第1話 故郷は近く、言葉は遠く




 ……この身体になるまで私は知らなかったが、宇宙空間というのは本当に静かだと誤解していた。



 というのも、真空ゆえに宇宙空間では音が伝わらない。音というのは結局のところは波であり振動であるから、触媒となるモノが無い真空の中ではどれだけの爆音がしたところで、その音を認識することは出来ない。


 もちろん、絶対に認識出来ないのかといえばそうでもないが、少なくともかつての私……『尾原太吉』であった頃の私は、宇宙は静まり返った無音の世界だと思っていた。



 ――しかし、今は違う。



 それらの『音』を拾えるようになった今、私はそれが誤解であると知っている。宇宙というのは、何と喧しく落ち着きのない世界なのかと幾度となく思い知らされたからだ。


 遠く、遠く、宇宙の彼方で起こった星々の爆発。拡散してゆく、衝撃の波紋。


 惑星同士が激しくぶつかり合う衝撃がしたかと思えば、連鎖的に始まる破片の流星。


 こうこうと燃え続ける恒星の燃焼に紛れて一気に宇宙へと飛び出した、高熱ガスの陽炎。


 活発に脈動する星々の輝きを他所に、ブラックホールに飲み込まれ、砕かれる星々の悲鳴。



 ……それら全ての音が、絶え間なく私の耳に入ってくる。


 ――これがまた、やかましいのだ。



 今はもう慣れたが、最初の頃はそれらの音が何処から発せられているのかが分からず、新手の拷問か何かだと思っていた。それぐらい、私にとって宇宙とは騒がしい場所なのだ。


 けれども、ここは……宇宙の中とは思えないぐらいに、静かだった。


 頭上を見やれば、青き我が故郷がぽかりと浮かび、視線を下げれば白銀色の大地が広がっている。それはまるで、星々の群れから外れた孤独な恒星のようにも見える。


 耳を澄ませば、鬱陶しい雑音は確かに聞こえてくる。しかし、わざわざ耳を閉じる必要がない。


 ここが、宇宙の中でも辺境にある銀河だからだろうか。ともすれば、静けさがもたらす喧しさの方が、ずっとやかましく思える程であった。



 ……気に入った。



 率直に、私はそう思った。かつての故郷に戻ってきた感慨深さも感じてはいたが、それ以上に……この静けさの方が、私は嬉しかった



 ――とりあえず、何時までもボケッと突っ立っているのも変な話だ。



 そう思った私は、行く当てもないまま月面をゆっくり進む。両足のローラーをフルパワーにすれば、この月ぐらいなら瞬時に一周できるが……する意味がないので、しない。


 連盟種族の『お遊び』の為の『ボナジェ』としての役目(拒否権は無い)を終えた以上、今後の私に待ち受けているのは膨大な時間……すなわち、『自由』だ。


 そう、今の私はかつての創造主たちと同じく、押し寄せる膨大な自由をどう過ごせば良いのかを考えなくてはならない。


 だが、幸いなことに……私は彼らとは違い、そこまで万能的な存在ではない。暇だという感覚を理解は出来ても、そのこと事態を辛いとは思わないからだ。



 ……で、だ。



 一時的に機能停止して宇宙遊泳というのも悪くはない。だが、故郷の傍にある衛星(月)にまで来ているのだ。もう少し、わざと時間を掛けた方が良いのではないか……そう、私は思った。



 ……せっかくなので、最初だけはレーダー等を用いた索敵(サーチ)の機能に制限を掛けることにした。



 というのも、私に搭載された索敵装置は生半可な性能ではない。誇張抜きで、私の索敵から逃れられる生命体となると、連盟種族を除けば、ごく一部の種族ぐらいだろう。


 だから、制限を掛けて、使わないのだ。使えば最後、何処に何があるかがすぐに分かってしまうから。


 もちろん、私自身の意志では切れないセンサーもある。これは私自身を守る為の保護機能であり、こればかりは私にもどうする事も出来ない。


 これが『お遊び』の最中であったならば全てのセンサーをフル稼働していたところだが、今は違う。非効率かつ不便であろうとも、思うがままに、自分を動かせることが……それなりに、新鮮であった。



