とある竜のお話 改正版 FE オリ主転生 独自解釈 独自設定あり   作:マスク@ハーメルン

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これが現在の最新話です。

今日の深夜辺りにもう一話か2話を投下して、とりあえずひと段落になります。


とある竜のお話 前日譚 三章 5 (実質17章)

 

 

 

イデアとヤアンは二人以外誰もいない個室の中で向かい合い、遊戯版を前にしていた。

腰かけた二人の間には遊びだとはいえ普通遊びと言われて万人が思い浮かぶ楽し気な空気は全くない。

むしろその逆で、2柱の竜の中間の空気はとても重苦しく、雑談や談笑等という言葉からは程遠い。

 

 

 

陽が沈みかけ、夜の帳が顔を覗かせた部屋の中には冷たい空気と、何本もの燭台に灯った火の光しかなかった。

黙々と二人は手を動かし、駒を操作し、そして何手先も頭の中で知略を巡らせた攻防が小さな盤の上で行われる。

休むことなく二人の手は動き回り、駒を動かしていくとやがて戦況はイデアが有利へと傾き、そのままヤアンは敗北した。

 

 

 

いつもの敗北をヤアンは日課の一部として処理し、再度駒を配備していく。

気配だけは何処まで厳粛に。全くといっていいほどに今のヤアンとイデアには和気あいあいとした空気はない。

むしろイデアに至ってはナニカを常に考えているのか、心ここにあらずと言った様でさえある。

 

 

 

 

そうだとも。正直な話、イデアはこの時間を余り何時もの様に楽しんではいなかった。

イデアは間違いなく少しばかりの苛立ちを感じている様であり、それを忍耐で抑え込んでいる。

もう彼は子供ではないのだから声を大きく荒々しく張り上げたり、物を手当たり次第に壊したりなどしない。

 

 

 

 

 

ただ、少しだけ……視線が鋭くなり、纏う空気がわずかに重くなるだけ。

しかしそれは絶大な力を誇る神竜が気を損なるという事は、当然それに比例して周囲に重圧がかかる。

圧倒的な存在というモノは時にして自らが意識するよりも多くの影響力を外界に撒き散らすものであり、イデアも例外ではない。

 

 

 

 

それを自覚しているからこそ、イデアは滅多に怒り等という感情を露わにすることはないが、それでも今回は少しばかり話が違う。

 

 

 

しかし苛立つ神竜に相対しているというのに、ヤアンは全くと言っていいほどに動揺などは浮かべてはおらず、淡々としている。

彼は彼である故に取り乱す事などなく、ただただ、時の経過を待っていた。

 

 

 

だが……彼は決して無駄な時間の経過を待っているだけではない。

無駄な事は余り口にしないが、必要だと自分が判断した時には言葉を使う。

 

 

 

「詳しい話は既に話した通りだ」

 

 

 

駒の配置を終え、さてもう一勝負かという時になってようやくヤアンは口を開いた。

今回の話に関してはヤアン以外にも多数の報告がイデアには入っており、その全てを神竜は熟知している。

 

 

 

 

「判っているさ。全てな。今回の件に関しては今は判断を保留にしている」

 

 

 

言葉でそういいながらイデアは胸中で何とも言えない不快感を転がした。

何かが噛みあっていない。いや、まず第一に自分の主観が邪魔をする。

 

 

 

貴重な……“友”とも思える男を信じている気持ちと500年間“長”として積み上げてきた自分が交互に違う見解を述べてきているのだ。

 

 

 

今の問題はネルガルとソフィーヤの件だ。ソフィーヤの感じた恐怖と、ネルガルが明らかに彼女に危害を加える可能性があった“かもしれない”状態の話。

結果だけを文面で見ればネルガルのやった事に全くの罪はない。いや、彼が草花にしたことを思えば罪がないといういい方は語弊があるが、とりあえず里に何か危害を加えたわけではないのだ。

ただ彼はソフィーヤに自らの術を披露し、彼女の帰り道を送ってやろうとしただけだ。

 

 

 

いや、彼本人からみたら正に無罪なのだろう。

全て親切心でやったことの上、特にソフィーヤに何か暴行を加えたというわけでもない。

 

 

 

彼は素晴らしい男だ。

 

だが危険だ。

 

ネルガルの言い分も聞くべきだ。

 

いや、彼はもはや危険な存在の種だ。

 

 

 

 

頭の中で渦巻く念を瞬時に整理すると、イデアはヤアンを見た。

彼の次の言葉が気になったのだが、彼は彼である故に変化などない。

イデアの配下であり、この里の民としての目線から言葉を出す。

 

 

 

「この里の長はお前だ」

 

 

 

 

イデアは彼の言葉に判っていると頷き、何気なく遊戯版の駒を1つだけ手に取り指で弄ぶ。

白い指の間をころころと「王」を模した駒が転がり、掌に感触を与えてくる。

文面は全てそらでいえる程に読み込んだ。元々自分自身何かを感じ取っていたのだから。

 

 

 

 

ソフィーヤの主観。ネルガルの主観。そしてヤアンの主観。最後に自分の主観。

大きく分けてこれら全てを考慮しなくてはいけない。

ネルガルの思惑が何にせよ、まずは直接あってから話を聞かなくては。

 

 

 

喉にかつて刺さった“不安”という棘……そうして出来た傷口は今や膿みだしているかもしれない。

根拠のない不安が、今や形を得て実体として目の前に迫っている。

 

 

 

 

ふと、ファの言葉が頭によぎった。

彼女の言葉の実現と意地こそが長である自分の最終的な目標地点だ。

 

 

 

───おとうさんやお姉ちゃん、おばさん、おじさんやおじいちゃん……皆にはわらっててほしいの。

 

 

 

その通りだ。お前は俺よりもずっと正解に近い。イデアは内心で小さな竜を褒め称えた。

そこは最終的なイデアの逆鱗とも言える場所。小さな娘の信頼も当然ネルガルは自覚している。

 

 

 

ふむ、と眼前のヤアンが頭を傾げたかと思うと徐に席をたった。

成人男性よりも大柄で筋肉質な彼が背筋をしっかりと伸ばして立ち上がれば、椅子に座ったイデアからは首を上に向けないと頭には眼がいかない。

 

 

 

「どうした?」

 

 

 

イデアがいきなり立ち上がった火竜に問うと彼は当然の様に答える。

 

 

 

「今日はもういい。次は全ての不安を取り除いてからにする。忙しい所に時間を取らせたな」

 

 

 

本当に珍しいヤアンの他人を労わる言葉にイデアは思わず眼を丸くしてしまった。

彼という男にまさかそのような部分があるとは……500年の付き合いがあるが、こんな場面はほとんどなかった。

例えそれがぶっきらぼうで、全く感情のこもってない一定の音程で紡がれた単語の羅列だったとしても、だ。

 

 

 

 

は? と思わず呆然とした顔を晒すイデアにさえ興味がないのかヤアンは足早に部屋から立ち去ってしまう。

彼は扉を開けて部屋を出る際に振り返りもしなかった。

 

 

 

彼の気配が完全に部屋から遠ざかるのを感じ取ってからイデアは両腕を頭の後ろで組み、天井を見上げる。

随分と珍しい事を体験したせいかなのかは判らないが、心の中に溜っていた苛立ちは綺麗さっぱりなくなっていた。

透き通った清水の様な心でイデアは考える。

 

 

 

ネルガルが何をしたいのか。

あれほどの男が力に安易に飲まれるとは考えられないが……やはり妙な、駄目な部類の思い込みが自分にはあるようだ。

そうだとも、イデアの中で発せられる彼を擁護する心の声の更に深い本心は長ではなく、イデアの私情が多分に含まれてしまっている。

 

 

 

