とある竜のお話 改正版 FE オリ主転生 独自解釈 独自設定あり   作:マスク@ハーメルン

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二部開幕です。


とある竜のお話 第二部 一章 (実質9章)

 

とある竜のお話 第二部 開幕

 

 

 

 

 

 

 

 

ミスル半島はエレブ大陸の南西部に存在する広大な大地だ。大きさは大体サカ大草原の7割から8割程度と言ったところか。

 

 

 

 

ミスル半島の中央部にはナバタ砂漠と呼ばれる不毛の大地が広がり、ありとあらゆる生命を徹底的に拒絶している。

日が昇っている内は全てを焼き尽くす灼熱の太陽光。月が昇れば容赦ない砂塵の大嵐と、昼との温度差で岩が砕けるほどの極寒が侵入者を襲う。

生物が生きるのに必要不可欠な水や食料もオアシスにしか存在せず、大抵の者はそこまで到達することは出来ない。

 

 

砂漠の日差しに焼かれるか、極寒で凍てつくか、または砂の地獄に住まう毒をもった生き物に殺されるかのどれかだ。

そんな死の大地がナバタ砂漠。自然が作り上げた、どんな要塞や城よりも攻め難い地である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこは正に“楽園”という言葉を現実に現した様な場所だった。

青々とした木々が犇き、爽快な青い命を宿した風が豊かな土から生えた草花を優しく揺らす。

 

 

砂漠に吹き荒れる生物に死を与える風とは違う、むしろ正反対の命の息吹を感じる涼やかな風だ。

 

 

 

風は駆ける。丸々とした果実を実らせた木々の間を。大きな稲穂を揺らす作物の間を。

明らかに人工的に造られたであろう広大な農作地帯と森を風はその名の通りに風の如く駆け抜ける。

 

 

 

森を抜けるとそこにあるのは様々な石造りの建物が規則正しく秩序を持って並んだ地域――ありたいに言ってしまえば『街』だ。

特徴的なのは家々を構築している石のブロック1つ1つにビッシリと何かの模様が刻まれていることだ。

何かの文字の様にも見えるし、人とは感性の違う画が描いた個性的な絵画にも見える紋章だ。

 

 

 

魔術についてそれなりの知識を持った者がその模様を見ればソレらはかなりの力を秘めた風化や欠損に対する強い魔術的加護だと理解出来たことであろう。

砂漠の熱や砂による研磨などに対しての防護策である。

 

 

 

人などが行き交っているであろう通路は歩きやすい様に石で整備され、砂などはその全てを石の下に押し込められている。

当然、この道を構成している石達にも小さく模様が刻まれている。

 

 

 

 

 

しかしこの通路、その大きさが少しおかしい。

人や馬などが通るのに十分は幅は大体5メートル程あれば問題ないのだが、この道はその3倍、いや下手をすれば4倍以上の幅を持っている。

 

 

 

 

まるで人よりも遥かに大きな存在でも通れる様に調整されていると言えば想像しやすいだろう。

 

 

 

 

そう、例えば人間の身体よりも何十、何百……特殊な個体によっては山々を覆うぐらいの肢体を持ち

且つ『道路』という概念を理解するほどに高等な知能を持った生き物のために造られた道だ。

 

 

 

最もこの道を使う者はそんな生き物の中でもかなり小さな身体をした者ら――つまり子供とかに限られるのだが。

 

 

 

この道を使う者ら――『竜』の成体ではこんなちっぽけな道は歩けない。

 

 

 

仮にそんなことをすればこの小さな道どころか、たったの一歩で街の区画が丸ごと壊れてしまうだろう。

それでも狭く造るよりはマシであろうと、ギリギリまで街の機能と景観を壊さない程度まで妥協して大きくしたのがこの道だ。

 

 

 

まぁ、今の竜族は巨大な本来の姿よりも小さくて色々と遊べる『人間』の姿をとる事の方が気にいっている者が多いので

あまりこの道を使う際に不便は生じないであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

風がそんな巨大な道を通り抜け、街の中心へと突き進む。

 

 

真上から見ると、まるで遊戯板の板の様に完全な四角形をしたこの街の中心に建てられた巨大な神殿の様な建物へと。

偉大なる神を奉る神殿と王侯貴族の権力の象徴たる城、そして難攻不落の堅牢な要塞を足して、それらの全ての要素を規則正しく分割したような威容を持つ建造物だ。

 

 

 

視力の優れた者がよーく眼をこらして見れば表面にびっしりと換気のための窓がついているのが見えることであろう。

風が、その開けた窓の一つに飛び込む。そしてそこで眠っている部屋の主を、そっと撫でた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

眼が覚めるのをイデアは感じた。

身を包む心地よい感覚を全身で味わいながらも決して瞼は開かない。否、怖くて開けないというのが正しい。

どれぐらいの時間そうしていただろうか? 1時間? それとも2時間? もしかすると半日かも知れない。

 

 

 

やがて決心がついたのか、おそるおそる瞼を動かす。

イデアの視界に映ったのは見慣れた天井だった。

10年以上の年月を過ごした『殿』の自室。そこに置かれたベッドの天蓋だ。

 

 

 

「!」

 

 

 

イデアが電流が全身に走った様に飛び起き、キョロキョロと周囲を見渡す。

その顔はまるで親からはぐれた小動物のように不安を湛えていた。

最強の力を持つ神竜が浮かべる様な表情ではない。

 

 

 

グルグルと忙しなく顔を回し、部屋を見る。

 

 

 

衣服が仕舞われているクローゼット。遊戯板を始めとした遊具や色々な小物が収納されている木製の上品な物入れ。

座りなれた些かサイズが大きな椅子。椅子とセットに使われ、食事を取る際などに利用されたテーブル。

竜族の術で強化され、驚くほどの頑丈さを持ったバルコニーに続くガラス窓。そして遥か先に見えるベルンの山脈。

 

 

青々とした空に太陽が昇っている。平和そのものな光景。

 

 

 

 

 

 

全てがいつも通りだった。何も問題などない。間違ってもナーガに見捨てられてなど居ない。捨てられてなど……。

 

 

 

イデアが笑顔になった。安堵の溜め息を吐き、いつも通り自分の隣で安らかに眠っているであろうイドゥンを───。

 

 

 

 

 

 

 

 

暗転。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

眼が覚める。渇ききった中にどこか優しさを感じる風が頬を撫でるのをイデアは鬱陶しく思った。

瞼を開き、まだあまり見慣れない天井を睨みつける。そして大きく息を吸って、溜め息。

腹の中に溜まった色々な物を吐き出そうとするが……出来ない。

 

 

 

「……はぁ」

 

 

 

眠る前と同じく腹の中がどうしようもなく煮えたぎっている。まるで沸騰している湯を直接体内に突っ込まれた様に。

もっと判りやすく言えば、イデアはイラついていた。どうしようもなく苛立っていた。

それと同時にイデアの肩に圧し掛かる倦怠感と、焦燥。ソレらは姿こそ見えないが、確かにイデアをじわじわと侵食している。

 

 

 

そして何より、自分の半身が、今まで在って当然だった器官を持って行かれた様な嫌悪感と違和感。

無くなった器官の名前はイドゥンという。

 

 

 

複数の負の感情を抱え、どうしようもない状況にイデアはあった。

 

 

 

窓の外を見る。『殿』から見た時よりも遥かに大きくて赤い太陽が見えた。そして眼下には街が見える。

真っ赤な炎の塊は見る者全てに何らかの感想を抱かせるのだろうが、今のイデアにとってはソレさえも目障りにしかならない。

 

 

 

いっそ手を伸ばして握り潰してやりたくなる。神竜族の象徴である太陽を壊せば、少しは苛立ちも収まるのだろうか?

