プロローグ2 金糸、軛を断つ

 殺生石が割れた際のことを、多くの妖怪学者が凶兆であるとさわいだが、一人だけ変わったことを言う男がいた。

「日蓮様が化身なさって、未だ燻っておられた九尾の狐の邪念を石ごと真っ二つに叩き割ったのだ」――と。

 それが事実なら、解き放たれた九尾の念は邪悪な害意ではなく、この地を守護する善意ではないだろうか。

 しかし報道番組は数字を取るためセンセーショナルなネタを求めており、それにそぐわぬ論理を展開した件の学者はその後テレビ電波に乗ってお茶の間に配信されることはなかった。


×


 今晩は思った以上の豪雨に見舞われることになったなと、暖色系の電灯がぼんやりとグラスを照らすバーにいた男……金森要一かなもりよういちは思った。

 草臥れたスーツに、油で後ろに撫でつけたはいいものの見てくれを気にしない故に伸ばし放題にしている黒髪はところどころだらしなく跳ねている。

 席に座り、足で隠すように、あるいは匿うようにしてジュラルミンケースを置いていた。よほど大事なものが入っているのだろう。

 手にはノンアルコールのカクテルが入れられたグラスがあって、今日ばかりは酒精をとるわけにはいかないと自分に強く言い聞かせていた。


 店内に鈴の音が鳴り響き、ドアが開いた。秋雨の音と、冬の訪れを知らせるような冷気が店内に入り込んできた。

 それから間をおかずに草鞋に着流しという格好の老いた男が顔を見せる。耳はやや尖り気味で、肌は芋虫のような不健康じみた白さを帯びていた。

 会員制のバーだ。すぐに黒服が応対し、男は会員証のデジタルバッジを端末に表示した。するとひらけごまの呪文を唱えたように黒服が下がる。


「お久しぶりです、滝沢たきざわ先生」

「久しいな、金森くん」


 男は恰幅のいい老紳士だった。銀縁眼鏡によって幾分か柔和な印象を受けるが、蓄えた白髭と妙にぎらついた目は言っては悪いがどこか頭のおかしい研究者マッドサイエンティストに思えた。それは白い肌もさることながらの異様さを助長している。

 彼はマスターに「こちらの方と同じものを」と言って、サラトガ・クーラーをオーダーする。


「ゆっくり酒を飲みたいが、そうはいかんのだろうな。……君の研究テーマは実に面白いものだ。金森君の『金糸』の完成がとても楽しみだよ」

「期待大、ですね。出資していただいていますから、僕も心躍る日々です。好きなだけ研究できますから」

「そうかね。ところで今日は」滝沢先生と呼ばれた男は席の下のケースを見やり、「……成果物を見せてもらえるとのことだが」


 金森は微笑んで、ケースを取り出す。


「まだ完成とはいえませんが、結果は出せています。僕の夢の実現、その一里塚の一つです」

「塚、ね。目印にするのならば道祖神の方がいいのではないかね?」

「ええ……まあ、僕は神様というもの信じていないのでなんとも言えませんが。いかんせん、地獄の沙汰も金次第と言われる時代ですしね」

「妙なところでリアリストだ、君は。科学者にはあえてロマンが必要だと、大学で教鞭をとっていた時に教えたのだがね」

「ロマンなら人並みに持っている方ですよ、僕は」


 金森はケースを手渡す。滝沢は微笑んでそれを受け取った。


「確かに。君の研究には我々も期待している。資金や資材に困ったらいつでも頼るといい」

「感謝します、滝沢先生」


 金糸計画。正式名称、金剛繭糸こんごうけんし計画。

 着想は高校時代に得たもので、大学ではそのために妖怪医学の道を志した。その時出会ったのがハーフエルフであるというこの滝沢という老爺だ。

 多額の出資を条件に、定期的に研究成果の提供を行うビジネスパートナーであり、それ以上でもそれ以下でもない。

 表面上は和やかでいても、互いに裏をかこうと腹の探り合いをしている。


 我々も期待している・・・・・・・・・。つまり複数の、組織的な力を匂わせている滝沢に対し、金森は頭脳という内部を解き明かすことが不可能に近い情報を武器に立ち回っていた。

 けれどどこかで出し抜かなければ、金森は永遠にこの狸親父の金ヅルだ。金糸も金のなる木くらいにしか思われていないだろう。

 この糸がもたらすのは、決して無限の富だけではない。


「研究所に戻らないと。部下に働かせておいて僕だけカクテルを飲んでいるなんて、あとで何を言われるか……」

「世知辛いな、金森君。いやなに、引き止めはしない。私はのんびりさせてもらうよ」


 ビジネススマイルを互いに浮かべ、金森はバーを去った。

 そろそろくびきを断つ頃だ。

 手元の液晶端末――エレフォンでコール。直後、雑居ビル二階のバーが爆発した。

 紅蓮の爆炎と衝撃波が撒き散らされ、黒煙が雨空に立ち上っていく。


「いつまでも飼い犬で終わると思ったら大間違いですよ」


 金森は独りごちて、そのままレインコートのフードを被って早々にビルから離れた。

 遠くからパトカーと救急車、消防のサイレンが聞こえてきたが、それもすぐに野次馬の蛮声と激しい雨音にかき消されて聞こえなくなった。

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【練り直し中】ゴヲスト・パレヱド — Record of Vanishing Life — 雅彩ラヰカ@文:イラスト比率4:6 @N4ZX506472

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