 ……とはいえ、だ。月面を進みながら、私は内心にて首を傾げる。



 地球とは違い、月の景色というのは本当に変化がない。隆起した大地やクレーターなどは目に止まるが、言い換えればそれぐらいにしか変化が見られない。


 宇宙全体から見れば、月なんぞ何の物珍しさも無いのだ。


 最初は隆起する大地の高低差、傾斜の角度、彼方より飛来して直撃した鉱石の成分分析なんかを見物がてら計測していたが……ぶっちゃけ、5分と経たないうちに似たような事柄の繰り返しであった。



 ……静かなのはいいが、こうまで単調なのも如何なものだろうか。



 5分前の私が聞けば呆れるであろうことを考えながら、そのまま走り続ける事……幾しばらく。とりあえずは、ぐるりと月面を一周し終えた私は……さて、どうしたものかと頭を抱えたくなった。



 薄々察しはついていたが、やはり何も無い。


 理由はだいたい分かっている。月自体の、質量が小さすぎるせいだ。



 質量が小さすぎるせいで、生命が育むために必要となる様々な物質を留めておくだけの引力を生み出せないから、こんな白銀の大地になっているわけだが……ん?



 ――こちらに接近してくる飛来物を、センサーが感知した。



 これはどうやら、私自身の保護機能が働いたようだ……けれども、方向が少しばかりズレている。計算した限りでは、私から距離にして531メートル前方にて着弾……無視しておくべきだろうか?



 ……着弾まで、残り21秒。



 地球ならば何の問題もないサイズと速度だが、ここには大気が無い。それ故に、大気の圧縮による断熱圧縮はなく、衝撃も、ほとんど緩和されないまま月に衝突する。


 まあ、幸いというべきかは分からないが、こちらが調べた限りでは、飛来物には危険性のあるモノは含まれていたり付着したりはないようだ……あっ。



(……おお、『ステラマイト』の原石だ)



 飛来物の正体に、私は……思わず、体内の永久動力炉が活発になったのを感じ取った。



 ――ステラマイトとは、連盟種族たちの間では『柔らかく軽やかな石』と言われる、『ブラックホールの性質を帯びた石』である。



 ステラマイトは、基本的に宇宙を飛来するものではない。


 ブラックホールに吸い込まれた鉱石が、様々な要因が重なったことでブラックホールの性質を帯びたモノなので、これまた様々な偶然が重なって……あるいは意図的に外へと放出されない限りは、まずお目に掛かれない石なのである。


 かくいう私も、ステラマイトを加工して装備した、別の連盟種族の『ボナジェ』を目にしたことはあっても、加工前の原石は見たことがない。



 ……まさか、こんな銀河の辺境でソレを見られるとは……これは、幸運と考えて良いだろう。



 さて、そうなると……気になるのは、飛来したステラマイトが月に及ぼす影響だ。


 ステラマイト自体は、それほどの脅威はない。このまま落ちたとしても私自身には何の影響もないし、地球に及ぼす影響だって無いに等しい……と、なれば、だ。



 ――放っておくか。



 そう私が結論を出して、おおよそ20秒後。銀河の彼方から飛来したステラマイトは……計算通り、私の531メートル先にて月面に着弾。大量の破片を辺りに飛び散らせた後……後には、静けさが戻った。



 ……。


 ……。


 …………再び訪れた静寂(とはいえ、それを感知出来るのは私ぐらいだろうが)の中で、クレーター状の着弾地点へと向かう。


 クレーターの広さは、直径にして50m54cm8mmといったところか。深さは、4m67cm3mm……降り積もった砂を払って中心を探れば……あった。



(……ほお、こんな姿をしているのか)



 初めて拝見するステラマイトは、淡く黒色に輝く半透明なガラス玉のような姿をしていた。


 大きさは……まあ、私が片手で掴める程度の大きさしかないが、体内に内蔵された装置で軽く調べてみただけでも、異質な物質なのがすぐに分かった。



 まず、『柔らかく軽やかな石』という呼び名の通り、本当に柔らかい。そして、軽い。



 けれども、脆いわけではない。力を込めれば込める分だけぐにゃぐにゃと形を変えるが、引き千切ることが出来ない。やればやる分だけ、どんどん伸びる。


 また、よくよく見れば周囲の物質を引き寄せているのが分かる。


 調べてみれば、質量とは別に、強い引力を発生させているようだ。試しに地面に落としてみれば、ステラマイトはまるで身を守るかのように、周囲の砂をその身に纏い始め……ふむ。



(重さが、常に変動している。どうやら、あまり質の良いステラマイトではないようだ……)