脳内にあの忌々しい男の顔が蘇り、イデアが太陽を睨みつけた。更に腹が立ってきた。

 

 

 

 

 

──我はお前達の父などではない。

 

 

 

 

 

ナーガの最後の言葉が胸の内で再生される。針で刺されたような鋭い痛みと共に、黒い炎が体内から吹き出てくるのをイデアは感じた。

イデアが窓際まで歩いていき、太陽の光に照らされた『里』を眺める。そして、大きく息を吸って――。

 

 

 

 

「そんなこと判ってたよ! あぁ、判ってたさ!!  二度とお前の顔なんか見たくない!!!! 死ね!!!!!!!!!」

 

 

 

 

喉を潰す勢いで思いっきり吼える。言葉に出さなければどうにかなってしまいそうだった。

そうでなければ竜の力でも何でも使って眼下に見える街を焼いてしまいそうだ。

 

 

何気なくイデアが『里』を見下ろす。少しだけ叫んだことによって苛立ちは薄れていた。

 

 

 

ここから少しだけ街の住人が見えた。

竜族の優れた視力はその歩いている一人ひとりの髪の色まではっきりと判別できる。

 

 

 

 

家族なのだろうか? 父と母とその子らしき者が仲良く道を歩いていた。非常に腹正しいことに。

 

 

 

 

イデアには理解出来なかった。

 

 

 

こんな取るに足らない、名前も知らない……多少汚い言い方になってしまうが

イドゥンに比べれば無価値なゴミでしかない者の命を守る義務が自分にあるなどと。

 

 

 

勝手に戦争して、勝手に死ねばいい。ご丁寧にこんな里まで作って、そこまでして生き延びたいのか? 俺とイドゥンを巻き込むな。

それが迎えに来た者の説明を受けてイデアが抱いた感想だった。

 

 

そも、ナーガが本気で掛かれば人間など軽がると殲滅できるだろうに、何故それをしないのかイデアには不思議でならなかった。

たとえ勝った後に竜族同士の内戦が始まったとして、始祖竜を潰した時と同じ様に、ひねり潰せばいいのに何故その選択肢を選ばなかったのだろうか。

 

 

 

 

 

何故自分を置いていったのだろうか? 本当に理解できない。

 

 

 

そして驚いたことに、その後継を自分がやれというのだ。

ナーガの跡継ぎとして竜族を纏めろと。本当に笑わせる。

 

 

自分がそんな社交的に見えるのだろうか? そういうのは姉のイドゥンの役目だ。そしてソレの影で彼女を必要に応じてサポートするのが自分の筈だ、本来は。

そも、自分は純粋な竜とは少々言いにくい。肉体こそ竜だが、中身は人間だ。

 

 

 

それに自分がそんな大勢に慕われるような存在になれるとは思ってなどいない。

その点イドゥンは完璧だろう。少々天然で世間離れしているところもあるが、あれでいて中々に人を惹きつける才能を持っている。

精霊の声を聴けて、魔術の才能も素晴らしく、記憶力も高い。正に言うことなしだ。

 

 

 

 

だがイドゥンは居ない。あの日──もう1週間前ほどになるか

ナーガに捨てられたあの日以来彼女の行方は知れない。最初は探索なども行われたのだが、今はそんな余裕はないと直ぐに打ち切りになった。

 

 

 

だがイデアは薄々感じている。今現在姉が何処にいるのかを。繋がりを感じる。直感的であはるが、イデアは確信を抱いていた。

きっと姉さんは『殿』に居る。何故かは知らないが彼女は戻ったのだ。事実、あそこ意外に彼女が行く場所は無い。

 

 

 

どうして? 俺と一緒に逃げれば良いのに・・・…そうすれば今頃は……。

 

 

 

もちろんイデアも何度も『殿』に戻ろうとした。だがその度に捕まっては自室に連れ戻されるのだ。

家に帰ることの何が悪いと駄々を捏ねる子供の様に憤慨するイデアに、フレイと名乗る老人の姿を取った竜は淡々と読み上げるようにこう告げた。

 

 

酷く耳障りで、しわがれた声で言った言葉をイデアはまだ覚えている。

 

 

 

『今の殿はナーガ様に反する勢力が事実上占拠しています。貴方をあそこに戻す訳にはいきません 仮にイドゥン様が戻られていても、命の心配は絶対にありません』

 

 

 

これの一点張りだ。まるで人形と会話しているような薄気味悪ささえも感じる。

 

 

 

 

カチャリと、イデアが首に掛けたお守り代わりのイドゥンの鱗、サカに行くときに間違って剥いでしまった物だ。

どうしても捨てられずに持っている。後々姉に剥いだことを謝ったら「あげる」って素気なく返されたのも理由の一つである。

 

 

 

 

 

 

――─黄金一色であるはずのソレが、ほんの僅かだけ、紫色に光った。美しく、悲しい紫に。

 

 

 

だが、イデアはそれに気が付けない。

今の彼は自分の置かれた状況を嘆くことしか出来ないのだから。

 

 

 

 

否。本当はイデアも判っている。

今、自分が何をするべきかも薄々と。そこまで彼は子供ではない。

幾ら現実を表向きは否定していても、深い部分では受け入れて、適応しようとしている。

 

 

 

 

 

 

 

事実、イデアの脳内の理性的な部分。第三者として客観的な視点を持った箇所が絶えず彼に語りかけてくるのだ。

今は行動するべきだと。後悔したくないなら、自分にやれる事をやれと。ハノンさんを救った時と同じだと叫んでいる。

 

 

 

 

――お前は何をやっている? ただ泣いてるだけじゃ、何も進展しないぞ? 今は与えられた事をやるべきだろ?

  何が取るに足らないゴミだ。あいつらにだって今までの生涯があるんだぞ? 少し冷静になれ。

 

 

 

全くの正論である。我ながら涙が出るほどの。

 

 

 

 

「…………帰りたい」

 

 

 

 

ベッドまで歩いていき、倒れ伏す。もう何日も何も食べてない腹がずきずきと痛む。

涙ながらに呟いたその言葉の意味。果たして“帰りたい場所”とは『殿』になのか、それとも『前の世界』なのか……。

 

 

 

 

やるべき事を判っていても、精神的な苦痛に耐えてソレを実行できるだけの強さはまだイデアにはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

光。眩いばかりの光。

 

 

 

その場所を満たしていたのは青白い光だ。

屋内、それも地下奥深くに存在するこの場所には当然の事ながら太陽の光を受け入れる窓など存在しない。

ならば、何処からこの光はやってきたのだろうか? 一体どこから差し込んでいるのだ?

 

 

この太陽とは種類が違う、どこか柔らかくも無機質な感想を抱かせる光は一体なんなのだろうか。

太陽の光は明るさと温かみを齎すが、この部屋の空気は地上とは違い、酷く冷たい。

 

 

 

いや、こっちの方が過ごしやすい温度といえよう。少なくとも砂漠の太陽の直射に比べれば快適だ。

 

 

 

意識を集中して、光が何処から発生しているのかを探せば、光源は簡単に見つかった。

逆に言えば、意識しないかぎりは光は『あって当然』 そう思えるぐらいに自然に部屋を照らしているということになる。

 

 

 

部屋そのものが発光していた。正確には、よく眼をこらせば見える、天井や床、柱などに刻まれた文字だ。

 

 

 

青い大理石で造られた床も。

数々の神秘的な装飾を施された巨大な柱も。絵画の様に紋章を刻まれた天井も。

何もかも全てに刻まれた居る文字だ。青で埋め尽くされた世界が文字によって美しく光っている。

 

 

 

ただの言葉の羅列に過ぎないソレは、まるで意思を持ち、自分の仕事を行っているかの様に光り輝いているのだ。

時々鼓動するかのように光の強弱が変わるのも、独創的な芸術品を見ているようで、また面白い。

 

 

 

 

そして、轟々と音を立てているのは水の流れ。部屋の周りの空間は水で埋め尽くされていた。

さながら部屋が大海のど真ん中にぽつんと浮いている小島の様、といえば何となくではあるが、どういう場所なのか想像できるだろう。

 

 

 

