正面に回り、肩を掴む親友がリンの涙で霞む視界に映り込む。

 

「リン・・・どうしたの?」

「私・・・私・・・・・・」

 

こんなに弱ってるリンをフロリーナは初めて見た。

目元は泣き腫らし、手足は弱々しく投げ出され、顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。

草原で悲劇を経験した時でさえ、彼女がこんなにも崩れ落ちてしまったことはない。

 

そんな二人の騒ぎを聞きつけたのかセーラとフィオーラも顔をのぞかせた。

 

「ん?フロリーナとリンじゃない?どうしたの、そんなとこで・・・って、リン!どうしたの!?」

 

セーラとフィオーラも慌ててリンに駆け寄る。

リンは地面に膝をついたまま、子供のように二人にすがりついた。

 

「セーラ・・・姉さん・・・」

「え、ええと!と、とにかく中!部屋の中に行きましょ!!ああ、でも・・・私じゃ・・・フィオーラ!リンを支えてあげて!」

「そうですね!リン、立てますか!?」

 

そして、リンは三人に支えられるようにして古城へと戻っていったのだった。

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

リンがそんな状態にあることなどまるで知らず、ヒースとハングはぶどう酒の瓶を一本拝借し、古城の城壁の上へとやってきていた。

 

「ハイペリオンも久しぶりだな・・・」

 

ハングは隣に降り立ったヒースのドラゴンの頭を撫でる。そんなハングにハイペリオンは甘えるような唸り声をあげた。

 

「相変わらず、ドラゴンに好かれる奴だな」

「他の動物にはなかなかもてないけどな」

「そんなこともないだろ。お前のことで随分と質問責めにされた。人間には好かれてるんだろ?」

「さてな・・・」

 

ハングは二つの盃にぶどう酒を注いだ。

 

「そんじゃ・・・お互い生きてたことを祝して、乾杯」

「乾杯」

 

静かに盃を合わせて一口目をすする。僅かに酸味のある苦味が口の中に広がる。

 

「ハング・・・お前は死んだと思っていたよ」

 

盃を揺らしながらヒースがぼそりとそう言った。

 

「実際、死にかけた」

 

ハングはもう一口ぶどう酒を口につける。

 

「リガードと人の縁が俺の命を結びつけてくれた。死亡扱いだったから逃亡兵の肩書きも無くなったしな」

 

村を失い、放浪した末に若かりし隊長に拾われ、戦闘の技術と知識を叩き込まれた。

ネルガルに何もかも奪われたハングはそこで大事な友と生きる術を得たのだ。

 

だが、そんな居場所も長くは続かず、ハング達の部隊は全員もれなく反逆の罪を被せられた。

なんとか生き残ったハングだったが、もう一度ドラゴンナイトに戻るつもりは無かった。

 

相棒であったリガードを失ったことも大きかったが、もう一つ理由があった。

 

「あの時・・・俺達はもっといい方法がとれた可能性だってあったはずだ」

「それで、軍師か・・・」

「笑うか?武芸一本のはずの竜騎士が軍師なんてな」

「そんなことは無いさ」

 

ヒースもまた盃に口をつける。

 

「昔からその手の軍略書や歴史書を読みふけっていたからな。既に俺達での中ではお前が参謀だった」

「なんだよそれ・・・初めて聞いたぞ」

「そういえば、あの城から本を借りてたんじゃなかったか?」

「死にかけたおかげで返し損ねた。あの城での長年の信頼が台無しだ」

 

ベルンに死んだと思われているならその方が都合が良かったので、本を送り返す訳にもいかない。

その本はそのままハングの持ち物になった。そして、今それはエリウッドの手の中だ。

 

「それに、ハングが武芸だけで生きていたらそっちが驚きだったよ」

「へっ!」

 

昔からハングの腕前は微妙だ。

ただ、左腕の怪力による遠投は竜騎士としては貴重な才能だったので隊長にはそれなりに重宝してもらっていた。

 

ハングは自分の盃にぶどう酒を新たに注ぐ。

 

「・・・隊長や・・・他の仲間は・・・死んだのか?」

 

ヒースの体がピクリと反応した。それだけでハングは全てを察する。

 

「・・・・・・そうか」

 

何年離れていても、変わらない親友に苦笑するハング。

だが、その目元には言い知れない程の悔しさが溢れていた。

 

「・・・そうか・・・そうだよな・・・」

 

ヒースに会った時、もしかしてと思った。だが、やはり現実はそこまで優しくない。

 

ハングを受け入れてくれたあの場所はもう戻ってこない。

 

「・・・・すまない」

「ヒースが謝ることは無いさ・・・俺が最初に脱落してたんだ。謝るなら俺の方だ」

 

ベルンからリキアへの逃亡劇。あの時、最初に舞台の袖へと消えていったのはハングだ。

 

「一番弱かった俺が生き残った・・・皮肉なもんだな」

 

ハングは盃を高く掲げた。

 

