うおっ乳デカいね♡ 違法建築だろ   作:珍鎮

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突然のキスは避けて然るべきと孔子の教えにも記載あり

 

 

『どぼめじろう先生! サインくださいっ!』

 

 街頭の一角、噴水が目立つ広場のベンチで一休みしているメジロドーベルの前に、サイン色紙を持った少年が現れた。

 その“どぼめじろう”というワードに反応した通行人も駆け寄り、周囲は一瞬にしてお祭り騒ぎに。

 困ったような、照れたような苦笑いでサインや写真撮影に応じる彼女をそのまま遠目に眺めていると、俺の太ももを誰かが軽く叩き、ハッとした。

 アレを眺めている場合ではなかったのだ。

 

「んなぁ」

 

 メジロドーベルの()に目を奪われていた俺を正気に戻し、ぽてぽてと先導するように前を歩いてくれている少女を追い、街を進んでいく。

 少女の外見は俺の従妹こと秋川やよいが帽子を外した時の姿にそっくりで、その頭部には彼女にはない猫耳のような部位がありピクピクと時折反応している。

 

「にゃ」

「あ、はい。すいません」

 

 すぐ近くで街の風景が歪曲し、結婚式場が見えたかと思えばその付近でブーケトスを披露するドレス姿のサイレンススズカが見えたのでつい足を止めたところ、先導している少女にまた太ももを優しく叩かれてしまった。よそ見してる場合ではない、という事なのだろう。

 新郎が誰なのかは判断できなかったが好奇心を抑えて前を向き、摩訶不思議な光景が展開され続ける奇妙な世界を進んでいった。

 

 

 ──なぜこんな不思議な場所を、やよいに似た少女に導かれながら冒険しているのか。

 事の発端は今日の夕方頃にまで遡る。

 

 

 ……

 

 ……

 

 

 ライスシャワーを会場に送り届けた時、偶然にもランニングに出かける直前のたくさんのウマ娘たちと出くわして『ライスシャワーさんが彼氏と一緒に来た』といった思春期特有の色ボケ早とちり勘違いで軽く騒ぎになってしまったのだが、その時に見えたマンハッタンカフェの様子が少々気掛かりだった。

 

 ウマ娘たちに囲まれて質問攻めにあう俺を遠目から心配そうに見つめるサイレンスとドーベル──ここまでは予想通りだったが、後になって宿から出てきたマンハッタンは、明らかに何か騒ぎになっているこちらを見向きもせず、ボーっとした状態でそのままランニングへと向かっていったのだ。

 それが気になった俺は宿泊する部屋に荷物を置いてからすぐ、風呂に入った後の浴衣姿でベンチに座って固まっているマンハッタンのもとへ向かい、缶コーヒーを二つ手に持って彼女の隣へ座った。ほぉっ♡ 緊張。

 

「こんばんは、マンハッタンさん」

「──葉月さん。……どうして、ここに?」

「イベントの手伝いというか……まぁ、臨時のアルバイトみたいな感じ。よかったら、これ」

「……ありがとうございます」

 

 温かいコーヒーを差し出すと素直に受け取ってくれた。

 何か思いつめたような表情だが、この数日間に何があったのだろうか。

 怪異ややよいの手伝いといった自分の事情を後回しにするべきだと即決できてしまう程、彼女は沈鬱な態度だった。

 普段から静かで落ち着いた性格ではあるが、元気がない姿はいつものそれとはまったく異なっている。虚を突かれる思いだぜ。

 

「……迷惑だったらゴメン。でも、その……なんつーか」

 

 自分から話しかけておいて、上手い言葉が見当たらず焦ってしまう。

 放っておけない、だと彼氏面すぎてキモいしデリカシーが皆無な勘違い男になり、ただただマンハッタンに不快な思いをさせるだけだ。

 しかし、気になって、などでは逆に興味本位だけで近づいた軽薄な男になってしまい、これもまた彼女にとって俺がただの面倒な相手になってしまう。

 迷った末に、勇気が出ずにこのザマだ。

 ドーベルが資料用に集めている少女漫画とかもう少し読んでおけばよかった。あからさまに傷心中な女子に対してかける声が分からな過ぎてヤバい。

 

「……すみません。やはり元気が無いように……見えてしまっていたようですね……」

 