そう、海と錯覚してしまうほどに膨大な量の清水だ。ソレが部屋の光を反射し、更に明かりを増幅させている。

だが水道が敷かれ、水量を調節されたソレは決して部屋を濡らすことはない。

まぁ、通路や部屋の周りには見えないだけで物理的な結界が張られているので通路や部屋が水没することなどない。

 

 

 

 

仮に水がこの場全体を埋めつくしたとしたら、さながら水中に透明なトンネルを通した様な状況になるだろう。

 

 

 

そして部屋の床と天井に刻まれた一際巨大なシンボルは太陽を模していた。

この空間を作り上げ、支配する者が誰なのかを示す証だ。

太陽を表す完全な円と、そこから放射される光を表した細い頭を円と融合させた細長い三角の記号。

 

 

神竜族の紋章だ。全ての竜を導き、育て、守る。絶対の存在を表す紋章。

 

 

 

 

そして、その紋章の奥――全ての装飾がソコを中心に広がっている場所には黄金を基色に、真紅の装飾を施された肘掛椅子があった。

 

 

 

一目でただの椅子とは違う雰囲気と、重みを持った椅子だ。

そう、これは玉座。支配者のみが座ることを許された特別な“座”である。

 

 

この椅子を取る為だけに戦争が起きることさえもある、選ばれた者にしか腰掛ける事を許されない椅子。

事実、人間はこの玉座に座るために家族を殺す者さえも居た。

 

 

 

 

王。そう、この椅子に座るのは『王』だ。

しかし、この玉座には今は誰も座っていない。変わりに玉座には鞘に収められた一振りの剣が安置されていた。

 

 

 

上質な漆黒の鞘に収められた装飾剣。金銀と宝石で美麗に彩られた翡翠色の剣だ。

かつてナーガが所持し、常に彼が持ち歩いていた剣。

 

 

 

 

その名を『覇者の剣』という。

かつてナーガらと袂を断ち、全ての竜、生き物、そしてありとあらゆる世界をその手に掴もうとした竜──『始祖竜』そのものともいえる剣。

 

 

 

根源的な混沌と、闇、そして絶望を無限に内包した剣だ。

神竜が全てを照らす太陽ならば、彼らは全てを覆う夜の闇といえる。

 

 

神竜と全てを壊す寸前まで争った竜 【始祖竜】

 

 

その戦争の余波で世界の根源である“秩序”は崩壊し

かつては他にもあったといわれるエレブ以外の大陸全てを消し去ったといわれる存在だ。

 

 

 

既に始祖竜の意思はないのだろうが、もしもこの剣に意思が残っているとしたら

かつては狂おしいまでに羨望した竜族の支配者が座る椅子。その上に安置される事に何かを感じているのかも知れない。

 

 

 

まぁ、剣には口も手も何もないのだから、喜びを表すことなど出来ないのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

更にもう1つ、部屋に入った存在の気を惹く物と言えば玉座の上に浮かんでいる数冊の分厚い本だ。

4冊の空間ごと固定されているかのように全く、揺れもしないそれらは後ろに透明な壁があって、それに掛けられていると言われても信じることが出来るだろう。

 

 

 

 

 

人間の魔道師……それもかなり奥深くまで魔の道を歩んだ者がもしもコレらを見たら、下手をすると喜びと恐怖のあまりに発狂してもおかしくはない。

 

 

 

 

魔導書だ。この4冊の本はただの本ではない。魔術を発動させるための媒介である魔導書だ。

ナーガが里を守るための力として残した書物である。

 

 

 

“知識の溜まり場”の中にあったかつての戦争で使われた恐るべき竜族の術の一部を、彼は復活させたのだ。守るための力として。

 

 

 

4つの魔道書にはそれぞれ名前がある。

 

 

 

 

光魔法 もしくは 神竜魔法【ルーチェ】

 

 

理魔法 もしくは自然魔法 【ギガスカリバー】

 

 

闇魔法 もしくは混沌魔法 【エレシュキガル】並び【ゲスペンスト】

 

 

 

 

どれも使い方を誤れば世界を破滅に導きかねない程の力を持った超魔法だ。

その威力はもはや、対個人どころか、対軍、対竜───対国家と言っても過言ではない領域に到達しているであろう。

 

 

 

 

ナーガはこれらを里を守るための力──もっと深く言ってしまえばイドゥンとイデアのための力として残したとも見えなくもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

部屋……いや、この玉座の間に一人の人間が立っていた。真紅のローブを纏った老人だ。金で縁取りしたそこそこに豪奢なローブである。

老人は玉座には座らず、手を後ろで組み、足を肩幅程度に開いた格好、俗に言う【休め】の体勢で玉座の上に置かれた剣を眺めていた。

 

 

火竜の真っ赤な瞳は何も映さず、ただかつての主が座り、いずれ新しい主を迎え入れる事になるであろう玉座を見ている。

彼――フレイが今現在考えるのはもうこの世界から居なくなったナーガの事ではない。

 

 

 

 

確かに長年ナーガに使えた彼はナーガと最後に対面し、判れた時には悲しみを感じたが、今は違う。

 

 

彼が今考えているのは竜族の事だ。

どうすればこの『里』を安定した軌道に乗せられるか。どうすれば里の者に安心を与えられるかだ。

 

 

 

 

そして同時に彼はどうイデアを説得し、その心を癒す事が出来るかも考えていた。

彼は神竜族の忠実な臣下であるからだ。彼の全ては神竜族のために存在していると言っても過言ではない。

 

 

 

 

それに、彼も内心どこかで心苦しく思っている。

まだまだ幼いとしかいえない子供にとてつもない重荷を背負わせることを。

 

 

 

 

本来の予定ならば、姉弟二柱がこの『里』に降臨し、二人で助け合って里を治める。

ナーガから聞いた話によると、両者共権力には興味の欠片もなく、どちらが長になったとしてもイザコザは起きないという見立てであった。

 

 

だが、実際『里』に来たのは弟のイデアのみ。姉のイドゥンはどこか(彼はイドゥンが『殿』にいるとあたりを付けている)に行ってしまい行方知れず。

結果、イデアは精神を病んでしまい、とてもじゃないが長になど出来ない。

 

 

 

長という仕事に最も必要なのは強い精神力なのだから。

それさえあれば、後は自分達でフォローして、色々と発展させていくことが出来る。

 

 

 

 

説明した際のあのイデアの何もかもを諦めた瞳を彼は思い出す。まるで親に捨てられた子供の様な……。

 

 

 

……ナーガは一体何と彼に言ったのだろうか? 何か彼の心を抉る事を言ったのだろうか?

 

 

 

いや、これは関係ないと想いフレイが眼を瞑る。

そうコレは関係ないことだ。今はもっと具体策を出さねば……。

 

 

 

と。

 

 

 

彼の鋭利な感覚は何者かがこの玉座の間に近づいてくるのを感じた。

瞳を開け、意識をその者に向ける。

 

 

 

 

フレイがその者のイメージとして見たのは【炎】であった。

燃え滾る紅蓮の業火のごとき性質のエーギルを持った竜だ。

 

 

 

火竜……自分の同族であることを知ったフレイがほんの少しだけ全身に滾らせていた警戒を解く。

 

誰だか目星が付いたからだ。

 

 

 

 

 

『アンナ、ご苦労だった。外の状況はどうなっていたかの?』

 

 

 

鳥の喉を潰した際に出そうな、しわがれた声でフレイが問う。

一度聞いたら一週間は耳に残りそうな声だ。しかし声音そのものは孫に語りかける様な妙な優しさが宿っている。

 

 

もう大体の答えなど判っていたが、それでも彼は確定的な情報を求めた。

 

 

 

「はい。既に戦争は始まった様です。人の軍が各地の竜族を祭る祭壇や神殿などを破壊し、ベルン地方への進軍を始めました」

 

 

 

答える声は若い女性のもの。フレイとは違い、透き通った美しい声。同じ火竜が発しているとは思えない。

淡々と文章を読み上げるかの様に事実を冷淡に報告する。

 

 

