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彦坂敏昭と川俣正 [アート論]

2008年2月8日(金)-2

平櫛田中彫刻美術館の後、
東京都現代美術館でのオープニングに行った。

アニュアル2008《ときほぐす》に彦坂敏昭さんが出していることもあって、
伊東直昭さん佐々木薫さんご夫婦も、
白濱 雅也、白濱万亀ご夫婦、
飯田啓子さん、太田丈夫さん、
それにアメリカから帰ってきた田嶋奈緒子さんと等々、
〈気〉派の関係者もたくさん参加した。

五十嵐太郎さんも来て、
かれと一緒に川俣正さんの通路という作品を見た。

まず、川俣さんの作品である。
ベニヤ板のついたてと、記録写真、模型の展示である。

川俣さんの作品を初期から見ているものとして言えば、
彼の中で良い作品とは言えないだろうが、
どうしようもない悪い作品と言うものでもない。
どちらにしても《6流》《6流》《6流》という、
典型的な《6流》作品である。

《6流》というのは自然領域であるが、
同時に建築家のミース・ファン・デル・ローエに代表されるような
モダニズムの領域である。
ブランドで言えば、無印良品の世界。

川俣さんの作品は、もちろんというかハイアートである。
ハイアートであるが故に成立するというか、ゆるされる《6流》性であり、
そして完成度の低さである。

気体美術である。
それと〈想像界〉の美術である。

ハリーポッターのような、
ファンタジーの作品であると言える。

五十嵐太郎さんと一緒に歩いていて、
「川俣さんの作品で死後も残るものは、無いのですか?」
と聞かれたが、一応パーマネントの作品はいくつかあるはずだが、
しかし、それを見て、人々が感動するというものではない。
もともとバラック・アートであるから、
パーマネント作品もまた、すぐに劣化してしまうタイプのものであって、
ピラミッドや、アンコールワットの様に残るものではない。

そういう意味では消費されてしまう美術である。

死んで20年も経てば、
ずいぶんと時代は替わるだろう。

それと《6流》の問題である。
ナイアガラ瀑布も《6流》だから、
死ぬ前にナイアガラ瀑布を見てみたいという人はいるかもしれないが、
死ぬ前に川俣正の作品を見てから死にたいという人が出てくるような作品ではない。

まあ、芸術観の問題だが、
ハイアートでありながら、
レベルの低いアートの代表的なものである。

レベルの低さに、深い意味を見ているという、
迷信のアートとも言える。

川俣さんの顔である。
〈想像界〉の眼で、〈2流〉のイメージ。
〈象徴界〉の眼で、《6流》《6流》《6流》
〈現実界〉の眼で、《6流》の現実。
〈想像界〉の人物。〈象徴界〉〈現実界〉の精神は無い。
気体の人。

作品と人柄が、ぴったりと一致している。

ある意味で、日本的な作家である。
日本の敗戦後のバラック性というか、
そういうものを体現している。

野茂や、イチローの顔と比較すると、
ずいぶんと違う。
こういう差はなぜに起きるのだろうか?
スポーツ選手の顔に、人間の頂点の様な偉大さが表れていて、
日本を代表するはずの芸術家の顔に、バラック性が出ている。

芸術というのはバラックであるのだろうか?

日本文化というのは、バラックなのだろうか?

………………………………………………………………………………
会場に美術ジャーナリストの村田 真さんがいらして、
硬い顔をしているのが、印象に残った。

「どうですか、この新作は?」と聞いたら、
「初期の作品を思い出せますね」と、小さな声でぼそぼそと答えたから、
「そうですか? 私は初期の作品も見ていますよ。初期には静謐な空気があったでしょう。
ああいう古典的な感覚は、これには無いでしょう」と言い返したら、
嫌な顔をして黙ってしまった。
話はそれだけで終わった。