 温かい缶を両手で転がしながら、あえて俺とは目を合わせず俯いたまま応答する。クールな仕草も非常にキュート。

 自分が誰かに心配をかけてしまうような態度を取ってしまっていた、と考えているだろうが彼女は全く悪くない。これはただの俺の勝手な行動に過ぎないからだ。

 長年付き合いのある友人なら、一人にした方がいいタイミングとかを把握してあえて声をかけないという選択肢も取れるのかもしれないが、友人関係の経験が浅い俺にはコレしかできない。

 

 イベントの数週間前。

 もちろん世間を熱狂させている有名なウマ娘のマンハッタンにも、大事な役割とパフォーマンスが待っている。

 だというのに彼女が消沈している様子とあれば、担当のトレーナーはきっと無視できない。何があったのかと、親身に相談に乗ってくれることだろう。

 そこで、いくつか問題があるのだ。

 果たして彼女の担当トレーナーはマンハッタンの事情をどこまで知っているのか──何より、マンハッタン自身が彼にどこまで話せるのか。

 それがどうしても気掛かりだった。

 中央のトレーナーが務まる鬼スゴな人間で、マンハッタンとも相性が良くここまであの少女が強くなるよう導いた大人の存在を前にすれば、一介の男子高校生に過ぎない俺なんぞ文字通り凡人の子供(ガキ)でしかないだろう。

 

 子供──だが。

 子供だからこそ分かる事もある。

 同年代の気持ちを一番理解できる距離感の相手は同年代をおいて他にはいないはずだ。

 そう、例えば──心配をかけさせたくない、とか。

 

 守ってくれる、支えてくれる人が多い程、不平不満や心の底で抱えている悩みが言いづらくなる。

 少なくともマンハッタンはそういう性格だ。

 理解者面ではなく、そこだけはしっかりと理解している。

 相手が優しく接してくれる大人だと知っているからこそ、事情を話せばこちらが思っているよりも親身に──心配してくれると分かっている。

 嬉しいが、なんとなくそれは避けたい。

 理屈ではなく感情の話だ。

 

 サンデーが前に言っていた、スカウトされてもサンデーの話ばかりするから最初は担当が全然決まらなかった、という話がある。

 それを踏まえると、現在の彼女のトレーナーは少なくともサンデーの話を受け入れ、マンハッタンの性質を理解した相性のいい大人だという事だ。

 あくまで友人といった程度の頻度でしか会わない俺と違って、中央に在籍する以上ほぼ毎日接する彼の存在はあまりにも大きい。

 なのでサンデーの事も既に事細かに話していて、俺の出る幕はない可能性が非常に高い──そこまで考えたうえで、俺はここに座っている。

 理屈ではなく感情の話なのだ。

 

 ゴチャゴチャと懊悩したがつまり、俺はマンハッタンの力になりたい。

 元気が無いなら理由が知りたい。

 悩みの解決になるなら何だってしてあげたい。

 ただそれだけの話なのだ。

 

 トレーナーがどんな立場だろうと関係ない。

 マンハッタンとのこれまでの会話からして、彼女以外にサンデーを視認できる人間は俺だけなのだ。

 だから俺とマンハッタンにしか存在しない距離感もあるはずだ。

 別にめっちゃ仲が良いわけではないが、普通の友人や理解者である大人に話せない事でも()()()()()()()()()で接することが出来て、なおかつ口外しない信用が多少あるコイツになら話せる──そんな友人もいると思う。

 だから、彼女にとってのソレが自分であると信じて、俺はマンハッタンの隣に座った。

 つまり俺の言うべき言葉は──

 

「俺でよければ話……聞くよ」

 

 どしたん?話聞こうか? である。出過ぎた杭。

 全身が肉欲で形成されてるクソ遊び人が言いそうなセリフではあるが、そんな奴らが常套句にしてるだけあってこちらの言いたいことはそのままダイレクトに伝わる良さもある。

 勘違い男子感がとんでもない言葉でもあるがそこは一旦置いといた。持ち味を活かせ!