報告を行うのは、紅い、赤い、まるで火を布にしたらこうなるであろう程の透き通った火色のドレスを着た、後ろで結んだ長い髪も空の星の様な光を宿した両眼も

そして纏う雰囲気さえも“赤い”女──アンナである。

 

 

いつの間にやらフレイの数歩前に立ち、軽く頭を下げて報告を行う。

 

 

 

 

『……そうか では、イデア様の調子はどうだ?』

 

 

 

 

「相変わらずですわ。まぁ、当然かと思われますが……食事にもあまり手を付けておられないようですしね。私が話しかけても何の反応も返さないです

 それに私の見立てでは、食事や睡眠を必要としなくなるまで、もう少しの成長が必要かと思われます」

 

 

 

いつもイデアに食事を届けている彼女は、現在里の中で最もイデアの体調に詳しい者と言えた。

イデアをそれとなく観察し、診断しているのだ。

 

 

うーんとフレイが額に手を当てて考える。

まぁ、髪の毛そのものがほとんど無いので、どこまでが額なのかは判りづらいが。

コンドルという鳥の頭部を思い浮かべるといい。丁度あんな感じにシワシワで硬質な頭をしている。

 

 

 

 

『……イデア様は、ナーガ様もイドゥン様も居ない。

 自分がこの世で一人ぼっちになってしまった、孤独になってしまったと思い込まれておる………………さて、どうしたものか。お前はどう思う?』

 

 

 

「………子供を育てた事はありませんから……判りませんわ」

 

 

素直に判らないと彼女は答えた。無理に取り繕っても無駄だからだ。

 

エイナールならどうするだろう? ふと、アンナはそう思った。

あの子供に対する優しい顔。あの包み込むような母性。彼女なら今のイデアを慰める事が出来るのだろうか?

 

 

……今は居ない人物の事を考え、「でも」や「もし」「れば」「たら」を考えている暇は無いとアンナが思考を切り替える。

 

 

 

 

「そろそろイデア様の食事の時間ですわ。……失礼させてもらってもいいでしょうか?」

 

 

 

『構わんよ。それと食事の後にも報告を頼む』

 

 

 

「はい」

 

 

 

 

アンナが音も無く部屋から退室する。彼女の気配が物凄い速度で遠ざかっていくのを感じながら、フレイが動いた。

術を使い、玉座の隣に小さく、質素な木製の椅子を呼び出す。何の飾り気もないソレは、代行者の椅子だ。

この老火竜の小さな座といえる椅子だ。何万年もナーガに仕え、ようやく手に入れた彼からの信頼の証。

 

 

イドゥンとイデアを補佐して欲しいと命令ではなく、頼んだのだ。神竜族の王が、彼に。

 

 

そこに座り、何枚かの羊皮紙を手に取り、それに眼を通す。

里の状況や、里の住人からの改善して欲しいと思ったこと、こういう施設を造ったらどうだ? という提案などである。

 

 

そしてソレらを吟味しながら、現実的に可能かどうかを考えていく。

 

 

 

彼は彼のやるべき事をやるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

周りに食事の入った皿を載せた盆を浮かばせ、アンナは廊下を歩いていた。

目的地はイデアの部屋。これから食事の時間だから。

足音一つもなく廊下を行く。まるで氷の上を滑っているように。

 

 

 

「イデア様? 食事を持ってきましたわ。入りますよ?」

 

 

 

この歩き方は身体に染み付いてしまい、彼女にとっては足音を立てて歩くということの方が難しい。

やがて木製の扉の前にたどり着き、数回ノックをする。やはり返事は無い。

 

寝ていのだろうか? いや、この場合は不貞寝か? どちらでも構わないが、まだまだ食事を取る必要がある身体なのだ、しっかり食べてもらわなければ困る。

いつも通り彼女がイデアの返事を待たずに扉を開ける。どうせ帰ってこないものを期待するだけ無駄だ。

 

 

 

食事を彼の近くに置き、イデアに根気良く話しかける。今の彼女に出来るのはそんな事ぐらいだ。

 

が。今日は少し違った。部屋に入ったアンナが見たものは……。

 

 

 

 

「これは……困りましたね」

 

 

アンナがやれやれと言った感じで呟く。

まるでいつも手を焼いている悪戯坊主がまた何かしでかした、とでも言いたげに。

 

 

 

 

空だった。いつもイデアが横になっているベッドの上には誰も居なかったのだ。

そして開け放たれた窓。遠くから感じる神竜の黄金の力。ここから推測される答えは大よそ一つだ。

窓からは太陽の光が燦々と入ってきている。

 

 

 

魔術を行使し、フレイに念話を飛ばす。今は直接会いに行っている暇などない。

そして一通りの報告が終わった後に老竜がアンナに出した指示は彼女の予想通りであった。

 

 

 

──探せ。

 

 

 

簡潔にこれだけを伝えられる。

アンナがその場で軽く一礼し、瞬時に答えを送る。もはや脊髄反射の領域に近い速度だ。

 

 

 

 

──直ちに。

 

 

 

食事を机の上に置く。零れないように、そっと。

アンナが窓まで歩いていき、躊躇いもせずにそこから飛び降りた。

後ろで纏めた赤い髪から火の粉が飛び散り、彼女に纏わり付く。

 

 

背からは激しい炎の濁流で形成された翼を出現させ、そのまま飛行に移る。

 

 

 

やはり身体を動かしていた方が気分的に楽だ。少なくとも子供の相手をするよりは。

猛烈な風の抵抗をその身に受けながら彼女はそう思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

言うまでもないことではあるが、砂漠の日差しは強い。それこそ殺人的と言ってもいいほどに。

砂漠を構築するのは黄色い海と見紛う程に大量の砂と岩石の数々だ。

それら全ての要因は全ての生物の生命力をガリガリと削り取り、死という破滅的な終わりに近づける自然の持つ死神の鎌といえる。

 

 

ミスル半島のナバタはそういう場所だ。

太陽の光は残酷で、容赦が無く、差別しない。

 

 

 

真っ赤で鮮やかな太陽は大地に恵みなどを齎すが、それと同時にどうしようもない死を運んでくることもある。

熱せられた岩の上で肉が焼けると言えば、その日差しが如何に凶悪なものであるか大体の想像は付くだろう。

 

 

 

 

だが、“そこ”は比較的と言える程度だが、砂の海に比べて絶対的に涼しかった。

木々が犇めき合い、緑色のカーテンを天と地の間に掛けられた場所。

オアシスの周囲に作り上げられた森の中は外部の砂と岩の海よりも現実的にも、そして気分的にも涼しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

拷問にも使えそうな熱せられた砂とは違う、ひんやりとした確かな冷気と、生命を感じられる土の鼓動に近い物をイデアは感じた。

同時にこの今自分が身を任せている大地がどれほどに生命力――【エーギル】に満ち溢れているのかを彼は神竜の能力で敏感に理解する。

 

 

 

だが、それがどうしたというのだ。それで今の自分の置かれた状況が何か好転するというのか?

