とある竜のお話 改正版 FE オリ主転生 独自解釈 独自設定あり   作:マスク@ハーメルン

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第一部の終わりです。
第二部から色々と長くなっていきます。



とある竜のお話 第八章 (一部 完)

 

「驚いたぞ。まさか貴様がその姿を本当に取るとは」

 

 

殿の玉座に腰掛けた神竜王ナーガは自らの執務室に入ってきた人物を見るなり感情の一切が入っていない声でそう言い放った。

同時に彼の真剣を連想するほどに鋭いながらも、何処か気だるげな眼に水滴一滴程度の量の僅かな感情が宿る。

 

 

彼がこういった感情の機微を表に現すのは自身の子供である姉弟と触れ合っている時ぐらいなのだが

今回は本当に驚いたのだろう。ほんの僅かではあるが、『驚き』の感情が彼の顔に微細だが、溢れていた。

 

 

 

 

「私とて、必要な時は人の姿を取ります。それともこの私が下劣な人間の姿など取るわけがないとお考えですか?」

 

 

 

ナーガに『驚き』という感情を与えた人物が彼の玉座の前までツカツカと大股で歩いていき、膝を勢いよく地に下ろす。

ズンと膝を当てられた石の床に少なくない数の皹が入った。

 

 

男の口調こそ丁寧ではあるが、その言葉には隠しきれない侮蔑の感情が宿り、どこかナーガを小馬鹿にする様に言う。

 

 

 

お前は何もわかっていないのだと言わんばかりに真っ赤な眼で自分を睨みつける男をナーガは真正面から見据える。

仮にも、主に対する態度とは思えない程に横暴な所業だが、ナーガは何も言わない。否。相手にするのも馬鹿馬鹿しいのだ。

 

 

ナーガの前に膝を付きながらも、彼を何処か馬鹿にしている人物もやはり『竜』だ。

真っ赤な業火を連想させる雄雄しい髪をまるで鬣の様に生やし、その屈強な体格は大の大人を二人並べても軽々と超す長身。

 

 

その丸太よりも太く硬い腕は軽々と人を持ち上げて絞め殺すことさえも可能だと見るものに思わせる。

 

 

事実、彼がやろうと思えば人はおろか、飛竜だろうと人の姿のまま術も使わずに素手で縊り殺すことが可能だろう。

 

 

 

 

「何の用だ?」

 

 

 

「はい。単刀直入に言ってしまうと、【魔竜】の創造を許可願いたい」

 

 

 

ナーガがその鋭い眼を更に細め、眼光だけで生物を殺傷しえるほどの激しさを湛えた。

しかし男はソレに気が付いているのか、ナーガの存在を無視して何処か酔った様に言葉を続け、更に神竜王を苛つかせる。

 

 

 

非常に不愉快極まりなく、目障りな男だが、正当な手続きを踏んでここに居るのだ。一応は話を聞かなくてはなるまいて。

 

 

 

……本当に苦行だが。

 

 

 

「あの二人は、まだまだ幼いですが、持っている力はそれなりです。かつての大戦で活躍した完全な【魔竜】程の力は期待出来ないにせよ

 そこそこの出来にはなるでしょう。ですから――」

 

 

あの二人というのが誰を指すのかは言葉に出さなくても判る。

現在、純血の神竜族はナーガと幼いあの二人ぐらいしか居ないのだから。

 

 

 

 

「【魔竜】を使い、何をするつもりだ」

 

 

 

 

最後まで言わせずに問う。声こそ無感情だが、その裏に込められた感情は聞くものが聞けば判る。純粋な『苛立ち』

気にいらない。全く以って気分が悪い。ここまで気分を悪くさせられたのはかつてアウダモーゼという魔道士が訪問した時以来だ。

 

 

いや、これは更に上を行く不愉快さだ。

 

 

戦争を体験していない、文献でしか戦争を知らない若造がさも自分も戦ったと言わんばかりに戦争を語り

戦争に使われた存在を復活させろと身の程も弁えずに言っているのだ。

 

 

しかも、よりにもよって子供を捧げろ等とほざいている。これに不愉快を覚えない者は少ないだろう。

不敬罪でその場で手打ちにしてしまってもいいのだが、今そんな事をしたら騒乱の火種になるのがありありと見えてしまい、出来ない。

 

 

 

それに、もう、そんな事をしなくてもいい時期に来ている。

 

 

 

男、ナーガに問われた竜が不思議そうな顔をする。

 

 

 

「何をと言われましても……そんな事は決まっているでしょう? あの増える事しか取り得の無い下等種族共を駆逐するためですよ。

 その後、我ら竜族の恥さらしである竜人と、その系譜を完全に葬るために【魔竜】を『使う』のですよ」

 

 

 

彼の中で決まっているであろう、決定事項を現実でも確定させるために男はナーガに要請する。

 