 

 俺にとってマンハッタンは、まだ悩みの内容も明らかにしないまま思いやって悩みの解決に導けるような気心知りまくりな相手ではない。

 何があったのかを話してもらえないと、ちゃんと言葉にしてもらわないと力にはなれないのだ。

 だから多少図々しくても聞きださなければならない。述べよ! ゆっくりとな。

 話さなくてもいい、という素敵な言葉が正解だと知ったうえで、それが言えるのは大人の余裕がある担当トレーナーだけで、俺にできる最大限がコレだと考えて口にした。

 

「葉月、さん……」

 

 果たして結果は。

 

「…………ありがとうございます。……正直、誰にも話せない事でした」

 

 あ、上手くいったのかな……。ここまで独白を耐え忍んだ心、大和撫子の装い。

 正直に言うと心臓バクバクで全然自信が無かった。

 

「葉月さんがあの子と一緒に帰ってきた夜……彼女に“後はお願い”と……」

「確か、概念の再構築だとか言ってたな」

「……はい。……以前にも同じような事がありました。私がまだ幼い頃、家族でスキーに行ったとき……天候の影響で雪崩が起きて……そのとき私を助けるために憑依をして、安全な場所まで逃げてくれました」

 

 相棒が偉すぎる。守護霊と祭り上げられるのも斯くやと言ったところだぜ。

 

「あいつ、その後はどれくらいで戻ってきたんだ?」

「……二年ほど、待ちました」

 

 流石に予想外の長さすぎてひっくり返りそうになった。あの女あそこまであっさり消えておいて二年も帰ってこないつもりなの。バカ相棒! 早く帰ってきてね♡

 

「その時も、彼女が自分で帰ってきたわけではなく……夢の境界へ渡った私が、眠っている彼女をこちらの世界まで連れ帰りました」

 

 夢の境界とかいう新しいワードが出てきたが質問はグッと堪える。もうニュアンスで大体を想像するしかないのだ。そこに新しい世界、開けているから。

 

「概念の再構築自体は数日で終わったそうです。ですが、あの世界で眠ると自分の力で目覚める事が難しいらしく……」

 

 じゃあ寝るなという話にはならないだろう。何日も寝ない事なんて不可能であり、そもそもあそこで概念の再構築だとかよく分からないことをしに行かねばならない程、その時のサンデーは疲弊している。

 

「精神の安寧……夢の境界は、彼女や怪異にとっての楽園ですので、本来は自然に目覚めるまで待たなければならないのかもしれません。

 ……なので、もういいんです。今度はしっかりとあの子を待ちます。何年後でも、何十年後でも、あの子を待ち続けます。それが後を託された私の──」

「いや、ちょっと待ってくれ」

 

 マンハッタンの捲し立てるような意思表明を遮った。

 何だか危険な方向に走っていると感じたからだ。

 彼女にとってサンデーは道標であり、古くからの馴染み……えぇと、そう、アレだ言葉そのままの意味で幼馴染だ。

 友達よりも近い感覚で、もはや家族と言っても過言ではないような近しい理解者。

 そんな存在を心の準備も無しに突然欠いたマンハッタンの気持ちを考えれば、寂しい思いを殺して自分を律しようとしてしまうあまり気持ちばかりが先行してしまうのも理解できる。先走りカフェオレといったところ。

 

 ダメだろう。

 このままでは。

 恐らく俺の想像以上に、サンデーを想うマンハッタンの感情はデカい。

 たとえ男の家であろうと臆することなく来れていたのはサンデーがそこにいたからだ。むしろアイツに会いに来ていたと考えた方が動機が自然。

 普段から一緒にいたサンデーが俺から離れられなくなったものの、いつでも会いに行けて俺がいる限りサンデーもそこにいるという安心感で支えられていた心が、二度目の別れが理由で揺さぶられまくっているのだ。ムチムチと。運命のように。

 

「概念の再構築自体は数日で終わったんだろ? じゃあ、連れ戻そう」

「……不可能です。あの時も、私は不思議な猫に導かれて偶然夢の境界へ渡れただけですから……あの猫の所在も知らない私にはできません。……だから大丈夫です。心に区切りをつけて、ちゃんと前を向かないと……」

 

 これは良くない。

 明らかに無理をしている。

 サンデーのポジションはトレセンの友人や担当トレーナー、勿論俺でも代われない唯一無二の特別なものだ。

 早急にアイツを連れ戻さなければ。ヘバってんじゃねえぞ只今の居場所は何処だ? 答えよ!