答えは否だ。間違っても何も変わらない。自分の中の苛立ちも、黒い感情も、そして違和感も、何も消えなどしない。

 

 

 

そも、イドゥンと離れてしまった時点でイデアの中でバランスの取れていた何かは崩れてしまったのだから。

 

 

 

イデアにとってイドゥンという存在は太陽と同じなのだ。もしくは夜空の月といったところ。

 

居て当然な存在。自分の隣で無邪気に笑ってくれていた彼女にどれほど救われたことか。

彼女が何かドジを踏み、涙眼になる姿にどれほど愛おしさを感じたか。彼女が母親の様に抱きしめてくれた時、どれほど安堵を得たことか。

 

 

 

一挙手、一動作、その全てがイデアに影響を与えたと言っても過言ではない。

そもそもの話、彼女が居なければイデアは早々とエレブで生きていく事を諦め、僅かな希望と膨大な絶望を抱いたまま即座に自殺していただろう。

 

 

 

あの無表情極まりない、人の感情の欠片もないナーガと暮らしていくなど絶対にごめんだ。

例え、金を山の様に積まれようが、世界中の美女を抱かせてやると言われても、イデアは絶対に引き受けないだろう。

 

 

 

 

 

…………。

 

 

 

ナーガ……。

 

彼は……今頃はどこか別の世界に居るのだろうか? 死んでくれていると嬉しい。イデアはそう思わずにはいられなかった。

 

 

 

話を戻そう。

 

 

 

今の話題は何故イデアがこんなオアシスの真ん中で力なく倒れているかだ。白い服はボロボロで、かつては滑らかだった美しい金髪もごわごわ。

現在の彼は最強の超越種である神竜というよりは、食料などが底をついて行き倒れた貧しい浪人のようだ。

 

 

その紅と蒼の眼には大よそ生気というものは感じられない。だが、見る者が見れば、

その奥深くに闇系の上級魔法【ノスフェラート】を連想させるほどに冷たく、黒く、魂を啜り、憎悪と狂気に凝り固まった炎が燃えているのが判るだろう。

その憎悪が誰に向かっていて、その狂気が何処から発生しているのかはイデア本人にもあまり判ってなどいないが。ナーガに向けていると、本人だけは思っていた。

 

 

 

だが、そんなイデアは今は倒れていた。力なく、情けなく、ボロボロの格好で。

ぐぎゅるるるると彼の腹が情けなく鳴いた。そう、イデアは空腹で動けないのだ。

 

 

この里に来て1週間程度になるが、まともに食事はおろか、水さえも飲んでない彼がいつも通りの速度で動けるはずがなかった。

まだまだイデアはそこまで成長していないのだ。莫大なエーギルを無から創造できるレベルに彼はまだ到達していない。

 

 

そも、転移の術が使えない彼では、どんな風に逃げても連れ戻されるの確定事項と言ってもいいのだが。

事実、この前にも数回程逃げ出そうとしたイデアは、アンナに気絶させられ、自室に連れ戻されている。

【スリープ】は本当に卑怯だとイデアは思っている。注ぎ込んだ魔力を眠気に変えて対象に掛けるとか外道だ。

 

 

 

……本当は、アンナはイデアを一回眠らせるのに、かなりの量の魔力を持っていかれているのだが、イデアはそんなこと知るわけがない。

神竜の魔術に対する凄まじい抵抗力には苦労させられるそうな。

 

 

 

 

「あー…………」

 

 

仰向けに根っ転がり、視界に映る太陽をイデアが憎憎しげに睨みつける。自分の邪魔をするなと。

 

 

 

そもそもイデアが何故、このような無謀極まりない脱走を行ったか? 

臆病で、卑屈で、愚かだが、現実を受け入れ、それに適応する能力を持っている彼が何故こんな事をしたか?

その理由は何なのだろうか? 

 

 

 

 

──イドゥンの鱗の色が、変わったから。 美しくも、悲しい紫色に。

 

 

 

いつもの様にイドゥンを唯一感じられる鱗を呆然と眺めていたイデアの目の前で、ソレは変化したのだ。

途端、イデアは恐怖を感じた。そして自分の中に救っていた違和感が一気に膨れあがっていくのを感じた。

 

 

何かイドゥンの身にとてもよくない事が起きている。彼は本能的にソレを悟ったのだ。

 

 

 

イデアは1も2もなく動いた。恐らく彼女が居るであろう『殿』に向かうべく。

だが結果はこのとおりだ。

 

 

普段は海の様に体内を満たしていた己の【エーギル】が今は小さな水溜り程度にまで減っているのをイデアは竜としての能力で知っていた。

エーギルとは魂そのものであり、生命力であり、そして精神力でもある。ナーガはそう言っていた。魔力を産み出す根源的な力だと。

 

 

 

ならば、今の自分はどうだろうか? 精神も不安定で、食事も取らず、やるべき事もせず、違和感と倦怠感、そして憎悪という蟲に内部から蝕まれている自分は。

最悪としか言いようが無い。こんな状態で満足に力を振るえるはずがあるわけない。

 

 

必然としか言いようのない結果なのだ。今の自分の惨めな惨状は。

 

 

 

「………うっ…うぅう……あぁああ……」

 

 

 

イデアが声を押し殺してまた泣いた。余りにも情けない自分の状況に。

子供が思うように行かないと駄々を捏ね、親の注意を引くために大声で泣き喚くのと同じだ。声こそ出さないが、それに近い。

 

 

 

 

 

「!!」

 

 

 

 

 

 

 

と、不意に神竜の敏感な5感と、異常に進化した第6感が何かとても大きな存在の接近を感知した。

涙と鼻水を服の袖でゴシゴシと拭き取り、既に体の一部と言ってもいいほどに敏感で意のままに動くソレを動かし、何が近寄ってくるのかをイデアが探る。

 

 

大きな、とても大きな存在だった。ナーガには遠く及ばないが、それでも無尽蔵と言っても差し支えのない程の莫大な【エーギル】

今のイデアでは例え全快状態でも勝てないほどの巨大な存在だ。

 

 

イデアの顔が真っ青になった。勝てない。殺される。まだ何もしていないのに。

森の木々が風もないのに揺れ、ざわざわと耳障りな音を立てるがイデアの耳にはそんな雑音は入ってこない。否、聞く余裕が無かった。

 

 

 

冷静に考えれば、これほど巨大な存在は【竜】しかありえないのだが、イデアにはそんな事を考えるほどの余裕などない。

 

 

 

「っ!!!!」

 

 

 

眼を瞑り、身を縮こまらせたイデア。死んだふりにも見えなくない体勢だ。

 

 

 

が。

 

 

 

「おい大丈夫か? 怪我でもしちまったのか?」

 

 

 

冷静な、それでいて何処か豪胆な印象を抱かせる“女性の”声だ。

布擦れの音が数度したかと思えば、その存在が自分の近くに駆け寄り、自分を見ているのをイデアは真っ暗な視界の中で感じた。

 

 

 

 

どうしようか……。イデアが考える。眠ったふりをこのまましてやり過ごしてしまうか・……。

 

 

 

 

ぐううぅううう。

 

 

 

 

間抜けな音が彼の腹から鳴った。

しばしの沈黙。とても痛い間。

 

 

 

 

「……ッ・・・・ははははは!! 腹が減っているのか? 寝たふりなんてやめて起きなよ! あたしが何か持って来てやるからさ、ちょっと待ってな」

 

 

 

堪えきれずに女性が噴出し、それだけを言うと何処かへ行ってしまった。

大きな気配が遠ざかっていく。

 

 

 

それなりに遠くに行ってしまうのを神竜の感覚で“見て”いたイデアがムクリと起き上がる。

どうせ寝たふりもばれているし、無駄な抵抗はやめておこう。

 

 

 

相変わらず身体に力が入らないので、地べたに胡座をかいて座る。

 

 

 

 

数分後、先ほどの声の主と思わしき人物が帰ってきた。

 

 

 

やはり声の通り女性であった。栗色の長髪を後ろで結び、一まとめにしているのが眼に付いた。

身長は女性にしてはかなり高い。大体ナーガと同じぐらいだろうか? 