「アイザックに!」

「アイザックに・・・」

 

ハングの言葉にヒースが復唱し、盃を傾けた。

 

「ラキアスに」

「ベルミナードに」

 

一口ずつ、かつての同胞達に捧げていくハングとヒース。

そして、最後の一杯を前に二人は盃を並々と満たした。

 

「そして、俺らを鍛えてくれた・・・隊長に・・・」

「・・・隊長に」

 

二人は盃を打ち鳴らし、中のぶどう酒を一気に飲み干した。

 

ドラゴンに盃は捧げないのが彼らの流儀だ。彼らは常に竜騎士の傍にいる。

 

「・・・・ぷはぁ、さすがにキツイ」

「同感だ」

 

お互いこういう酒は初めてだ。

 

「ハング」

「ん?」

「ここは・・・どうだ?」

 

五年以上の付き合いになる二人。言葉は多くはいらなかった。

 

「・・・・悪くない・・・かな・・・」

 

そう言ったハングの顔にはとても優しい笑みが浮かんでいた。それを見てヒースも安心する。

 

「そうか・・・」

 

そんな笑顔もできるようになったんだな・・・

 

ヒースは出かかった言葉を飲み込む。なんとなく、それを口にするのはよくない気がしていた。

 

「それで・・・ハングはどんな旅をしてきたんだ?」

「俺か?いろいろやったぞ、海賊に加わったり、領主の山賊退治を手伝ったり、治水工事をしたり・・・それに・・・相続争いに巻き込まれたこともあったな」

 

どうやらハングの旅路は荒れ狂う道のりだったらしい。

傭兵として各地を渡り歩くだけだったヒースとはえらい違いだ。

 

それでも、今日まで生き残ってるのだから大したものである。

 

「そこで出会ったお姫さんってのが、まぁ~じゃじゃ馬でな!面白くて仕方ない。しかも妙に縁があるらしくて、今もまだ一緒に旅してんだ」

 

ヒースは杯に口をつけながら、ハングの口数の多さに微笑を浮かべていた。

 

『あの』ハングがよく喋る。

 

「ハングは・・・変わったな」

「・・・そうか?」

 

ハングは昔話を中断し、興奮していた気分を落ち着かせた。

 

「昔とそんなに違うか?」

「あの頃のハングは繋いで無いとすぐにどこかに飛んで行き、家畜を喰い荒らすような程の鋭さがあった」

「俺は狂ったドラゴンかよ」

「似たようなものさ」

 

ヒースは瓶の中の酒をハングの盃についだ。

 

「でも、今はそうじゃない。どこか・・・丸くなった・・・かな」

 

ハングは後頭部のあたりをかく。

 

「鋭さを失ってるってのは、まずいな・・・隊長にどやされる」

「それは俺も一緒さ。でも、今のハングは悪くない」

「そう言ってくれると嬉しいね」

 

ハングは一気に盃の酒を飲み干した。

そして、空になった盃の底をみつめながらハングは言った。

 

「ここは・・・居心地が良すぎる。誰かに・・・甘えてしまえるぐらいにな」

 

そして、ハングは自嘲するように笑った。

そんなハングを見て、ヒースは安心したように微笑んだ。

 

ようやく・・・そんな相手と巡り合えたんだな・・・

 

ハングの過去を知るヒースはそのことが自分のことのように嬉しかった。

 

「ハング殿、ここにいましたか」

 

そこに、ケントが通りかかった。

 

「ケント・・・どうした?」

 

ハングは眉をひそめた。ケントの眉間の皺がいつもの数倍の深さだ。

それはセインが余程羽目を外した時にしかお目にかかれない程のもの。

なぜかその視線はハングに真っすぐ向けられていた。

 

「ハング殿、これからの非礼をお許しください?」

「は?」

 

次の瞬間、ハングは吹き飛ばされた。殴られたことに気づいたには床に這いつくばり、頬に強い痛みを感じた時だった。

 

「は!?はぁ!?え?」

 

状況が掴めず痛みを覚える前に混乱してしまう。

 

「・・・・・・」

 

尻餅をついたハングをケントは無言で引っ張り起こした。

 

「今のはラス殿のぶんです」

「別の分があんのか!?」

 

ハングが覚悟を決める前に更にもう一発の拳が腹にめり込んだ。

 

「ぐふっ!!」

 

ハングの身体がくの字に折れ曲がり、悶絶しながら膝をつく。

 

ヒースはそれを止めることはしなかった。

 

ハングは軍師といえど元竜騎士だ。あの程度の拳なら左腕で防御ができるはずだ。

それをあえて受け止めているというのならそれに口出すのは筋違いだ。

 

「・・・・うぅ・・俺が、何したんだ?」

「自覚が無いのも問題ですね。立てますか?」

「ああ・・・ごほっ!」

 

ケントに再び引き起こされる。これ以上の愛の拳はなかったようで、今度は殴られるということは無かった。

 

「そんで・・・理由は・・・聞かせてくれんのか?」

「私からは言いかねます」

 