 安定しているステラマイトは反重力の性質も帯びるらしいが、これは違う。とはいえ、珍しいモノであることには変わりなく、珍しいモノを見られたぞと思いながら……クレーターの外に出る。


 そうして、ふと……視界の端にて、移動する物体に注意が向いた。センサーを切っているから、気付くのに遅れた……まあいいや。


 それは、月に生息する生物……ではなさそうだ。ズームにて確認した限りでは、そういった類の生物が共通している特徴が見られない。



(……形状から考えて、あれは……乗り物だな)



 宇宙生物でない以上は、他の星の生命体。ここらでいえば……地球。そうか、あれは地球からやってきた、人間だろう。


 納得した私は、こちらに近づいて来ている乗り物を改めて見やる。向こうも私に気付いたようだが……今の所、止まる素振りは見られない。



 乗っているのは……操縦する者が一人。

 荷台(?)らしきところに二人。


 ……合計3人か。



 三人が乗るには些か乗り物が大きいように思えたが……ああ、『服』とバッテリーのせいか。



(……しかし、随分と動き難そうな格好だな)



 記憶が確かなら、アレは宇宙服と呼ばれるやつだ。それのせいで、白く、大きく、身体のサイズが二回り以上大きくなっている。


 訓練しているのだろうが、それでも人間の身体では動き難いであろうことは考えるまでも……というか、実際に動きが悪そうだ。


 あれでは、いざという時に逃げ出すことはおろか、戦うことも難しいのではと思うのだが……まあ、私には関係のないことだから、それも、考えるだけ無駄か。



 ……。


 ……


 …………ところで。



 ……。


 ……。


 …………先ほどから、こちらから何度も信号を送っているのだが……何故だろう、反応が返って来ない。



 相手の目的が分からない以上、こちらも迂闊に手出しが出来ない。というか、刺激したくないから身動きできない。


 なので、『交戦するつもりがないのならば、一度その場に静止しろ』と信号を出しているのだが……乗り物が止まらない。



 ……うむ、困った。



 相手が意図的に無視しているのならば良いが、宇宙服の形状や質を見る限り、おそらく人類は未だ、信号を読み取れるだけの技術力を有していない可能性の方が高い。



 ――ならば、直接しかない。



 そう判断し、相手の鼓膜を意図的に振動させて音声として認識させることが出来る、重力波を用いた通信も行ってはいるが……それもうまくいかない。


 元は人間である私を『ボナジェ』にした以上、あのタコも人間たちの言語を一通り宇宙翻訳機に入れているはずだから、おそらくは通じているだろうが……いや、あのタコのやることだ。


 どうせ、大雑把に(連盟種族特有の感覚で)やったに違いない。


 何せ、地球は宇宙の辺境だ。例えるなら、地球の言葉なんて宇宙全体に比べたら、秘境の奥のそのまた奥にひっそりと暮らしている集落の、とある一派しか使わない言語でしかない。



 ――そんな星の言語を、わざわざ誤解を招かないように注意を払って、あのタコが親切に翻訳機へ入力するだろうか……いや、無いな、そんな親切心など、あのタコには存在していない。



 ……。


 ……。


 …………これは、交戦の可能性があるかもしれない。



 そう危惧しながら、私は……そっと、動力炉の出力を上げた。


 相手の狙いは分からないが……仮に敵対行動を取るのだとしたら、その狙いはおそらく、ステラマイトだろうと私は推測する。


 というのも、ステラマイトは希少価値の高い石だ。つまり、売れるのだ。


 連盟種族たちからすれば『え、足元にあるから持って行っていいよ』という程度の代物だが、連盟に入れない種族からすれば、話は別だ。


 さすがにこれ一個で子孫へ残せるぐらいの財を成すというのは無理だろうが、相当な財をもたらす(たとえ、質の悪いステラマイトだとしても)のは間違いない。


 実際、ステラマイトの独占を止めろと訴え、連盟種族に戦争を挑んだ種族もいたぐらい(ちなみに、その種族は開戦宣言をしてから二日後に絶滅した……)だから、如何に貴重かが推測出来る。



 とはいえ……私個人としては、希少価値が高かろうが、所詮は石ころだ。



 加工によっては高性能の動力炉等に出来るらしいが、それでも、私の永久動力炉や装甲に比べれば、十数世代は格下の……である。


 ……うむ、考えれば考える程、連盟種族とは化け物……止めよう、どこで見ているか分かったもんじゃない。あいつらにとって、銀河の距離なんぞ跨いで通る程度の距離だ。



(……とりあえず、相手の出方を見てから考えるとするか)



