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お仕置きの「痛み」と「熱さ」の疑似体験について

その他
09 /18 2016
お仕置きを受けたことがないので、お仕置きの痛みがわからない。体験談を読んでも、その痛みの描写がどんなものなのか実感がわかない。お尻ペンペンやビンタをはじめとする「体罰」は激減し経験者も少なくなっていますから、そういう人は意外と多いのではないでしょうか。それではせっかくの体験談がもったいないので、日常誰もが経験する痛みと比べてみることで、お仕置きの痛みに苦しむ子供の気持ちに近づくことはできないものかな、と考えてみました。




・「我慢」する痛み、「泣いてしまう」痛み
 大前提として、子供は体に受ける痛みを、それがお仕置きであるかないかにかかわらず、同じように皮膚の痛点を通して感じ、泣いたり我慢したりします。ということは、お仕置きの経験がない人でも、自分が子供の頃に痛くて泣いた時、あるいは痛みを我慢した時の気持ちを思い出して、体験談に書かれているお仕置きの痛みの程度を推し量ることが可能なのです。
 個人的に、普通のお仕置きの痛みは、転んで膝小僧をすりむいた時の痛み、くらいなんじゃないのかな、と感じます。低学年の子なら男子も女子も泣く子は多いだろうし、中学生にもなって転んだだけで泣く子は少ないでしょう。でもひどくすりむいたら(つまり、厳しくお尻を叩かれたら)中学生でも涙がこぼれてしまうかも、といった風に、膝小僧を擦りむく痛みをお仕置きの痛みのサンプルとすると、わりと自然な感じで想像が捗るのではないかと思われます。

・「面」と「線」のお道具の痛み
 子供の日常風景から、厳しいお道具を使ったお尻ペンペンを追体験できる「痛み」を探してみることにします。まずは、ドッジボール。小学校の時、ドッジボールで顔にボールがあたって痛い思いをした人は多いと思います。へたり込んで泣きじゃくる子もよくいました。バチーン!とものすごい音がしたり。これ、お尻ペンペンに例えると重量のある平らなゴム面が裸の肌に炸裂した痛みなんですよね。固い素材でできているために、力いっぱいお尻を打ってもお道具がお尻のカーブにあわせて変形せず、お尻の肉が変形してその衝撃を受け止める、そういったタイプの「面」でお尻を懲らしめるお道具の疑似体験。素材をゴムに限定するなら、卓球のラケット、あるいはプラスチックのヘラで力一杯打たれた時の痛み。敷衍して木のパドル、ヘアブラシ、靴べら、定規、などなど。顔に比べてお尻は鈍感なので単純に比較はできませんが、バチーン!と肌を打たれる痛みの一端は理解できるのではないかと思います。ドッジボールで顔面にあたってへたりこんでしまう子がいたら、試合は一時中断されて、大丈夫?などと友達が寄り添いその子が落ち着くのを待ったりしますが、たとえ子どもが泣きじゃくっても止まらないのがお尻ペンペンであります。顔にボールがあたって泣いてる子供の頬に繰り返しビンタを繰り返す、みたいな。うーん、お仕置きって、厳しい。
 そしてもうひとつ、お道具の痛みの疑似体験で忘れてはいけないのが、なわとび。なわとびで遊んでいて、ふとした弾みでバチ!と太ももや腕にロープがあたる経験をされた方は多いのでは。大人でもわりと悶絶する痛みだと思いますし、小学生の頃は遊んでいて自分で当ててしまって泣いてる子は珍しくなかったのではないでしょうか。気温が低く、肌が敏感になっている冬の体育の授業に際して当たってしまった場合には、もう……。当った跡にみみず腫れが残るのも、とてもお仕置きチックです。この類の痛みは、いわゆる、しなって肌に食い込む素材でできた「鞭」の痛みです。ベルト、ストラップ、コード類を用いた「線」で懲らしめる鞭の痛みですね。

・熱いお尻の感覚
 体験談では、しこたま打たれたお尻が熱い、まるで焼かれているようだ、などの表現が多く見受けられます。イラストでも、お尻から湯気が出ているなどの効果を使って、この現象が表現されていることがよくあります。打撃を受けた部分の皮膚は血行が良くなりますし、さらに厳しいお仕置きの場合は、ダメージを受けた皮膚の回復のために血液が集まり、お尻の不快感は高まりますから、お仕置き描写に熱を帯びたお尻は欠かせないものです。しかし、これもまた、お尻が熱を持つまで叩かれた経験をもたない人にとっては、実感が湧きづらい表現です。
 疑似体験としては、お風呂にかなり熱めのお湯を入れ、腕とかお尻でも良いですが入れてみる。ギリギリ我慢できない熱さの温度に設定したお湯がベストと思います。腕を少し入れ、引き出すと、皮膚がかなり赤くなっているのが見てとれます。なにより血管が脈打ち、ジン、ジンとしびれるような感覚があります。この熱さと不快感。お仕置きされて真赤に腫れあがったお尻の感覚を、少しは再現できているのではないでしょうか。