貴方の子供を兵器にしてくださいと。冗談でもなく、挑発でもなく、真面目に本心からの要求だから最悪と言ってもいいほど質が悪い。

 

 

 

「神竜は我々竜族の神。故に、我らのためにその身を捧げて貰いたいのです。我らの発展の為の礎となれるなら、本望でしょう?」

 

 

 

「…………」

 

 

 

既に答えを返すのも馬鹿らしくなってきたナーガが黙って男の話を聞く。

冷ややかな眼で見られているのに気が付いているかは知らないが、男が続ける。

 

 

 

「そもそも、我々があんな劣等種と共にこの大陸に居るという事自体が間違っているのです、我らこそ、この大陸の支配者たるに相応しい存在だというにあいつらは――」

 

 

 

「もういい、出て行け。話は終わりだ。ここは議論の場ではない」

 

 

ナーガがしっしっと手を払い、男に緩やかに退室を促す。一応は受け入れは聞いた。用件も聞いた。これで用はすんだ。

男が立ち上がるが、言われた通りに退室せずにナーガの眼前まで歩いていく。その顔は自分の我侭が通らず駄々を捏ねる子供の様。

 

 

 

 

 

「出て行けと言った筈だが」

 

 

 

「―――――」

 

 

 

男が口をもごもごと動かし、言葉を吐きつけようとするが、必死に動く唇から出るのは空気だけ。

言葉らしい言葉は何も出ない。いや、出させてもらえない。ナーガが無詠唱、無動作で発動させた一つの術のせいで何もいえない。

 

 

 

【サイレス】

 

 

煩く、身の程知らずな火トカゲを黙らせるには最適な術だ。

 

 

 

 

「出て行け。これは命令だ。逆らえばどうなるか、想像は出来るだろう?」

 

 

 

神竜王の一睨み。脅し所か、本気の殺意。竜さえも怯えさせる威圧感。

文字通りの【神の怒り】に触れたらどうなるか想像がついた男がその巨体を縮めるようにして部屋から逃げ出す。

 

 

 

若い竜故に、何処かナーガを甘く見ていた男が脱兎の様な速度で部屋から遠ざかる気配を感じつつナーガが溜め息を吐く。

今の男は極端ではあるが、竜の中にはあの男と同じ様な考えを持っている物も少なくは無い。

竜族至上主義とでも言えばいいか。竜以外の種、全てを軽蔑する者が多いのだ。

 

 

 

最近はあの男ほどでないにせよ、その傾向が更に激しくなっている。

 

あの男は狂信的に人を見下している様だが。

 

 

人が幾ら文明を作っても決して認めず、人が幾ら努力しても嘲笑い。人が精一杯生きているのを虫けら呼ばわりする。

そんな思考を持っている者が若い竜に多いのだ。

 

 

 

中には純粋に竜族の為を思い人を論理的に解析し敵視する者もいるし、彼らの意見には同意する所もあるのだが、

問答無用で排除しようとする輩も多いのが現状だ。

 

 

あの者がいい見本だろう。正に体現してくれている。誰も頼んでなどいないが。

 

 

そんな彼らの態度は遠い昔、神竜族と始祖竜族しか認めなかったとある竜族をナーガに思いださせ、彼を悩ませる。

あの竜族の辿った道をもう一度見ているようで、恐ろしいまでに既知感を覚え、頭痛さえ感じた。

 

 

 

かの竜族を葬った自分が、守るべき筈の者達にソレを連想させられるとは皮肉が利いているようだ。

 

 

 

 

いや、守るべき筈『だった』者達か。

 

 

 

竜を恐れ、いつか排除しようと動く人間と、人を見下し蔑む竜族の一部の者達。

 

 

正直、千を超える年月も良く持ったものだ。

 

 

 

両者がいずれどうなるかなど、誰が予想しても答えは一つだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また春が訪れ、エイナールが子供達を連れて『殿』に帰ってくる。

そして神竜姉弟がそれを歓迎し、嬉々としてエイナール親子と遊ぶ。

 

 

既に何回も繰り返された平和な日常の光景だ。いつまでも続くと信じられている光景。

 

 

ニニアンとニルスの氷竜姉弟もイドゥン、イデアの神竜としての力と『殿』の成長促進の効力。

そして何よりもエイナールとその夫の愛によってすくすくと大きくなり、今や4歳程度にまで成長していた。

 

 

4歳。人ならとっくに母乳離れして、二本の足で歩き出し、おぼろげながらも確たる自我を手に入れる年齢だ。

 

 

 

「……?」

 

 

 

湯浴みに氷竜姉弟と一緒に入り、身体を清めたイドゥンが自室に戻って見たのは何処かバツが悪そうな表情で苦笑いする椅子に座ったエイナールと

彼女に向かい合って座る、遊戯版を身動き一つせず睨みつけている弟の姿だった。放っておくと眼からブレスを吐き出しそうな形相だ。

 

