うおっ乳デカいね♡ 違法建築だろ 作:珍鎮
多くの学生が無敵になる時期こと夏休み。
早速旅行だの部活だのイベントだのと周囲の知り合いが忙しなくなる一方で、これと言って特にやる事がない俺のような暇人の夏休みの計画はバイトのシフトを少しだけ増やす程度に収まり、それ以外は自宅で怠惰に時間を浪費しているのが現状だ。
これほどたっぷりと休暇が長引くとなれば実家に帰省するというのも一つの案ではあるのだが、夏休みは秋川の本家の人たちがフラッとウチに現れがちなため、彼らと鉢合わせたくない都合上まだ帰るわけにはいかなかった。
あの人たちが実家に来て用事を済ませて帰ったあとならもう無問題なので、帰省に関しては両親の連絡待ちだ。
つまりそれまではいつも通り。
エアコンの効きが悪い四畳半でだらけ、山田や男連中と夜通し遊び呆けて不健康なものを食い、空いた日に喫茶店でバイトをする、とそんな日々を送っている。
今日も今日とて接客を終え──店の前に人影を発見した。
「お疲れ様、秋川くん。一緒に帰りましょう」
「サイレンス……」
夕焼けを背に待ってくれていたのは、最近ようやく見慣れた顔になった他校の女子の姿であった。本邦初公開。
「──特訓?」
「えぇ。スペちゃん、この前のレースの結果が本当に悔しかったみたいで」
なるべく人通りの少ない道を意識しながら、彼女との会話イベントを進めていく。
こうして普段通りに話ができる理由はもちろん、サイレンスからの好感度減少が致命傷の一歩手前で何とかなったからに他ならない。
簡潔に言えば、カラスに襲われている場面を実際に彼女が目撃してくれたのだ。つまりレースが始まってライブが終わるまでの間ずっとあの焼き鳥共と戯れていた。
そのためサイレンスからの評価が、せっかく渡した特別なチケットを無下にしたゴミカス男子ではなく、不幸にも野鳥に喧嘩を売られてそのまま敗北した哀れなザコというラインで保たれたというわけである。やっぱり致命傷な気がしてきた。
「マンハッタンカフェ、だったか。凄かったなあのウマ娘」
「……正直、別格だったと思う。でもスペちゃんが自分を見つめ直す機会ができて良かったとも思うわ」
前回のレースで一着を取ったのはサイレンスからの期待が厚かったルームメイトの女子ではなくマンハッタンカフェという、確か道端で一緒に鍵を探した見覚えのあるあのウマ娘であった。
二着のルームメイト子ちゃんと五バ身差をつけた驚異のスピードで会場全体を沸かせ、その日の話題を掻っ攫っていったらしい。会場の外でクソ鳥に突っつかれていたから実際の光景は知らないが。
「それでサイレンスもチャンさんの特訓に付き合うことになったわけか」
「あの、スペチャンっていう名前じゃなくてスペシャルウィークちゃんね。そのチャンさん誰でもないから」
普通のトレーニングだけでなく同期やサイレンスといった激強ウマ娘も巻き込んでの特殊な猛特訓が開始されるらしく、この夏は非常に忙しくなるとの事だった。
「……だから、その、秋川くんと会える時間が減ってしまうのだけど……」
「俺のことなんか気にしなくていいぞ。年がら年中ヒマを持て余した人間だし」
サイレンスが何に対して申し訳なさを感じているのかは分からないが、ライバルに負けて逆境に立たされた友人を応援するのと、いつでも会えるような暇人との時間なぞ天秤にかけるまでも無いことだ。
というかその言い回しいい加減にせよ。会う時間取れなくてごめんね、とか俺の彼女か何か?
彼女の中で俺との関わりがどの程度の位置にあるのかは定かではないものの、こちらとしては『わり今日いけないわw』と言ってドタキャンする高校のクラスメイトや『すまぬ遅刻する』と平気で集合時間を超過する山田など、あいつらと同じくらいの距離感でいてくれた方が楽で助かる。ベルフェゴール。
「じゃあまた」
「……秋川くん、お別れの握手……」
いってらっしゃいのチューみたいな感覚で言わないでな? スケベの化身がよ。
「特訓が終わってからにしよう。今はスペチャンウィークさんに集中してあげてくれ」
「……うん、わかった。……あとスペシャルウィークね」
ルームメイト子ちゃんの名前をようやく覚えた辺りでその日は解散となった。
恐らくここから数週間は彼女とほぼ会わないことになる。気の迷いでサイレンスに『会いたい』などとキモキモ勘違いメッセージを送信してしまわないよう、高校の友人に連絡して今のうちにスケジュールを埋めて暇を無くしておかなくては。
……
…………
「あ?」
そして、あれから数日が経過したある日の事だった。
「……ここ、さっき通ったよな」
友人との待ち合わせに遅れないよう小走りで目的地へ向かっていたのだが、住宅街を進んでいる中でとある違和感に気づいてしまった。
──住宅街を抜けられないのだ。
「ここの道こんなに入り組んでたか……?」
本日の天気は曇り。
真夏にしては珍しく涼しい気温で、また地域一帯の広い範囲で濃霧が発生していた。忍法霧隠れの術で遊べそうなレベルの濃い霧だ。
そのため先の道が見えなくなっており、いつも通り覚えている道順を辿っていたのだが何やら同じ場所を無限にグルグルしている。
「どうなってんだ……」
それから早くも一時間が経過してしまった。一旦焦らずにゆっくり道を確認しながら進んでみても、気がつけばまた同じカーブミラーが視界に映り込んでくる。
「何だアイツ……この前のカラスか?」
