ACP | 君の娘になりたい。

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母であり、女であり。
13年後、韓国で暮らすことを夢みているブログ。

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今日、ACPの勉強会にでて

講師は元々尊敬しているドクターだったんだけど

(心から尊敬している日本人男性医師です)

親御さんを若いうちに亡くしていて、医師なのに……自分は親から見たらきっと医師ではなく子供にすぎなかったんだろう、て話をされて


悲しい



私も数年前実父を亡くしていて

コロナ禍故に病院では会えないし


本当に何もできず、無念。


そして。相続が大変で、ゴリから言われた一言は「うわ、めんどくさいね」


だった。


私は親の前では気丈に振る舞い泣けず

長男の前だけ泣いた。


もちろんゴリは労りも慰めも一言もなかったし

いくらあのときから夫婦が破綻していたとは言え

、本当にゴリに何も期待しないし

全て1人で抱えて頑張ろうと思ったんだよね。悲しい


帝王切開て本当に怖い。

全然楽なんかじゃない。

意識があるのに。お腹が切られる。

体が動かない。


出血をして血圧が60までさがり酷い吐き気で

麻酔科の先生が手を握りながらボリュームを全開で負荷してくれた。


ぼんやりとした意識で呼吸がうまくできなくて苦しかった。


手術直前

ゴリに「死ぬかもしれないし」

て吐露したとき大笑いされた。大袈裟だな、て。


男にはわからないだろうよ。


話は戻り、父の後悔とか

辛さとか、今日の「人生会議/厚労省」の講義で

   本当にお父さんに会いたくて、帰りの車で1人で泣いた。



ずっとずっと1人でやってきた。

誰かに寄りかかる方法を知らなかった。

自分が辛い時も苦しいときも歯を食いしばればいいと思っていた。


船が漂着したころ、

コロナが流行り始めたとき、

病棟勤務をしていて

コロナが未知で、ワクチンもなかった。薬もなかった。PCRも確率されておらず

医療物品が不足して、マスクがなくて

ガウンもなくて。

ダイソーの雨合羽を着て、ケアに入った。


あのときは、仕事に関しては親友ナス友たちが心の支えで。

何とか乗り越えられた。


でも苦しかったし、怖かった。


今でこそ、看護師は立派と言われるけど

医療者てだけで差別された。


コロナワクチンが普及したころ、今の職場に転職した。

使命に燃えて、仕事をすれば「税金で生計を立てている」と言いがかりをつけられ


じゃあなんだったら満足してくれますか?


一生懸命、やっています。

微々たる力かもしれないけど、少なくとも人命なためや困っている人の前に最前線でたちました。






今日たまらず오빠にLINEをした。


お父さんに会いたい、て伝えた。

あまり男性に寄り添ってもらえたことがないから、

甘え方がうまく分からないけど


伝えたかった。

お父さんのことで人に泣きついたのは

初めてかもしれない悲しい悲しい悲しい


어빠だから話せた。



そしたら



こんなときに

そばにいてあげれなくて……ㅠ_ㅠ



そうだよ。

お父さんは、見てくださっているから

コハクが元気でいないと


仕事で忙しいのに。

欲しい言葉を絶対にくれるんだよね。


ありがとう(;_;)

もう少し頑張ってみる。



今日は会社の会食

来週までほぼ毎日。土日は幸いに、無し。


ごめんね、てすごく謝られた。

縦社会だからさ、携帯なんて触れないし

不安にさせるだろう、て。


でも大丈夫。信頼してるから看板持ち


私の欲しい言葉を全て言語化してくれる。


A型、山羊座、MTBIは擁護者。

私はO型、山羊座、同じく擁護者。


本当にクソがつくくらい真面目で優しくて。

幼少から苦労をしてきて、痛みを知っていて、

優秀で高学歴で努力の人。とても35歳には思えない。