クイック賄派@quick_waipa·12月3日「なぜ何も選択されないのではなく、何かが選択されたのか」。 これは「なぜ何もないのではなく何かがあるのか」の言い換えであると同時に、「なぜ私は私なのか」の言い換えでもあります。前者は<世界>の選択についての言及であり、後者は<わたし>の選択についての言及だからです。1759
クイック賄派@quick_waipa·12月3日複数の対象から何かが選択されるとき、そこには確率が伴います。確率は情報理論によれば情報と等価とみなせます。また、情報、エネルギー、質量は等価である、という物理学の仮説があるように、情報は物質的存在と等価と見なせる可能性があります。1213
クイック賄派@quick_waipa·12月3日<選択>が<わたし>=<世界>という形であらゆる存在を形成している、という私の仮説はこのような形で色々繋がっています。 何も<選択>しない、ということは、文字通り、存在不可能なのです。1214
クイック賄派@quick_waipa·12月3日同様にして、「中立」や「静観」が体制側や非がある側を擁護する立場でしかないように、何の立場も「選択」しない、ということは不可能です。しかしそれによってこの世は争いや対立で満ちあふれています。1315
クイック賄派@quick_waipa「そごのせかい」では「すべてを同時に<選択>する」という荒技によってこの世の苦しみから究極的な解脱をしようとしましたが、次の作品では何らかのあり方を選択しなければ存在不可能な「個」の立ち振る舞いについてテーマにしていきたいと思います。午前1:41 · 2022年12月3日6 件のリツイート30 件のいいね