 サンデーが夢の世界行きになったのは、元を辿ればあいつの制止を軽く見てユナイトを決行した俺に原因がある。俺が何とかするべき件だ。

 

「──俺が連れ帰るよ」

「えっ……?」

「イベントが始まる前までには絶対あいつを連れて帰るから、少しだけ待っててくれ」

「何を言って……あっ、葉月さん……っ」

 

 時は一刻を争う。故に一旦宿泊先の自室へ戻る。

 今の『俺が何とかする』宣言は完全に若気の至りだ。

 子供がやりがちな無茶を口にした。呪いやサンデーと巡り逢った運命力を多少信じた上での発言だったが、何もできなかった場合の代償は途轍もなく大きいに違いない。

 あの場所で、あのマンハッタンを前にして、じゃあ諦めて待とうと言えるほど、俺が大人ではなかったというだけの話なのだ。未成熟。それでいて大胆。

 

「猫……不思議な猫、か……いなくね……?」

 

 いるわけがない。

 何だその夢の境界へ案内してくれる猫とかいうファンタジーの塊は。生意気だぞ。いや、大生意気といったところか?

 心当たりなんて一つもない。

 とりあえず手掛かりをネットで探す前に、顔見知りの猫にだけ挨拶をしておこう。ダメ元とかそういうレベルではないが一応だ。

 

「あっ……やっぱりもう帰ってた」

「……?」

 

 自分の宿泊部屋として割り当てられた旅館の和室の襖を開けると、俺のとは別の荷物と()が鎮座していた。

 ラスボスこと叔母さんの指示で俺とやよいの部屋が何故か同室にされており、イベント設営に大忙しなやよいとはまだ会っていないが、既にやよいは数日前からここを使っているらしい。今後必要とされる残りの荷物を運んでくれたのは恐らく駿川さん辺りだろう。あとでお礼に告白しておこう。

 

「お久しぶりです、先生」

「んなぁ」

 

 足を踏み入れるや否や、体を起こして猫が俺の足に頬を擦り付けてきた。あ~やっぱマゾですねこれは俺の解釈だと。

 この子はやよいが普段から帽子の上に乗せて連れている猫だ。ちなみにメス。

 彼女がここにいるという事は、やよいが一度部屋に戻ってきたという事だ。猫を置いていった辺り今は大浴場にでもいるのだろう。ふるさと納税。

 やよいも俺が来るという話は耳に入っているはず……というか置いていった荷物を見て察しているだろうが、いま鉢合わせなかったのは素直にありがたい。

 

 好きな女の子のためにやるべきことがあるので、ちょっとイベントの設営を手伝っている場合ではないのだ。

 ──俺は俺と関わってくれる相手が例外なく好きだ。

 ドーベルもサイレンスもマンハッタンに対しても、友人としての繊細な関係性を大切にしたい気持ちはあるが普通に異性としても当たり前のように好きだ。

 片思いするだけならタダなのである。

 彼女たちの立場を考えれば絶対に百億パーセント成就しないであろう感情なので一周回って安心しているくらいだ。

 だから逆に全力を出せる。

 せめて記憶には残ろうという思いで手を抜くことなく行動に移せる。告白はしないし迷惑もかけない。ここはひとつ結婚で手を打たない?

 

「先生。やよいは元気ですか」

「ごろごろ」

 

 顎の下を撫でると猫エンジンが起動した。ゴロゴロ言ってて非常にキュート。俺を舐めすぎ。

 先生は幼い頃に秋川邸の中で見つけた野良猫だ。

 怪我をしているところをやよいが助けてから今に至るまで、ずっと彼女のそばに居てくれている守護神である。

 先生と呼んでいる理由は、眠ると必ず悪夢を見て苦しむやよいが、先生と寝始めてから一度もそれを見なくなった事実に敬意を表してそう呼ばせてもらっている。彼女は馴れ馴れしく接していい飼い猫ではなく、やよいを治療してくれた正真正銘の先生なのだ。後で猫用のおやつ買ってきますね。

 

「今、あいつの学園の教え子を助ける方法を探してるんですけど……夢の境界? って所に連れてってくれる知り合いとか、いませんかね」

「…………」

「まぁいるわけないか。すいません、モバイルバッテリーを取りに来ただけなんで、もう行きますね」

 