 そう結論を出した私を他所に……乗り物が私の前にやってきたのは、それから15分後のことだった。



 ――正直、遅いと思った。もっと飛ばして来いと思った。



 でも、下手に動いて相手を刺激するのも可愛そうかと思い、黙って待ち続け……そうして眼前にやってきた乗り物から最初に降りて来たのは……運転席に乗っていた宇宙服だった。



「…………」



 そいつは、ゆっくり……いや、恐る恐るといった感じだろうか。所作の一つ一つに強い警戒心と……好奇心がせめぎ合っているように見えた。


 というか……透視(スキャン)した限りでは、かなり興奮しているのが見て取れる。それは眼前の宇宙服だけでなく、遅れて顔を覗かせた他の宇宙服の中身も、同様であった。



 ――何故、そこまで興奮するのだろうか。



 意図が読めずに小首を傾げると、これまた何故か……息が荒くなった。うむ、正直、反応が激し過ぎて薄気味悪さを覚えたが……っと。


 不意に……運転していた宇宙服が、動いた。その足が向かう先は……私だ。ゆっくりとした動きだが、確かな意志が……そこから感じ取れる。



 これは……敵対の意志なのだろうか?



 とにかく言語を片っ端から切り替えて信号を送るも、反応が……ああ、いや、ある。


 よくよく観察してみれば、信号を送るたびに頭を振っているようで……なるほど、聞こえてはいるようだ。


 しかし……それだけだ。


 信号を受信出来ているのか、それとも別の要因によって反応しているのか。いまいち、判断しづらい反応だ。せめて、何かしらの反応を返してくれれば……うむ、分からん。


 とりあえず、武器の携帯は見られないが……とりあえず、腹部に搭載している防御バリアを起動し、展開する。途端、私を中心に……わずかばかり、足元の砂がさらさらと揺らぎ始める。



 ――腹部より発せられるバリアの余波のせいだ。



 さて、一見する限りでは、相手は私がただ立ち尽くしているだけに見えるだろう。けれども、注意深く観察すれば肉眼でも確認出来るだろう。バリアが、しっかりと展開されているということに。


 その強度は、他の『ボナジェ』たちの猛攻をも防いだ程で、地球人の……核爆弾ならば、数億発分が直撃してもビクともしない……このバリアを前に、眼前の宇宙服はどうするつもりだ?



 そう内心にて問い掛けながら、私は相手の出方を待つ。



 そんな私の内心に気付いているのかいないのか、宇宙服のそいつは一歩、また一歩と距離を詰めてゆく。バリアまで10m、8m、5m……2m……あっ。


 黙って見つめている私の前で、バリアへと宇宙服のそいつが不用意に手を伸ばした。その事に、私は軽く驚いた。


 バリアそのものには、これといった殺傷能力はない。しかし、無害であるかと問われれば、そうでもない。


 バリアには固有の振動が伴っており、触れた相手の状態によっては不測の事態を引き起こす場合がある。



 ――こいつ、何の対策もせずに触れるつもりか?



 嫌な予感が頭脳ユニット内を駆け巡る。いやいや、宇宙に出てくるぐらいだ。まさか、バリアに気付いていないとか、そんなはずは――その、まさかだった。



 ――あっ。



 と、私が思わず唇を開くのと、宇宙服の……顔面を守っていると思われる黒いプレートにヒビが入るのとは、ほぼ同時であった。



『……、――っ!?』



 おそらく、そいつにとっては想定外の事態だったのだろう。


 まあ、私にとっても想定外だが……そこは、今はいい。とにかく、まずは眼前の、そいつだ。



 異変に気付くまでに3.21秒の時間を有し、ヒビから酸素が漏れていることに気付いてからは、私から見てもはっきり分かるぐらいに動揺を露わにした。



 ――他のやつも非常事態に気付いたようだ。



 顔を隠して蹲るそいつを見て、慌てた様子で駆け寄る二人。次いで、状態を確認した二人は……先ほどとは打って変わった様子で、車へと引き返して行った。


 取り残されたのは、私と……蹲って顔のプレートを抑えているやつ。


 自然と……私の視線と、顔を上げたそいつの視線が交差する。一見する限りでは、黒いプレートに覆われたそいつの顔など、見えはしないのだろうが……私は違う。


 その程度の遮りなんぞ、透視するぐらいは簡単。なので、嫌でも私は……混乱と恐怖と焦燥と……悲しみが入り混じる、その男の顔を目にするわけで。



(……いや、そんな裏切られたみたいな顔をされても……その……)