 

そして、顎に指をやり、深く考える仕草。どうやら姉達が入ってきているのにも気が付いていないようだ。

 

 

 

あぁ……負けたんだ。

イドゥンは弟のその表情を見て、苦笑いを浮かべながらも一瞬で遊戯版上の状況を実際に見ずに理解できた。

 

 

 

 

「ねえ? お兄ちゃんどうしたのー?」

 

 

「すっごく面白いかおしてるねー」

 

 

 

イドゥンの左右に立ち、手を繋いでいるニニアンとニルスがきゃっきゃっと舌足らずな口調で感想を言う。

最近は喋ることを覚えたのか、とにかく喋ること喋ること。

 

 

かつての自分もこうだったのかな? とイドゥンは氷竜姉弟を見ていると、時々思うのだ。

 

 

 

「イドゥン様、お湯加減はいかがでしたか?」

 

 

 

「うん。凄く気持ちよかったよ」

 

 

 

三人が入ってきていた事に気がついていたエイナールがイドゥンに微笑みかける。

何処か人を安心させる笑みと独特の雰囲気は始めて会ったときから何も変わってはいない。

 

 

 

 

 

 

 

「……負けたー」

 

 

 

イデアが肩を落として、ようやく敗北と言う現実を認め打ちひしがれている中

氷竜の姉弟が母に走りより、その胸に抱きつく。

 

 

 

二人の子供を優しく抱きとめ、エイナールは膝の上に乗せる。

そして布を取り出し、湯から上がったばかりで湿り気を帯びた髪を優しく拭く。

 

 

次いで櫛を使い、乱れた髪を綺麗に、丁寧に整えてやる。

その間、ニニアンとニルスは母の腰に手を回して、力強く抱きつき、母の温もりを堪能していた。

 

 

 

氷竜姉弟が母に抱かれ、愛情を込めて髪を手入れされているのを見て、対抗心に近い物を感じたイドゥンが弟に素早く駆け寄り

その膝の上にゆっくりと座る。そして。

 

 

 

「私もやって~」

 

 

 

「………いいの? 俺、全然髪の扱いなんて知らないよ?」

 

 

 

「イデアがいいの」

 

 

 

背を向けられてるため顔が見えないのだが、その言葉に含まれた強い物を直感的に感じたイデアが

小さく溜め息を吐いて、まずは布を引き寄せて手に取る。

 

 

濡れた髪に、いつもよりも火照った体、そしてバスローブの様な衣服だけを纏った姉は寒気が走るほど艶やかだが

それら全てを意図的に意識しないように心がける。

 

 

見よう見まねで優しく優しく、出来るだけ姉に痛みを与えないように、ちょっとビクビクした手つきでイドゥンの紫銀色の髪を

拭いて行き、次に櫛で優しく髪をストレートに整えてやる。

 

 

 

サラサラと滑らかに櫛を通すたびに揺れて、輝いて見える髪はまるで上質な絹だ。

 

 

 

「これでいい?」

 

 

 

「うん。ありがとう!」

 

 

 

立ち上がり、弟の隣の椅子に座る。

 

 

 

 

 

 

そのまま何をするでもなく、上機嫌に鼻歌を歌う。何故そこまで上機嫌なのかはイデアには判らない。

リズムに合わせて左右に体を揺らす度にまだほんのりと湿った髪が光を反射して輝き、とても幻想的だ。

 

 

 

「おや……」

 

 

 

「どうかしたの?」

 

 

 

「いえ……ニニアンとニルスが……」

 

 

 

イドゥンとイデアがエイナールの膝の上で全く動かない氷竜姉弟を見やる。

ニニアンとニルスは体が小さく上下しているだけで、何も言わない。遅れて聞こえてくるは小さな寝息。

 

 

氷竜姉弟は、母の胸の中で眠りについていた。

二人にとって恐らくは最もエレブで安心できる場所で。

 

 

 

「寝ちゃった……?」

 

 

 

「みたいです……失礼ながら、部屋に戻っても宜しいでしょうか?」

 

 

 

イドゥンとイデアが合図も無しに同時に首を縦に振る。

そんな様子を見て、エイナールは小さく笑うとニニアンとニルスを『力』で包み込み、立ち上がる。

 

 

氷竜姉弟は『力』で持ち上げる。起きる気配はない。

母の力に包まれて、安心しきった表情で眠っている。

 

 

 

出口まで歩いていき、エイナールが一礼。

 

 

 

そして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それではまたお会いしましょう。イドゥン様、イデア様。貴方達に天下無敵の幸運があらん事を。氷竜エイナールは、いつでもお二人の味方です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「……?」」

 

 

 

何か、妙な突っかかりを覚えたイドゥンとイデアが首を傾げるが、それを二人が問う間もなくエイナールは部屋から出て行ってしまった。

 

 

 