そして、女にしてはやけに体格ががっちりしている。細いというよりは、引き締まっているという方が近い。

 

 

 

茶色の質素なローブを着込んでいるが、貧乏人という感じは全くせず

その全身からは気品と、大の男が持っていそうな豪胆なイメージをイデアは見た。

 

 

 

変な人。イデアの第一印象はそれだった。女性なのに、男みたい。

でも、胸は大きい……。

 

 

 

 

「周りにある果物を持って来たぞ。さぁ、喰え」

 

 

 

「…………」

 

 

 

袋に入れて持って来たソレを女性がイデアに差し出す。

差し出されたのはリンゴやナシ、葡萄に桃、季節感など欠片もない様々な果物の数々。

 

 

新鮮であろうソレはキラキラと輝き、甘い匂いを漂わせている。もちろん傷など一つも付いていない。誰が見ても一目で最高級のモノだろうと判る。

もしもこの場にイドゥンが居れば、眼を輝かせながら齧り付いていただろう。その光景をイデアははっきりと想像できた。

 

 

 

「…………………」

 

 

 

無言でリンゴの1つを手に取り、しげしげと眺める。宝石を見定めるように。

 

 

「……っ!……っ!!」

 

 

 

口を大にして思いっきり齧りつく。懐の竜石が無意識に輝き、ほんの僅かだけイデアの外見を竜に近づける。

耳の辺りまで口が裂け、より多く、より早く食べられるように。

口内の歯が、雑食動物のソレから、肉食動物の歯に変化する。

 

 

 

ボリボリ耳障りな音を鳴らし、芯まで残さず噛み砕く。そしてその後は丸ごと飲み込んでいく。

手を伸ばす体力さえも惜しいのか『力』を使って2、3個まとめて果物を浮かばせ、ソレを竜の口に放り込んでいく。

 

 

そして10秒たらずで芯ごと噛み砕き、喉に流し込む。

数分で大量にあった果物は全てイデアの腹の中に消えていた。だが、まだまだ満腹には程遠い。

 

 

 

「凄い食いっぷりだねぇ……どれぐらい飯食って無かったんだ?」

 

 

 

女性が呆れと感心が混ざり合った声音で言う。

イデアが顔を上げ、女性を見る。果汁やら食いカスなどで酷い有様の顔だ。

 

 

そのまま改めて女性を観察する様にイデアの瞳孔が細くなり、鈍い光を放つ。

一般の人間が見たら、思わず後ずさってしまう程に暗い眼。

 

 

そんな眼光をまともに浴びても女性は全く怯まなかった。それどころか、肩を揺らし、豪気に高く笑う。

本当に変わった奴、と、イデアは改めて思った。少なくとも今まで見たことのない種類の人間……竜か。

 

 

 

 

「汚れが酷いね。それにその程度の量の果物じゃ満足出来ないだろ? 家に来なよ、アイツも喜ぶだろうしね」

 

 

 

後半からはイデアに言っているというよりは、独り言に近いものになっていたが。

それでも彼女が片手を挙げ、そこに魔力を集め出すと、イデアは彼女がなにをしようとしているのか何となくではあったが、判った。

 

 

 

あれは何度も見たことのある術だ。いつもナーガが使っていた便利極まりない術。

 

 

 

転移の術だ。

 

 

 

 

「ちょっとまっ……」

 

 

 

残念だが、イデアの抗議の言葉は最後まで言う事は出来なかった。

途中で転移の術で発生した光と、“場”の歪みが女性とイデアを飲み込んだからだ。

 

 

 

今までに何度も体感した浮遊感がイデアを襲った。

 

 

 

 

 

暗転。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

転移した先の場所は何処かの建物の中だった。外とは違い、どこか冷たい空気に満たされている。

眼に映ると物と言えば、何かの紋章がビッシリと刻まれた石作りの壁に天井に床……つまり全部が石だらけの部屋だ。

 

 

窓から入る太陽の光が部屋を優しく照らしている。不思議と居るだけで気が落ち着く部屋。

質素だが、何処か懐かしい物をイデアは感じた。

 

 

 

部屋の中心には数人で食事を取るためのそれなりに大きな木製の丸いテーブルが置いてあった。

かなり使い込まれているのだろう。永い年月を経た物だけが放つ“重み”と“歴史”を感じさせる存在感を放っているのがイデアには見て取れた。

 

 

 

部屋の中心まで大股で女性が歩いていき、ぐっと背伸びをする。

そして何処か豪胆で、船乗りなどが久しぶりに陸に上がった時の様な声で彼女は言った。

 

 

 

 

「やっぱり我が家が一番落ち着くねぇ……ソルトは……遊びに行ってるか」

 

 

 

ぶつぶつと呟く彼女にあえてもう判っていることをイデアが聞いた。そうでもしないと、このまま彼女のペースに乗せられてしまいそうだからだ。

自分は早く「殿」に戻らなければならないのに。

 

 

 

「何ですか、ここ……」

 

 

 

「何って、あたしの家だよ……ちょっと待ってな。

 何か食うものを用意するからさ、出来るまで湯浴みでもしてくるといい。あたしが造った天然の温泉だ、かなり気持ちいいぞぉ。

 そうそう、湯浴み部屋はコレに付いて行くと直ぐに付くぞ」

 

 

「え? う……」

 

 

 

女性が淡々と鍋などを取出し、食事の準備を進めながら言う。

ただ喋ってるだけなのに、イデアは何も口を挟めなかった。

 

 

 

ぽいっと大きな布の塊と、干した植物で作った身体を洗うためのブラシ。

そして油と水と灰によって形作られ、魔術によって花の匂いを微弱に、鼻に付かない程度に漂わす大の男の拳程の大きさもあるピンク色の石鹸が投げ渡される。

女性が指を微かに横に振ると小さな火の玉が発生し、ソレはイデアの眼前まで飛んでいき、ピタリと停止する。

そのまま付いてこいと言わんばかりに左右に小さく揺れた。

 

 

 

 

ふと、何気なく部屋に設置された鏡を見てみる。

 

 

 

 

……泥だらけの自分の姿が映った。惨めな物乞い見たいな姿が。

 

 

 

……少しくらいなら、いいか。

 

 

綺麗になった方が、動き易いだろうし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

風呂から上がったイデアを待っていたのは、そこそこ大きな机の上を埋め尽くす料理の数々であった。

既存の食器とは違い、底の深い独特の形をした食器“お椀”には湯気を立てている味噌汁。隣のお椀には真っ白な炊き立ての白米。

 

 

塩コショウを塗され、じっくりと焼かれた肉、究極的に透明でキラキラと光を反射する飲み水。

そして何故かコップに満たされたチョコなどが並んでいる。

 

 

 

 

そして女性以外にもう一人、部屋には住人が増えていた。

 

 

「………」

 

 

女性の腰に力の限り抱きつき、イデアを丸い眼で不思議そうに見ている小さな男の子。年は大体5歳ぐらいだろうか?

紫色の髪の毛が特徴的な子供だ。エーギルの大きさと質、身体的特徴から見て恐らくは人間の子供であろう。

竜にしてはエーギルが小さすぎるし、そして耳が尖ってない。何故人の子が竜であろう女性と一緒に居るかはさっぱり判らないが。

 

 

 

……もう少し髪の色に銀を混ぜて、艶を出せばイドゥンの髪になるな。イデアはそう思った。

 

 

 

「丁度いいときに来たね! たった今出来たばかりなんだ。 それと紹介するよ。これはあたしの息子のソルト、仲良くしてやってくれよ」

 

 

 

ハハハと嬉しそうに笑い、腰に抱きつく息子の頭を撫でる。子供の顔が笑顔に染まった。母に撫でられ、心から喜んでいる顔だ。

イデアの顔が不機嫌に歪んだ。その様子が酷く羨ましかったから。

 

 

「さ、食べようか。丁度あたしも何か食べたい気分だったからね」

 

 

 

「あ…」

 

 

 

 

それに気付いたかどうかは判らないが、女性がイデアの手を取る。凄く暖かい手だった。

じわりとイデアの中まで浸透し、胸の中の暗い物を溶解させる暖かさ。

 

 

 

「これって……殿でも食べた事ある……なんで……」

 

 

 

眼の前に並べられた数々の料理の前にイデアが小さく呟いた。

かなり耳がよいのか、女性はその言葉に自慢げに笑って答えた。

 

 

 

 

「ふふふ……それはだな。このチョコや味噌などを編み出したのは私だからだよ! 

