
◾︎名前
倉澤 英樹 (くらさわ ひでき)
◾︎最終学歴
駒澤大学経営学部
◾︎所属企業
◾︎役職
執行役員兼営業本部長
◾︎その他
13年前よりブログ “外資系つれづれ” を執筆し、外資系金融の様子を書いています。 http://nekketsuotoko.seesaa.net/
キャリアサマリー
22歳〜34歳 コメルツ銀行(ドイツ系銀行)に就職 経理部、総務部、管理部で活躍。その後、東京支店で総務課長として従事。
34歳〜41歳 ゴールドマン・サックス証券に就職 コーポレートサービス部 不動産、総務部門にて様々なプロジェクトのマネジメントを行う。
41歳〜46歳 バンクオブニューヨーク・メロンに就職 資産運用会社の総務部ヴァイス・プレジデントとして社会貢献活動や従業員のモチベーション向上プロジェクトに従事。
47歳〜48歳 スタンダード・アンド・プアーズに就職 総務企画部長として株主総会や取締役会の運営を行う。
48歳〜53歳 メットライフ生命保険に就職 初の営業職に挑戦。
53歳〜 Tourego Japan に執行役員兼営業本部長として就職 ITを駆使したデジタル広告、免税販売アプリの販売を行い日本市場での事業拡大に奔走中。
目次
- 「コメルツ銀行」(ドイツ系銀行)に就職を決めた理由
- 「コメルツ銀行」(ドイツ系銀行)での仕事内容と身についたスキル
- 「ゴールドマンサックス証券」に転職を決めた理由と手段
- 「ゴールドマンサックス証券」での仕事内容と身についたスキル
- 「バンクオブニューヨーク・メロン」に転職を決めた理由と手段
- 「バンクオブニューヨーク・メロン」での仕事内容と身についたスキル
- 「スタンダード・アンド・プアーズ」に転職を決めた理由と手段
- 「スタンダード・アンド・プアーズ」での仕事内容と身についたスキル
- 「メットライフ生命保険」に転職を決めた理由と手段
- 「メットライフ生命保険」での仕事内容と身についたスキル
- 「Tourego Japan」に転職を決めた理由と手段
- 「Tourego Japan」での仕事内容と身についたスキル
- 今後のビジョン
「コメルツ銀行」(ドイツ系銀行)に就職を決めた理由
マッキンゼーの日本支社の元会長、大前研一さんが、「食いっぱぐれない人材」を定義しているんです。それは3つの分野の専門家になることなんです。
ITの専門、SEやプログラマーが1つ目ですね。今、日本でもアメリカでも人材不足ですね。2つ目が語学系の人材。外国語を使ってビジネスができる人はバブル期に比べれば増えたけれども今も不足しています。3つ目が財務・会計系の人材ですね。いつでも経理部に即戦力として投入できるような人材です。
僕自身は商社志望でしたから、語学系の人材を目指していました。大学生のときESSという英語会で毎週土日は外国人観光客を連れてツアーガイドをやっていたんです。そのおかげで留学経験がなくても英語が話せるようになりました。
僕は商社マンになって、とにかく英語を使って国益を稼ぎたいということで5大商社を受けていました。ただ当時も超難関で敷居が高くて入れなかったんです。そこで外資の金融を選びました。金融のプロになって営業職になろうと思ったんです。
今考えると商社マンになりたいなら専門商社に行けば良いのですが、就活で業界分析や会社分析をせずにブランドネームのある会社ばかり受けていました。それで給与がいいだとかオフィスが綺麗だとかという条件面でドイツ系銀行を選びました。
「コメルツ銀行」(ドイツ系銀行)での仕事内容と身についたスキル
営業マンになりたかったのですが、最初に配属されたのが経理部、次が総務部、いわゆる管理部門だったんですね。日本の会社だと総合職はランダムに配置転換されますよね。でも外資系の会社は基本的に最初に入った分野でずっと働くことになるんです。これは日本企業との大きな差ですよね。
経理部にいたときは会社の財務諸表を作ってそれを財務省、日銀に出すといった報告業務が多かったですね。その後、総務部長が辞めたので後釜を任されたんです。当時の僕はハングリー精神が旺盛で、外資系銀行でのし上がって年収も上げていきたいという想いがあったので総務課長を任されたのは良い経験でした。
一番力を入れていたのはコスト削減プロジェクトです。当時ドイツ系銀行は拡張の一途だったのでオフィスの拡充をしたりトレーディングシステムを導入したりと近代化を図っていたんです。最先端のトレーディングフロア、BCP対策という危機管理体制、そういった銀行業務に必要な設備やシステムをいかに安く短納期で取り入れるかということを常に思考していました。徹底的に色んな業者さんに交渉、入札してコストを削減していきましたね。総務課長時代で3億4000万円のコストカットに成功しました。
・総務として稼ぐには?