これは治世者として相当な欠点だ。認めるしかない。イデアは友であるネルガルを疑いたくない。

もしかしたら訪れるであろう彼との決別が嫌で、今のこのぬるま湯につかった様な“理想郷”の状態を維持していたと思ってしまっていた。

失うのは痛い事だとその昔に命で以て彼に消えることのない証明を刻んだ彼とネルガルを重ねるという愚行。

 

 

 

 

だからこそ彼は立ち上がった。

頭を動かし、どうしようかどうしようかと机上で論理をこねくり回してるだけではこの問題は解決しそうにない。

 

 

 

 

まずは何にせよ自分の目でもう一度確かめてみなくてはいけない。

最初にイデアはネルガルともう一度話をしてみる事にした。全てはそこから始まる。

無意識に腰の覇者の剣の柄に手をやってから、神竜は歩き出した。

 

 

 

 

 

剣は何も言わずそこにある。ただ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ファは今の里に微妙に流れる空気……もっといえば、彼女が大好きなお父さん達の間に漂う何とも言えない雰囲気が嫌いだった。

もちろん表面上は皆何も変わらない。ソフィーヤお姉ちゃんはファが大好きなご本を読んで聞かせてくれるし、メディアンおばさんは美味しい料理を作ってくれる。

アンナお姉ちゃんも、ファの大好きな飴を暇を見つけたら持ってきてくれる。お父さんも夜眠るときに何時も一緒のベッドで手を繋いで眠ってくれた。

 

 

 

昨日なんてお父さんはファを肩車してくれたのだ!

忙しい忙しいと言いつつ、最近のイデアはしっかりとファと触れ合う時間を確保し、普段は彼女が一人にならない様に常に誰かを傍につけてくれる。

 

 

 

今日はとても稀な日だ。こうしてファが一人になる日などほぼないのだから。

 

 

 

アトスおじいちゃんに、ヤアンおじさん、フレイおじいちゃん。みんなみんな、ファが大好きな人達だ。

だからこそ、嫌な事がある。ほんの少し前は皆はもっと心から、笑っていたのをファは知っている。

とっても楽しそうに、嬉しそうに、何一つ不安など感じさせない綺麗な笑顔で今生きているという事を謳歌していのだ……。

 

 

 

だというのに、今の皆の笑顔はナニカが違うとファは感じ取っていた。

それは神竜としての優れた直感なのか、それとも子供の持つ万能感の延長線上にある力なのかは知らないが、確かにファは皆から違和感を感じ取ってしまっている。

お父さんを始めとした皆の事が好き好きでしょうがなく、その上里という狭い世界の中で深い密度を以て人の心に大きく触れて成長したファだからこそ見抜けたことかもしれない。

 

 

 

子は、親が思っているよりも遥かに視野が広い。

 

 

 

 

皆は、何かを不安に思っている。そしてそれを自分に悟らせまいとしている。

そこまで考えが至る程にはファは大きくなっていた。そしてそれが何故か? という理由に続く程には大人ではない。

 

 

ただ朧に皆とネルガルおじさんが“喧嘩”してしまった事を把握はしていた。

明らかにおじさんの話題を皆が余りしゃべろうとしない。

更にはおじさんの名前を出すときにほんの少しだけ言葉の節々に緊張が見える事もある。

 

 

 

 

子供とは何も見ていない様で最も真っ直ぐに世界を観測しているものだ。

だが、これはきっと今だけだとファは信じている。もう少しすれば、皆は仲直りし、またあの日々に戻れるのだと。

ファはただその時を待っていればいい。今の自分は無知で無力で、きっとお父さんが何とかしようと動いている所を邪魔してしまう。

 

 

 

しかし、答えが判っていても割り切りはつけられない。

ファはまだまだ幼いのだ。

 

 

 

「うー…………わかんない」

 

 

 

自室のベッドに寝転がり、一人枕に顔を埋めながら竜は呻いた。

 

 

 

心の機微やらお父さん達が織りなす複雑な人間関係を必死にファなりに理解しようとして彼女の頭は熱をもってしまいそうだった。

まるで頭の中で炎系の魔法でも炸裂したような熱さ……思考がこんがらがってしまう状態。

どんなに頑張っても自分ではどうしようもない現状に対する言いようのない複雑な気持ち。

 

 

 

ファは真っ赤に燃える太陽を部屋から見つめながら退屈な時間をどうにかして潰したいと願った。

余り彼女は一人で考えるのが好きではない。どちらかと言えば友達や大切な人と笑って楽しく騒ぐ方が好きだ。

パタパタと足を振りながら竜はソフィーヤの所に行こうかどうしようかと悩む。

 

 

 

今日は授業などがない日故に、出会いに行けばお姉ちゃんはきっと出迎えてくれる。

最近余り元気が無いように思えるソフィーヤの事がファは心配でもあるのだ。

 

 

 

 

「きめたっ……!」

 

 

 

ファはベッドから飛び降りると、そそくさとブーツを履き込む。

最近足が少しだけ大きくなったから新調した革靴はしっくりと足に馴染んだ。

部屋のテーブルの上に置いておいた自らの竜石を握りしめて懐にしまう。

 

 

小さな革製の袋を背中に担ぎ、ファはあっという間に外出の準備を進める。

 

 

つま先で何回か地面を叩いて靴の調子を慣らすと彼女は翡翠色の瞳を輝かさせて部屋の扉に手をかけて開く。

遠くから聞こえる里の喧騒、人の話し声、そして地下に確かに感じたお父さんの力。

この里の生活音を尖った耳がわずかに動いて集めていく。

 

 

 

 

数歩行くと、ファは一度立ち止まってうーんと頭を捻った。

ソフィーヤお姉ちゃんの所に行くのはいいが、何かお土産が必要ではないかと思ったのだ。

幾つか候補を頭の中で上げていくが、ファは自分が彼女に贈れるものが全くない事に気が付く。

 

 

 

ソフィーヤお姉ちゃんがそんなことを気にする性格ではないことをファは知っているが……。

それでも気分的には納得がいかないモノだ。細い腕を組み、頭を彼女は傾げる。

 

 

 

 

まぁ、いいかと一瞬で答えを出して歩き出そうとするが……また彼女は足を止めた。

 

 

 

 

頭の奥で何かに呼び掛けられ……違う、誰かの小さな囁きを聞いたような気がしたのだ。

肉声とも言えぬ概念的な“声”はお父さんなどがよく使う念話という術にも近い感覚だった。

 

 

 

掠れた様であり、自分の名前を呼んでいる訳でもないというのにファはその“声”に胸をざわめかせる。

左右の耳がピクピクと動き出し、竜の極めて優れた感覚による探知を無意識の内に作動させていく。

間違いなくあの“声”の主は近くにいるはずだという確信が彼女にはあった。

 

 

 

ただ、何となく神竜の娘は自らの力を以て“声”の主に会いたいと思っただけ。

それは未知への好奇と親愛があべこべに混ざった感情が成せる事態。

 

 

 

 

「だれ……? どこにいるの?」

 

 

 

ファは頭の中で響いた声に対して不思議と嫌悪感は沸かなかった。

むしろその逆で彼女は生来の気質か、はたまた直感によるモノは判らないが“声”の主に対して深い興味だけを抱く。

 

 

 

彼女の活力に満ちた小さな体は慎重に、それでいて大胆に動き出した。

ソフィーヤよりも更に小さな歩幅では隅から隅まで探索するのにかなり時間が掛かるであろう殿をファは迷うことなく進んでいく。

まるで最初からそう決まっていたように神竜は何処か堂々とした足取りで歩き続けた。

 

 

 

 

陽が僅かに傾きかけはじめ、黄道色の鮮やかな太陽光が殿の廊下を照らし上げていく。

そんな陽光の滝の中を彼女は眼を細め、時折開け放された窓の外の光景を目に焼き付けながら進む。

まるで散歩でもするような気楽さでファはこの何とも言えない不思議な体験を堪能していた。

 

