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ドラグオンズ・ニア — 竜の血脈と月魄の御子 — 作者:雅彩ラヰカ

【序】黒い竜と白い聖女

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プロローグ 誰が為の唄

「フリーダ。もう一度歌ってはくれないか。お前の歌を聴きたい」

「ええ、フェルニア様」


 老いて、その鱗の多くが骨と化していた。このままいけば、すぐにでも灰となって消える。所々に残る甲殻は黒い――そんな竜だった。

 一方の女も既に年老い、年齢は六十ほどか。けれども未だ鮮烈な魅力を放つ、この上なく美しい女だった。


 一体と一人の側には、一抱えほどもある大きな卵があった。


 ――その真っ黒な竜は、特徴的とも悲劇的とも言えるその色から本来血族間の繋がりを大切にする一族からでさえ放り捨てられ、ただ一体、誰もいない無人島の奥にひっそりと暮らしていた。


 雨の日も、晴れている日も、霧が出て満足に視界を得られない時でも雷と暴風が激しく舞う日でも、ただ一体——独りだった。

 けれども周りから迫害されず、傷つかない独りきりの生活はそれで悪くないと言えるものだった。


 自分の力に物言わせて獲物を狩り、食らう。力が劣れば手痛い反撃を受ける。シンプルだが、生命が本来持つべき生き方というのは黒い竜には適していた。


 その日もいつものように獲物を狩りに行く最中だった。

 物好きもいたもので、浅瀬には船が一隻停泊していた。冒険家だろうか。

 けれども気象の激しい肉食魚人たるディープワンに襲われ、そのマストはへし折られて船体も傾いている。


 大した獲物などいまい。

 竜はそう判断し、何の気なしに砂浜へ目を向けた。


 そこには真っ白な一人の女がうつ伏せに倒れている。

 ボートを漕いでいたのだろう男が女を抱きかかえ、あろうことかそのあたりに仰向けに寝かせると服をはだけさせ胸を鷲掴みにする。


 竜は嫌悪を抱いた。意識がない、下手をすれば最悪死んでいる者を犯すとは。


 音もなく飛翔し、けれども激しい風圧を伴いながら降り立った竜に、男は大して大きくもないいちもつをぶら下げたまま悲鳴をあげた。

 ここは私の島だ。竜はその意志から苛烈な、藍色の炎を放った。男が一瞬で炭化し、巻き込まれた木々もろとも炭になって崩れていく。


 竜は女を見て、放っておいては幻獣の餌だと判断して爪で傷つけぬよう優しく抱きしめて巣へ運んだ。

 それから二日ほど、竜は慣れない看病をした。これまで以上に頭を抱えたことなどない。


「あなたは……私を食らう、邪神様ですか」


 目を覚ました白い女は、失礼極まりないことを言いやがった。黒竜は苛立ち混じりに、


「二日も眠らずに看病をした相手を邪神呼ばわりとは、これだから虱が集っている貴様らヒトは……。その虫が湧いた頭は随分といい作りをしていると見える。せいぜい、鼻水くらいしか作れんのではないか?」

「な……だって、目が覚めてすぐこんな凶悪そうなドラゴンがいたら、誰だってそう思います! それにっ、なんで裸なんですか!」

「凶悪は余計だ。……まあ、自覚はあるが。……それとお前のようなクソガキ、私の趣味ではない。お前が勝手に脱がされていた。あの、船乗りの男に」


 そういうと、女は「ああ……」と諦めたように言った。


「こんなところに来るとは訳ありだろうな。流罪(るざい)というやつか。何をしでかした。言うだけ言ってみろ。楽になる」

「……言うだけ言います。独り言ですのでお気になさらず。……私は聖女として嘱望され、村から連れられた挙句偽りの聖女であると言われました。法王様のお眼鏡に敵わなかったのでしょう。それで……」

「ちっ。これだから虱集りのヒト畜生は……」


 辛辣な竜の物言いに、聖女の女は(ばく)する。


「人は……! 人はそんなに穢れてはいません! ただ……私が及ばず、」

「そう思うように洗脳されたんだろう。お前は優しすぎる。……おい、聖女といったな」

「フリーダです、ドラゴンさ――「フェルニアだ」……、フェルニア様」


 言葉を遮った黒い竜――フェルニアに苛立ちつつ、フリーダはその巨体を見上げた。質問するのだろう、それは言葉からわかる。


「フリーダ。改めて確認する。聖女、と言ったな?」

「ええ、そうです。元、ですが」

「元聖女、な。ということは星十字聖教団のだろう? そこにいたのならば、歌は歌えるか。なんでもいい。退屈だ。子守唄がわりに歌ってくれ。ああ、でも聖歌はよせ。イラつく」


 それがフェルニアが初めてフリーダに歌ってもらった瞬間で、彼女と死を共にしようと決めた理由だった。

 フェルニアはこの時点で既に千年生きており、いつ死んでもおかしくはない状態だったのだ。

 白骨化現象も既に起こり、本来二対の翼は一対になっていたのである。


 それから一体と一人は反発しながらも互いに理解を深め、そしてとうとう竜と人の身でありながら交わった。

 子供などできないことはわかっていたが、神の悪戯か――ある日、二名の元に赤く染まった月から雫が落ちた。

 それは百年に一度起きる月の血涙(つきのけつるい)という現象であり、その『血涙』は命の垣根を越える力を持つとされていた。


 フリーダの歌が響く。

 力強く、儚く、そして――ああ、美しい。なんて美しい。


 けれどその歌は唐突に途絶えた。


「フェルニア様……?」

「お前と過ごした時間は……私にとって……千年の苦しみを、消し去る……天上の如き、日々だった」


 ぱきぱきと音を立てて竜は白骨化していく。そして尾の先端、足、翼端からそれは灰になっていく。


「……はい。私も、幸せでした」

「私、たち……竜の考えでは、魂は……巡る、とされていてな。――いつかまた。……いつか、お前と。……そのときも……もう一度、私に……歌って、くれないか」

「はい……!」


 フリーダの美しい顔に、その長い紙に隠れている瞳に涙が溢れ、ぼろぼろとこぼれ落ちていった。

 盲目である彼女の目は白濁し、それでも涙は流せる罪なものだ。悲劇を見ずとも、知った被ったように涙を流せてしまう。


「私もすぐに、そちらへ向かいます……」

「ありがとう……愛しく美しき、我が、生涯でただ一人の――」


 竜の目から光が消える。重たげに持ち上げられていた首が重力に従って地面に叩きつけられ、その衝撃で全身が灰となった。


 美しいはずの歌声が響いていた洞窟に、聞くものの心を引き裂くかのような慟哭が響き渡る。


 ――その二日後、聖女フリーダもまた息を引き取った。

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