――ゲームの原体験としてはアーケードというのはわかりました。いわゆる家庭用ゲームの原体験としては……?

 近所にトシアキくんといういじめっ子がいて。トシアキくん、知ってるよな?

 覚えてる。

 僕より学年が2つ上のトシアキくんの家が……お前、トシアキくんの家に行ったことある?

 いや、行ったことない。

 トシアキくんの家はとにかくおもちゃをいっぱい買ってもらえる家で。クラスにそういう子っていたじゃないですか。トシアキくんがまさにそれで、光線銃のゲームとか海外の名前もわかんないようなゲーム機とかいろいろ持っていて、それが3年生くらいのころかな? そして僕が11歳の1981年にはカセットビジョン(※20)が発売されていますが、トシアキくんがカセットビジョンを買ったタイミングは、僕がもっともトシアキくん家に入り浸っていた年で。夏休みはべったりトシアキくんの家にいて、ひたすらカセットビジョンを遊ぶという……。ただ、トシアキくんはいわゆるジャイアンみたいな子だったので、ちょっとでも気に障ることをしたらすぐブン殴るんですよ。いっしょに人生ゲームを遊んでいても、僕がいいマスに止まったりするとギロっとにらまれて……でもトシアキくんには手出しできない(笑)。それでも、たとえリスクを冒してでも遊びに行きたい魅力がテレビゲームにはありました。

※20:カセットビジョン……エポック社が1981年に発売した家庭用ゲーム機。発売価格は12000円(ACアダプターは別売りで1500円)、後にACアダプター同梱版(13500円)が発売された。カートリッジにテレビゲーム用LSI自体を1チップにした1チップマイコンを内蔵し、カートリッジを交換することで異なるゲームを楽しめるというシステムを採用。

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自宅にあるカセットビジョン。子どものころのあこがれのゲーム機だったので大人になってから買ったものです(写真提供、解説:神谷氏)。

――カセットビジョンはどんなゲームを遊んでいたのですか?

 『きこりの与作』(※21)や『ギャラクシアン』、『アストロコマンド』(※22)、『パクパクモンスター』(※23)などで遊んでいました。トシアキくんがつぎからつぎへとカセットを買ってもらってたので。

※21:きこりの与作……カセットビジョンのローンチタイトル。木こりの“与作”を操作し、イノシシやマムシの攻撃をかわしながら木を切り倒すアクションゲーム。

※22:アストロコマンド……1983年、エポック社から発売されたカセットビジョン用ソフト。レバーとボタンで自機を操作し、市街地や敵基地を進みながら、敵を撃ち落としていくシューティングゲーム。敵や障害物に接触するか、エネルギー残量がなくなるとゲームオーバー。自機はつねにエネルギーを消費しているため、道中ではタンクを破壊してエネルギーを補充する必要がある。

※23:パクパクモンスター……カセットビジョン用ソフト。パクパクマンが“えさ”を食べながらモンスターから逃げ回るアクションゲーム。“パワーえさ”を食べたら反撃開始。

――トシアキくん、すごいですね。

 あのころ、ファミリーコンピュータ(以下、ファミコン)(※24)が発売される前ですが、任天堂のカラーテレビゲーム15(※25)を持っている友だちもいたりして、家庭用ゲームがぼちぼち広まり始めていました。ATARI2600(※26)を持っている同級生もいましたね。でも僕たちは買ってもらえていなくて、もっぱら他人の家に行って遊ぶという……。で、カセットビジョンの話からちょっと遡りますけど、小学校4年生のときに“テレビベーダー”(※27)が発売となり、「誕生日プレゼントに何を買ってもらおうかな」と悩んでいたときに、親父がちょうど喫茶店でテーブル筐体の『スペースインベーダー』(※28)にハマっていて、「英樹、お前テレビベーダーはどうだ?」と、そそのかしてきたことがあって……。

※24:ファミリーコンピュータ:任天堂より1983年に発売された8ビット家庭用ゲーム機。本体にCPUを搭載し、ゲームプログラムとデータをカートリッジ(ロムカセット)に内蔵したROMで供給するカセット交換式を採用。本体に直接接続されたふたつのコントローラーが付属されており、横長の形状で左側に+ボタン、右側にA、Bボタンを配置。この配置は、その後のゲームコントローラーのひな型となった。