 

 

本当に僅かに外から聞こえる喧騒。照り付ける太陽。光の当たらない場所に出来る影。

そしてその中をただ一人進む自分。絵本の中で読んだ冒険家のような独特な空気がそこにはある。

 

 

 

 

この先にきっと自分の知らない何かがあると思うと、ファの胸は期待で膨らむ。

途中から少しだけ足に疲れを感じてきたファは竜石から力を引き出して背から2枚の、羽毛のような翼を出現させるとそこから生じる力場によって宙に浮かび上がった。

早歩きの数倍もの速度で自らの直感が示す道をたどり続けると、あっという間に頭の中で「ここだ」と思う場所に到着。

 

 

 

気が付けばファは随分とネルガルの研究室の近くにまで飛んできてしまっていた。

 

 

 

ふわふわと空中に浮かぶファはまた頭を傾げた。

確かに直感はここを示しているのだが……。

 

 

 

「?」

 

 

 

そこは特に何の変哲もない廊下の一角だ。

窓から入って来る光を浴びる様に背を向けて立っているローブの人物が一人いるだけの。

背丈はファやソフィーヤよりも高いその人物は……何処か異質な空気を纏っている。

 

 

 

ここに居るのにいないような、確かにその『人』が居るというのに、まるで『置いてある』と表現したくなる存在の違和。

 

 

 

かなり厚手の鮮血の様に赤いローブを全身を覆うようにすっぽりと着ているというのにその上からでも判るほどに明らかに体の線は細い。

いや、もはや細身というよりは生きていくのに必要な筋肉がついているのかも怪しい程の細さ。

事実それを証明するように、窓の淵に手を掛けているその人物の指は……まるで命が尽きる寸前の老婆の様に細く、しわくちゃだ。

 

 

 

 

ファは一瞬だけその人物に声をかけるべきかどうか悩んだ。

お父さんや皆には知らない人、怪しい人にはむやみに声をかけてはいけません。関わってはダメですと教わっているが……。

どうにもこの人物からは懐かしい気配……もっと具体的に言えば何処かネルガルおじさんと近いエーギルを彼女は感じた。

 

 

 

 

“眼”で人物を見ても全くと言っていいほどに敵意は感じない。

むしろ伝わってくるのは……これは、冷たい、悲しみ? 

決して涙を流して泣いているのではないのに人物からは深い悲しみをファは読み取ってしまう。

 

 

 

居ても立っても居られずにファは意を決して声を上げた。

何とかしてあげたいと心の奥で思いながら。

 

 

 

「どうしたの?」

 

 

 

 

ファが声をかけても人物は動かない。

ただ少しだけ身体を左右に揺らす。ひらひらとローブの裾が風に煽られた。

決して無視されているわけではない。僅かだけこちらに人物の意識が向けられるのをファは竜の直感で把握する。

 

 

 

もう少しだ。もうひと押しだとファは畳みかける様にその背に声を飛ばす。

 

 

 

「少しだけでいいから、ファとお話してほしいの……だめ、かな?」

 

 

 

今度こそ人物は目に見えて反応した。

淵に掛けていた細すぎる指を裾の中に仕舞いこみ、ゆらりと陽炎の様にぶれながら緩慢に振り返っていく。

 

 

 

ふわりとローブのフードの中身が覗き、そこに映ったモノを見てファは……一瞬だけその背筋を震わせたが、直ぐにそんなものは消えてなくなった。

人物の顔はファが知る中ではフレイという老いた竜によく似ている。水気のない肌。頭蓋の形を浮き彫りにしたような顔の造形。窪んだ瞳。

老人の中でも更に一握りの、一世紀を跨いだものがいたる様な境地の姿。

 

 

 

 

ただ、ただ、不自然なまでに沈んだ眼窩の中で輝く黄金色の瞳だけが異質な存在感を放っている。

しかし、ファは恐れない。正直な話、最初顔を見た時に愕きこそはしたが、恐怖はなかったと断ずる事が出来る。

何故ならばその瞳の中に敵意はなく、むしろその逆……何処か悲しみさえ篭っているのが竜の目には見えたから。

 

 

 

外見ではない。ファはこの存在の本質を見ていた。

無害で、とても臆病で、儚く、そして何とも意地らしい存在だと。

 

 

 

 

「ファはね“ファ”っていうの。あなたのお名前は?」

 

 

 

 

ファが全く恐れずに、それどころか道端で友人と出会った時の様に平然と言葉を投げかけてくる様子にその人物はとても驚いたようだった。

少しだけたじろく様に揺れると、もごもごと幾つも歯の欠けた口を動かして人間の耳ではとても聞き取れない異質な“音”を吐く。

奇しくもそれは、竜族の言語に近い言霊。故にファはしっかりとその意味を聞き届けることが出来る。

 

 

 

 

「キシュナ……さん?」

 

 

 

ファが捉えた高次の竜族語を口の中で反芻させ、人の言葉の枠に当てはめてから確かめる様に言葉にすると人物……キシュナはそうだと頷いた。

やった、とファは飛び跳ね……実際、宙に浮かびながら翼をぱたぱたと激しく上下させて全身で喜びを踊りながら示す。

また一人、自分の知っている人が、友達が増えたと竜はキシュナの周りをグルグルと囲うように飛びながら喜色に満ちた声を上げる。

 

 

 

威厳も何もない。年相応の少女として素直に喜の感情を爆発させるファをキシュナは黙って見つめていた。

そしてキシュナの視線に気が付いたファは彼の前に着地し、ぺこりと一回頭を下げる。

この世で最も強大な存在である竜がよりにもよっていきなりお辞儀などし出して、どうすればいいか困惑した様な雰囲気を纏い始めたキシュナに竜は嘘偽りなく、己がここにやってきた理由を言葉にし出した。

 

 

 

何事もまず説明と“はじめまして”から始まると父から教わった彼女はそれを忠実に実行していく。

 

 

 

 

「いきなりでごめんなさい。ファね、遠くからキシュナさんの“声”がきこえて気になったからここに来たの」

 

 

 

あの明確な意味こそ判らないが、その中に含まれていた得体のしれない、深く冷たい“おもい”にファは何とかしてあげたいと思ってしまっていた。

己が口下手だという自覚があるファは何とか自分の伝えたい言葉を四苦八苦して頭の中で文章にし、それを一瞬で推敲、肉付けしてから何とか言葉に変換。

 

 

 

 

 

「それでファね……キシュナさんと………うー……なんていえば、わかんなぃ…………むちゃくちゃで、ごめんなさい……」

 

 

 

だがしかし所詮は幾ら優秀だとはいえ幼児だ。

会話しながら文節を作り続けるなど器用な真似など出来るはずもなく最初から根を上げてしまう。

キシュナは沈黙し、ファの様子を見ていたが唐突に口を再度動かす。

 

 

 

紡がれるのは常人には拝聴不可能な竜の言葉に近しい文字列。

しかしファは神竜であるが故に神秘の言語を余すところなく聞き取り、理解が出来る。

キシュナの言葉を理解したファはまたもや飛び跳ねて喜んだ。

 

 

 

 

「おはなし、してくれるの!? やったー!」

 

 

 

 

キシュナは顔を隠すように赤いフードに手を掛けて深く頭にかぶる。

それでも影になった鼻から上の部分では眼が光を放っており、これは一層見るモノに不気味だという印象を本来は与えるのだが、幼い神竜はこの顔さえもあるがままに受け入れていた。

ゆっくりと廊下の端に背を預けたキシュナはファを正面から見つめてから、視線を少しだけ下に降ろす。

 

 

 