総務は営業と違って売り上げを上げると年収が上がるという構造ではないんです。総務として稼いでいくには大きく2つの観点が必要だと思っています。
1つ目が「上司から良い評価を得ること」です。日本の会社だと人事部が人事権を持っていますよね。外資だと自分を採用してくれたマネージャーが人事権を持っているんです。だから上司に嫌われると最悪クビになってしまうんです。
逆に好かれると出世しやすくなる。では好かれるためにはどうするか。「いつも笑顔で接する。頼まれた仕事は断らない。人が嫌がる仕事を進んでやる。」これらは当たり前の部分ですね。もう一つ、外資金融で上司に好かれるためには積極性を持ってクリエイティブな意見をどんどん出すことが大事です。
銀行マンは保守的な人が多いんです。僕はそこを逆手に取りました。
例えば、フランス・ドイツ・アメリカの外資系銀行が日本でどういうビジネスで利益を上げているのか英文レポートを勝手に書いて勝手に支店長に提出したりしました。
そんな変わった若手は一人もいませんでしたから、ドイツ人支店長から思いきり好かれていました(笑)。おかげで東京支店の最年少課長になることができました。
他にもコスト削減のアイディアを死ぬほど出していましたね。そういう積極性が上司からの評価に繋がるし、コストカットできればそれがボーナスに跳ね返ってくるんです。
2つ目は「ひとつの会社でトータルいくら稼げたのかという視点を持つこと」です。収益部門の年収は確かに高いですが、その分雇用年数も短いんです。毎年与えられるノルマがあって稼げなければボーナスにも響きますし、それが続けば退場宣告を受けるわけです。
その点事務管理部門は人事査定で生き残りが決まるので勤続年数が長くなるんです。生涯賃金で見れば管理部門は稼げないわけではないんですよ。
「ゴールドマン・サックス証券」に転職を決めた理由と手段
2000年にゴールドマン・サックスは東京支店を大幅に拡大していたので人材も多く募集していたんです。ヨーロッパ系の投資銀行からどんどん業界シェアを奪っていきました。御三家と呼ばれるモルガンスタンレー、ゴールドマン・サックス、メリルリンチなんかは人材の奪い合いでしたね。「そっちが年収いくらならうちは何割増しだ。」という年収のつり上げ合戦です。そんな状況の中、ヘッドハンター経由で転職しまして、ポジションも年収も上がったという感じでしたね。
僕の場合もドイツ系銀行から引き留め工作が入って最初に提示されていた額よりもかなり良い条件で転職できましたね。ゴールドマン・サックスは世界の金融業のトップの会社で憧れもあったので転職を決めました。
当時、ゴールドマンで最年少のパートナーだった松本大氏が、ネット時代の到来を見越してゴールドマンのパートナーの座を投げ売り、マネックス証券を創業しました。「同世代にこんな凄い人がいるのか。」と刺激を受けたというのも転職を決めた一つの理由です。
2ページ目:【「ゴールドマン・サックス証券」での仕事内容と身についたスキル】と【「バンクオブニューヨーク・メロン」に転職を決めた理由と手段】