 まるで、どこまでも純粋に夢見ていた少年に、汚い現実を突きつけたかのような気分だった。


 いや、まあ、だからどうしたと言われればそれまでなのだが……どうにも、改造された当初の私を……うむ。



 ……いかんな、まずいぞコレは。



 とりあえず、これ以上の接触はまずいと思い、バリアは切っておく。次いで、どうしたものかと、考える。


 酸素を始めとして大気を必要としない私とは違い、人間は酸素(だけではないが)を失うと死ぬ。


 つまり、このままいけば、そいつは死ぬわけだ。例外は無く、呆気なく、窒息して……だが。



(……敵意を、向けられているな)



 この状況……間違いない。


 確実に、私が何らかの攻撃を行ったと思われている。眼前のそいつは未だ半信半疑といった感じだが、車から戻ってきた二人は違う。



 一人は……おそらくは、ヒビの修復をしているのだろう。ペタペタと何かを張り付けている。


 もう一人は……油断なく私を見据えて……いや、宇宙服の向こうから、睨みつけている。



 その手には……『銃器』が握り締められていた。



 スキャンした限りでは、非常に原始的な銃だ。宇宙空間でも比較的安全に使用出来るようにされているようで、言うなればそれは……宇宙用の単発銃といったところか。


 ……黒いプレートの奥にあるその顔は、私の目から見ても非常に興奮状態にあるのが見て取れた。


 その唇は絶えず忙しなく動き、何かを口走っている……ように聞こえる。やはり、翻訳機能に不備があるようで、何を言っているのかが分からな……あ、『英語』か?


 頭脳ユニットの奥から、不意に『尾原太吉』の記憶が反応した。そうなれば、するりと私の中に理解が広がった……でも。



(……動くな? 撃つぞ? ふむ……断片的にしか分からん)



 どうやら、かつての私は『英語』が苦手であったようだ。とはいえ、部分的にこいつらの言葉を理解することは出来た。


 そこから推測する限りでは、やはり……相手は私を敵意ある個体であると認識しているようだ。


 と、同時に、このまま交戦していいか迷いが生じていて、ひとまずは余計な真似をするなと釘を刺しているようでもある。



 まあ……交戦したくない気持ちは分かる。



 パッと見た限りでも、私との装備の違い(たとえ、見て分からなくとも)から、まともにやり合って勝てない相手であることは、彼らも想像出来ているはずだ。


 だからこそ、武器を構えたそいつは、実際のところ私を攻撃するつもりはない。


 その証拠に、『動くな』、『動くと撃つぞ』、という言葉の合間に、『お願いだ、何もしないでくれ』といった類の泣き言を零しているのが……ふむ。



 ……軽く、動いてみる。



 途端、銃器を構えたそいつは肩をビクつかせた。直後、無音の中で銃が跳ねて……放たれた弾丸が私の肩に当たって――地球へと逸れて離れていった。




 ……。


 ……。


 …………なるほど、想定した通りの威力だ。



 傷一つない自らの肩を見やってから、先ほどよりも少しばかり離れたところで尻餅をついているそいつを見やってから……修理を続けている二人の下へと向かう。



『――っ、――っ!!』



 修理をしていた、この場では唯一無事であるそいつも、気付いた。


 瞬間、先ほど私に銃弾を放ったやつが、再び何かを叫びながら、懐のポケットより取り出した小型の何かを私に向けて……引き金を引いた。


 途端――何かが私に放たれた――それを、私は着弾する前に掴み取った。


 見てみれば……ああ、これは『銛』だ。


 形状や材質から考えて、壁面や角度のある傾斜を登る時などに使用する類のモノとみて、間違いないだろう――っと、危ない。


 銛に繋がっているロープを引っ張り、反対方向へと吹っ飛んでいたそいつを引き留める。『――っ!?』驚いているのが伝わってきたが、構わず引っ張って……そっと着地したのを確認してから、手を放した。


 おそらく……この銛は、本来は武器として使うものではない。斜め上か、ほぼ頭上か……あるいは真下に打つことで固定具を設置する、そういった用途で仕様される道具だ。


 でなければ、一発撃っただけで体勢を崩すような事態にはなっていない。武器としては欠陥品だし、仮にこれが武器なのだとしても、使用の度にこれではお粗末というものだ。


 そんな……私の評価を他所に、ようやく修理を終えたのだろう。


 少しばかり間を置いてから、最後の一人(つまり、修理を行っていたやつ)が私へと飛び出してきた。『――っ!?』その後ろで、修理を受けていたやつが何かを叫んで……ん?