・お灸の感覚
 お灸、特に昔の体験談に出てくるお灸は、台紙等を用いず、火で肌を直接焼くお仕置きです。あくまでも原理的にはタバコの火を用いる根性焼きとまったく同じものです。肌を焼いた炎は時に黒いかさぶたと水ぶくれを伴い、かさぶたが取れた後には時には一生ものの、白いヤケド跡が残ります。途轍もなく熱く、痛い。そう頭で理解はしていても、根性焼きの経験がある人は少数派でしょうし、なかなかその熱さが感覚的に理解できない人は多いのではないでしょうか。実は自分もその1人だったりします。
 しかし、日常生活を送る中で唯一火に触れあうことのできる場所があります。そう、台所のコンロ周りです。たとえば……鍋の蓋を素手で掴んで慌てて手を離したり、揚げ物の油が飛んで跳ねて反射的に腕を引っ込めたりした経験は誰にでもあると思います。この熱さが一瞬ではなく数秒から数十秒連続して続くと考えると、お灸の痛みの程度が理解できるのではないでしょうか。お湯が沸騰した鍋の蓋を掴み続ける。揚げ物している鍋の真上に手をかざし続ける。大人でも耐えられる人はそうそういないでしょう。そして、鍋のつまみや湯気やはねる油などは言ってみれば火が持つ熱の伝導体に過ぎず、それに対してお灸は火で直に素肌を焼くお仕置きですから、想像を絶する熱さと痛みを子供はお尻で感じるのは間違いありません。
 折角ですからお尻で体感できそうなシチュエーションをもうひとつ。真夏の午後、照りつける太陽の下でジリジリ焼けている車のボンネット。そこに裸のお尻で腰かけてみる。すこぶる熱いしともすると火傷するのは間違いないでしょう。それでもお尻の皮膚が黒く変色する、なんて事態にはまずならないはずです。加えて、お仕置きの際には、子供の小さな身体が大人に抑えつけられることにより(それも、艾を定位置に保ち肌を最後まで焼くために!)、反射神経による身体の暴れすらも許されません。子どもの精神的な負担は計り知れないものでしょう。時に大の大人が泣いてしまうレベルの痛みを、お灸のお仕置きを受ける子供は感じている。書いていて、一生ものの跡が残るお仕置きは、やはり凄惨なものだなという印象を新たにしました。お灸のお仕置きばかりは、日常で比較できる痛みで理解することはなかなかできるものではないかもわかりません。

・「お尻がもげそう」な痛み
 厳しいお仕置きの体験談で、「お尻がもげそう」などの表現がみられることがあります。「お尻がどうかなってしまうんじゃないかと思った」もその亜種でしょうか。もげそうと書いてあっても、お尻がもげたことがある人はたぶんいないので、なかなか実感がわかない。この感覚の疑似体験には、例えば指をドアに挟んでしまった場合を思い出してみるといいかもしれません。まず、指は「ちぎれてしまいそうなほど」猛烈に痛い。その上でその感覚の背後に、ありえないとわかっていながらも、指がもげてしまっていたらどうしよう、という恐怖がある気がしませんか。特定部位に過大な打撃が与えられると、痛みに加えて、そこがどうかなってしまっているのではないか、と多大な不安を感じるものです。お尻をしこたま叩かれた子供も、同じ思いを感じているはずで、それが体験談の表現につながっているのかなと。「我慢できない痛み」「もう許してと思った」、などの表現もわりと近い感覚から生まれたものかもしれません。頭で「痛い」と思考できる範疇を超えた痛みを体験した時に出てくる表現、といった感じでしょうか。




 とりとめのない記事になってしまいましたけれど、この「疑似体験」の肝は「子供の頃に体験していた痛み」から類推しているところにあります(書いているうちに、大人になってからでもできる体験と混ざってしまいましたが)。なぜ「子供の頃に体験していた痛み」が肝かというと、大人と子供では痛みに対する耐性がまったく異なるためです。平手でお尻十発、大人なら笑って耐えられますが、就学前の幼児であれば大泣きです。セルフスパンキングとはまた異なる方向から、昔の「子供だった自分」の感覚を思い出しながら体験談を読みふけり、お仕置きを追体験する。秋の夜長、それもまた一興ではないでしょうか。

