「イチ押し 歌のパラダイス」はバラエティ豊かな“イチ押しの歌”をお送りするフレッシュな音楽番組です。
毎週日曜日<NHKラジオ第1>午後1時05分~1時55分放送中♪
放送後1週間は、「らじる★らじる」の聴き逃しサービスでもお楽しみいただけます。
【出演者】
DJ:売野雅勇さん、唐橋ユミさん、徳田章アナウンサー
トークゲスト:芹澤廣明さん
メッセージゲスト:河口恭吾さん、森山愛子さん
芹澤廣明さんをお迎えしてトーク!
芹澤さん&売野さんコンビ誕生曲! 中森明菜「少女A」
芹澤さんはこれまで、およそ2500曲の作品を発表されています。その中で売野さんとのコンビで作られた楽曲はおよそ160曲! 売野さんいわく、“芹澤さん抜きにして僕の作詞家人生は語れない。“とのこと。また、“僕たち親友なので、こうやってかしこまって話すのはてれくさい。”のだとか。
芹澤さんにおふたりで作られた楽曲の中で特に記憶に残る曲として挙げていただいたのが、1982年にリリースされた中森明菜さんの「少女A」。アイドルでありながらどこか憂いのあるようなアーティストイメージがありましたが、それを作り出したのが売野さんの歌詞でした。ただ当時の売野さんはほとんど駆け出しの作詞家で、特に“こういうアイドル像でいこう!”とまでは意図されていなかったとか。とにかく書く事に一生懸命だったそうです。
なぜ「少女A」が芹澤さんにとって特に記憶に残る曲なのか伺ったところ、理由は“歌謡曲ではないから”とのこと。芹澤さんご自身がバンドマンだったので、どうしてもメロディがロックになってしまったのだとか。当時は“これでいいのかな?きっと売れないだろう。”と思われていたそうです。
売野さんは、レコード会社で初めて芹澤さんにお会いになった当時の事をよく覚えていらっしゃるとのこと。
「少女A」が採用になったという事で、芹澤さんに“よかったですね。”とおっしゃると、“これで喜んじゃだめだよ。まだレコーディングも何もしていないんだから。(※まだボツになる可能性もあるし、リリースされないと結果も分からない。)”という言葉が返ってきたそうです。売野さんは“ああ、そういうものか。ここで喜んじゃいけないんだ。”と思われたとのこと。ちなみにこの会話はトイレで並んでされたのだとか。
“芹澤さんはものすごくいい男”という印象だったそうで、色男で、赤いアロハに白ズボン、髪形はリーゼントだったとか。それに対し、“売野さんはやっぱり目つきのキレがよくて、ほかの作詞家とは違う感じ”だったという芹澤さん。ひげを生やしていて、シチリア(イタリア)などのファッションを連想する感じだったそうです。
危うくクレーム!? チェッカーズ「ひとりじゃいられない」
売野さんにとって特別な曲は、1985年にリリースされた、チェッカーズの「ひとりじゃいられない」。
もともと、ほかの曲のために書かれた歌詞だったそうですが、ボツになったとのこと。芹澤さんからは“ボツになっちゃったけど、悪いから新しく曲をつけたから。”という電話があったそうです。
あるときコンビニエンスストアで、いい曲が流れていると思われた売野さん。よく聴くと、言葉遣いがご自身の歌詞に似ていると気付かれたそうで、“もうマネしているやつがいるんだ。こういう事はいいのかな?ちょっとクレームをつけてもらおうかな。”と本気で思われたそうです。しかし、途中で“あれ?これフミヤくん(※チェッカーズのボーカル・藤井フミヤさん)の声じゃない?”と気付かれたのだとか。芹澤さんからの電話を思い出して、“こんないい曲がついたんだ!”と驚かれたそうです。出来上がった作品をこのとき初めて聴かれたのだとか。
プロデューサーもされていた芹澤さんは、最後まで「神様ヘルプ!」という曲とどちらをA面にするか、すごく悩まれたそうです。今でも「ひとりじゃいられない」にしておけばよかったかなと思うくらい、いい歌詞だったと振り返られました。
チェッカーズ「涙のリクエスト」裏話!
