1953年(昭28)11月18日に東京・渋谷区で開業した東映の直営劇場・渋谷TOEIが4日、閉館し、69年の歴史にピリオドを打った。東映の直営劇場は、丸の内TOEIのみとなった。

当日は「さよなら渋谷TOEI」と題して、午前11時30分から、高倉健さん主演の99年「鉄道員(ぽっぽや)」(降旗康男監督)、午後6時から深作欣二監督の00年「バトル・ロワイアル」を上映した。「バトル・ロワイアル」特別上映を取材後、ご厚意で会議室をお借りして原稿を執筆した。出稿を終え、出たのは「バトル・ロワイアル」の上映が終わる頃だった。渋谷TOEI最後の勇姿を撮影した帰りの電車の中で、1つの時代の終わりを感じずにはいられなかった。

渋谷TOEIの歴史を振り返ると、53年に宮益坂下に渋谷東映、渋谷東映地下として開業した、東映の直営劇場第1号だ。63年には、渋谷東映地下を渋谷東映パラスに改称。さらに66年7月には渋谷松竹に改称し、東映の経営下でありながら、ライバルである松竹の邦画系作品を上映した。90年9月に再開発のため、渋谷東映、渋谷松竹を閉館すると、93年には現在も営業する11階建ての商業ビル「渋谷東映プラザ」が開業し、渋谷東映、渋谷エルミタージュとして新規オープン。04年に現在の渋谷TOEI1、2と館名を変更し、営業を続けてきた。

「バトル・ロワイアル」特別上映に登壇した、深作監督の長男で同作の脚本、プロデューサーを務めた深作健太監督(50)が語ったエピソードの中に、渋谷TOEIが1つの時代を終えた理由が垣間見えた。

「2000年(平12)12月16日ですか。オヤジは(公開の)前の日に非常に不安がって、深夜に父子で、ひっそり丸の内TOEIの様子を見に行った。まだ(映画館は)今と違って指定席ではなかったですし、立ち見や、前の日の深夜から(映画館周辺に観客が)並ぶ文化があった。丸の内TOEIの外を、若いお客さんがグルッと囲んでいたのを見た時の、助手席に座っていたオヤジの顔が今でも忘れられない。おかげさまで大変、ヒットしました」

東宝、東映、松竹といった、メジャーの映画会社の直営館が興行の中心だった時代は、人気作や話題作の公開時は、前日からファンが映画館の周りに行列を作った。席に座れなかったとしても、立ち見が出来た。

そんな日本でも、90年代に入り、1つの映画館に複数のスクリーンを設置し、複数の作品を上映するシネコンが登場した。座席は完全予約、入れ替え制で立ち見は出来ない。その代わりに、人気作品は複数のスクリーンで上映するため、観客が劇場の周囲を囲むほど行列を作ることもなくなった。当初は郊外に作られることが多かったシネコンも、既存の劇場と置き換わる形で都市部にも進出し、一気に普及し主流となった。

東映も「バトル・ロワイアル」の公開に先立つ00年8月に、デジタル・シネマシステムを先駆けて導入したシネコンの運営会社「テイ・ジョイ」を設立した。同社が16年3月に制作した社史「東映の軌跡」に掲載された、岡田裕介前会長(20年11月18日に死去)が書いた文書にも、日本は00年当時、まだ直営館の興行システムが深く根付いていたが、やがて衰退すると判断し、シネコンへの転換を決意してテイ・ジョイを設立したとつづられている。テイ・ジョイ設立から22年…新宿、六本木をはじめ都市型の大きなシネコンに観客が集まっていることからも、岡田さんの予見は正しかったことが分かる。

一方、渋谷には80年代から90年代にかけて、大手の映画会社から離れた独立系の映画館「ミニシアター」が誕生し、作家性の強いアート系の映画を上映していった、独自の映画文化がある。1950年代末から60年代にかけてフランスで起きた映画のムーブメント、ヌーベルバーグ期の映画が上映されて人気を呼び、音楽からファッションへと波及した“渋谷系”という、1つのムーブメントまで起きた。その後、16年にシネマライズが30年の歴史に終止符を打ち、21年にはアップリンク渋谷も26年の歴史に幕を下ろしたが、いまだに渋谷では、複数のミニシアターが健在で“ミニシアターの街”というイメージがある。

渋谷TOEIでラスト上映された「バトル・ロワイアル」は同館が東映の、全国の直営劇場の中で興行収入1位を稼ぎ出した作品だ。ただ、公開された00年より前から、渋谷は“ミニシアターの街”になっていき、日本全体で見るとシネコンも徐々に広がっていった。そうした変容の狹間の中で、渋谷TOEIは徐々に、その役割を終えていったのではないか…。

そんなことを思う中、渋谷TOEI閉館の、先のことにも、考えを巡らさずにはいられなかった。渋谷TOEIが入っていた、渋谷東映プラザのフロアには、23年4月10日から27年度中までの休館(時期未定)が決まっている、同じ渋谷区の映画館Bunkamuraル・シネマが、同年初夏から「Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下」として営業を開始することが決定している。Bunkamuraル・シネマこそ、渋谷TOEIとは対極にある、アート系作品を上映してきたミニシアターだ。

既に映画ファンの間では移転した後、Bunkamuraル・シネマの劇場としての存在感、雰囲気が保たれるのだろうか? との声が出ている。渋谷TOEIの正面にある上映作品の看板を掲出した場所に、Bunkamuraル・シネマが上映するアート系の作品の看板を掲出しても、違和感があるのでは? との声もある。映画館まで足を運ぶ道中で感じたこと、鑑賞後、感想や思いをかみしめることも含めて映画体験である以上、渋谷TOEIのある宮益坂下と、渋谷駅を挟んで反対側にあるBunkamuraル・シネマの移転を、不安視する映画ファンがいるのも当然だろう。

渋谷TOEIの閉館と、その先を映画の取材者として見詰めていきたい。シネコンにしても、古くなった映画館は、最新鋭のシステムを取り入れた、新興の映画館に取って代わられている。そもそもミニシアターは、20年初めにコロナ禍に陥り、客足が落ち、存続の危機に立たされた。コロナ禍が起きて3年目の今も、経営存続に苦心する関係者の声を耳にする。作品だけでなく、上映する劇場の趨勢(すうせい)にも目を向けねば…そう思うのは、映画界において、さまざまなものが過渡期を迎えているからに、ほかならないだろう。【村上幸将】