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神統記(テオゴニア)
作者:るうるう/谷舞司
3/181
ラグ村の少年
03






 ラグ村は辺土の北にある。

 人口は千人ほど。人のまばらな辺土においては比較的大きな集落のひとつだったろう。村は丈高い荒積みの石壁に囲われていて、半ば城砦のような風情を備えている。

 むろんそれは亜人種族などの外敵から身を守るためであり、本来土塁程度のものでしかなったそれを膨大な労力を費やして見上げるような壁にまでした父祖の努力のたまものであった。

 村の領主は土豪モロク家。

 当主はモロク・ヴェジン。辺土では『鉄の牡牛(トール)』とふたつ名で呼ばれる勇猛な武人である。

 部屋の入り口を潜るたびに屈まねばならないほどの上背と、樽のように太い体、頭をがっちりと固定する短い首。まさに怒れる牡牛さながらに敵を射すくめる苛烈な容貌は、本当に泣く子を黙らせるほどである。

 じっとしているのが好きではないご当主様は、よく兵たちの訓練場にも顔を出した。そのかわいがる相手を探す目を見て、訓練の兵士たちが必死に視線をそらすのはいまに始まった話ではない。


 「訓練を付けてやろう」


 その『鉄の牡牛(トール)』が、今日のお相手を定めたようだった。




 兵士として戦わねばならない男たちは、日常の田畑の仕事などを減免される代わりに、昼下がりから訓練場に集められ、敵を殺すための反復練習に明け暮れる。

 訓練の指揮は、こめかみに大きな傷のあるバスコという壮年の男がとっていた。数限りない殺し合いを生き延び、相応の恩恵……殺した敵の分だけ、『神石』の髄を取り込み続けたこの男は、飛び抜けた身体能力を持っていた。

 武器を打ち合えば必ず相手の手をしびれさせてしまうし、駆ければ歳の差など関係なく常に一番、壁を蹴って飛び上ればそのまま家の屋根に着地できるほどの跳躍力を発揮する。

 雑兵たちの中で一番強いバスコであったが……このときばかりは少しだけ嫌そうな顔をちらりと見せた。ご当主様の『ご指名』は一番目立つところに立っていたこの男だったのだ。

 稽古をつけると言ってもラグ村最強の『加護持ち』であるご当主様に、形だけでも抗いうるのはやはりバスコだけであったから、歯ごたえのあるなしで彼がご指名を受けやすいというのは厳然とした事実であった。

 機嫌よさげに練習用の棒を振るうご当主様の様子に、バスコは内心の辟易を糊塗するように喜ぶ様子を見せた後、一切の表情を消してご当主の前に立った。

 短く刈った胡麻塩頭に木と皮で作られた兜をかぶり、使いこまれて飴色の艶がある皮の胸当てを手早く身に着ける。

 そして棒を突き出した格好で半身に構えを取った。


 「どうぞ、よろしくお願いいたしまする」

 「…うむ。…わしが手ずからおまえたちに見本を示してやろう。よおく見ておくがいい、これが『力ある者』とそうでない者との戦いのありようよ! 必要がなければ無意味に死ぬことはない、そのような『力ある敵』には近寄らぬが吉であろうが……対抗するにふさわしい者を得られず、お前たちの手できゃつらを押さえ込まねばならぬ時もあろうゆえな」


 軽くご当主が頷いて見せることで、模擬訓練が始まった。

 一礼して、軽く棒の先を当ててから、ご当主様とバスコが円を描くように互いの位置を巡らせていく。『円の歩法』と呼ばれる辺土武術の特徴である。

 より正しく言うなら大昔に辺土の戦場を転戦した有名な傭兵王、ズーラの名を冠した武術、ズーラ流武闘術の歩法であった。




 「カイ」


 呼ばれて、少年はそちらの方を見た。

 訓練場の端っこで皆が思い思いにご当主様とバスコの打ち合いを見物している。少し遅れてやってきたらしいマンソが、カイを見つけて手を振ってきた。

 見物の兵士たちに手振りであいさつしつつ、カイの隣に胡坐をかくと、なんでもないようにほいっと何かを押し付けてきた。

 思わず受け止めて、カイは瞬きする。

 赤紫色の房状に実ったその小さな果実は、草原の岩の隙間などからよく生えている岩苺(モランゴ)の実であった。

 目にした瞬間に、お腹がぐーと鳴った。


 「…いいのか」

 「食えよ。たまたま見つけて摘んだだけだからよ。喰いもん減らされてきついんだろ。…働きのないやつは容赦なく減らされるからよ」

 「…すまん、助かる。腹が空き過ぎて辛いんだ」


 遠慮なく岩苺を口に放り込んでから、その酸っぱさに顔をくしゃくしゃにする。味はいまいちでも辺土の貴重な栄養源のひとつである。自分が食べてもよかったのにそれを分け与えてくれたマンソに、「ありがと」と改めて感謝の意を示す。