廊下の影の中に身を潜めるようにしたキシュナとは正反対に、彼の少し手前に居るファには太陽の光が降り注いでいる。

その中で屈託なく光の源泉の様に笑うファの姿は芸術性や、詩的な感性などとは無縁のキシュナにさえ何か思わせてしまいかねない美があった。

 

 

 

地面を見つめながらキシュナは短い生の中でも僅かな回数でしかない他者との会話という行為を実行するべく、胸の内側に渦巻く……ナニカを口から吐き出す。

彼の創造主が“心”だと評したソレが作り上げる複雑怪奇な念が、寂れた井戸から水を汲みだしていくようにとつとつと言葉として口から漏れ始めた。

そしてファはキシュナのつたない言葉が揃い、意味を持つ羅列となるのを当然の様に待つ。

 

 

 

 

「キシュナさん、おさんぽ、してたの? ファもおさんぽ好きなんだ~」

 

 

 

違う、とキシュナはかぶりを振ってから更に言葉を続けていく。

散歩の前提として自分の帰る場所がある。家がある。帰りを待っていてくれる人がいる。

だが自分には何もないと。誰も自分の帰りを待っていてはくれない。自分の親とも言える人はもう自分に興味さえ抱いてはくれなくなってしまった事を。

 

 

 

散歩ではなく、これは“徘徊”だ。

年をとり、自らの事さえ判らなくなってしまった老人が彷徨うのと同義だと。

 

 

 

存在価値のない自分など何処に行こうと自分の“親”は何も抱かないし、どうでもいい。

むしろ日に日に疎ましく思われている。ではなぜ自分は産まれたのか。判らない事だらけだ。

 

 

 

内心を暴露することなどこれが初めてであるキシュナは歯止めなど効かずに喋り尽くす。

どうせ聴いたところでこの幼子と自分はいる世界そのものが違うのだから、直ぐに忘れてしまうだろうとさえ思って。

 

 

 

ファはキシュナの言葉を黙って聞いていたが、このモルフの話を聞き終わると彼女はキシュナのローブの裾を掴み少しだけ潤んだ瞳で彼を見上げた。

彼女は間違いなく、キシュナを一人の“命”……自分と対等の存在として扱う、それがどれほど無意味な事だとしても、当然だと信じて。

 

 

 

「それじゃ……じゃぁ……ファも一緒にかんがえる! キシュナさんの“おとうさん”にキシュナさんを見てもらう方法、かんがえる!」

 

 

 

親に見てもらいたい。親に認めてほしい。自分の唯一の繋がりが自分に興味を抱いてくれない。

ファにはキシュナの難しい言葉の言い回しは余り理解出来ないが、そこに込められた物事の本質を理解することは出来た。

そして自分とキシュナの状況を照らし合わせて、どれほど彼が苦悩しているかを見抜いてしまう。

 

 

 

ファには誕生して直ぐに抱きしめてくれた父親が居た。その生誕を喜んでくれたお父さんが。

産まれる前から何度もまだ繭でしかなかった頃の自分に会いに来てくれた親友も居た。とても大切なファの一番のお姉ちゃんとも言える存在。

色んな人がファの傍にいてくれて、それが自分を守り成長させてくれている事を彼女は判っている。

 

 

 

 

……もしも、もしもそれらが誰もいなかったら? 父は自分の誕生を喜んでくれなかったら? 存在さえいらない「モノ」として無視されたら?

どんなに自分の存在を主張しようと、失望の果てに無関心の瞳さえ返してこない、落胆さえ通り越して無価値とよりにもよって親に判断されたら?

 

 

 

考えるだけでファは涙が零れてしまいそうになる。この世の誰も自分を望んでくれない世界など、絶望しかない。

持てる者の傲慢と笑われるかもしれないが、そんな理屈などどうでもいい、ファはただキシュナを取り巻く現状を何とかしたいと思った。

それがどれほど皮肉で因果な事だったとしても。

 

 

 

キシュナは“おとうさん”の具体的な名前こそ出さず、それが誰なのかファには皆目見当もつかなかったが、もしも出会ったとしたら何か言ってやるのだとファは決意する。

 

 

 

本気で、今まで見たことがない程に心の底からの思いを伝えてくるファにキシュナは思わず頭を捻った。

何故、この娘はまだ出会って半日はおろか、半刻もたってない自分に肩入れするのか、何故、そこまで人の為に動けるのか、全く持って判らない。

確かに少しばかり語りすぎたかもしれないが、こんな慰めを求めるような情けない、出来損ないの自分を助けようとして何の意味があるのだろうか。

 

 

 

だが…………キシュナは素直に感謝の気持ちを抱いた。

少なくとも一人、ここに繋がりが出来た様な気がしたから。

 

 

 

細くて短いが、黄金に輝く糸が。

なるべく遠まわしに、この優しい神竜にやんわりとそれはまだいいと拒否するとファはしばらくの間うーうー唸っていたが、やがて納得したのか彼女は静かに微笑む。

 

 

 

 

「……じゃ、キシュナさん、また──」

 

 

 

 

「やぁ。こんな所で会うなんて、奇遇だね」

 

 

 

 

 

お話しよう とは続けられない。何故ならば彼女の背後から現れた気配がとても“友好的”な声を彼女に掛けたから。

この声の主をこの場にいる全員はとてもよく知っている……特にキシュナは。

ほんの僅かだけ淡々と伝わってきた指令に従い、彼は薄く限定的な“沈黙の場”を作り出す。

 

 

 

少しでも長くこの地の支配者の眼をくらませるように。

 

 

部屋一つ、などという面積ではない。もっと限定的で、小さく、そしてなるべく自分に負担が掛からないように絶妙な配慮を以て。

ちょうどこの場にいる“二人”を覆い隠すように、元からあったこの地に満ちる力を一定時間この場から押し流す。

 

 

 

だが同時にその身は生身で深海にでも放り出されたような膨大な黄金の“力”による圧縮の脅威に晒されてしまう。

全方位からのナバタの支配者の力による圧を受けて全身が軋む音が体内で響くがキシュナはそれを黙って耐える。

幾ら負担が少なくなるように努力しようとそれでも決して0には至らない。

 

 

 

ファにそれを悟られるまいとキシュナは歯を食いしばり、フードを更に深く被ってから創造主の視界から逃げる様に立ち位置を変える。

やはりというべきか「彼」は必死に自分の為に動くキシュナを全くと言っていいほどに、ちらりとも見ないし、考慮もしない。

 

 

 

ファは何を言うでもなく振り返った。振り返って、そこにいるネルガルを見た。

最後に見た時と何も変わらない大好きなおじさんの姿を視界に収めたファは無邪気にネルガルに微笑みかける。

 

 

 

 

「おじさん!」

 

 

 

胸の底で僅かばかりに知らせてくる危機感をファは気のせいだと受け流した。

大好きなおじさんに久しぶりに出会えた喜びの方が大きかったから。

確かにお父さんとネルガルおじさんは喧嘩しているが、それなりの時間が経過していれば色々と物事は変わっているはずだ。

 

 

 

ネルガルの微笑みはファの知っている笑顔だった。

朗らかで、温かみがあり、そして優しい。

見るモノを安心させる父性さえ感じる表情には彼の性質である純粋な所がよく表れている。

 

 

 

だからファは安堵する。皆は考えすぎだったのではとさえ思う程に。

 

 

 

「そういえば久しぶりかな。 少し……大きくなったんじゃないか?」

 

 

 

言葉は変わらない。

抱き付いてくるファに優しく語り掛け、その成長を喜ぶ姿はとても微笑ましい絵図だ。

くしゃくしゃととても慣れた手つきでファの赤紫色の髪を労わるように撫でると、神竜はふーと鼻から息を漏らしながら心地よさに溺れる。

 

 

 

 

「ファね、キシュナさんとお話してたの!」

 

 

 

キシュナ、という名前を聞いたネルガルは全くの反応を見せない。

視線さえ向ける事はなかった。震えながら力を使う彼への謝恩もない。

 

 

 

人形……自分の作品が創造主の為に動くのは当然の事なのに、何故一一反応を返してやらなければならない?