 相手が先生とはいえ猫にガチ相談するなんて追い詰められ過ぎだな、と自嘲しつつバッテリーを手に取り立ち上がると、いつの間にか先生が部屋の外へ出ていることに気がついた。

 

「あ、ちょっ、先生。部屋の外に出ちゃダメだって」

 

 焦って彼女を追いかけていく。

 やよいにバレたら大変な事だ。色々と融通を利かせて先生もあげてくれた旅館にも迷惑が掛かってしまう。

 先生を刺激しないよう小走りで追いかけていった。

 

 追いかけて。

 

 追いかけて。

 

 追いかけて──気がつくと、真っ白な謎の空間に立っていた。

 なんか前にも似たような体験をした気がする。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 というわけで、実はやよいの頭に乗ってた猫が自分の探してるファンタジー生命体の正体でした~、とあまりにも俺にとって都合が良すぎる展開で、俺は夢の境界へと至ったのであった。

 これも普段のやよいが積んでいる徳のおかげだと割り切り、何故か目的も察してるっぽい先生の後に続いてここを冒険している。普段の常識が吸い尽くされる! 俺が俺でなくなる!

 

 腕時計を見ると、時刻は既に深夜の一時を回っていた。場所どころか時間まで飛んでいる。

 夢の境界というくらいだから俺が稀に目にする不思議な光景は、きっと今眠っている誰かが見ている夢なのだろう。

 先生が猫形態から擬人化してやよいそっくりな少女に変身したことについてはもう深く考えないことにした。なんか変身する生物はあのカラスとかでもう見ている。

 そもそもマンハッタンカフェのお友だちという形でずっと前から存在していたらしいサンデー自体が説明不能の少女なのだ。いちいち驚くのも疲れるから、文句を飲み込んで順応しようとだいぶ前から決めている。状況判断が大切だ。

 

「んなぁお」

「え? ……あっ、いた」

 

 見つけた。

 先生が指差した先で、ありがちな謎のヒロインっぽく花畑の中心で眠ってやがる。悔しいが普通に綺麗だ。

 早く叩き起こして帰ろう。

 

「にゃーん」

「あぁ、ありがとう先生。帰ったらちゅーるでも買ってきますね」

「ふるる」

 

 猫らしくめっちゃ眠そうな顔で鳴いた先生の頭を撫でてから、お花畑の中心へと進んでいく。

 唯一花が咲いていない芝生で丸くなって寝ているサンデーはまるで映画のポスターのように画になる姿だ。なんか言え。絵画のようだよ。

 

「こんばんは♡ 起きろ寝坊助」

「…………」

 

 近くで言ったが効果なし。

 何か条件でもあるんだろうか。

 

「……眠り姫にはキスだよな」

 

 あえて聞こえるように言ってみたがこれもダメ。

 そろそろ起きないと本当にちゅーするぞお前。い、いいの……?

 

「おーい」

「……」

「起きてくれよ、マンハッタンさんが待ってるぞ」

「…………」

 

 コイツこんなに眠りが深いタイプだったのか。それともこの場所の影響か?

 先生は喋れないし帰り方はサンデーに聞かないといけないのだ。早く目覚めてもらわないと困る。起きろ! カス! ゆっくり目覚めようね♡ 焦らなくていいよ。

 

「ほっぺをもちもちするからな」

 

 もちもち。こうかが ない みたいだ……。

 

「そろそろ起きた方がいいぞ。あとは脇をくすぐるかキスするしかなくなる」

 

 最後は警察に出頭するの前提で胸を揉むくらいしかない。反応が敏感なところを責めたり羞恥心を煽っても変化なしだった場合はもうお手上げだ。オーラ! さっさと起きろ! 寝ぼけてんなバカ野郎! 可愛すぎるね♡

 

「……あぁ、耳か尻尾か」

 

 ウマ娘にしかない部位である尻尾や、人間でも触られたらビックリする耳。

 そこの反応を確かめた事は、そういえば無かった。

 まずは尻尾を失礼。は~いぞりぞりぞりぞ~りぞり。根元まで擦ってあげるね。寝ていいよ。

 

「んっ……」

 

 えっ。

 

「んん……ぁれ、はづき……?」

 

 尻尾を触ったら一発で起きちゃった。

 これもしかしてウマ娘にしか分からないタイプのガチなデリケートゾーン? 普段から外に出してるのに? 正体見たりって感じだな。

 