村田 真氏は、『ぴあ』創刊期の美術担当のジャーナリストであった。
この人が担当していた時期の『ぴあ』の美術欄はすばらしかった。
マイナーな作品も丁寧に拾っていて、読み応えのある雑誌であった。
あまりすばらしくて、私は感動している。
しかし『ぴあ』は1年ももたずに、方針を転換し、メジャー路線になって、
記事の内容をつまらなくしてしまった。
とはいっても現在のような、ひどいものではない。
先日、珍しく『ぴあ』を買って、ギャラリー58を捜したら、
ギャラリー58も載せていないほどの、情報の無い雑誌になってしまっていて
驚いた。情報の無い情報誌というのが今日の『ぴあ』である。

さて、その村田真は、川俣正を高く評価した美術ジャーナリストである。
川俣正を高く評価したのは、他には北川フラムがいる。
この二人は、1960年代のアースワークの様な美術に、
決定的な新しさを見た人たちである。
全く新しい美術が始まると信じたのである。

村田真は、「川俣正以後」と言って、
川俣正によって、日本の美術史が、川俣以前と以後で、切断され、
別の時代になったと、高く評価したのである。

もちろん、今日のグローバリゼーションを先取りして、
世界に展開したアーティストという意味では、
決定的ととらえる気持ちは分からないではないが、
しかし海外に展開したアーティストであれば、
藤田嗣治もいるわけで、川俣が特権的に歴史に屹立するわけではない。

そして今回の東京都現代美術館のベニヤの通路作品を見て、
「川俣以後」という村田真の言葉を思い出せば、
むしろ松井みどりの「マイクロポップ」の先駆者としての位置と言うべきかもしれない。
ゴミのようというか、バラックのような粗雑で、
見る気の起きない、どうしようもない美術という意味である。

根本的な錯誤が、川俣正の作品評価にはあったのではないか?

もっとも村田真氏は、実は、もっと完成度の高い、
ファンアイクの様な泰西名画が好きな人でもある。
ご本人も絵を描いておられる。
そういうせいかもしれない。
川俣展での、あの硬い表情は・・・。
……………………………………………………………………………
しかしハイアートであるということは、
面白いし、重要であると言える。
重要という意味は、
ハイアートであれば、
つまらない作品でも成立するという魔法性である。
ここにこそ、ハイアートの特徴がある。

言い換えると、ハイアートとローアートとを分離したというモダニズムの極点を追っていくと、ハイアートであれば、つまらない作品でも、全くかまわないし、
そしてローアートの切除という事の結果として、
つまらないものにならざるを得ないと言うことである。

ならば、徹底的なつまらない作品を作ろうという流れができても、
それも理の当然と言うことになる。

そういう意味で、
川俣の仕事は、実は古い現代美術の延長であると言える。

現代美術と、
現代アートの差というのは、
ここにあったと言える。

現代美術が、
ハイアートの特権だけになって、
つまらなくなりすぎてゆくと、
現代美術は崩壊するのである。

そして反転が起きる。

現代アートになると、
再度、ローアートの作品や、
ローアートを取り込んだ作品が増殖するのである。

このローアートの増殖も、
なんともやりきれないのだが、

すくなくとも、
現代美術から、
現代アートへの転換を、
このハイアートとローアートの分離と、
その極限化から説明できるのである。

………………………………………………………………………………

さて、彦坂敏昭さんの作品である。
会場の最初にあって、
しかも赤い作品が、感心するほどに良く展開されていた。

上の図版は、脇にあった小さなもので、
今回のメイン展示作品ではない。
下記サイトからの借用である。
http://ag.magicalgate.net/ja/art/tokihogusu/index.html

会場のメインにあった大作は
すばらしい。

市街戦の様な作品。
よく、ここまでの拡散に絶え得たのともう。

見事であると思う。

とにかくデビューは果たしたと言えるであろう。




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共通テーマ:日記・雑感

コメント 1

丈

当日お話が聞けなかったのでご意見を読ませていただけて
よかったです。

川俣氏の作品は一般の商店街や住居に対して働きかける
異化作用が興味深かったのですが、美術館で行うと
出来の悪いテーマパークになってしまいますね。
写真やマケットは残って行くのでしょうけれども。

彦坂君の仕事はまとめてみると、あらためて怖いようなものを感じました。
by (2008-02-09 23:55) 

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