ラグ村の兵役につく者たちは、領主であるモロク家の城館内にある兵舎で起居する決まりとなっている。兵同士の連帯感を醸成するためというのが昔から言われていることなのだが、緊急時に手っ取り早く動員できるようにするために手近に囲っていると言うほうが現実により近い。
まあ食事が朝晩の2回保障されているというのは、兵士たちにはそれなりにメリットではあったのだけれども。
「母なる大地に感謝を!」
「「「感謝をッ」」」
「そして父祖伝来の土地にいまし、雄雄しき土地神の御霊に御礼を!」
「「「御礼をッ」」」
お決まりの祈りを捧げた後に、ご当主が一番にひとくち目を口にしたのを見計らって、全員の食事が開始となる。領主家のテーブルは少し高い位置の特別な場所にあり、その他はいくつか並んでいる長テーブルを囲んでの窮屈な夕食であった。
今日の食事は限りなくお湯に近い芋の欠片入りスープと、カチカチの黒パン、茹で上げただけのプリット(アスパラガスっぽいヤツ)である。むろん席につく前に配膳にありつくべく兵士たちは鍋の前に並ぶのだが、満足に働いていない役立たずは健常者たちの残り物しか与えられず、今回もカイの目の前にはカビの目立つぺしゃんこの黒パンと、完全に具がないスープだけだった。いまが旬のプリットはまったく当たらなかった。
「…んなに見つめたって、分けてやんねーぞ」
「…いや、ちょっと気になっただけで」
カイはじろじろと隣のやつのプリットを検分して、やはりグリーンアスパラガスっぽいなと思う。好奇心はあるもののアスパラに特に思い入れはなかったので、気になっただけというのは嘘ではない。
(味は想像できるからまあいいんだけど……ビタミン不足が気になるなー)
カイはおのれのなかに色濃く復元された前世の記憶をおのがものとし、いまおのれが生きている世界を再俯瞰しようとしていた。
いろいろと物知りであった前世の人格などはほとんど他人事のようにしか捉えられないのだけれども、もたらされた大量の知識はカイという未成熟で知識不足だった少年の意識を急速に成長させつつあった。
食事の質の悪さが、健康を損なう原因になる……その具体的な理屈を知ってしまったがゆえに、貴重な栄養源の摂取機会を逃してしまったことが悔やまれた。
同様に衛生観念もこの世界のそれとは合わなくなり、黒パンのカビが気になって仕方なく、それを爪で入念に削り取っていると、「食べ物を粗末にするな!」とマンソに拳骨を食らってしまった。
(どこかでどうにかしないと、オレはたぶん『栄養』とか言うやつが不足して、早死にするかもしれない。…いずれはオレも、あのぐらいのが食えるようになりたいな…)
カイの羨望の眼が向けられたのは、領主家の食卓だった。
料理は基本変わらないものの、具がたっぷりの山盛りスープと、こぼれそうなぐらい盛られた茹でプリット、仕留めてから寝かされていた冬渡り(真鴨か?)のあぶり焼き、そして焼きたての柔らかいパンに給仕女から注がれる美味そうな白い液……おそらくはミルク。
格差社会というやつだった。
スープを口にしようとして、口もとに違和感が漂着する。
「全部喰えよ、分かったな」
「………」
こそいだパンのカビが、いつの間にかスープの中に放り込まれていた。
えっ、これマジで喰うの?
仲間たちから集まる非難のまなざしに、カイは生唾を飲み込んだのだった。
文明などというものにかなり縁遠いこの世界の生活サイクルは、まさに田舎のジジババのそれに近い。
明るくなったらすぐに起きて、明るい日中を目一杯活用した後に、夕食を食って寝る。俗に言う早寝早起きというやつだ。
兵舎の中の、班ごとにあてがわれた狭い部屋に、カイはまんじりともできずに横になっていた。
部屋はすでに盛大ないびきで充満している。男臭さ、暑苦しさは天井知らずである。季節はいま短い雨季が終わり初夏といったところだが、幸いにして辺土の北のほうにあるこの地は夏でもかなり過ごしやすい。代わりに冬はとてつもなく厳しい土地なのだけれども……いまはそんな辛い季節のことを思い出すべきではなかろう。
どうにも眠気がやってこず、仕方なく起き出したカイは兵舎を抜け出して、人目のない城館の薬草園のある裏手のほうに出た。そこには村で一番いい水が出るという深井戸があり、渇いた喉を潤そうと思ったのだ。
釣瓶で水をくみ上げ、思うさま喉に流し込んだ後、夜空の星を見てまだまだ夜が長いことを実感する。
(…やっぱ、試してみよう)
カイは辺りを見回して、人目がないのを確認してから薬草園の脇を抜け、さらに人目を避けるように農具などが仕舞われている小屋の物影に身を潜ませた。真夜中に人目なんかあるのかと疑問に思わないでもないのだけども、亜人族の夜襲なんかの可能性もあるので、寝ずの番が何人か城館の物見台に上がっているのだ。