※25:カラーテレビゲーム15……任天堂が1977年に発売した家庭用ゲーム機。本体にはあらかじめ15種類のゲームが内蔵されており、レバーで切り替えて選択を行う。収録されているゲームは『テニスA/B』、『ホッケーA/B』、『ピンポン』など。

あのころのビデオゲーム プラチナゲームズ神谷兄弟特別対談【前編】_22

※26:Atari 2600……1977年、アタリ社から発売された家庭用ゲーム機。木目調のデザインが特徴。Video Computer Systemの名で発売され、Atari VCSの通称で親しまれた。

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※27:テレビベーダー……エポック社が1980年に発売した家庭用ゲーム機。『スペースインベーダー』を家庭用向けにアレンジしたタイトルを内蔵。

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※28:スペースインベーダー……タイトーが1978年に発売したアーケードゲーム。移動砲台を操作しながら画面上空から迫るインベーダーを撃ち落とし、全滅させるとステージクリアーとなる。

――おお! 『スペースインベーダー』専用機ながら、そのタイミングでついに家庭用ゲーム機を買ってもらったんですね。

 いえ、ちょうど僕のクラスでラジコンブームだったので、ラジコンをねだってしまって(笑)。

――(笑)。

 僕の人生最大のミスチョイスだと思います。実際、ラジコンは速攻で飽きて。もうテレビベーダーがやりたくてやりたくて。

 マウンテンマンより前の話だっけ?

 そう。そのとき買ってもらったのは、名前は覚えてないけど、曲がるときにウインカーが点滅するポルシェのラジコン。マウンテンマンは小学校6年生のときだから。あ、マウンテンマンは“ 4WD シェビーブレイザー マウンテンマン”というラジコンです。当時の広告でいちばん高いラジコンで、子どもたちの垂涎の的でした。それを両親が誕生日にサプライズで買ってくれたんです。もらったときは感動して「絶対ちゃんと勉強する!」と誓ったんですが……残念ながら誓いは果たされませんでした(笑)。それはおいといて、そんなわけで小学校4年生のときに『テレビベーダー』を買い損ねてから、テレビゲーム機が我が家に来るまではしばらくあいだが空いてしまうわけです。

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小6のときに買ってもらったマウンテンマンです。まだ実家にとってあります(写真提供、解説:神谷氏)。

――ゲーム&ウオッチ(※29)やLSIゲームも買われなかったのですか。

※29:ゲーム&ウオッチ……1980年より任天堂から発売となった携帯型液晶ゲーム機。ゲームは本体内のROMに書き込まれており、ひとつのハードでひとつのゲームを遊ぶものとなっている。“ゲーム&ウオッチ”という商品名の由来は、ゲームをしていないときに時計として使用できるから。1作目は『ボール』。

 LSIゲームは持ってました。そういう意味では、覚えているいちばん大きな買い物は、小学校3年生のときにトミーの『レッドミサイル スペースアタック』(※30)っていう発光ダイオード(LED)を使用する電子ゲームを誕生日に買ってもらって。『レッドミサイル』は覚えてる?

※30:レッドミサイル スペースアタック:……1979年、トミーから発売された電子ゲーム。ミサイルを発射し、飛行機を狙撃するという内容。

 ボタン半押しでミサイル止めてインベーダーに当て続けると、点数が入り続けるやつね。じゃあ、赤い本体のヤツはそれよりあと?

 『ジェットファイター』(※31)はそれよりあと。あれは親父がパチンコで取ってきたんだよ。

※31:ジェットファイター……学研より1979年ごろに発売されたLSIゲーム。画面左側から迫る戦闘機を、ミサイル発射台を操作して迎え撃つ。

――(笑)。

 『ジェットファイター』、最近取り戻したんだよね?

