呉市川尻町は「野呂山芸術村」も置かれたアートのまち。ただ、この地の宮大工の家に生まれた彫刻家の上田直次はさほど知られていない。明治末期に上京して学び、戦前の帝都で名を上げた▲呉市立美術館40周年記念の「呉の美術」展で代表作「愛に生きる」(1931年)を見た。母と子のヤギが寄り添う心和む木彫。直次はヤギを平和の象徴と見立て、特に好んで題材としたらしい。だが同じ年に満州事変が起こり、日本は戦争の道へ▲細やかな表現力が買われたのだろう。直次は政治家や軍人などの銅像も手がけるが大半が現存しない。戦時下の物資不足で「金属供出」に遭ったからだ。広島出身の陸軍中佐、杉本五郎の銅像も対象となるはずだった▲37年の日中戦争勃発から程なく突撃して戦死し、「軍神」と呼ばれた軍人。古里の部隊に置かれた直次作の像は「再度の出陣」と供出が報じられるも残され、原爆の惨禍をくぐり抜けた▲展示にお目見えした杉本中佐の像の表情は、どこかもの悲しく見える。終戦で川尻に戻り、仏像を造って晩年を過ごした直次。穏やかな日々を願いつつ時代に翻弄(ほんろう)された彫刻人生に思いをはせる。きょう太平洋戦争が始まった日。