売野さんがこれまでに手がけられた作品はおよそ1500曲。なんと売り上げトップ3は、すべて芹澤さんとのコンビで書かれた、チェッカーズの楽曲(※1位「ジュリアに傷心(ハートブレイク)」、2位「涙のリクエスト」、3位「哀しくてジェラシー」)です。
初期のチェッカーズはどこか映画『アメリカン・グラフィティ』のような青春群像を見ているような雰囲気もありましたが、そのイメージはやはり売野さんの歌詞によるものでした。
このときは歌詞を先に書くというスタイルで、売野さんは『アメリカン・グラフィティ』のような世界観の「涙のリクエスト」と、近未来的な世界観の「テレビジョンベイビーズ」という2作品を用意されたそうです。すると芹澤さんは、ちょっと懐かしいアメリカの感じが出ている「涙のリクエスト」のほうを気に入ってお選びになったのだとか。(※「テレビジョンベイビーズ」には曲がつかなかったとのこと)
芹澤さんに「涙のリクエスト」を選ばれた理由を伺ったところ、チェッカーズはもともとキャロルとかシャネルズのような事がやりたくて東京に出てきたグループだったので、その中の路線で“これはあるな”と思われたとのこと。最初に作るとき売れるかどうかは分からないので、いろいろと間口を広げておこうという思いで、「涙のリクエスト」を作られたそうです。
ちなみに売野さんが提出されたタイトルは“涙の”はついておらず、「リクエスト」だったのだとか。しかしサビのところに“リクエストor涙のリクエスト”と書かれたそうで、それをご覧になった芹澤さんが“涙の”をつけられたのだとか。
芹澤さんいわく、“売野さんがあの言葉を書いていなかったら、アカペラで始まるイントロの冒頭部分は出来なかった。”とのこと。非常に重要なポイントで、あの曲がうまくいったところだと振り返られました。
“運命がどこに隠れているかよく分からない。”と売野さん。「少女A」のときと同様、あんなに運の強い曲だとはあまり思われていなかったそうです。最初はアルバムの候補曲だったのがシングル候補曲になり、ついにシングルとしてリリースが決定。“当時はまだ無名の新人で何も知らなかったので、いい経験をした。”とのこと。
芹澤さんも“典型的な作詞家、作曲家になるきっかけでしたよね。”とおっしゃっていました。
アメリカで歌手として活動も!
アメリカでも15年以上にわたって音楽を作られている芹澤さん。Hiroaki SERIZAWAというお名前で歌手活動もされています。最新曲は2020年にリリースされた「JULIA」。作曲は芹澤さん。英語による作詞は売野さんです。
おふたりはプライベートでも仲がよく、一緒に遊びに行かれることも多いのだとか。車内で話されたりする中で、“こういうのをやろうと思うんだけど、どう?”“やろうよ!”という事になったそうで、遊びの中で出来た曲なのだとか。
歌手デビューのきっかけは、知り合いになったレコード会社やプロデューサーに、作った曲を聴かせたこと。芹澤さんは“アメリカの歌手でこれを歌ってくれる人いない?”という気持ちで聴かせたつもりだったそうですが、“出さないか”と言われ、なんとご自身で歌うことに! プロデューサーには“年齢など関係ない。大事なのは声ですから!”と言われたそうです。
売野さんから見た芹澤さんは“サビの天才”!
売野さんは、芹澤さんとよく同じ車でゴルフに行かれたりしたそうです。そのとき車内でラジオや音楽を聴かないことについて伺ったところ、“音楽を聴いちゃうとどんどん曲が出来ちゃうから。”という答えが返ってきたとか。さらに歌ってくれたそうで、本当にたくさんのメロディが出てくる事に驚かれたそうです。
芹澤さんはどんな人なのかと聞かれたときには“サビの天才”と紹介されるとのこと。“サビを作るのが一番難しいけれど、いとも簡単にいいものが出来てしまう。一番大事なところで刺さってくるような曲が出来るので、いつも感心している。”とおっしゃっていました。
これからの夢
“あとは長生きする事”という芹澤さん。“毎日走るなど運動をして、音楽を作って100歳ぐらいまでやりたいなあっていうのが夢。音楽の中で生きていけたらいいなと思います。”とおっしゃっていました。