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「いのちを救うには、肝臓の移植手術以外にないという子どもがいるのですが、手術をお願いできませんでしょうか」

二年前、アメリカに移って間もないころ、こうした電話をかけたのも二度や三度ではない。電話の相手は、今では各州にひとつはあるという臓器移植センターの小児肝移植を担当する外科医、子どもというのは神戸を離れる前に手術した胆道閉鎖症の幼い患者である。

胆汁の流れる管が先天的に閉じた状態で生まれた胆道閉鎖症の子どもたちは、東北大学の葛西森夫教授によって開発された"カサイ手術"で半分は救われるが、残りの半分は不幸な結果を待つのみであった。だが、この十年間に急速に進歩した肝移植手術を受けると、"カサイ手術"も無理だった子どもたちの80%が救われるようになったのである。

「科学大国ニッポンでまさか技術的な理由で肝移植の手術ができないはずはないと思いますが、なぜアメリカへ手術を受けに来るのですか」

いつもながらの反応に、長い解説を用意せねばならない。生きた肝臓をひとからひとへ移しかえるには、肝臓を提供する人(ドナー)の心臓が拍動している間に開腹し、肝臓を取り出さねば手術の成功はない。肝臓を取り出してしまうと間もなく、心臓の動きは停止するのである。

「ニッポンでは、このところ脳死論議が盛んですが、まだ心臓が拍動している限りその人は生きているとみる杜会通念が支配しています。たとえ脳全体が回復の見込みのない重い損傷を受け、器械の助けを借りて呼吸や心臓の動きがかろうじて保たれている状態にあっても、心臓が最後の脈を打ち終わるまでは、生きているひとなのです。肝臓を取り出した結果、心臓の鼓動が停止するとひと一人を故息に死に至らしめたという理屈になってしまうのです。こうした通念が変わらぬかぎり、心臓も肝臓もひとからひとへ移植をすることは許されません。だから、肝移植以外に生きる望みのない人は、こうして国外で移植をお願いするしかないのです」

「ニッポンの患者さんの不幸な立場はよくわかりました。しかし、わたしには臓器移植のように生死にかかわる重大な問題を、責任の所在のない社会通念にゆだねるといわれることが納得できません。アメリカでは、こうした問題はまず司法の見解を求め、合法ということになれば、あとは臓器を提供する人、それをもらう人、脳死の判定医、執刀する移植外科医など当事者の個人的判断に任せるのが通念になっています。合法であるかぎりなんびとも移植手術を阻止する権限はありません。つまり社会通念によって許されたり阻まれたりする問題ではないのです。なにしろ、地球より重いというひとひとりのいのちがかかっている事柄なのですから」

「アメリカで肝移植を受けた子どもが帰国した場合、あなたのいわれるニッポンの杜会通念は一体どんな反応を示すのか大変興味があります。肝移植を受けた子どもの体の中には、ニッポンの社会通念によると"殺人"とみなされる行為によって得られたアメリカ人の子どもの肝臓が生きているのですよ。あなたの国の社会通念にしたがうと、ニッポンから来た子どもを救うために肝臓を提供したアメリカの子どもは、その結果いのちを奪われた事になります。これが許されるなら、アメリカ人の肝臓なら、いや、いのちなら取ってよし、だがニッポン人のいのちは大切だからダメという解釈が成り立ちませんか?一歩ゆずって、ニッポンで肝臓を取るのはダメ、国外でならひとを何人死なせようとも肝臓なり心臓なり取ってよし、という身勝手のように、私には思われます。」

 この二年間に何人かのニッポン人が肝臓手術を受けるため太平洋を渡った。そのうち幾人かは移植された肝臓のおかげで再び元気にニッポンの土を踏むことができた。かけがえのないいのちである。生を取り戻した喜びに水を差す気は毛頭ない。だが、東部のある移植センターにニッポンの子どもへの移植を依頼したときこんな事があった。

「手術をしてあげたいのはやまやまなのですが、移植を必要とするアメリカの子どもたちが自分の順番を待っているようになった今、どちらを優先するかは世論の決めるところです。ごめんなさい」 「臓器移植というのは、助け合い運動のようなものです。今日、臓器を譲ってもらったら、明日は自分のを提供する。お互いの善意によって成り立つものです」

最もだと思われる意見とともに、こちらの依頼はやんわり断られた。

今年の三月、オーストラリアの学会から招きを受けブリスベーンを訪れる機会があった。ロイヤル小児病院には全豪の小児肝移植を一手に引き受けているオング博士がいて、再会の喜びを分かち合った。これまで博士の手がけた40件の肝移植手術のうち10%はニッポン人の子どもであるという。

アメリカへ、あるいはオーストラリアへ、"通念"が子どものいのちの前に立ちはだかり死に追いやろうとする国に生まれた不条理を恨み、一縷の望みを求めて飛ぶ親子は後を絶たぬ事であろう。だが、オーストラリアでもアメリカでも、肝臓を提供してくれるのは、不幸な事故にあって脳死状態になった子どもたちだ。

事故のあと、子どもの不帰を宣告された悲しみの最中、臓器移植の提供に同意のサインをする両親の勇気たるや言語を絶する。

勇気と善意に支えられてえられた貴重な肝臓を、自国では“通念”が許さぬからといってもらい受けに行く、これまた絶望のどん底にわずかな光を求めている悲しい親子。ニッポンはこうした親子に対し知らぬ顔の頬かむりを決め込んでいる。

「そのうちニッポンで臓器移植が許される日が来たら、オーストラリアからニッポンへ向かって移植ツアーが出るようになるかもしれませんよ。その日まで、いくつかの肝臓をお貸ししておく、ということにしましょう」

博士は笑ってくれたが、そんな日が果たしてやって来るであろうか。アメリカ、カナダ、オーストラリア、西ヨーロッパ諸国はむろん、最近、台湾、韓国でも肝臓移植の実施に踏み切った。私の勤めるアイオワ大学外科では、心臓、肝臓、すい臓移植がそれぞれ毎月ニ、三例、肺移植がニ、三ヶ月に一例の割で行われている。

ニッポン以外の国では普通の手術とかわりなくなりつつある臓器移植に、ニッポンの社会通念はいつまでソッポを向きつづけておれるであろう。

1988年11月30日



 このオピニオンを紙上に発表してから、15年が経過した。感無量である。その間、日本でも脳死の定義が明確となり、脳死者からの臓器採取が合法化された。しかし、脳死者から提供される臓器移植の実施にあたっては、手続き上の障害が数多くまちうけているため、一年間にかぞえられるほどの臓器移植しか行われていない。一方、生体肝移植は世界一の経験例をもつほどに発展した。欧米のキリスト教社会では、脳死と同時に死者の魂は天に召され、亡骸となった肉体は抜け殻とみなされる。それゆえ、脳死者本人あるいはその親族も臓器提供に、東洋社会ほど感情のうえでの抵抗はない。これは筆者が日米両国外科診療の現場で体験したファクトである。

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