 それだけじゃないぞ、人間の貴族などが飲む、あのコーヒーの生産方法、カカオ豆の加工の仕方を作ったのもこのあたしだ!!」

 

 

 

味噌や白米はあのナーガ様も気に入ってくれたんだ! と、声を高らかに女性が続ける。

更に立ち上がり、自分の輝かしい功績を自慢しようとした彼女だったが、息子に「早く食べようよ」と言われてしまい、コホンと小さな咳払いと共に席に戻る。

 

 

 

 

「あの……貴女って、何者なんですか?」

 

 

イデアがテーブルの上で強い誘惑をしてくる料理の数々を睨みつけながら聞いた。

彼の中では食欲とその他多数の感情が戦争をしている。勝敗など判りきった戦いであるが。

 

 

 

 

「あぁ、まだ名乗ってなかったね、あたしの名前はメディアン。偉大なる祖父の名前の一部を貰い受けたんだ。

 種族は地竜で、大地の事に関してはあたし以上の竜なんてナーガ様かおじい様以外の竜は存在しないね。

 この『里』の大地をあそこまで素晴らしい物にしたのはアタシさ! やろうと思えば宝石や金属だって幾らでも作れるぞ?」

 

 

 

 

 

「祖父とは一緒に住んでるんですか?」

 

 

 

「いいや、おじい様は昔の戦役の時にナーガ様を裏切らなかった数少ない地竜でね、ナーガ様と共に戦い、そして討ち死にしたよ。立派な最期だったそうだ」

 

 

 

 

始祖竜と神竜の戦争。地竜族の大半はナーガを裏切り、始祖竜側について戦った。

イデアの読んだ歴史書にはそう書いてあったのを思い出す。確かあの分厚い2000ページぐらいある本を編纂したのはナーガだったはず……。

 

 

その中でも裏切らなかった地竜が居たのだろう。彼女の祖父はそういった地竜の一柱だったらしい。

 

 

 

 

 

……まだ出会って時間はあまり過ぎてないが、彼女が嘘や裏切りを嫌う性格だろう、というのは大体はわかった。

 

自分にとってのナーガは裏切り者だが。

 

 

 

 

「さ、長話はこれぐらいにして、早速食べようか。冷めたら不味くなるしね」

 

 

 

 

「わーい! お母さんの料理大好き!!」

 

 

 

 

母の膝の上に何時の間にか乗っていたソルトが喜びの声と共に飛び降り、自分の席に着く。

料理を凝視してしていたイデアががっくりと肩を落とす。やっぱり空腹には勝てなかったらしい。

 

 

 

 

 

小さく手を合わせ心の中で「いただきます」と唱え、彼は食事を始めた。実に一週間ぶりのちゃんとした食事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ご馳走様でした」

 

 

 

あっという間に全ての料理を平らげたイデアが何処か満たされた声で言う。

腹が満たされた事によって、大分気分は落ち着き、冷静な思考を取り戻していた。

 

 

 

『衣食足りて礼節を知る』とはよくいったものだ。少し意味が違うかもしれないが。

 

 

 

「おーおー、全部食べたのかい? 少し多めに作ったんだけどね。味はどうだい?」

 

 

 

「美味しかったです……ありがとうございました。それじゃ……」

 

 

 

 

最後にチョコを全て飲み終わり、口の周りを舌で丹念に掃除したイデアが立ち上がろうとするが

「待った!」というメディアンの言葉がその行動を停止させた。

 

 

 

「少し待ってておくれ、折角出会ったのも何かの縁なんだ、杯でも交わそうじゃないか。

 それとも……酒は飲めないのかい? もうそこそこの歳の男の子なのにぃい?」

 

 

 

ははんと、鼻で嘲笑って心底呆れた表情を浮かべる。

 

 

余裕を表すかの様に片手で「お酒ってなにー?」って聞いてくる息子の頭を誤魔化すためにゴシゴシと撫でつつ

その紅い眼で妻帯者が未婚の者を馬鹿にしているかの様な視線をイデアに投げかける。

 

 

 

正直に言おう。メディアンの今の顔は男としてかなり馬鹿にされた気分になる顔だ。

 

 

イラっと、今までの種類とは違う苛立ちをイデアが覚える。これは違和感とかイドゥンとかナーガはあんまり関係ない。

彼の負けず嫌いな性格から来る苛立ちだ。出会って数時間も経ってない女に何か、とても、男として馬鹿にされた事に対したの腹立だしさ。

 

 

音も無くイデアが浮かばせかけた腰を椅子に座らせる。『殿』に戻るのは……そう、少しだけ飲んでからにしよう。

何、たかがお酒だ。神竜である自分が酔うわけなど無い。前の世界でも飲んだことはないし、二度の生涯に渡って口にするのは初めてだが、どうせ大したことはない。

 

 

 

「酒ぐらい飲めますよ。嘘じゃないですよ? 一番強いのお願いします」

 

 

 

据わった眼でイデアがメディアンを睨みつける。

さっき森林で倒れてた時とは違う種類での鬼気迫る眼であった。

どれぐらい凄いかというと、ソルトが本能的な恐怖を感じて自室に逃げ出すぐらい。

 

 

 

ニヤッとメディアンが悪戯が成功した子供が浮かべる意地の悪い笑みをイデアには見えない様に口に浮かべ、奥の部屋に去っていった。

 

 

 

1分も経たずにメディアンが大きな樽とグラスを持ってくる。

 

 

樽の中身であるエメラルド色の液体をグラスに注ぎ、イデアに差し出す。つぅうんと鼻を突く匂いが杯から昇る。

 

 

 

 

中身の名前は『アブサン』

ハーブなどを原料にそこそこに複雑な手順で製造される酒である。

 

 

 

 

この酒の特徴は、とにかくアルコール濃度が高いことだ……。

種類によって違うが、大体50~68度が平均で、高い物になると何と80を越える物もある。

 

 

当たり前だ。水で割ることを前提にした飲み物なのだから。

 

 

 

メディアンが懐に小さな『レストの杖』と『リカバーの杖』を隠し持っていたことをイデアは見抜けなかった。

アルコール中毒対策のための杖だ。

 

 

 

そして、イデアはグラスに少量注がれたソレを、水で割ることもせずに躊躇い無く飲み干した……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

砂漠を灼熱の地獄に変貌させていた真っ赤な太陽が地平線の彼方に沈もうとしている時間帯。

辺りには昼とは打って変わって、荒涼とした風が吹き出し始めている。

 

 

砂漠の向こう側から、風と岩が擦れる音、猛烈な勢いで吹きすさぶ魔風がまるで竜の咆哮の様に聞こえる頃合だ。

 

 

 

建物の窓を木製の板で閉めるパタンパタンという音が鳴り響く通りの中で、一人の栗色の髪をした大柄な女性──メディアンは歩いていた。

その背に乗せられ、真っ赤な顔で幸せそうに眠りに付いているのは言わずもがな、イデアである。

 

 

 

結果から言うと、イデアは頑張った。本当に頑張った。メディアンの持って来た樽の中の3分の1は飲んだのだから。

しかし、彼は酔った。酷く悪酔いした。

 

 

 

大体グラスを三杯ほど飲んだ辺りから、イデアの暴走は始まった。

今まで腹の中に溜め込んでいた不平不満をぶちまけ出したのである。

 

 

 

 

ナーガは何処へ行ったんだ? 死んでしまえ! と大声で喚き散らし。

姉さんを迎えに行きたいのに! でも、行ってどうするんだ? と、頭を抱え、椅子からずり落ち。

やるべき事は判ってるんだ でも、自信がない。という言葉をぶつぶつ呟きながら、床を何回も激しく腕で叩いたり。

 

 

 

何でこうなったんだ。 と、涙ぐみ。

極めつけには「家に帰りたい」と号泣したり。

 

 

 

 

 

………。

 

 

 

 

 

 

数えればキリがない。

 

 

普段は不満を腹の底にしまうタイプだったんだろう。それが酒が入った事によって湧き上がったて来たのだ。

途中からは悪口というよりは、イドゥンに対する惚気話に変わっていったが、それも仕方ない。

 

 

やれ、髪が綺麗だの、声が癒されるだの、小動物みたいだの、これも凄い量になる。

そんなイデアの話をメディアンは最初から最後までしっかりと聞いてやり、時々会話したり、付き合ってやったのだ。

 

 

義務感というか、何というか、そういう性分の女性なのだメディアンは。

 