何だろう。何かが引っかかる。

だって、あの言葉って……。

 

 

 

もやもやする感情を胸に押し込めたまま、イドゥンとイデアは眠気を感じたのでベッドに潜り込んだ。

 

明日も変わらない朝が来ると信じて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜。世界は変わらず流れ、陽は地平線の彼方に没し、その代わりに月が天に昇り全てを照らす時間。

山岳地帯であるベルン地方の夜は例え夏の季節でも肌寒い。

 

 

石造りの廊下、床や壁が竜族の技術で煌々と明かりを放ち、視界を確保している通路をエイナールは自室に向かって歩いていた。

等間隔で配置された窓からは青く巨大な月が見える。まるで空に浮かぶ巨大なサファイアだ。

彼女の背にはニニアンとニルスが、布に包まって乗っている。

 

 

当初は『力』で持ち上げて部屋まで運ぼうと思っていたのだが、途中で眼を覚ました双子が母の背に乗りたいと言ったため、こうなった。

 

 

あえて転移の術は使わずに徒歩で背に確かな重みと、愛しい温もりを感じながらエイナールがゆっくりと『殿』の自室に向かう。

足を進めるたびに、辺りに視線を走らせ『殿』を隅々まで感慨深く見渡す。

 

 

何千年も暮らした故郷であり、家である『殿』をじっくりと脳裏に焼き付けていく。

愛しい家。愛しい故郷。そして数え切れない程の思い出が詰まった竜族の巨大な王都にして城。

 

 

 

「……くしゅ……」

 

 

エイナールが足を止めて物思いに耽っていると、背中の双子のどちらかが小さく咳きをする。

恐らくは寒いのだろうとエイナールは思った。早く部屋に帰ってベッドに寝かせなければ。

 

 

 

蒼い長髪を揺らし、背中の子供を背負いなおすと先ほどよりも速度を速めて足早に自室に向かう。

 

 

 

「!」

 

 

 

しばらく行き、部屋まであと少しという所でエイナールの氷竜としての優れた感覚が何かを捉えた。

感覚をいつもより研ぎ澄まし、その『何か』の正体を探る。

 

 

エイナールの紅い眼が不気味に輝き、ほんの少しだけ敵意を滲ませた。

背中の双子には気が付かせないように抑えられていても、それでも常人なら失神してしまうほどの殺気。

 

 

 

イドゥン、イデアにはあまり見せたことのない顔。強大な力を持った氷竜としての顔。

 

 

 

が、それも一瞬。『何か』の正体をその発達した気配探知能力で突き止めたエイナールは直ぐに敵意も殺気も霧散させる。

そして先ほどとは一転してその美麗な顔に何処か疲れた様な笑みを浮かべた。

 

 

 

「アンナ……早く出てきなさい、じゃないと『うっかり』凍らせちゃうかもしれませんねぇ?」

 

 

 

溜め息混じりに言い放つ。同時に人差し指を立てて、そこに冷気を集め出す。

パキパキパキと、空気が凍る音が不気味に廊下に響いた。

こんな概念的な“凍結”をまともにその身に受けたら竜族でさえ只ではすまないだろう。

 

 

……最も、エイナールはこの攻撃を放つ気など元よりないのだが。

強いて言えば、友人同士のじゃれ合いに近い。

 

 

 

「待ちなさいな。火竜が氷付けにされるなんて、冗談じゃありませんわ」

 

 

 

グニャリとエイナールの後方の“場”が捻じ曲がり、捻れた空間からいつもの紅いドレスを纏った紅い髪、紅い眼の女

火竜アンナがお手上げと言わんばかりに両手を挙げ、微笑を浮かべながら現れた。恐らくは魔術を使って隠れていたのだろう。

 

 

 

エイナールやナーガ等の気配探知能力が規格外な存在じゃなければ通用したのだろうが、些か相手が悪かった。

氷竜の気配探知能力は下手をすれば神竜並に高いのだ。幾ら術を重ねても、安々と誤魔化せる存在ではない。

 

 

 

「久しぶりですねー、アンナ。でも今は急いでいるので用事なら後にしてもらえませんか?」

 

 

にこやかに、しかし有無を言わせぬ迫力を持った気配でエイナールが告げる。

鋭く細められた眼はまるで獲物を狙う鷹のよう。

 

 

早く子供をベッドに入れたくて、多少苛立っているのかも知れない。

背中の子供の体温が少しずつ下がってきているのも一因としてあげられるだろう。

夜の冷え込む空気に当てるのは健康に悪いのだ。

 

 

 

アンナがニニアン、ニルスを見て、解を得たと言わんばかりに小さく頷く。

今まで何度も繰り返してきた、いつも通りの下らない話題ならここで謝って、おやすみと就寝の挨拶でもして別れる所なのだが、今回はそうも言っていられない。

アンナにはやるべき事がある。

 

 

「とても大事な話があるのよ……とても、ね」

 