ケントの言い方からハングは自分がケントやラスに対して何かしでかしたわけではないことを悟った。

ケントとラスは『ハング』が『誰か』に酷いことをして、そのことに対して怒っているというわけだ。

 

ハングはそこまで思い立ち、勢いよく顔を上げた。

 

「リンに何かあったのか!?」

 

二人がここまでして怒るとなると、それしか無い。

 

ハングの目に真剣な光が宿った。

 

「ケント、どうなんだ?答えろ」

 

低く、他人を威圧するような声音。

 

一瞬で攻守が入れ替わる。

 

ケントは観念したようにため息を吐いた。

 

僅かなケントの一言でここまで状況を読んだハングの洞察力は流石としか言いようが無い。

 

「それが、どうしてこんな状況になるまで放置したんですか・・・」

 

能力が無いのならケントだってここまで怒ったりしない。ハングはこういった洞察力に十二分に優れている。だからこそ、どうして上手くいかないのかと周囲が苛立つのだ。

 

「ケント、リンに俺が何かしちまったのか?」

 

答えないケントにハングは焦ったようにそう言った。

ケントは背筋を伸ばし、伝令役のように感情を込めずに喋った。

 

「ハング殿との稽古の後、体調不良でしゃがみ込まれているところを発見されました」

 

ハングはその瞬間に駆け出していた。

 

取り残されたケントはその場でため息を吐きだした。

ハングの背中はあっという間に消え去り、ケントは残っている人物に声をかけた。

 

「貴公がヒース殿か?」

「ああ、訳あってこの軍に加わることになった」

「ハング殿の戦友だとお伺いしましたが」

「その話はまたにしてくれないか?ここに来てからその質問ばかりなんだ」

「これは失礼した。私はキアラン侯爵家に仕える騎士ケントだ、よろしく頼む」

「こちらこそ」

 

固い握手が城壁で交わされる一方、ハングは少し厄介な状況になっていた。

 

思わず女性の寝室に飛び込んでしまったハングだが、出入り口で瞬く間に複数の刃物を突きつけられて固まっていた。

 

「ま、待て。俺だ、ハングだ」

 

セインでは無い、という意味だった。

 

胸元に槍を二本、喉元に剣が一本、更に眉間目掛けて矢がつがえられているこの状況。

誰かの手が少し滑るだけで、笑えないことになる。

 

「ハング殿、何か勘違いをしていらっしゃいますね」

 

固い声音の持ち主はフィオーラだ。

 

「我々はハング殿『だからこそ』こうして武器を構えてるのですよ」

 

フィオーラの目が本気だった。ハングの背筋に冷や汗がこぼれ落ちた。

 

「わ、わかった・・・今日は俺が引く・・・」

 

ハングは彼女達を刺激しないようにすり足で後退する。

ハングの動きに合わせて複数の武器の切っ先が移動した。

 

ハングは歯噛みする思いだ。

 

先程の稽古の時も決して調子がよくなかったリンだ。

顔色だって赤味を帯びていたし、身体に疲れが溜まっていたのかもしれない。

 

やはり、あの時無理にでも寝床に運ぶべきだった。

 

いろいろなことがハングの頭を駆け抜ける。

 

せめてリンの状態だけでも聞かせて欲しかったのだが、未だ目の前の彼女達の逆鱗がわからない。

余計なことを言えば本当に手足のの一二本は持っていかれそうだった。

それだけの濃厚な殺気を浴びながらハングはそのまま女性の寝室から追い出されたのだった。

 

「・・・・はぁ」

 

目の前で勢いよく閉じられる扉。

それが拒絶の言葉のように聞こえ、ハングはため息をついた。

 

「・・・何をしている?」

 

ハングが目を向けると、昔と変わらず無表情のままのラスがいた。

 

「ラス。そう言えば、ケントからお前の分だと殴られたぞ」

「・・・そうか」

 

ラスの顔は随分と満足そうだ。

本当に彼がハングを殴りたかったのだということがよくわかる。

 

「それで、お前は追い出されたのか?」

「よくわかったな」

 

多分、わからない人間はいないだろう。

 

「・・・ハング・・・お前はリン状態を知らないのか?」

「ラスは知ってんのか!?」

 

ハングが噛み付くような勢いでラスに詰め寄った。

ラスはそれを本当に無表情で眺めた。

 

「・・・心配か?」

「当たり前だ!!」

 

ハングの怒鳴り声が廊下に響き渡った。

 

「・・・ここで騒ぐな」

「あ・・・すまん・・・」

 

ここはまだ女性部屋の隣。ハングは口を噤んだ。

普段は自信満々のハングのそんな態度にラスはほんの微かに笑ってしまう。

 

「・・・・おい、なに笑ってんだ」

 

そんな小さな変化もハングは見逃さない。

 

「・・・・なんでもない、とにかく場所を移すぞ」

 

ハングはラスに連れられて、仏頂面のまま移動したのだった。


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