「おはよう。概念の再構築は終わったか?」

「うん……美味しくなって新登場……」

 

 どこがおいしくなったのかはさておき、さっさと連れ帰ろう。

 焦るな! 急いては事を仕損じる。

 

「マンハッタンさんが待ってるから、早く帰ろう」

「それは大変……でも眠すぎる……おんぶ……」

「了解しました」

 

 少女をおんぶして気がついた。背中への感触的に、確かに多少は美味しくなって新登場したかもしれない。恋に落ちちゃった。

 雑念を振り払い、サンデーが指差した方角へ向かって歩いていく。今度は先生も隣だ。

 

「うなーん」

「わぁ……先生……ハヅキの事を案内してくれて……ありがとうございますぅ……」

 

 サンデーも先生と顔見知りで、なおかつ言葉遣いに気をつけるほど敬意を払う相手でもあったらしい。まぁこの世界を知っているという共通点がある以上、知り合いという真実が明らかになっても別段驚きはない。

 

「なぁ、サンデー。俺たちどうやって帰るんだ?」

「今は現実世界に実体が存在しないから……誰かの夢を通じて外に出る……」

「じゃあこっちに誰かの夢があるのか」

「そう……カフェの夢……」

 

 マンハッタンの夢、覗いちゃっていいのだろうか。

 ドーベルとサイレンスの夢を覗いてしまっている以上手遅れなのは分かっているのだが、どうもプライバシーを侵害しているような気がしてならない。

 

「大丈夫なのか……?」

「んん……夢は忘れるもの。ハヅキもそう、でしょ……」

「それはそうだが……」

 

 言っているうちに到着した。

 

 ──そこは何処にでもありそうなボロいアパートの一室。

 テーブルの前に座ったマンハッタンはエプロンを付けており、じっと誰かを待っている様子だ。

 よくは見えないが結婚式の写真らしきものも立ててある。

 ありがちと言ったら失礼な話だが、少女の夢は誰かと結婚した後の夫婦生活であったらしい。

 ここまで想像できる相手と言えば担当トレーナーくらいだろうか。一周回って平気とは言ったものの、いざクリスマスにトレーナーとデートしながら赤面してるマンハッタンとかを目にしたら脳が破壊されて死ぬかもしれない。

 

「あ……おかえりなさい、あなた」

「ただいま、マンハッ──……カフェ」

 

 夢を通して外に出る為、夢の一部になる必要があるらしく、俺は疑似的に旦那さん役としてこれから出てくるであろう未来の担当トレーナーに代わって夫として振舞うことになった。

 夢というフワフワした感覚で体験する世界にいるからなのか、マンハッタンは特に気づく様子もない。旦那は俺だ! まんじりともせず受け入れろ……! 興が乗ってきたな。

 

「お疲れでしょう。お風呂、沸いてますけど……」

「先に飯にするよ」

「分かりました、いま温めてきますね」

 

 うお、愛情たっぷりの晩御飯。俺たち本当は夫婦だったのでは……? 心配になってきた。

 

「ふふ。今日も葉月さんを守ってくれて、ありがとね」

「わぁ……新妻カフェ、新鮮……」

 

 お友だちであるサンデーにもふわりと柔らかい笑みを向けるマンハッタンは、サンデーの言った通り新妻としてあまりにも違和感がない。そろそろ子作りの季節ではない?

 

「食後の珈琲が楽しみだな」

「新しい豆を買ってきたんです……後で二人で試してみましょう」

 

 適当な事を言ってみたら普通に反応されてビビった。マンハッタンと結婚すると食後の珈琲という概念が生まれるらしい。

 俺に巡り合うため……? 嬉しいよ♡ はい婚姻。

 ちょっと目が覚めてきたサンデーと俺、そしてマンハッタンの三人で食卓を囲むと、再び彼女が小さく笑った。先ほどから笑みがこぼれすぎガール。この卑怯者が。こんな幸せいっぱいな新婚生活で何がウマ娘だ!? 人々をたぶらかし……おろかな女め。大好きになってきた。

 

「……こうしていると、初めて私たち三人でご飯を食べた時の事を……思い出します」

「初めての? ……あぁ、俺が冷やし中華を作った時か」

 