「お尻ペンペンされている子供」の定義について

その他
09 /18 2016
「昔はお尻ペンペンが当たり前だった」
「欧米ではお尻ペンペンのお仕置きがスタンダード」

お仕置き愛好家の間ではよく使われるフレーズです。ここでひとつ疑問が湧きます。「当たり前」「スタンダード」とは具体的にどう測ればいいのでしょう?どれくらいお尻を叩かれていれば、その子は「お尻ペンペンされている子」としてカウントしてもいいんでしょうか。

すこし考えてみると、これは一筋縄ではいかない問題です。頻繁にお尻を叩かれている子供をカウントする?たとえば「四六時中お尻を叩かれている子供」がいて、躾けに厳しい家庭だとして近所で有名だったとします。でも、その子だって24時間365日お尻を叩かれているわけではありません。一日一回?一週間に一回?一カ月に一回?一年に一回しかお尻を叩かれない子供は「お尻ペンペンされてる子供」なの?

少し考えてみます。結論からいえば、問題は頻度ではなく、叱られるに値すること(門限破り、万引き、約束を破ること、言いつけを守らなかったこと、反抗的だったこと、などなど)を子供がしてしまった時、その罰としてお尻ペンペンされることに決まっているかどうか、これこそひとつの大切な基準になるのではないでしょうか。

つまり、子供が日常生活を送るうえで、何をするにも言うにも、おしりぺんぺんの刑に値するものであるかが常に親(と子)の判断基準としてある。「お尻ペンペンをされるこども」の定義を、自分はそんな風に考えています。この基準に照らし合わせれば、上で話した例えでいえば、一年に一回しかお尻を叩かれない子供でも、お尻を叩かれないように常に良い子にしているからそんなに少ない頻度で済んでいる。その子は「お尻を叩かれる子供」なんだと思います。もちろん、親が甘くてよほどのことでないとお尻を叩かない家庭もあるでしょう。それでも、お尻ペンペンがお仕置きの選択肢として宣言してあるのならば、やっぱりその家庭で育つ子供は「お尻を叩かれる子供」といって差し支えないのではないでしょうか。なんだか当たり前の結論になってしまいましたけれど、自分にとってはけっこう大切な観点なので、書いてみました。

日欧お尻叩き比較:姿勢について

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09 /18 2016
お尻叩きの姿勢。

お尻叩きのほとんどを占める、軽い警告のお尻叩き。立ったまま、服を着せたまま、子供をつかまえて、お尻を叩く。この所作は、欧米諸国も日本も同じです。

でも、気合を入れた「本気のお仕置き」のときは?欧米諸国では親が椅子に座って子供のお尻を叩きます。英語圏のお尻叩き絵投稿コミュニティ「AnimeOTK」に投稿されている絵もほとんど椅子に座ったOTKです。

戦後は、日本も生活の欧米化が進み、テーブルと椅子を使う家庭は増えていきました。食事をダイニングテーブルで、椅子に座って食事する光景は珍しくない…どころか、現在では床に座って食事する家庭のほうが少数派でしょう。ですが、お尻叩きに限ってはどうでしょうか。

自分の印象を述べてみると、わざわざ椅子に座ってお尻を叩く親、実は日本では珍しいのではないでしょうか?統計を見たわけでも、アンケート結果を見たわけでもありませんが、そういう感じがするのです。

ではどんな姿勢がポピュラーかと言うと、子供が小さなうちは、親が床に正座して、そうして子供を膝の上に乗せてお尻を叩くのが主流ではないでしょうか。つまり同じお膝の上でも、日本のお仕置きは正座した親のお膝の上、が多い印象があります。アニメや漫画でも、畳に正座したお母さんに子供がお仕置きされる光景は、鉄板です。要するに、床文化でお仕置きが執り行われているのです。

日本は椅子文化なのに、なぜだろう。いろいろと考えてみましたが、「お説教は正座で頂く」という昔からの文化があるからかもしれません。お仕置きの前には必ずといっていいほどお説教がありますから、お仕置きの姿勢が床に近いものとなるのも納得です。考えてみると、欧米のお説教の場合は、親が椅子に座り子供は前に立ってお説教を聴きます。お説教を聴く姿勢がお仕置きの姿勢に直結している、とみるのはあながちおかしな論理ではなさそうです。
加えて、そもそも幼児が椅子に座るよりも床で過ごしている時間が、欧米に比べて日本では長いのかもしれません。椅子文化は椅子文化でも、その濃度に差があることから来る違いとも考えられます。


では成長した子供のお尻叩きの姿勢に違いはあるのでしょうか?