 

 

口元と纏う空気に浮かべていた何処か胡散臭さの一切を消し去り、重々しい口調で火竜が告げる。

その眼には鋭い光が宿っていた。

 

 

そんなアンナに直感的に何かを感じ取ったのか、エイナールの美麗な顔に影が差した。

 

 

エイナールが背の氷竜姉弟を背負い直す。

 

 

幾ら氷竜といえどベルン地方の夜の空気は寒いのか、少しだけ辛そうな顔をしているように見える。

まだまだ子供の二人には辛い環境だろう。早く暖かい毛布の中で寝かせなければ。

エイナールを焦燥にも似た感情が支配する。

 

 

 

「とりあえず、話は私の部屋でしましょう。この子達も早くベッドに入れてあげたいですし」

 

 

 

その提案をアンナが拒否する理由は何処にも無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……この部屋に入るのも久しぶりね」

 

 

久しぶり……最後に入ったのはエイナールに“残るか”“行くか”の問い掛けをした時以来

一度も来れなかった親友の部屋に入ったアンナは思わずそう口に出していた。

 

 

エイナールは今ベッドの上にニニアン、ニルスを寝かせて毛布を掛け、寝かせつけている最中だ。

 

 

 

強大な力を持った氷竜であるエイナールが子供をベッドに寝かせて、

深く寝入るまでその髪を撫でてやっている光景はアンナに不思議な感覚を抱かせた。

 

 

しかも、子をあやしているエイナールの表情は正に幸せの絶頂と言わんばかりに輝いているものであり

そこには嫌々やっている等と言った負の感情は砂粒一粒程度もない。

 

 

 

 

(……母性、というものなのかしら……?)

 

 

 

エイナールから送られてきた手紙を思い出す。そして其処に書かれていたエイナールの苦労話や痴話話などなどを。

本当に、本当にいっぱい送られてきた手紙の数々だ。

 

 

 

以下にその一部を抜粋。

 

 

 

 

 

出産について。

 

 

――本当に死ぬかと思いました。あれほどの痛みは数千年生きてきた中で始めてでした。

  でも、今までの生涯で最も達成感があった瞬間でもありましたね。

 

 

 

 

夜鳴きが酷くて眠れない。

 

 

――でも、一緒に寝てあげると直ぐに対応できるし、トイレや母乳以外では泣かなくなった。

 

 

オムツの替え方がよく判らない。

 

 

――夫と一緒に勉強して、頑張った。今では眼を瞑っても交換できるし、綺麗に洗えます。

 

 

湯浴みの入れ方が判らない。

 

 

――人肌よりも少しだけ温い温度のお湯で……。

 

 

 

首が据わった。

 

 

――これで先ずは一安心です。

 

 

 

喋り始めた。

 

 

――始めて「母」と呼ばれた時は天にも昇る気持ちでした。

 

 

 

立って歩き始めた。

 

 

――ずっと、私とあの人の後ろを追いかけるんですよ。愛しくて愛しくてたまらない。

 

 

 

 

 

会えない代わりにコレらの手紙をエイナールはアンナや神竜姉弟に送っていたのだ。

それはもう結構な頻度で。話題に欠かないから出来た事だろう。

 

 

 

 

「………」

 

 

 

ニニアン、ニルスを撫でていた手の速度をゆっくりゆっくり落としていき

最終的に双子の頭から手を離したエイナールが暫し様子を見るように沈黙。

 

 

 

スースーと規則正しい寝息だけが無音の部屋にやけにはっきりと響く。

 

 

 

完全に寝たわね……双子の気配を少しだけ探ったアンナがそう判断する。

起きる気配はない。それこそエイナールがこの部屋から出て行かない限りは。

 

 

 

子供は深く寝ている時でも、親の動きには敏感なのだ。これは人間でも竜でも竜人でも変わらない法則だ。

 

 

 

エイナールが足音を立てない様にベッドからそっと慎重に離れる。

少しだけ体を浮かばせているのだろう。肩の上下も足の動きも特に見られない。

 

 

 

スススとまるで闇夜に紛れて走る密偵のような動きでエイナールが軽やかにアンナの対面の椅子に腰掛ける。

何処からともなく杯が二つ飛んできて、二人の前に置かれ、その中に同じように飛んできたワインの入った容器から杯へと紅いワインが注がれる。

 

 

「待たせてごめんなさいね。 さて、用事とは何でしょうか?」

 

 

「えぇ……」

 

 

アンナが用意されていた杯と、その中に満たされた紅いワインを飲み喉と舌を湿らせてから、改めて口を開いた。

いつもならそんな事をせず、さっさと用件を言ってしまうような性格のアンナには珍しい。

 

 

 

「まずはこれを……長からの贈り物ですわ」

 

 

 