物陰にしゃがみ込んで、そこでふうと息をつく。
なかなか眠気がやってこない理由は実は明白であったりする。むろん最近得たばかりの知識を試したいという好奇心がむやみに神経を高ぶらせているのが原因だった。
お約束はまず確認、と頭の中で誰かがささやいている。
(…この世界は、どうも『ファンタジー』っぽい雰囲気があるし、可能性的に試さないわけにはいかないよね)
『神石』という魔石っぽいものの中身を食べるとレベルアップするし、土地神の加護を得て超人っぽくなっているチート連中もいる。
その不可思議な『仕様』がなにか魔力的、霊的な力を根源として成り立っているのなら、その力を純粋に取り出して利用する手段だってあってもよいはずだった。
まずはおのれの身体全身に意識を配り、なにか『ゆらめき』に近い異物感を探す。血の中に混ざっているとも、未知のチャクラ的なものから発されているとも考えられる。
当然のことながら、その不可思議な力の源として最有力候補であるのが、この体の中にも納まっている丸い骨、カイという存在の経験値を封入している『神石』であった。
それが体のどこにあるのかは、体感的に分かっている。レベルアップの時にもそのあたりが熱くなったから、たぶん心臓のあるあたりに自身の『神石』は埋まっている。
あのとき感じたレベルアップが生物としての諸元……『パラメーターアップ』ならば、オルハ様やご当主さまのアレは神の恩寵的なもの……当人が至って普通に過ごしているから憑神的なやつじゃなくて、『パッシブスキル』的な加護による能力付与だと考えられる。いや、純粋に霊的な存在がいて、その憑依によるリアルな身体強化という線も否定はできない。
まあともかく。
魔力的、あるいは霊的な不思議力がこの世界には存在する可能性が極めて高い。ならば『魔法』だって、あってもおかしくはない。
(…火魔法!)
こういう時にいちばん最初に試したくなるのは、やっぱり『火魔法』だった。
主に中二病的に。…中二病?
想いが高まるにつれて、胸の奥の『神石』が熱を発し始める。最初はポカポカとあったかいなと呑気に考えていて……それが昂じるほどに胸の動悸が激しくなっていくことに気付いた。
(な、んだこれ……やばい)
『神石』がおのれの中の生命力を根こそぎ、『ある願望』を実現せんと掻き集めているような気がした。まさか『魔法』実現に足りないリソースを『神石』が強制回収しだした!?
呼吸まで苦しくなってきて、カイはそのまま背を丸めてあえいだ。
そうしている間にも、イメージした右手人差し指のあたりが急激に熱を帯び始めている。触ると熱いので、カイはその右手人差し指を恐れるように捧げ上げた。
そうして次の瞬間。
ポッ…。
不確かな『向こうの世界』から突然現界したかのように、揺らぎの彼方から現れた小さな光が、カイの人差し指の先でたしかな自然現象として『火』になった。
取るに足らない、蝋燭の火のような小さな灯。
それをうずくまりながら見上げたカイは、喜びよりも前に死んでしまいそうなおのれに恐れおののいていた。全身の熱がすべてその『火』に奪い尽くされたように、体が冷えはじめていた。
「…や、ばい」
どうにかこの『火魔法』を止めないと本当に死んでしまう。
腕を激しく振っても火は消えてくれない。地面になすりつけても消えてくれない。
おそらく何らかの意思の力で『神石』に働きかければ、火を消すことも可能なのはわかっているのだけれども、いまは一刻を争う緊急時なので考え込んでいる場合ではなかった。
そうしてカイは思い出した。
(…水ッ!)
井戸の水で火を消す。
火には水。考えとも呼べない思い付きであったが、もうそれしかないとカイは這ようにして立ち上がり、死にもの狂いで井戸へと駆け寄った。
指に火が付いたままだったが構うものかと釣瓶を引き上げる。そうして得られた水の中に、指を突っ込んだ。入れた瞬間に、じゅっと音がした。
(…えっ、消え、ないの)
恐ろしいことにその魔法の火は水の中でも燃えていた。
水桶の中が丸く輝き、それを浴びたカイはとうとう人目についてしまった。
「そこにいるのは誰!?」
高く透き通った声音。
光る水桶を抱え込むようにして隠したカイは、声のした方を振り返った。
そこには暗闇の中でも白くよく見える、ご当主さまの娘、白姫様がこちらを見つめていた。
おそらく彼女も喉の渇きを癒しに来たのだろう。水瓶の水よりも井戸のそれの方が断然冷たいしおいしいから。
「…なんでその桶、光ってるの?」
いきなりカイの『魔法』が露見しかかった瞬間だった。
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