 

 

 

「ああ、そうか」

 

 

 

ただそれだけ。ネルガルは微笑みを浮かべたまま言う。

その様子に何か……違和感の様なモノをファは感じるが、それも気のせいだと流した。

大好きなおじさんに限って、危機などないのだから。

 

 

 

そしてファは完全なる形で安心を証明する為に言葉を続けた。

幼子だからこそ出来る、ある意味では無遠慮な問いかけだったが、胸の内側で燃え上がる焦燥を消したいが為に。

 

 

 

「おじさん……その…………お父さんと“けんか”したの……?」

 

 

 

ネルガルはその言葉を聞いて怒りはしない。いや、この程度で苛立ちを覚える程に彼の器量は小さくない。

ただ、少しだけ、困った様な顔を浮かべて頬を掻いた。そっぽを向いてから彼は何と言えばいいか考える様に視線を虚空に彷徨わせる。

ほんの僅かな間の後に、彼は一言一言選ぶように、慎重にファに言葉を渡していく。

 

 

 

膝を曲げ、ファと同じ目線まで体を下げてから彼女の眼をしっかりと見つめつつネルガルは言う。

 

 

 

「確かに私は今はイデア殿と少しばかり喧嘩してしまっている。……だけど、心配しないでくれ。必ず私とファの“お父さん”は仲直りする。約束するよ」

 

 

 

「ほんと?」

 

 

 

本当だとも、と、ネルガルが力強く言うとファの顔は綻んだ。

不安がかき消され、彼女は喜びを表すようにその場で跳ねる。

ネルガルの周りを駆けまわってから、彼の手を取ってぶんぶんと大きく上下に振る。

 

 

 

「ははは……全く、ファは何時でも元気だな」

 

 

 

 

そんな様子をネルガルはとても楽しそうに見ていた。

まるで成長した親戚の子を見つめる叔父の様に。

自分には…………恐らく子供などはいないが、持つとするならばこういった子が欲しいとさえ思った。

 

 

 

 

何故か、頭の奥で少しだけ頭痛がしたが……直ぐにソレは消えた。

ソフィーヤやファを見ると何故か最近、必要以上に胸の奥がとても鈍く疼く。

理解出来ない感情が鎌首をもたげてくるのをまた何時もの様に抑え込んだ。

 

 

 

 

ネルガルはこうしてファに対して最大限の敬意と愛情を表する。

イデアとは少しばかりの意見の“ズレ”によって今の所は少しばかり居心地の悪い雰囲気となってしまったが、それさえもいずれ元に戻る。

ただ、ファに判ってもらえば、そしてファからイデアへと取り成してもらう事が出来ればもっと早くこの理解不能な悪い状況からの脱却も可能になるはずだ。

 

 

 

ネルガルの頭の奥にイデアとのその時のやり取りが少しだけ蘇る。

今思い出してアレは全くイデア殿らしくない、とても……意味不明なやり取りだった。

 

 

彼はある程度は自分の術や力、思想を認めてくれたが…………たった一つの彼の質問に答えられないや否や、いきなりその態度が冷徹に見る見ると変わってしまったのだ。

今思い出してもあの時のイデアは本当に不可解であるとネルガルは信じて疑わない。たった一つの、彼からすれば無意味とさえ取れる質問に一瞬だけ我を忘れて言葉を濁しただけだというのに。

 

 

 

だが……その不条理な日々はもうまもなく終わりを迎える。

研究は大詰めに入り、後はその結果を一足早くこのファに披露し、そこからイデアとの和解は成るのだから。

これはとても刺激的なイベントであり、まだまだ余り他人に見せる気はない。そう、イデアにさえも。

 

 

 

ソフィーヤの時はうまくいかなかったが、今度は違う。

もっと面白く、興味深く、洗練されたモノをお見せできるとネルガルは確信している。

 

 

 

だからこそのキシュナの力だ。

彼の力はイデアの“力”が満ちている“場”に僅かばかりの穴をあけて、ほんの些細な間だけ彼の眼を鈍らせる。

そしてキシュナの力と存在は余りに希薄過ぎて、イデアがその穴に気付くことはかなりの集中を要するだろう。

 

 

 

何よりイデアはキシュナの結界の内部を体感したことはあるが、外側から見た事がないというのも大きい。

ぽっかりと自らの領域に空いた小さな穴の本質を見抜くのには時間が必要なはずだ。

 

 

 

時間は限られている。

少しばかりの遠足となるが、ネルガルは焦りを表に出すことなくファに言う。

 

 

 

 

「ファ。少しだけ……私と、遠足をしないか? 君に見せたいモノがあるんだ」

 

 

 

 

んー? とファが頭を傾げて答えた。

少ししてから、ファの頭はネルガルの言葉を理解し、彼女は眼を輝かせてから大きく首を縦に振る。

最近あってなかったのも含めて、改めてネルガルと親交を深めたいと思っている彼女にとっては正に願ったりかなったりの状況。

 

 

 

 

ファはわーっと黄色い歓声を上げると一目散に少し離れた位置にいるキシュナに走り寄り、そのざらざらとした水気のない腕を掴みとってから言う。

 

 

 

「キシュナさんも、一緒にいこう!」

 

 

 

キシュナが怯み、数歩後ろに下がるとネルガルは遠くからファに向けて声を掛けた。

彼の朗らかで、滑舌のよい言葉が遠くからファに飛んでくる。

 

 

 

「判っているとも。ソレもしっかりともっていくから安心して欲しい」

 

 

 

その言葉は暖かく、優しく、そして違和感に満ちている。しかしファはそこに抱いた違和感を見逃した。

久しぶりにネルガルと遊べるという喜悦に流されてしまったのだ。

 

 

 

ネルガルの両腕が大きく、鷹が獲物を狩る際にそうするように左右に開かれるとそこに魔力が集い光が溢れる。

そして瞬時にしてこの場にいた二人と一つの存在はその姿を消した。

 

 

 

 

後に残った静寂だけが全てを支配する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ネルガルの転移の術によってファとキシュナが飛ばされたのは里のかなり外れの場所だった。

かつてソフィーヤを招き入れた小屋よりも更に外れの場所は、理想郷の緑と砂漠の黄色が交わる場所。

ネルガルは転移の術がキシュナの力の圏内でも上手く発動した事に対してかなり上機嫌だったらしく、鼻歌交じりな様子でファを見つめる。

 

 

 

早く彼女に自分の努力の成果を見せてあげたい。喜んでほしい。心の底からネルガルは思っていた。

少しだけイデアに対して悪い様な気もしたが、直ぐにそれは問題ではなくなる。

彼とて実は判っているはずなのだ。実際の所今の状況はほんの少しのすれ違いが齎したつまらないことだと。

 

 

 

ただ“きっかけ”がないだけだ。

一度意見が別れると中々にその修復はソレがないと難しい。

 

 

 

ネルガルの目の前ではファがまとわりついてきた小動物たちとじゃれついている。

小さな耳の大きい猫……ミスルに生息する小動物の一匹が屈んだファの掌にしきりに頭を擦りつけて友愛の情を示す。

本来この砂猫と呼ばれる生物は滅多に誰かになつくという事はないのだが、初対面でこうまで心を許されるとはファの純粋さの成せる技か。

 

 

ごろごろと喉を鳴らすソレを胸に抱きしめたファはネルガルに褒めてもらいたいかの様にそれを彼に対して掲げて見せた。

 

 

 

「おじさん! この子、すっごくかわいい……!」

 

 

 

それに対してネルガルは笑みを浮かべた。

とても魅力的で、心の底からこの愛玩動物を慈しんでいるような優しさを湛えた笑みを。

 