アンナが懐から取り出したのは一枚の紙。そしてエイナールに差し出す。

年季を感じさせる外見のソレから魔術的な要素を氷竜は感じ取った。

ただの紙ではないのは確かだろう。

 

 

受け取った紙の中身に眼を通す。

あっという間に中身を読み終えたエイナールが紙を折りたたみ、懐に大事そうにしまいこむ。

 

 

 

「ヴァロールですか……確かにあそこは人が居ませんからね……」

 

 

何処か他人事の様に呆然とエイナールが呟いた。

杯を手に取り中身を一気に飲み干す。

 

 

いつもの彼女なら一気飲みなどせずに少しずつ飲んでいくのだが、今日は違った。

まるで悪いことを酔いで忘れるのを望んでいるかのように豪快にワインを飲む。

 

 

 

「残るのですよね?」

 

 

 

アンナがワインを飲み干すのを見計らい問う。

もう答えなどほとんど彼女は判っていたのだが、あえて聞く。

最終確認をする。

 

 

 

はい、と。問われたアンナの親友が小さく首を縦に振った。

アンナの顔が何処か明るくなる。

 

 

「……暫くの間はヴァロールに身を隠していなさいな。 

 貴女はかなり有名だもの。ほとぼりが冷めるまでは下手に動かない方がいい。 ――最悪【里】の存在を知られたりなんてしたら大変だわ」

 

 

 

一気に言い切ると、一度杯に口を付け少し乾いた喉と舌を潤わせる。

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

「…………」

 

 

 

沈黙。長い長い沈黙。ニニアン、ニルスの蚊の羽音程度の呼吸音が聞こえる程の完全な無音。

 

 

 

「……エイナール、ずっと前から聞きたいと思っていたのだけど、幾つかいいかしら?」

 

 

 

「なんですか?」

 

 

 

アンナが続ける。

 

 

 

「何故貴女は人を助けるの?」

 

 

 

口にするはアンナという竜が長年抱いていた疑問。

しかしあえて聞かなかった事。

 

 

どうして強大な力を持つ氷竜であるエイナールがわざわざ冬が来る度に遠いイリアまで赴き

そこに住まう人間のために力を行使し、守っている理由。

 

 

信仰が欲しいから? 貢物が欲しいから? 否。違うだろう。

彼女の親友はそういった物にはあまり執着を持たないのはアンナが一番知っている。

 

 

ならば何故なのだろうか? 

 

 

……エイナールという氷竜の性格からしてみれば答えなど判りきったものではあるが、一応本人の口から答えを聞きたいのだ。

直接この長年の疑問を氷解させてもらいたい。

 

 

 

 

「…………」

 

 

無言でエイナールが窓の外を見る。

彼女の視線の先には蒼く美しい月が星夜に堂々と君臨し、夜の空における【太陽】となっていた。

 

 

紅い瞳の中に蒼い宝石を映しながら、イリアの人間から絶大な信仰を得ている氷竜が言う。

 

 

 

「何ででしょうね?」

 

 

「…どういう意味?」

 

 

 

親友の問いに彼女はしばし唸った後に答えた。

 

 

 

「正直、私もよく判らないんですよ。 ただ……」

 

 

「ただ?」

 

 

 

「始めたきっかけはともかく、私は私がそうしたいからやっているんですよ 今も昔も」

 

 

 

これからも、とは言えなかった。

 

 

 

アンナが大きく溜め息を吐く。

予想通りというか、斜め上というか、何といえばいいのやら。

底なしにお人よしなのか、それとも永い時を生きる竜の戯れか、もしくは……いや、やめよう。

 

もうこの話はやめよう。

 

 

 

「では次の質問ですけど、いいかしら?」

 

 

 

「はい。どうぞ」

 

 

 

「貴女の愛しい殿方の名前は何かしら?」

 

 

 

 

一瞬だけ呆気に取られた表情をしたエイナールであったが、直ぐに平常に戻った。

そして小さく口を動かし、その者の名前を紡いだ。

 

 

 

氷火の宴はもうしばらく続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――眠れない。

 

 

 

ベッドに潜り、眼を瞑ったイデアは中々寝付けないでいた。

何度も眠ろうと意識を集中させたり霧散させたりするが、逆に眠気がなくなっていくのだ。

 

 

まるで蟻地獄に囚われた蟻の如くもがけばもがく程求める安らぎから遠ざかっていく様な気さえもした。

無駄に広いベッドの中をモグラ(土竜)のように這いずり廻り、安眠の地点を求めようとするが一向に見つからない。

 

 

 

気が付けば彼は何時の間にか最初の地点に戻ってきてしまっていた。

 

毛布から顔を出し、月の光と暖炉の炎に照らされた部屋を見渡す。

 

 

 

苛立ちにも似た感情がイデアの胸中を埋め尽くしていた。

あのエイナールの言葉。そしてこの理解出来ない焦燥感。一体なんだというのだ。

 

 