見上げると電柱の上にひと際デカい体格の烏が鎮座しており、鳴く事もなくジッと俺を見下ろしている。
この前リュックサックではたき落としたあのチケット泥棒と同個体に見えるが、だから何だという話でもある。
想像力豊かな中学二年生の時に患いがちな思春期の病に侵されていた頃なら、これは何者かの陰謀だとか呪いによる超常現象だとか考えることもできたが、残念ながらあの時のイマジネーションはもう持ち合わせていないのだ。
一時間も同じ道を迷うほど方向音痴だった覚えはないものの、濃霧によって極端に方向感覚が鈍らされていると考えればあり得ない話ではない。
とはいえ、やはり迷いすぎだ。
「……スマホも死んでる」
出かける前にフル充電したはずのスマホは何故かバッテリーが底をついており、連絡も地図アプリの起動もままならない。いよいよ詰んだかも分からん。
「変に曲がったりしないでまっすぐ進めば流石に大通りに出るか」
思ったことを口に出して即実行。混乱して立ち止まるよりはこうした方が進歩するはずだ。
……
…………
「まっすぐ、まっすぐ」
……
…………
「まっすぐ……まっすぐ……」
……
…………
「まっ、すぐ…………いや、ダメだなこれ」
腕時計を確認すれば、迷い始めてからかれこれ三時間が経過していることが判明した。
意味が分からない。
なんだこの状況は。
相も変わらず電柱の上にはあのカラスがいて、俺は濃霧の中で無限迷子編に突入してしまっている。
流石に精神的にも困憊を覚え、歩くのも疲れたため一度立ち止まった。持参した飲み物もすっかり空だ。
今わかったが最初は涼しかった気温も段々と上がってきている。
蒸し暑くて死にそうなのに霧は濃くなる一方で、もはや五メートル先までしか視認できないこの状況は間違いなく異常気象だ。
「はぁ、はァ」
脳が茹ってきた。だんだん視界もボヤけてきた気がする。脱水症状の一歩手前だ。
途中から腕時計すら動かなくなり、自分が濃霧の中で彷徨している時間を確認する事すら不可能になってしまった。いよいよ精神がアクメしそうだ。
「…………あ?」
額の汗を拭いながらゾンビの如く緩慢な足取りで進み続けていると、眼前の霧の中で人影が見えた気がした。
ここで迷い始めてからはただの一人も見かけなかったせいもあって、目をこすって疑う。
しかし現実だった。茫漠とした視界の先にあるのは間違いなく人の形をしていたのだ。
逸る気持ちを抑えながら進んでいき──その正体を知った。
「マンハッタンカフェ……?」
「…………」
「きみ……確かあの時の……」
髪の色素がごっそり抜け落ちたような不気味な白髪が特徴的で、紛失した鍵の所在を教えてくれた、マンハッタンカフェと瓜二つな謎の少女であった。
前回と同じく彼女はどう考えても夏場に着用するものではない黒のロングジャケットを身に纏っており、やはりというか高い気温にやられて滝の様な汗を流している俺とは違い、その少女の見える範囲での素肌には水滴の一つも浮かんでいない。
「──こっち」
俺が事情を話すよりも早く、少女は俺の手を掴むや否や踵を返して濃霧の中を進み始めた。
「……出口が分かるのか?」
「…………」
黙ってないで知っている情報を明らかにせよ、なんか言え。絵画のようだよ。
「あの、何か知ってるなら教えてくれ」
「カフェが探してる」
「えっ? ……あ、カフェって、マンハッタンカフェさんのことか。何であの子が」
「…………」
雑な説明で終わんな! 丁寧な説明を心掛けろ!
──マズい、疲弊で頭が回っていない。明らかに助けてくれてる相手に文句を言おうだなんてどうかしている。
ていうかコイツ手めっちゃ温かいな。湯たんぽとしての才能。
「瞼を閉じてこの先を少し進めば戻れる」
体温に感動した瞬間に手を離されてしまった。
そのまま有無を言わさない勢いで背中を押され、教えられたとおりに目を閉じてゆっくり進んでいく──
「おわっ……」
すると、誰かにぶつかった。
思わず目を開ければ、髪が黒くなったバージョンの先ほどの少女が目の前にいた。2Pカラーかな。
「マンハッタンカフェ、さん?」
「……よかった」
極度の疲労状態なのでフラフラになりながら何とかその言葉を絞り出すと、濃霧の先で待っていたウマ娘の少女はホッと一息ついて胸を撫で下ろした。ちなみに見た感じ胸はほとんど無い。
なんだか最近スレンダーな体形のウマ娘とばかり交流している気がする。ホッコータルマエの握手会は落選するしヒシアケボノのレースとライブも見逃すしで散々だ。デカ乳ばかりが遠ざかってゆく。なぜ?
「……あの白い女の子が言ってたんですけど、俺のことを探してくれてたとか。よく分かんないけどありがとうございます」
「えっ。…………お、お友だちが、見え……?」
ぺこりと頭を下げると同時に、フラついた頭を支えることが出来ず崩れ落ち、歩道の真ん中で尻もちをついてしまった。下品なカエルみてぇな格好で無様でございますな。
「だ、大丈夫ですか……!」
体感でザックリ六時間程度は猛暑の中を歩き続け、後半の三時間は水分補給もままならなかったとあれば、体調不良は至極当然の結果だろう。
「……事情は全て後で説明します。実家が近いので、一旦ウチでお休みになってください」
そのまま自分よりも頭一つ身長が低い少女に肩を貸してもらい、そのままお持ち帰りされるのであった。
まさかほぼ初対面の女子の家へ案内されることになろうとは夢にも思わなかったな?
うほ~ワクワクしてきたぜ。深く憂慮する。