欧米ははっきりとしていて、OTKの次にポピュラーな姿勢は、立って身をかがめるベンド・オーバー(Bend Over)です。なぜポピュラーなのかというと、お膝の上でお尻を叩かれていた子供が、思春期に入るとベンド・オーバーの姿勢を取らされることが多いのです。ただし、あえて恥ずかしい思いをさせるために、大きくなっても膝の上でお尻を叩き続ける家庭も多いようです。この辺は、お仕置きがもたらす効果を各家庭が勘案しますので、違いが出てきます。思春期の子供はお仕置き時、痛みだけでなく羞恥も感じるようになります。「お膝の上」が確立している欧米ならではの最大限の効果をお仕置きに持たせるための、バランスのとり方です。

対して、日本では、思春期にさしかかった子供はどんな姿勢でお尻を叩かれているのでしょう?実はこれがよくわからない。大きな子供のお尻を叩く家庭の絶対数が欧米に比べ圧倒的に少なくなるからです。ただ、厳しいお仕置きを執り行う家庭では、壁に手をつかせる姿勢が多い、のはネット上に転がる経験談を読むとなんとなくつかめます。

親の「お膝の上」は暴れたり逃げ出そうとしても良い、親が子供の身体のすべてをコントロールしている、言うならば「甘え」が許された姿勢です。逆にベンドオーバーや壁に手をついた姿勢は、自分の意思で我慢してお仕置きを受け続けなければいけない、子供にとって辛いものです。大きくなると、「甘え」が許されなくなる姿勢をとらせるのは、日欧のお仕置き共通の流れといえるのかもしれません。ここでは「成長文化」と呼んでおきます。子供の姿勢の変化は親の姿勢にも影響します。親が立った姿勢で道具を扱えようになるのは、「甘え」を許さない変化をよく表わしています。座った姿勢と比べて、直立した姿勢はフルスイングが可能で、成長した子供であっても、当然相当な痛みを感じることになります。英語圏の経験談を読む限り、思春期の子供はベンド・オーバーと並んで「ベッドにうつぶせ」の姿勢をよくとっていますが、これも親がベッド際に立つと、ヘアブラシなりベルトなりの道具をフルスイングでお尻に振り下ろせるからで、理にかなった姿勢と言えます。

ここで曲がりなりにもまとめてみるとするならば―

・日本も欧米文化圏と変わらず椅子が主流の文化である。
・しかしお説教をはじめとして日本の幼児期は「床文化」の濃度が高く、お仕置きも「床文化」で行われる。
・成長した子供に対しては、日欧とも甘えを許さない「成長文化」に移行する。

といったところでしょうか。

「椅子に座ってお尻を叩く親が日本には少ない」という前提自体があやふやなのでまとめてみてもあまり意味はないところはありますが……。

正直なところ、子育て現場のほんとうのところはよくわかりません。ですが、椅子が欧米諸国と同じ程度に普及しているであろう日本では、お尻叩きと椅子の相性があまりよくないように思われるのが不思議で、気になりましたので書いてみました。

流れに沿わないので省略したことをここに。

日本でも、リビングにソファがある家庭では、ソファに座って子供のお尻を叩く機会はわりとありそうです。これは幼児期にあっても椅子文化でお仕置きを執行している例です。ただしそういった家庭でも、ダイニングテーブルの椅子を部屋の真ん中に置いてお尻を叩きだす光景はあまり想像できません。

もうひとつ。四つん這いの姿勢は日本でわりとポピュラーな姿勢ですが、これは少し大きな子供向けに使われることがあります(少なくとも経験談ではたまに出てくる姿勢です)。成長した子供であっても「床文化」でお仕置きされていることになります。ただし上で述べた通り、これはお説教からの流れで用いられる姿勢であるという背景があります。また、我慢してお仕置きの姿勢を取らなければならない、甘えが許されない姿勢でもある点では、「成長した子供は甘えが許されないお仕置きの姿勢を取る」セオリーには合格している、あえて分類しようとすると厄介な姿勢です。つまり日本でよく用いられる四つん這いの姿勢は、「床文化」と「成長文化」が組み合わさった姿勢であり、ここから(少なくともフィクションの上では)さまざまなバリエーションが生まれるのは皆さんご存じのとおりです。強くお尻を打つために、お尻を上の位置に持っていかせる(極端な例では、膝をつかない四つん這いなど)。年相応の辱めを与えるために、四つん這いの状態で足を開かせる、などなど。私は数あるお仕置きの姿勢の中では「四つん這い」にもっとも惹かれますが、そのロマンは日本と欧米のお仕置きの「知恵」が合わさったところにあるのかもしれません。

iwayuru