 そう。思い出の品だったので、オークションで『ジェットファイター』を購入しました。

――「取り戻す」という表現がおもしろいですね(笑)。

 『レースンチェイス』(※32)という青い本体のパトカーのゲームもよく遊んでましたね。これもたぶん親父がパチンコで取ってきたんですが(笑)。弾を撃ってくる犯人のクルマに近づいて追いついて捕らえるという、『チェイスH.Q.』(※33)の原点みたいなレースゲームなんですけど、電源を入れてスタートしてからの、流れてくる一般車のパターン、敵のクルマの動くパターン、敵が弾を撃つパターンを全部覚えて、目をつぶってもクリアーできるようになっていました(笑)。

※32:レースンチェイス……バンビーノから発売されたLSIゲーム。パトカーを左右に操作し、前方からのクルマを避けながらギャングのクルマを追い詰めるという内容。ギャングのクルマの真後ろで“キャプチャーボタン”を押すと逮捕できる。

※33:チェイスH.Q.……1988年稼働。タイトーのアーケードゲーム。ジャンルはレースゲームだが、順位を競う内容ではなく、覆面パトカーを操作して犯人のクルマに体当たりを行い、停車させて犯人を逮捕するのが目的。

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最近になってオークションで取り戻した『ジェットファイター』と『レースンチェイス』です(写真提供、解説:神谷氏)。

――それぐらいやり込んでいたということですよね。

 やり込んでましたね。『レースンチェイス』も最近オークションで取り戻したんですけど(笑)。

 ゲーム&ウオッチ系のゲームも少しあったね。

 LSIゲームと同じころに流行った液晶ゲームもやりましたね。いちばんやったのは、やっぱりゲーム&ウオッチの『ドンキーコング』(※34)。大晦日に家族全員でスコアアタックをしてました。

※34:ドンキーコング(ゲーム&ウオッチ版)……1982年、任天堂より発売。折り畳み可能な上下2画面のマルチスクリーンが特徴。樽をジャンプでかわしながら上部にあるクレーンに飛び移り、ドンキーコングの足場のフックを外していく。+ボタンが初めて採用されたゲーム。

 兄は『ドンキーコング』、私は『グリーンハウス』(※35)を買ってもらって。

※35:グリーンハウス……ゲーム&ウオッチ マルチスクリーン第4弾として1982年に発売。上下の画面を行き来しながら、植物に近づく虫をスプレーで撃退するアクションゲーム。植物のギリギリまで虫を引き寄せてから倒すと高得点。

 あれは『ドンキーコング』と同じマルチスクリーンだけど、絶対おもしろくないからやめとけって言ったのに、お前が誕生日に買ってもらって、速攻で飽きて……。

 俺の誕生日なんだからいいだろ(笑)。

 ちなみにその『ドンキーコング』と『グリーンハウス』も最近オークションなどで買い戻して、『グリーンハウス』は弟にプレゼントしました。でも家にまだ取ってあったようで、2台になってしまいましたが(笑)。ただ、当時はなかなか買ってもらえるものではなかったので、小学校の卒業文集にはそのとき欲しかったゲーム機の名前をありったけ書き連ねていましたね。

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『ドンキーコング』は社会人になってから雑貨屋で見つけて買いました。『グリーンハウス』はオークションで。その後ろにあるロボットメーカーも、子供のころ弟が所有していたことがあったので、オークションで買いました(写真提供、解説:神谷氏)。
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神谷氏の小学校の卒業文集より。

――では神谷家にファミコンがやってきたのは……。

 ファミコンがやってきたのは中学校2年生の年度で、正月でした。1985年の1月。この年にファミコンが我が家に来たんですよ。

――ご両親が買ってくださったのですか?

 これがいろいろありまして。まず新年の初売りでファミコンを入手するチャンスがあったんですよ。イトーヨーカドーが初売りで先着10人にファミコンを売るというもので。当時ファミコンが空前の大ヒットで、どこにいっても買えない時期だったため、朝の4時に起きてイトーヨカドーに行ったんですね。

――ガンプラを購入するときに僕も同じようなことをしました(笑)。

 ただですね、イトーヨカドーに着いたときには、もうすでに10人並んでいたんです。だからこれは武勇伝でもなんでもなくて、僕は10人よりも……そいつらよりも根性がなかったっていう敗北者の話で。

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旧イトーヨーカドー。現在は店舗が変わっていますが、当時のファミコン限定販売時は、まさにこの玄関に10人並んでました(写真提供、解説:神谷氏)。