 ――まさか、この場面で近接戦闘?



 もしや武器を隠し持っているのかと警戒する私を他所に、ソイツは……何かを取り出すわけでもなく、私に向かって拳を向けて……ええ?



 まさか、この場面でそれだけ?



 面食らう私の面に振り下ろされる、拳。私よりも50cm近く大きな体格から繰り出されるその拳は、同じ人間同士であったならば、さぞ威圧的に見えたことだろう……が。


 私には、無意味である。


 繰り出される拳の全てが、私の至る所にぶつかる。(その内、胸に当たった際に限り、少しばかり戸惑う素振りが見られた)しかし、その威力は……あまりに弱すぎる。


 とてもではないが……それ以前に、そもそも殴るたびに体勢がズレているようで、まともに重心を乗せられていないから、逆に心配になってくるほどだ。


 もう、その動きだけで、宇宙空間においての近接戦闘に慣れていないのが明白だ。宇宙服自体も戦闘用でないのか非常に動き辛そうで、息もどんどん乱れて……あっ、いかん。


 疲労のあまり、足がもつれたのだろう。


 胸に搭載した二つの流動性金属の硬度を下げ、顔面から転びかけたそいつを受け止める。むにゃり、と谷間に挟まったそいつの頭を抱き抱えたまま……最初の、運転していたそいつを見やった。



『…………』

「……おい」

『……っ、……っ』

「……駄目か」



 改めて信号を送ってみるも、やはり通じない。しかし、先ほどとは違って反応が見られる……どうやら、そもそもが全く通じていないわけではなかったようだ。



 ……というか……こいつら、もしかして物凄く頭が良いのではないだろうか?



 その証拠に、先ほどまで問い掛ける度に不思議そうに辺りを見回していたのだが、気付けば問い掛けの度に私の方へと視線を向け……不思議な動きをし始めた。



 これは……そうか、分かったぞ。



 こいつらはおそらく、私が使用している言語を『言語』として認識出来ていない。代わりに、何かしらの『音』として認識しているようだ。


 ならば、先ほどの反応も分かる。今までは、電磁波による何かしらのノイズだと思われていたようだ。


 しかし、今は違う。もう、彼らは気付いた。


 私から何かしらのコンタクト(接触)をされているのに感づいた、その次は、どうにかして意思疎通を図ろうとしている……といったところだろうか。


 ならば、『英語』を信号にして送れば……うむ、英語が分からん。


 元となるデータ(つまり、『尾原太吉』が記憶している英語の事)のサンプルがあまりに少ない。特に、発音関係のデータが壊滅的だ……うむ、困ったぞ。



『……っ、――っ』

「……何だ、何を伝えたいのだ?」

『――っ、――っ』

「……ああ、そういうことか。こいつを、放せば良いのだな?」



 自分を抱き締めるように腕を組み、大きく広げる。次いで私の胸元を指差し、同じ動作を繰り返す。


 察した私が拘束しているソイツを放せば、ソイツはゆっくりと……黒いプレートの向こうで、驚愕に目を見開いているのが見える。


 ……そうして、体勢を立て直した銛のやつも戻って来て……再び、先ほどと同じ場面となった。




 ……とりあえず……どうしたらいいのだろうか?




 何度目かとなる、困ったぞ、だ。


 相手方は、どうやら私の事を『意思疎通が可能であり、かつ、好戦的ではない』と判断したようだ。全員がジェスチャーを始め、私と意思疎通を図ろうとしている。



 ……。


 ……。


 …………傍から見れば、私たちはさぞ奇妙な集団に見えたことだろう。



 銀河の辺境にある小惑星の上で、宇宙に出たばかりと思われる雛がくねくねと身体を捻り、それを『ボナジェ』が何をするでもなく見つめるだけ。



 ……うむ、考えれば考える程、奇妙この上ない状況だ。



 それに加え、あの、その、大変に申し上げにくいのだが、本当は言いたくないのだが、らちが明かないので、あえて言いたい。



「……何を言いたいのか、さっぱり分からん」



 で、あった。


 そりゃあ、いくら私が連盟種族の『ボナジェ』だとはいえ、所詮は『ボナジェ』だ。どれだけ高性能であろうが、私は連盟種族ではない。


 『会話が出来ないならテレパシー……あ、それも無理なら脳波を翻訳すればいいよね。え、脳波も無い……あ、それなら外部から翻訳機を装着させて、それでいいじゃん』



 というのを素でやってのける連盟種族ならば話は違ったのだろうが……と、とりあえず、真似をすればいいのだろうか?