 「…今日も見学だけか」

 「働かねえなら草むしりぐらいはしとけって言われてさ」

 「…食い扶持はしっかり削られてんだから、嫌味なんか無視して休んでりゃいいのによ」

 「そうも言ってられねえよ。ぶつくさ言われると居心地悪いし」

 「まあ無理だけはすんなよ。カイが抜けるとうちの班の槍持ちが足らなくなるからよ。近々また隣村のほうがきな臭くなってるみてえだし、早く復帰してもらわねえとまずいんだわ」

 「…なんか噂でもあるのか?」

 「さっき小耳にしたんだけど、となりのテンペ村の近くで豚人(オーグ)族が悪さしだしてるらしい」


 これは辺土あるあるな話なのだが、亜人族の襲撃があるときは、決まって何らかの兆しみたいなものがあったりする。人族の女子供を攫うことを好む種族なんかがいて、人族の警戒が薄いうちにいくらかでも欲求を満たそうと先走ることが多いのだ。

 豚人(オーグ)族などはその典型的な種族で、人族からは特に忌まれていた。


 「…なら、襲撃が起こるのも近いな」

 「ああ、だからお前も早く治せや」


 なんとなくふたりの目線が広場の中央にいるご当主様とバスコの姿に向けられる。慣れた者同士の対戦であるので、無駄な打ち合いみたいなのは一切なく、お互いに間合いを掴むためだけにときおり槍先を合わす。カン、カン、と木の打ち合わされる音が響いている。

 そして唐突に両者が激しい打ち合いを始めた。主に攻め気を見せたのはバスコのほうだった。

 むろん両者の戦闘力は、バスコをもってしてもご当主様が圧倒的なのはみなが知っている。

 普通に牽制の一打であっても、軽く打ち合ったつもりがそのまま武器をたたき折られるなんてことが起こりうるため、単純な打ち合いは早々に見切りを付けられ、バスコが足を使って飛び回りだした。その優れた足腰が生み出す変幻自在の打ち込みは、まさに目にも止まらぬと言う表現にぴったりだった。

 しかしご当主様の恐るべき眼は、そのすべての動きを見切ったように最小限の『合わせ』のみで殺到する槍を払いのけている。


「ハァッッ!」


 気合の声とともに、バスコの渾身の一撃が繰り出された。

 上体ばかりを狙っていた槍が一瞬の隙を突くように下へと打ち出され、それまでの攻撃がすべてフェイントとなってご当主様を棒立ちにさせた。

 狙いはご当主さまの足……防御の要となる『円の歩法』の起点となる左足であった。

 やったか! 見守っていた雑兵たちの、バスコへの期待がわぁっと短い歓声となってはじけたのは束の間のことだった。

 すぐに衆目の目に明らかになる現実。

 バチィィッと肉の割けるような強烈な一撃がたしかにご当主様の足に命中したのだけれども……ご当主さまはまったく微動だにせず、そればかりかそろりと見上げたバスコの顔を、にいっと笑って見返したのだった。


 「払うだけでは『力ある者』は止められはせんぞ。…力なき者が槍のみで相対すのならば、有効な攻撃は一点への『突き』だけだと知れ」


 バスコの渾身の打ち払いも、身体能力を著しく向上さている『力ある者』には痛痒も与えないということなのだろう。『鉄の牡牛(トール)』の切り株から削りだしたような図太く頑丈な足には、痣の跡さえも残ってはいなかった。

 槍持ちの戦いとはその武器の長さを利して、相手を間合いの外から叩きのめすというのがもっとも有効な戦術のひとつだった。相手を殺したいときは突くしかないのだけれども、突く前に相手を叩いたり払ったり、ともかく体勢を崩させるそのワンポイントを置くことで随分と敵を殺しやすくなるのだから、『叩く』『払う』というのは槍の非常に有効な使用法であるのは間違いなかった。

 しかし『加護持ち』……その地に根付く土地神の恩寵を受け入れ『特別』となった人間は、一般人の枠をあっさりと逸脱する存在となる。

 先日の戦場でのオルハがそうであったように、父親であるご当主さまもまた『加護持ち』であり、モロク家が家宝として保持しているいくつかの神霊のうち、最大規模の本村、ここラグ村に根付く土地神のそれは特に強い力を持っていた。