 あの真夏日に彼女が訪ねてきて、有り合わせのもので冷やし中華を振る舞った昼の事だろう。初めて、というより現状俺とマンハッタンとサンデーで囲んだ唯一の食事なのでよく覚えている。

 明らかに思い出が俺のものに入れ替わっている辺り、旦那が誰であるかをトレーナーさんから俺に挿げ替える事に成功してしまったらしい。何故か穏やかな気分だぜ。

 おい! 嫁になるか? オイラの嫁になるか。

 

「あの時は食べ終わった後のお皿をこの子が割ってしまって……」

「そういやそうだったな……」

「私は不器用なのでしょうがない」

「おい開き直るな」

「ふふっ……」

 

 天使の微笑みを浮かべたマンハッタンは、小さな声でぼそりと呟く。

 

「あぁ、本当に、夢みたい──」

 

 その一言の後、彼女は目を覚ました。

 要するに──夢の世界(ワンルーム)が崩壊したのだ。

 

 

 

 

 

 

「……葉月、さん」

 

 気がつけば、マンハッタンと同じ布団の中にいた。

 頭の上には猫に戻った先生。背中側にはまた眠りこけているサンデー。

 マンハッタンはいつから起きていたのか、あまり驚いた様子もなく、布団の中に入っている俺の頬に手を添えた。やわらかおてて淫猥道中。

 

「出来るはずがない事を口にした翌朝に、本当に彼女を連れて帰って……あなたは不思議な人です」

 

 何をおっしゃる。

 気がついた。

 ここはウマ娘たちが合宿に使っている部屋だ。

 視界の端に、微かに他のウマ娘が見える。大部屋で大人数で使っているのだろう。

 うら若き乙女たちの園に不法侵入をかましている男子高校生など、たとえ誰の関係者であっても牢屋行きは免れない。早くこっそり部屋を出ないと文字通り人生終了だ。

 

「大丈夫です。時間的に、皆さんはあと一時間は起きませんから。……とりあえず部屋を出ましょう」

 

 声も出さずに頷き、連れられてゆっくり部屋を出ていく。先生とサンデーも眠そうながら付いてきている。

 学年ではなく参加するイベントのメンバーごとに分かれているのか、部屋の中には前に助けた葦毛の子やライスシャワーも布団に包まって眠っていた。本当にギリこの時間帯に帰れてよかったと安堵している。俺の人生はいつもギリギリだ。

 

「……ありがとうございます、葉月さん」

 

 あたりきですよ! 麗しのお嬢様♡

 

「い、いや、お礼を言うのはこっちの方だって。突然布団の中に出現したのに、察して声を上げないでくれて助かった」

「それは……当然の事をしたまでです」

「あぁ、だから俺も一緒。サンデーを連れ帰るのは当然のことだよ」

「──っ!」

 

 正確には先生が夢の案内人だったという超ド級の奇跡と巡り合ったおかげなのだが、欲を出して少しばかり格好つけた。男とはそういう生き物なので。

 マジで先生にはスーパー高級な猫用おやつを献上せねばなるまい。

 

「……本当に、あなたは……」

「っ? え、マンハッタンさん……?」

 

 不意に俺の手を握ってきた。

 心なしか距離も近い。ここに住もうかな。

 

「今はきっと、ズルいので……まだ。でも……」

 

 そのまま自然に俺の頬にキスをした。

 あまりにも流れるような所作に反応できず、自分が何をされたのかを理解するまでに一瞬ロード時間が発生した。

 ヤバいことをされたような気がしたが、あまり実感がない。

 マンハッタン様も興奮してたんですか? 嬉しいです。

 

「葉月さん。あなたは彼女を連れ戻して、私の心を救ってくれた。……その事だけは、どうか覚えておいてくれませんか」

 

 以前にも聞いたことがあるようなフレーズでそう言われた後、俺は部屋の中へ戻っていくマンハッタンを引き留めることが出来ず、数分ほどその場で呆然としていた。

 

 ハッと我に返れたのは先生の猫パンチと、サンデーの一言。

 

「女子生徒が寝泊まりしてる部屋の前に突っ立ってるの、誰かに見られたらヤバいよ」

 

 それはそう。

 ということで現実味がないまま、半ば放心状態で部屋へ戻っていき、着替え途中のやよいと出くわして再び放心するのであった。

 

 


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