「……こう、か?」

『――っ!? ――、――っ』

「……ち、違うのか? これか?」

『――っ、――っ』

「……すまない、そんなに落ち込んだ顔をするな」



 見よう見まねでトレースしてみたが、駄目だった。一瞬、嬉しそうにしてくれたが、すぐに私がただ動きを真似ているだけだということに気付いたのだろう。


 一転して、笑顔が曇ってしまった。それは、3人ともであった。


 期待が膨らんだ分だけ、余計に、なのだろう。私が何かをしたわけではないのだが、少しばかり、こう……申し訳ない気持ちになってしまう。



 ……。


 ……。


 …………そうして黙っていると、3人は互いに顔を見合わせ始めた。



 いったいどうしたのかと思って3人の全身をスキャンをしてみれば……答えはすぐに見つかった。



 ――率直に言えば、酸素に余裕がなくなってきているようだ。



 特に、先ほど顔のプレートが破損してしまったやつが一番酷い。他の2人と比べて、14.5%近くも濃度が薄い。


 というか……改めてスキャンをしてみて分かったのだが、どうやら先ほど破損したプレート部……完全に修復出来ていないようだ。


 見た限りでは、プレートの上からテープか何かを張り付けて固定しているようだ。それなりに頑丈には出来ているようで、内外圧の差で弾け飛ぶといった最悪の事態は食い止めているようだ。


 しかし、微量ずつではあるが、どうにも酸素が漏れている。そこから考えて、今しがたの反応から考えて、おそらくは今が基地に戻れるギリギリの残量なのだろう……ふむ。



 ……これ以上の長居は、双方にとってもよろしくないのかもしれない。



 意志疎通が可能であるとはいえ、それは今じゃない。どうせ、今のところは太陽系から離れる予定は無いのだ。


 ……ほとぼりが冷めるまでこの場を離れた後で、また……タイミングが合えば再会できるだろう。


 そう判断した私は、彼らに向かって背を向け……途端、背後で騒ぎ始めたのを聞き取り、どうしたのかと振り返る。


 すると、黒プレートの向こう。先ほどよりもずっと悲壮感を露わにした……酸素の残量が心許ないやつが、先ほどよりもずっと大きな身振り手振りをしていた。


 それを止めようとする、残りの二人。


 だが、その二人も何処か名残惜しそうに私を見ている。


 不本意な結果に終わろうとしているのを悔いている、そういう目をしているように見えた。




 ……。


 ……。


 …………いや、まあ、気持ちは分からないでもない。




 かつての『尾原太吉』がこの3人と同じ立場でここにいたなら、この3人と同じように私を引き留めようとしただろう。


 宇宙というものは、知れば知るほど恐ろしくなる代物である。


 私だって正直なところ、宇宙の全容を知らない。知っているのは連盟種族ぐらいであり……それぐらいに、宇宙というは奥が深いのだ。


 実際、庭先感覚で移動する連盟種族以外は、だいたいそうなのだ。だからこそ、宇宙人というのは『ある種のロマン』である。


 そんなロマンが、宇宙に飛び出したばかりの雛の前に現れた。その時、雛はどう思うか……答えは二つ。



 一つは、怖れて警戒し、排除しようとするか。


 二つは、何らかの方法で意思疎通を図ろうとするか。



 基本的に、この二つと思っていい。そこから考えれば、こいつらは後者だ。誤解を招いたが、最初から敵意はなかった。



 ――加えて、彼らは言うなれば、かつての同胞でもある。今は違うけれども、かつては私も人間であった……はずなのだ



 だから、出来ることならもう少し一緒にいてやりたいが……しかし、このまま無理をすれば一人は死ぬ。本人が望んでそうなるのだとしても……あっ、そうだ。



(……そうだ、物質転換期(オメガチェンジ)を搭載しているのを忘れていた)



 それが、有ったのだ。半ば強引に搭載されたものだから、すっかり忘れていた。



(……まさか、こうも早く使う機会が来るとは……もしや、あのタコはこれを見越していた……?)