 

 

彼の口が動き、言葉が紡がれる。

そこに溢れるのは心の底からの善意。ファを喜ばせてあげようという純粋な温かみ。

 

 

 

 

「そうだな。丁度いい。“コレ”にしよう」

 

 

 

え? とファが顔を傾げるよりも早くネルガルの腕は動いた。

砂猫が眼を見開き、威嚇の唸りを漏らすが、彼の腕がかぶさると同時に力が抜けていく。

 

 

 

眠る、とはまた違う。呼吸がゆっくりとしたモノに変わり、全身の筋肉からは力が抜ける……そうこれは“死”だ。

微かに青く発光するネルガルの腕は死そのものを宿し、ちっぽけな魂を刈り取ろうとするが──。

 

 

 

「くしゅんっ!」

 

 

 

ファが唐突にくしゃみをする。彼女の小さな体が激しく全身で以てわななく様に痙攣した。

 

 

 

ネルガルの腕は僅かにたじろいだように引き、その隙を見逃すまいと砂猫は眼を見開いてファの腕の中から逃げてしまう。

更に二回、ファは鼻に埃でも入ったのかくしゅん、くしゅん、と大きく腹の底からくしゃみをする。

うー、と涙目でファは茂みの中へと消えて言った砂猫を暫しの間未練がましく視線で追いかけていた。

 

 

 

「大丈夫かい? とりあえず少し水でも飲んで落ち着くべきだ」

 

 

 

ネルガルが腰から飲料用の清水が入った革袋をファに差し出すと、ファは礼を言ってからそれを受け取り、ちびり、ちびりと小さく口を付けていく。

中身の半分程度を呑み、満足したファは小さく息を漏らしてネルガルに感謝の言葉を続ける。

 

 

 

 

「ありがとう! ファね……おはなが、かゆいの…………」

 

 

 

うーと鼻が少し詰まってしまったのか呼吸しづらそうに大きくすーすーと深呼吸を繰り返すファの目をネルガルは見やる。

 

 

 

そしてからネルガルは辺りを見回した。ここは里の外周に近い場所。

外から入って来る砂の事を考えればファの状態も致し方ない。

あの砂猫が逃げてしまったのは残念だが、代わりなど幾らでも存在する。

 

 

 

この狭い空間には、とても不毛の大地とは思えない程の多種多様な命が存在しているのだから。

こんなちっぽけとも言える、エレブ全土から見れば砂粒にも満たない世界こそがイデアの作り上げた理想郷。

数百年の時を超えて存在するこの外界から隔離されたゆりかごの中では、ファという新世代の幕開けである“始神竜”が確かに産まれている。

 

 

だからこそネルガルはもったいないと思った。

イデアはファが色々なモノを見て成長するべきだと言ったが、それにはネルガルも同意だ。

ならば……里にだけ引き籠る必要など、ないのではないか? と。

 

 

 

謙虚は美徳とされるが、行き過ぎればそれは臆病や停滞に繋がる。

 

 

 

ネルガルはファを真っ向から見つめた。

そうするとこの小さな竜は顔を傾げて見つめ返してくる。

 

 

 

 

「おじさん、どうしたの?」

 

 

 

少しばかり固まって頭を回していたネルガルにファは少しばかり躊躇うように質問を掛けた。

ネルガルは自らがまた悪癖を出してしまったことを認識し、僅かだけ口の端を歪めて苦笑した。

 

 

 

全く。

 

 

ファと一緒に少しばかり秘密主義的な旅行を楽しんでいる時だというのに、自分は何を今更、当然の事を考えている。

 

 

 

「ファにプレゼントをあげよう。とてもキレイなモノだよ」

 

 

 

「きれいな、モノ? ほしい!」

 

 

 

ネルガルは懐に手をやると、そこから小石を幾つか取り出す。

小さなファの手の中にあっても小さいと形容できるだろうソレは、太陽の光を浴びてピカピカと光沢を放っている。

腰を屈めて、それをファの手に握りこませると彼女は無邪気に笑ってソレを穴が開くほどに熱心に見つめ……そして何やら固まった。

 

 

 

 

「おじさん」

 

 

 

 

ファは笑顔のままどことなく硬い雰囲気を醸し出し、そして自らの掌の中で転がる小石を見ながら喋る。

小さい小さい幾つかの石はファの“眼”にはまた別のモノに見え………そして叫んでいた。

 

 

ソレは竜石と同じ様であり、決定的に違う何か。

光り輝く命の塊……まだ生きていたナニカから抜かれたエーギル…………。

まだ、死にたくなかった。枯れたくなかった。私の命はまだ終わってはいない、と悲痛の声を上げている。

 

 

 

 

ネルガルおじさんにこの声は聞こえてないのだろうか? 

きこえているのならば、どうして、こんな………………。

 

 

 

 

 

その声を朧とはいえ聞き取ったファの中では先ほどから見て見ぬふりをしていた危機感が急速に広がっていく。

お父さんとおじさんが喧嘩した理由。それを今、ファは見てしまった。

見て、そして、今もしかしたら自分も危ないのではないかと疑ってしまう程に。

 

 

 

ありえない。ネルガルおじさんはファが産まれた時から色々と面倒を見てくれた大好きな人だ。

とても今自分は失礼極まりない事を考え、一瞬でもネルガルに酷い事を思ってしまった自分への嫌悪がファに湧き出る。

 

 

 

ファは産まれて初めて、素直に感情から紡がれた言葉を発さなかった。

彼女は初めて“誤魔化し”を行う。

 

 

 

 

「何だい? 凄く綺麗で、美しいモノだと自負しているのだが…………」

 

 

 

「ううん、ありがとう! キシュナさんにもあげて、いい……?」

 

 

 

キシュナ、という言葉を聞いた瞬間ネルガルの顔は僅かに引きつる。

まるで嫌いな人間の話題をいきなり持ち出されたかのように。

 

 

 

ネルガルは視界の片隅に石像の様に鎮座している自分の作った駄作を認めて、露骨にため息を吐いた。

最もこの世で尊敬し、憧れ、敬意を払っている存在の娘がよりにもよって自分の創りだした“駄作”に心を割くなど許されない事なのだと心底彼は実感する。

 

 

 

いや、もはや“作品”というのもおこがましい。

基本的に人間が出来る事も出来ず、闘いもできず、会話も出来ない。

唯一の取り柄である“沈黙の結界”だけは便利だが、それ以外に出来る事といえばただ考えて思うだけ。

 

 

 

 

心などもっていようと、それを表現できないのならば塵でしかない。

外見さえも上手く体裁を整えているだけで、人間に似ている所といえば四肢があり、顔がある事くらい。

 

 

 

…………何なのだ? 本当に。

何故、私はこんなモノを自慢げにイデア殿に見せてしまったのだ。

 

 

 

深い後悔を胸の内側に抱きつつ、ネルガルは努めて何時も通り、子供に言い聞かせる口調でファに彼からすれば当然のことを言う。

ネルガルに悪意はない。彼はただ思っただけだ。ファは少しばかり純粋すぎる。

それを少しだけ自分が教育してやり、ファに超越存在として相応しい立ち振る舞いを覚えて貰うために。

 

 

 

 

「あぁ……ソレはね。実は私の作った【モルフ】であって人じゃないんだ。

 だから「さん」なんて付けなくてもいいし“アレ”に妙な気遣いは無用さ。神竜であるファからすれば……そうだな、召使とでも思ってくれていい」

 

 

 

 

「めし……つかい?」

 

 

 

その言葉の意味が分からない程にファは既に赤子ではない。

一度に与えられた情報が多すぎて彼女の頭は困惑していたが、彼女は直感で本質だけを処理していく。

ネルガルがキシュナの“親”だということ。そしてネルガルはこれっぽっちもキシュナに対して情などもっていないこと。

 