――(笑)。

 けっきょく買えなかったわけですが、その話を聞いた従兄弟、千葉に住んでいたシンちゃんという従兄弟が、僕よりも2歳年上の兄貴分なんですが、僕らの家に遊びに来て。夏休みとか、節目節目でシンちゃんは信州に遊びにきていたのですが、松本弁を喋っている僕ら田舎者とは違って……シンちゃんは標準語をしゃべるんですよ。

 完全にオシャレだった。

 オシャレでしたね。聞いたことのない口調で……。シンちゃんとはずっと仲がよかったのですが、僕からしても兄貴っていう印象で、服もオシャレだし、聴いている曲もオシャレで、僕らがぜんぜん知らないような洋楽を聴いていて。そのシンちゃんが「友だちにファミコンを売りたいっていうヤツがいるんだけど、英樹ちゃん買う?」って声をかけてくれたんですよ。ファミコンが発売されてから1年ちょっとぐらいしか経っていないときで、しかも条件というのがファミコンカセット15本付きで30000円という破格の条件だったんです。

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従兄のシンちゃんと、1985年の夏休みに撮った写真です。千葉のシンちゃんから我が家にファミコンが届いた年です(写真提供、解説:神谷氏)。

――ソフトラインナップにもよると思いますが……。

 いや! 当時はラインナップなんてどうでもいいんですよ!

――(笑)。

 『五目並べ 連珠』(※36)でもよろこんでやってましたから。

※36:五目並べ 連珠……任天堂から1983年に発売されたファミリーコンピュータ用ソフト。パッケージには“五目並べ”とゴシック体で大きく描かれており、“連珠”は明朝体の細字で描かれていた。

――(笑)。

 とにかくテレビゲームに飢えていましたから。「家でゲームが遊べる」というのがどれだけ夢だったか……。いまって、生まれたときから高性能の家庭用ゲームがある時代ですけど、ぼくたちの場合はまずアーケードゲームがあって、それから「それが家で遊べる!」という驚きがきた時代でしたから。僕、我慢しきれなくて『ナッツ&ミルク』(※37)を先に買ってしまうくらいで。

※37:ナッツ&ミルク……ハドソンより1984年に発売されたファミリーコンピュータ用ソフト。主人公のミルクを操作し、恋人であるヨーグルトの家を目指すアクションパズルゲーム。余談だが、タイトルにある“ナッツ”は敵キャラクターの名前。

――本体がまだないのに……。

 前のめりにソフトだけを。いつか本体を買うことを夢見て、ずっと箱や説明書を眺めてました。そこにシンちゃんの話がきて、『ナッツ&ミルク』がダブったらイヤだな、って子どもながらに思ったんですけど、その15本の中にはなくて。

 奇跡だったね。

 ですのでダブりなしに、一気にカセットが16本あるという。

――クラスのヒーローですね。

 そう。クラスの友だちも「貸してくれ」、「貸してくれ」ってファミコンソフトの貸し出し屋みたいになってました。前の席にいたマツイくんは「俺の『ギャラクシアン』を貸すから、なにかソフトを貸してくれ」と盛んに言ってきて。「『ギャラクシアン』なんて、そんなにやりたくねえし」と内心思いながら、「でもマツイくんは『ギャラクシアン』しか持ってないんだな」って(笑)。で、『ゼビウス』(※38)と交換してあげました。

※38:ゼビウス……ナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)より1984年から稼働となったアーケードゲーム。ファミコン版はアーケード稼働から約5ヵ月後の1984年11月発売。自機ソルバルウを操り、空中の敵にはザッパー、地上兵器に対してはブラスターで攻撃を行う縦スクロールシューティングゲーム。森や砂漠といった自然を舞台としたステージ構成やグラデーション表現、練り込まれたストーリー演出など、ほかのゲームとは一線を画していた。

――完全に上から目線じゃないですか(笑)。

(笑)。

――ちなみに、シンちゃんへの支払いはお小遣いで?

 正月だったのでお年玉で買いました。

――それは弟さんのお年玉も合わせて?

 僕だけのお年玉です。コイツはまだ小学校2年生だったので、ゲームをやりたいと意思表示をするよりは、僕が買ったからいっしょに遊んでいるという時期だったと思います。