 あながち否定できない恐怖に戦慄しつつ、ローラーを回転させて3人の下へ。面食らう彼らを他所に、私は腰(人間で例えるなら、仙骨より拳一つ上の位置)から伸ばしたチューブを構える。



 ……事前のスキャンで特定していた宇宙服の外部酸素吸入口に、形状を変化させたソレを一気に差し込む。



 瞬間、3人の間に……不穏な気配が流れたのが私にも分かった。


 けれども、誰も抵抗しない。まあ、当たり前だ。下手に私を退かして吸入口を破損させてしまえば、その影響は先ほどの比ではない。


 ほぼ無尽蔵に(彼らにとっては、だが)酸素が供給出来る地上であるならまだしも、ここは月面だ。


 仮に迅速に修復を終えたとしても、新たに酸素を補給する手段が3人にはない。二人が余剰分をギリギリまで回したとしても、足りない。


 それを分かっているからこそ、私は構わず……オメガチェンジより精製した酸素を、そいつの宇宙服内に送り込んでやる。



『――っ? ――っ!!』

『……っ!? ……!』

『――っ、――っ』



 少しばかり間を置いてから、私がしている事に3人が気付いた……いや、そんなに驚かれると、逆にこっちが困るのだが……あ、そうだ。



 亀裂も、塞いでおかなくては。



 早速、テープ越しに亀裂に触れる。ハッと驚いている顔が見えたが、構うことなく、オメガチェンジと、元々搭載されている私の機能を使い……亀裂を完全に修復する。



 ――とりあえず、これで酸素が外に漏れだすことはないだろう。やれやれ、これで一安心。



 次いで、適正だと思われる濃度にまで供給出来たのを確認してから、チューブを外す。途端、そいつは恐る恐るといった様子で供給口を摩り……次いで、私を見やった。



『…………』

「…………」

『…………』

「…………」



 また、無言だ。いや、まあ、それはそれでいいのだが……と、思っていると。



『……、ありがとう』



 何かを、そいつがぽつりと呟いた直後……ようやく、私にも聞き取れる速さで感謝の言葉を……『英語』を話してくれた。


 そう、そうなのだ、ゆっくりと、片言で話してくれれば今の私にもある程度は分かるのだ。



 ――とりあえず、私には敵意が無いし、お前たちに危害を加えるつもりはない。



 それさえ分かってくれれば良いと思った私だが、『――っ、――っ』またもや元の早口に戻ってしまったので、返事は出来なかった……と。



『僕の名は、マイケル・デイビット』



 また、聞き取れる単語を拾った。というか、これはこいつの……いや、彼の名前だろうか。


 気になって彼を見上げれば、『僕の名は、マイケル・デイビット。君の、名前を、教えて?』彼は再び……今度は私に目線を合わせるように、その場に膝をついた。



 ……マイケル・デイビット。



 なるほど、それが彼の名前か。


 そして、尋ねられているのか。


 だが、これはどうしたものか。



 何故なら、答えようにも、今の私には名前が無い。『ボナジェ』というのはあくまで私の立場を表す言葉であって、それも過去のことだ。


 ……ならば、この身体の製造番号……それを、彼らの言葉でむりやり当てはめるとするしかない……か。



 ――そう決めれば、後はやるだけだ。



 三度目、四度目となる、マイケルと名乗った彼の自己紹介を遮るように、その頭部を掴む。『――っ!』先ほどの光景が脳裏を過っているのか、幾分か緊張を露わにした様子であったが……構わず、そのプレートに額を接触させると。



「……私の名は、ティナ(製造番号『8番』の意味)だ」



 信号ではなく直接接触して音声を伝える、原始的な方法。『尾原太吉』より捻り出したデータを頼りに、私は『声』を調節して……直接的な対話を行ったのであった。



『――てぃ、な。てぃな……ティナ?』

「……私は、ティナ。あなたは、マイケル。そうだ、私は、ティナだ」



 自分を指差し、相手を指差し、自分の名を伝え、相手の名を呼ぶ。



 たったそれだけのことだ。けれども、たったそれだけを行うだけで、物凄く回り道をしたような気がして……私は、思わず乾いた笑みを零すのであった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る