 

 

 

 

 

 

ファはネルガルの腕を掴んだ。少しだけたじろぐような気配を発した彼の目を見据えて言葉を吐き出す。

心の底からブレスを吐く様に言葉に思いを乗せて、それが彼に届くことを信じて。

 

 

 

 

「おじさん、キシュナさんは……“モノ”じゃないよ? すごく、いい人で…………」

 

 

 

「“モノ”は“モノ”だと言っているだろう。

 譲歩したとしても“ソレ”はこの里に更なる栄光を齎す踏み台でしかない……ファはまだ小さいから判らないだけで、いずれは私の言葉の意味が判るさ」

 

 

 

 

煩わしいとネルガルはファの腕を少しだけ強引に振りほどいた。

どうしてこう、イデアにせよ目の前のファにせよ“命”という分野についてそこまで拘りを持つのか。

イデアと近しい事をファが述べる度にネルガルの胸の中の黒い部分が膨らんでいく。

 

 

 

ファが必死に光でネルガルを照らす程に、影は濃くなる。

最も強い光は、最も濃い闇を焼き付けていく。

 

 

 

 

「キシュナさん、見てほしいっていってたよ! おじさんの役にたって、いつか褒めてほしいって……キシュナさんにとって、おじさん、は……たった一人の“おとうさん”……だから……」

 

 

 

 

ファの根底にある部分がこれだけは受け入れないと叫ぶ。彼女の血肉を、エーギルを形作る“親”の根底に刻まれた部分からの共鳴。

父親を求める心。認めてもらいたい心。話せなかった絶望。ファはそれらを無意識の部分で産まれる前から知っている。

 

 

 

 

言葉を紡ぎ終える前に堪え切れずファは泣いてしまった。ボロボロと眼の淵から止めどなく流れる熱い液体をファは初めて感じた。

まだまだ今より子供だった頃、自分の思うようにならずに泣き散らしていた時とは違う。本当の意味での悲しみをファは一つ味わう。

自分の為ではなく、仮初の命とはいえ「他人」の為に竜は心の底から悲嘆していた。

 

 

 

遠くからキシュナはファを見ていた。身じろぎもせずに。

ただ、彼は…………………初めて自分の意思による行動を見せた、主に逆らう行動を。

 

 

ネルガルはそれにさえもはや気が付けない。彼の眼は、何処を見ている?

 

 

もう言葉さえままならず、大声で泣き腫らすファを見てネルガルはため息を吐いた。

それは呆れから来るものではない。心の中で暴れ狂う無数の感情を処理するために産み出された吐息。

理解出来ないと言った感情が渦巻くと同時に、彼の胸中にはファの言葉を理解出来てしまう部分もあった。

 

 

 

一瞬だけ頭が冴えわたり、今まで彼の大部分を占めていた燃え上がる様な歓喜と渇望がなりを潜めて冷や水を頭からぶっかけられた様な衝撃が彼を貫く。

 

 

 

自分は、何をやっている? ふとした疑問。それは紛れもなくネルガルの心から零れた言葉だった。

だが直ぐにソレは消えて代わりに浮かび上がるのは目の前のファの泣き顔から生み出される得体のしれない感情。

泣き腫らした子供の顔。父を求める声。理不尽に対する涙。

 

 

 

 

 

全て、鬱陶しい。

 

大切だ、とても。

 

目障りだ、何もかも。

 

子を、守り通したい。

 

 

 

力を手に入れなければ。何も難しい事はない。

 

 

 

ぱち、ぱち、と頭の中で白と黒が鬩ぎ合う。幼子の鳴き声が無数に反芻し深く刻み込まれ、胸の奥を抉り取る。

瞼の裏で稲妻が爆発を繰り返し、繰り返し……ネルガルはまた誰かに“共感”を抱き、それだけが残った。

喪失の恐怖と痛みと絶望と憎悪だけが残った。残骸になった愛が消え、煙を上げて燃えカスになる。

 

 

 

 

野心、虚栄心、欲望、傲慢、利己心、その全ての集合体である“怪物”が彼の心の底で本当の意味で孵化しようとしていた。

それは無意識であった。ネルガルの腕は一つの術を発動させたままファに向けて緩慢に伸ばされていく。

 

 

 

産まれてから全てを手にした光そのものとも言える“太陽”を掴みとらんと。

自分のもっていない全てを労せず我が物にしているファから奪おうと。

影の中に身を潜めたモノが愛しい“太陽”を抱きしめる様に。

 

 

 

 

さながら磁石の対極同士が惹かれあうか如く。

 

 

 

 

「…………!」

 

 

 

ファは抵抗さえしなかった。彼女はただ、黙ってネルガルを見ていた。

涙を零し、しゃっくりあげながら体を戦慄かせたファは本質的に自分の危機を理解し、それでもあえて逃げない。

逃げずに、童の2つの眼は今でも大好きなおじさんを恨み一つ宿さず映している。

 

 

 

 

 

「おじさん……ファは、どうなってもいいよ……だから、あとでキシュナさんとお話してあげて?」

 

 

 

ネルガルは何も答えなかった。ただ彼の手はファに震えながら伸びるだけ。

震えた理由は、恐怖か、それとも興奮か。はたまた…………。

 

 

 

 

ファの手に握りしめられたエーギルの塊が淡く輝きを発し、空に溶け、一輪の光の花を虚空に咲かせた。

ファは眼を閉じた。その身体に空から降り注ぐ小さな青い粒子が絡みつき、竜は全身の力を抜いて道に倒れ伏す。

華奢な体が完全に地面に崩れ落ちる寸前に唐突に現れた“青”が優しく彼女の身体を包む。

 

 

 

 

 

大賢者の放った【スリープ】はファの精神に生じた揺らぎを通して彼女の魔的な防御能力を上回り、ファを安らかな眠りの世界へと誘う。

心を許している存在からの術をファはもしかしたら“あえて拒まなかった”のかもしれない。

 

 

 

 

大きな木製の杖を傍らに浮かばせ、真っ白な頭髪と髭を生やした老人がファを慈しむように抱えていた。

老人…………アトスの瞳は何時にも増して鋭い光を宿し、ネルガルを見据えている。

枯れた老人から生み出されているとは思えない厳粛な気配は重圧とさえなってネルガルの動きを縛り付け、彼の逃避を許さない。

 

 

 

 

ネルガルは静止した。

目の前に現れた親友を前に彼は固まり、次いでいつの間にか周囲に展開されていた結界が消えていることに気が付く。

 

 

 

いや、いや、いや、もう彼にはそんな事はどうでもいい。

 

 

 

 

 

「ネルガル」

 

 

 

 

大賢者はネルガルの名を呼んだ。

それだけだというのにその言葉は幾つもの意味を宿している。

アトスの言葉に感情は宿っていない。

 

 

 

 

ただ、断罪者が咎人の罪を読み上げるような絶対性がある。

 

 

 

 

「アトス。わが友よ。私は……今、何をしようとした?」

 

 

 

 

ネルガルは自分の発した言葉に疑問を抱いた。

喋ろうとした言葉と、実際に口から出た言葉、そして胸中、全てバラバラだ。

後、指一本分程の距離でファの存在を刈り取る所だった腕だけが無様に未だに固まって伸ばされている。

 

 

 

その腕は自分の腕だというのに、一瞬だけネルガルには酷く恐ろしいモノに見えた。

だらんと、腕から力が抜けてネルガルは左右に大きく揺れる。

そんな様をアトスは黙って見つめていた。

 

 

 

 

アトスはネルガルの問いに答えなかった。

代わりに答えてくれたのはネルガル自身の、彼の中に巣食う“怪物”だ。

甘い言葉を“怪物”は耳元で囁いた。黒い祝詞をネルガルに浴びせた。

 

 

 

 