 『ラグの守り神』


 本来名もなき土地の御霊は、住民たちによって土地の名を冠される。


 「雑兵相手ではないのだ。払うのではなく突け! なれば相手の硬い防御に穴を穿つことが可能やもしれん」

 「…はっ」


 バスコはその蘊蓄語りに耳を貸さず、素早く身を退くと、両手を巧みに使って長い棒を勢いよく回し始めた。ご当主さまは「突け」と教示されたのだけれども、バスコはそれに素直に従うつもりはないようだった。

 槍は打突の力が最も優れていることなど、村一番の槍巧者のバスコには今更のことであったのだろう。

 回転の力で威力を嵩増(かさま)しして、あくまで『叩き』で対抗しようというのか。バスコの振り回す手の中で、棒の持ち手が徐々に尻へとずれていく。それに応じて、棒の回転半径が大きくなっていく。

 中心から離れれば離れるほど、回転半径が増すほどにその先端の速度は劇的に増速していく。

 ご当主さまはそれを見て、「こい」と手招きした。

 村一番のつわものが挑む気持ちを失わないことがうれしそうだった。

 回転の力が最大になったと見計らったバスコが、その瞬間槍の石突のあたりにまで手を滑らせて、回転半径を極大化した。その回転の力が最後に行き着く場所は、ぶれることなくご当主さまの左足だった。

 ご当主さまは、その攻撃さえも無防備に受けた。

 パアァァンッ!

 破砕音とともに、訓練用の棒の先が粉々に砕け散った。

 見学していた男たちのすべての視線は、ご当主さまの左足に注がれている。

 さすがの『加護持ち』も、あの攻撃をまともに食らったのなら……などと、おそらく皆が思っていたことだろう。

 しかしそこには、最前と変わらぬ無事な足があり、半ばから折れた棒を引いてバスコが深々と頭を下げている姿があった。

 ご当主さまはというと、変わらずバスコのほうを見下ろしていた。

 ただし、その顔には戦場でのオルハのように、薄赤く『隈取り』が表れていた。『加護持ち』の超常の加護が、宿主の存在危機を察して自然と力を解放したのかもしれない。


 「…いまのはよかったぞ」


 お褒めの言葉を受けて、そのまま下がろうとしたバスコであったが…。


 「誰か、代わりの棒を持ってこさせろ」


 ご当主さまの命令で、バスコの撤退の機会は完全に失われたのだった。

 棒の御代りをさせられたバスコは、そのままご当主さまとの模擬訓練続行を強いられ、ぼろぼろになる四半刻後まで解放されなかった。『加護持ち』の体力は無尽蔵だった。

 戸板に乗せられ、運ばれていくバスコを見送りながら、マンソは「バスコなしの遠征かよ」と悪態をつき、近くにいた兵士たちの冷めた笑いを誘った。

 たしかにあの怪我では、直近の紛争に駆けつけるわけにはいかないかもしれない。ラグ村にとって痛い戦力ダウンだった。

 いい気なもので、下々の苦悩など知ったことではないとでも言うように、ご当主様は水瓶から何杯か水を呷ると、機嫌よさげに訓練場を後にした。

 退場するご当主さまを見送りつつ、カイはその後ろに付き従って出て行く息子のオルハ様を見、ぼんやりとこの世界の理不尽極まりない(ことわり)について思っていた。


 (…こんなの、神様の加護がなきゃ『ムリゲー』じゃねえか)


 幾分か思慮深い目をするようになった彼の変化を、周囲は「大怪我で大人になったんだろ」ととらえていたが、実際は違っていたりする。

 ご当主さまとオルハ様が並んで消えると、どこで見ていたのか年若い女たちが湧いて出て、耳障りなかしましい声を上げ始める。オルハ様の取り巻き女たちだ。村は打ち続く戦いで、人口比で女のほうがずっと多い。

 なのに、なぜか村には女日照り続きの男たちが多い……その理由がこれだった。

 強い男に女が群がるというのはまあ自然の摂理といえなくもないのだが、強くなる見込みが理不尽な『仕様』で限りなく薄くなってしまっていることが、もてない男たちの苦悩をこじれさせ解消不能なものとしているのだ。

 この世界は基本、一夫一妻などという法もないのだから、ハーレム推奨であるということでもある。

 かしましい女たちの騒ぎを、その後に登場した白い少女が手振りで追い散らしてしまう。こちらもご当主さまの娘で、その色素のない白い肌と髪、ルビーのように赤い瞳から『白姫様』と呼ばれている。

 本当の名前はジョゼ様といい、清楚系の美少女である。村の男たちの淡い憧れを一手に引き受けていたりする。


 (…色素欠乏症(アルビノ)だよな、あれ)


 カイはそんなことを思いつつ、ふむと考え込むのであった。


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