少しだけ外の冷気に当たって、頭を冷やすか。

そう思いベッドからイデアが抜け出そうとするが……。

 

 

 

 

がっ。

 

 

 

何者かに腕を強く掴まれた。

そのまま毛布の中に引きずりこまれる。

 

 

「ひぃああああ!!??」

 

 

 

まぁ、何者と言ってもこの部屋に現時点ではイデア以外の人物は一人しかいないので

それが誰かは考えるまでもないのだが、根っこの部分で臆病な所があるイデアは間抜けな声をあげてしまった。

 

 

だが、それも一瞬。次いでイデアが顔に感じたのは柔らかく暖かい感触。まるで上質なクッションに顔を埋めた様だ。

ほんの少しだけ香は上質な花とミルクの様な匂い。人の心を安心させる匂い。

 

 

 

 

例えるならば母親の胸の中のような。

 

 

 

うん? 

 

 

ここでイデアが唐突に気が付いた。こんな事が確か昔にもあった様な気がする。

あの時は確か、凄く平べったかったけど。そして髪の毛を無茶苦茶に撫で回された様な……。

 

 

恐る恐る顔を上げてみる。少しだけ布擦れの音がした。

 

 

 

「眠れないの?」

 

 

 

予想通りの姉の顔。蒼と紅の特徴的な眼をした神竜の人間時の顔。

朧な月の光に照らされ映るその顔は身震いする程に美しい。

 

 

まだ少しだけ湯浴みでの熱が残っているのか、少しだけ彼女の顔が赤いのがイデアには判った。

 

 

 

「……」

 

 

 

 

うん。と、小さく頷く。

 

イドゥンの顔がぱぁっと輝いた。

そして何処か嬉しそうに彼女が言った。

 

 

 

「実は私も眠れなかったんだ~ 眠っちゃうまでお話してようよ!」

 

 

 

興奮しているのか、やけに口調が軽い。

 

 

……気持ちは少し判るが。

さしづめ、旅行で泊まった宿などで夜になると無駄に気分が高揚するあれだろう。

 

イデアも前の世界で経験した事があるからその気持ちは判らなくもない。

 

 

 

「別にいいけど、何を話すのさ?」

 

 

 

「何でもいいよ!」

 

 

 

イデアが小さく溜め息を吐いた。

「何でもいい」というのは……一番困る。

 

 

 

それに何よりも、この柔らかい感触に包まれていると先ほどまでの悶々とした気持ちが嘘の様に消え去り、眠くなってくる。

気分は母親に抱かれた赤ん坊と言ったところか。

 

 

 

(…………エイナールよりは小さいか。 しかし、姉さんも案外………でも、まだまだ小さい部類かな? どうなんだろ?)

 

 

 

そんな失礼な事が一瞬だけ頭をよぎる。彼も男なのだ。

 

 

 

しかし本当に心地よい。

このまま話題を考えているふりをして寝てしまうか? 

 

 

しかしそうは問屋が卸さない。現実はいつだって思ったようにはいかないものだ。

 

 

ぎゅうっと、イデアの背に回された手が彼をきつく抱きしめて、イデアの顔を胸部に強く密着させる。

もちろんそんな事をされれば呼吸が困難になることは明白だ。柔らかさや温もりなどを堪能している暇などない。

 

 

 

「!! っ!! !!!???」

 

 

 

耳と腕をバタバタさせてイデアが危機的状況から脱出しようと無駄な足掻きを行う。

時間にして僅か数秒、しかしイデアにとっては永い数秒。それを経てようやく力が弱まり、開放される。

 

 

 

「……何か、凄く失礼な事を考えてたでしょ?」

 

 

 

耳元で、そっとそう呟かれてイデアが身を凍らせた。

 

 

 

……ちょっと胸の大きさを比べてただけじゃないか。

 

 

 

まずい。何でかは知らないけど、完全に読まれている。急いで話題を変えなければ。

酸素を体内に取り込みながらイデアが必死で考える。

 

 

そしてこれだ、と思った話題を口にする。

 

 

 

「む、昔もこんな事があったよね?」

 

 

 

 

「? 始めて湖に行った日の前の日のこと?」

 

 

 

イデアの話題逸らしに簡単に引っかかり、イドゥンが答えた。

 

 

 

「日付まで覚えてるの?」

 

 

 

「うん。私とイデアが始めてお勉強以外の為に外に出て、空を元の姿で飛んだ日だしね」

 

 

 

エイナールが企画し、ナーガが許可を出した旅行はイデア以上に彼女にとって特別な日だったのだろう。

はっきりとイドゥンはその日の事を覚えていた。

 

 

あの日、弟やエイナールと食べた焼き菓子の味を彼女はしっかりと覚えている。

 

 

イデアにとってもエイナールがイリアに帰ると聞いてショックを受けた事を覚えている。

そして子供の様に駄々を捏ねた事も。姉に諭された事も懐かしい。

 

 

 

「お父さんが迎えに来たんだよね。イデアを背負って帰った!」

 

 

 

「あぁ……うん」

 

 

 

イドゥンがその時の様子を脳裏から再生しながら、嬉しそうに語る。

遊びすぎて足腰が疲れてしまい、自力で立てなくなって仕方なくナーガに背負われた事を思い出し、イデアが顔を紅く染めた。

 

 

あの時、ナーガは確か回復魔法を自分に使おうとした筈。なのに自分は何故かそれを断って彼におんぶしてくれと言ってしまったのだ。

今思い出すとあれは凄く恥ずかしい。何で素直に魔法を掛けてもらわなかったのだろうか?