“お前は正しい事をしようとしたんだ。ただ、少し急ぎ過ぎただけだ”

 

 

 

 

自分が欲しいモノを欲しいと認めて、行動すればいいだけだ。

 

 

 

 

「アトス。確かに私は今、取り返しのつかない事をしようした」

 

 

 

 

ネルガルは大きく息を吸い、そう宣言した。

アトスがファを庇うように数歩下がるとネルガルは可笑しそうにその様子を見て笑った。

肩から力を抜いて一切の苦を感じさせない姿で堂々と振る舞う。

 

 

 

 

「しかし……アトス。私は新たなる術を編み出して思ったんだ。

 この術には無限の可能性が宿っている。その可能性の力をこの“僻地”だけを守るのに使うだけでいいのかと」

 

 

 

 

「“無限の可能性”だと? エーギルを奪い、自らの力に成すあの術が? お前を信じて慕うこの子の命と心を傷つけたあの術が……」

 

 

 

 

 

そうだとネルガルは躊躇わずに頷いた。

あれこそ究極の進化に至るカギだと。イデアと肩を並べる為の力を得る道なのだと。

もはやネルガルの頭に迷いはない。彼は大仰に両腕を動かし、ただひたすら熱心に演説する。

 

 

 

 

ファには確かに悪い事をしたと彼は思っている。だが、それもいずれ過去の事となる。

大切なのは自分とアトス、そしてイデアが創りだす素晴らしい未来の事だと彼は信じている。

 

 

 

 

「生物は他の力を取り込んでより優れたものへと進化を繰り返す。

 人が技術や文明を発展させる様に! 私達はイデア殿の齎してくれた神の知識によって最高の進化への道を見出したんだ!!」

 

 

 

エーギルという概念。命の支配。正に神の御業。

その一端に触れて、彼らは可能性を垣間見た。

一人は途中で身を退き、もう一人は更に奥へと進んだ。

 

 

 

 

ネルガルは笑っていた。

無邪気に、友に持論を展開し、そこに同調してくれると信じて。

身を焼くような高揚感と頭の中でキラキラと光る稲光が彼を満たしていた。

 

 

 

太陽が陰り、立ち並ぶ木々が齎す影の中で彼は語る。

 

 

 

「我らにとっての“理想郷”はこんな砂漠の隅で隠れ住む様な事じゃない。 私とアトス、そしてイデア殿が力を合わせれば望む全てが叶うとは思わないか?」

 

 

 

エーギル、エーギル、命の、意思の持つ可能性の力。奇跡を手繰り寄せ、支配する力。

間違いなくこの概念の深奥を究めたモノは全ての事象を支配する“神”を名乗る域に至れるであろう甘い魔道の道。

一人でその全てを登りきるのは不可能だが、この里に在する自分とアトス、そして竜ならば可能だと彼は信じている。

 

 

 

ネルガルの眼には純粋な喜びと興奮が炎の様に浮かび上がっていた。その顔は何処までもこの里に訪れた時の彼と変わらない。

中身も、少なくとも彼自身は全く変わってないと思っている。

 

 

 

「……力を求める事、望む事は悪だとは言わん。だがネルガルよ……お前は本当に自分が今語っている言葉の意味を理解しているのか」

 

 

 

 

基礎の基礎故に誰も気に留めなかった不安要素。おおよそまともな師がいればまず最初に習うべきはずの知識への恐怖。

アトスが最初に彼に抱いた懸念である純粋さと一度何かに没頭すると他が見えなくなり、自分を客観的に見れなくなる悪癖。

 

 

 

その全てがここに表れていた。

 

 

 

「私はそこまで子供じゃない。まさか自分の理想を語る事が悪い事だとでも言うのかな? 私はただ……この地で得た素晴らしい知識を以て、友と共に更なる高みを目指したいだけなんだ」

 

 

 

 

アトスは自分の腕の中で眠るファを見た。

何時も彼女が眠っている時に見せるあどけなさはなく、そこにあるのは人形の様な無表情。

ぎゅっと安心させようにファの手を握ると、幼い竜はしっかりとなけなしの力を振り絞って握り返してくる。

 

 

 

アトスに出来るのは今はこれくらいだった。

傷ついたファの心を癒すのも、目の前のネルガルへの最終的な判断を下すのも、自分ではない事を彼は理解していた。

大賢者はただ、大きくため息を吐いて首を弱弱しく振る。

 

 

 

今この場にフォルブレイズがあれば。否、今ここで自分になりふり構わず成せる勇気があれば。

彼は年を取り、かつての戦役時代の様なある種の若さ……先を気にせず今正しいと思った事が出来るだけの勢いはなかった。

 

 

 

ローランやハノンの様に自分が正しいと思った事を実行さえ出来ず、ハルトムートやバリガンの如き鋼の意思もない。

更にはあれほど忌み嫌ったテュルバンの行動力さえ今の彼にはない。

彼のしわくちゃの顔には何とも言えない感情が刻み付けられ、更に深い陰がさしている。

 

 

 

ここに居る自分がどれほど惨めで、滑稽で、無力「であろうとする」弱い男なのか理解してしまった顔。

竜の里に対する影響や、イデアの事や、今胸に抱いているファの安全。それらを考慮して計算してしまう。

 

 

 

しかし本心ではただ、彼は…………。

 

 

 

 

 

「………ファはワシが連れていく。もう一度だけ、イデアとしっかりと話し合うのだ」

 

 

 

 

“もう一度だけ”

 

 

 

ここには想像も出来ない程に深い響きが宿っていたが、どうやらネルガルはそれには気が付けなかった様だ。

アトスが踵を返すと同時に間髪入れずもう一つの声が場を満たす。高く、透き通っていて優雅な女性の声が。

 

 

 

「後はお任せ下さい」

 

 

 

立ち去る老人と入れ替わるようにアンナが木々の影から現れる。

しかしその顔に何時もの余裕を湛えた笑みはなく、無表情だ。

極めて珍しい、感情という感情を排した彼女の顔はまるで完成された芸術品にさえ思える。

 

 

 

 

「長からの通達です。今晩もう一度話がしたいとの事。場所は追って伝えますわ……ネルガル」

 

 

 

 

最後に付け加える様に呼んだ彼の名前は何処に響かせようとしているのか。

それはアンナ自身でさえ判らない。ただ彼女は役目の為に淡々と自らの仕事を行う。

 

 

この役割は自分が任されたモノだ。

処刑執行の通達係の様であり、断頭台の上に誘導する付き添い人の様でもある仕事だが、彼女は逃げもせず、悲嘆もせず、ネルガルを記憶し、観察する。

 

 

 

 

目の前で無邪気にイデア殿に認められたのだと、考え直してくれたと歓喜するネルガルからアンナは眼を背けることだけはしなかった。

 

 

 

 

炎の様な彼女の眼は、瞬きさえすることなくネルガルを、男を見ていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 






とてつもなく長くなったので、2つに分割します。



もう一話は近いうち、恐らく手直しを含めて、深夜には……IFの発売前には更新したかったのですが、仕事とIFのプレイ、それとまた例の延々と文字数が増殖していく戦闘話特有のアレで遅れました。
しかし皆様を待たせた分、前日譚の最初で最後の闘いを彩る出来になったと自負しています。
テュルバン戦に匹敵する大規模な戦闘ですが、何とか書ききれました。



それにしても、まさかIFで「神祖竜」の単語が出てくるとは……正直ドッキリしましたw



FEも色々と「異界」によってクロスオーバー等が盛んになってきて、作品を超えた格キャラ同士の絡みも気になりますね。
いつかこちらのIFの続きを書くときに参考にしたい限りです。



これからも、多くの人にFEシリーズの素晴らしさを知ってもらうために頑張ります。



この作品は「arcadia」様にも投稿されています。





では、次回更新にて。



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