 

 

そしたら酔っ払ったイデアに懐かれたのも仕方ない。

自分の溜まりに溜まった鬱憤話を最後までしっかりと聞いてくれた彼女に、彼は眼を潤ませながら母親か何かと勘違いし抱きついたまま眠ってしまったのだ。

 

 

 

その後、部屋から出てきたソルトが対抗心を燃やしたのか、自分もと言い出して抱きついてきて、本当に大変だった。

正に混沌といわざる得ない状況、永い年月を生きたメディアンでもどうすればいいかわからず、泣く泣く息子にスリープを掛けて出てきたのだ。

 

 

 

そして今に至る。彼女の顔はやつれ切っていた。主に肉体的ではなく、精神的な疲労が原因である。

 

 

神竜、始祖竜、そして暗黒竜に次ぐ力を持った地竜のスタミナはほぼ無尽蔵ではあるが、精神はまぁ、仕方ない。

質の悪い酔っ払いに数時間絡まれ続ければ嫌でも疲れる。まぁ、原因は自分のせいなのだから、自業自得だが。

 

 

 

「やれやれだよ。迂闊に酒は勧めるものじゃないねぇ……何が起こるか本当に判らないねぇ」

 

 

 

背負ったイデアの顔を見て一言。彼は本当に満ち足りた表情で眠っていた。

まるで全ての憑き物が綺麗さっぱり落ちたかのような健やかな顔だ。

自分の息子の顔と、一瞬だけ重なる。確かソルトも遊び終わった後や、泣き疲れた後はこんな風に眠っていたっけ。

 

 

 

もう、大体この男の子の正体が何で、種族は何なのか察しはついたが、それでもこうやって眠っている姿は酷く小さく無防備なものに見えた。

 

 

 

あの叫んでいた言葉の内容と、持っている力の性質から察するに……この子は。

こんな小さな子が、家族から引き離されて泣いていたこの子が……。

 

 

 

 

 

 

……。

 

 

 

 

「出ておいで。さっきからずっと見ていただろ? 大丈夫、あたしは怒ってなんかないよ」

 

 

 

唐突に足を止めたメディアンが建物の影に向けて明朗な声を飛ばす。

道端でばったり出会った友人に挨拶するかの様な声であった。

 

 

 

 

「こんにちは。メディアン様」

 

 

 

建物の影から紅いドレスに身を包み、紅い髪をした女性──アンナが現れ、足音を立てずにメディアンに接近する。

仕草一つ一つに敬意と畏怖を込めてアンナが丁重に挨拶した。明らかな目上の者に対する態度。

 

 

 

当然だ。火竜と地竜では、地竜の方が格上の種族なのだから。

この『里』を創る際に、メディアンの力がどれほど役に立ったことか。

森を作り、大規模な濃紺地帯を創造し、緑豊かな砂漠のオアシスを作りあげられたのは彼女の協力があったのが大きい。

 

 

 

 

 

大地に関して言えばほぼ全能の能力を持つ地竜は

神竜や始祖竜などが居なければ竜族の支配者になっていてもおかしくない種だ。

 

 

まぁ、メディアン個人(竜)に限っていえば、彼女は権力などにあまり興味などなく、仲間と一緒に楽しく生活するほうを好む性格の持ちなのだが。

 

 

 

 

 

ちなみに永い年月を経て“進化”した地竜は暗黒竜と呼ばれる種になるそうだが、その存在まで至った者は本当に少ないし、この里にはいない。

 

 

 

 

「何となくあんたの用事は判っているよ。この子の事だろ」

 

 

チラリとイデアの寝顔を見てから、アンナに言う。

人懐こい笑顔をメディアンが浮かべた。何千年も生きている竜とは思えないほどに幼い笑顔。

少年が友人とふざけあっている時にでも浮かべていそうな顔だ。

 

 

 

「はい。渡していただけませんか?」

 

 

 

「そんな畏まらなくてもいいって! ほら……」

 

 

 

よいしょっと小さく掛け声を出し、背負ったイデアをアンナに渡す。

結構大きな衝撃がイデアを揺らしたが、頬を真っ赤に染めて眠っている彼は起きない。

 

 

 

「本当によく眠っているねぇ」

 

 

 

「飲ませすぎですよ」

 

 

 

「いやいや、この子が飲んだんだ。中々にいい飲みっぷりだったよ? 今度時間があったらお前もどうだい? 歓迎するさ」

 

 

 

「……考えておきますわ。それでは」

 

 

 

 

アンナが両腕にイデアを抱えて転移の術を発動させる。

一瞬の内に彼女は遠く離れた里の中心部へと飛んでいった。

 

 

後に残ったのはメディアンだけ。

 

 

 

そろそろ本格的に辺りが夜の闇に包まれ始めている。

蒼い月が天に昇り、絶対零度の地獄の訪れが近いことを示唆していた。

 

 

 

ぶるっとメディアンが身震いした。そろそろ寒くなってきた。早く家に帰ろう。

息子を一人残しているのだ。何だか心配になってきた。

 

 

 

転移の術を発動させる刹那、一瞬だけイデアの言葉が蘇った。

即ち。『ナーガに捨てられた』という言葉。親に見捨てられ、絶望した顔。

 

 

 

 

絶望したという事は、逆に言えば信じていたという事だ。

イデアはナーガを信頼していたのだろう。そして裏切られたと。

 

 

 

ナーガとイデアの間に複雑な何かがあるという事は判った。

メディアンには想像も付かない程に絡み合った色々なものがあるのだろう。

 

 

だが、ソレを踏まえても、彼女はもう既に居ないナーガに一言だけ言いたくなった。

たとえ不敬罪に問われる事になってもだ。

 

 

 

 

『悲しみで子供を泣かせるなよ。父親だろ?』

 

 

 

 

 

 

と。

 

 

 

 

 

冷たい風に頬を撫でられ、イデアは眼が覚めた。

起き上がり辺りを見渡すと、どうやら既に夜になっていたらしく、砂漠の荒涼とした風が部屋に吹き込んでいたらしい。

 

 

 

 

「ぅう……」

 

 

 

頭が、少しだけ痛い。ズキンズキンと心臓が鼓動を刻む衝撃が響いてくる。

だが、気分はよかった。矛盾しているかも知れないが、頭痛以外に今のイデアを苦しめるのは僅かな違和感だけだ。

 

 

 

胸の奥底にあったあの溶岩みたいな怒りと憎悪も、得体の知れない苛立ちも全てが綺麗に消え去っていた。

頭痛も少しずつ小さくなり、完全に消えた後に残るのは自分でも信じられない程に冷静な思考。

 

 

 

ぼぉーっと窓の外の月を見つめ、考える。

 

 

 

冷え切ってはいるが、奥底に熱い何かを内包した思考が答えをはじき出すのをイデアは何処か他人事の様に感じた。

 

 

 

即ち。

 

何をするべきか。どう動くべきか。何を信じるべきか。どうあるべきか。

 

 

 

 

この全ての答えが唐突に判った。

否、ようやく認め、向き合うことが出来たというべきか。

答えなどもう出ていたのだ。ただ認めなかっただけで。

 

 

 

信じる者は姉。生きていて欲しいと心の底から願う。

念話を飛ばす勢いで何度も祈りを捧げる。神竜に。

生きてさえいればどうとでもなる、死はそれで終わりなのだから。

 

 

 

カチャリと胸に掛けられた紫色のイドゥンの鱗を撫でる。

イデアの指の感触に答えるように薄くソレは輝いた。

例えどんなに変わっても自分はイドゥンを受け入れるし、信じ続けるだろう。

 

 

 

それだけは確信できる。

自分はイドゥンを信じる。生きていてくれると。まずは大前提にそれだ。

 

 

イデアの眼に炎が宿った。

ただし、この炎は【ノスフェラート】などではない。

熱く滾った、決意という炎だ。

 

 

 

 

やるべき事と、動くべき事、どうあるべきかは──決まっていた。

 

 

 

 

 

 

 


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