 

 

 

 

……まぁ、ナーガの背中は広かったし、凄く居心地がよかったけど。

 

 

 

 

「その後、エイナールから『殿』に帰ってくる手紙が来た時は凄い喜んでたよね」

 

 

 

思い出話という花が徐々に咲いてきたのか、先ほどよりも饒舌にイドゥンが弟に笑いながら言う。

凄く楽しそうだ。

 

 

 

「うぅ~~……」

 

 

 

エイナールから手紙が来た時の自分の狂喜乱舞ぶりを思い出し、恥ずかしくなってしまったイデアがベッドに潜ろうとするが

そうはさせまいと彼の姉が背に回した腕に力を込めて、自分の胸と腕で挟み込んで逃がさない。

 

 

 

「あぁあああ……」

 

 

 

逃げられないと悟ったイデアが絶望の声を上げて、力なく姉の胸部に顔を預ける。クッションみたいに心地いい。

尖った耳がせめてもの抵抗と言わんばかりに力なく垂れて耳の穴を塞ぐが、そんなものでは音の侵入は全く防げない。

 

 

 

「他にもね~~」

 

 

 

完全に調子にのッて来たイドゥンが楽しそうに語り出す。

 

 

 

 

 

―― お父さんに焼き菓子を作ったこと。

 

 

―― イデアに何度も遊戯版で負けたこと。

 

 

―― そんなイデアがお父さんに完膚なきまでに遊戯版で負けたこと。

 

 

―― エイナールが子供が出来たという内容の手紙を送ってきたこと。

 

 

―― 始めてニニアン、ニルスに会った日のこと。

 

 

―― その後、イデアが撫でて欲しいと言ったこと。

 

 

―― イデアにくすぐられたこと。

 

 

―― イデアと一緒に申請書を書いて、サカに行ったこと。

 

 

―― ハノンさんと出会った時のこと。

 

 

―― そんな中で飛竜に襲われたこと。

 

 

 

 

一つずつ、まるで全ての出来事が昨日起こったかの様に詳しく、思い出話を語るイドゥンは本当に楽しそうだ。

いつしかイデアもそれに聞き惚れてしまい、一つ一つの話にリアクションを返していた。

 

 

 

「イデアがあの飛竜にやられたって聞いた時は本当に心配したんだよ~? 判ってるー?」

 

 

 

「ちょ、ね、姉さん……息が……!」

 

 

 

 

うりうりとイドゥンがイデアの背をぎゅぅぎゅぅと圧迫する。

今話しているのはイデアが気絶し、ナーガがやって来て飛竜の群れを殲滅した後の話だ。

 

 

ハノンとその愛馬(ウィルソン)の傷をもう一回【ライヴ】を掛けて完全に治癒し

子供が世話になったと、赤い宝玉をナーガがハノンに渡そうとした所、彼女が受け取りを拒否し重い空気になった事などなど。

 

 

 

 

「しかしまぁ、よく覚えてるね。どこまで覚えてるの?」

 

 

 

 

「凄くうっすらとだけど……イデアと始めて会った時の事も覚えてるよ」

 

 

 

え? とイデアが返す。じゃ、どんな事があったか覚えているかい? と問う。

 

 

 

 

「お父さんがちょっと怖かったなぁ……」

 

 

 

記憶の最深部にある竜の姿に戻ったナーガの姿をツギハギで再生しながら彼女がしみじみと言う。

あぁ、確かに最初のナーガの姿には心臓が飛び出る程に驚かされたなと、イデアが思う。

 

 

 

 

「ねぇイデア?」

 

 

「ん?」

 

 

不意に彼女が抱きつく力を弱めて、イデアの顔を真正面から見つめる。

綺麗な色違いの眼。理性と知性、好奇心と力強さに優しさと美しさ、その全てが多分に含まれたこの世で最も美しいであろう瞳の一つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして彼女はその美麗な顔に満面の笑みを浮かべた。

太陽の様に輝き、夜空の星のように美しい笑顔を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私の弟に産まれてきてくれて、ありがとう。 これからもよろしくね!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………………………」

 

 

 

 

顔を真っ赤に染めたイデアが、姉の胸に顔を埋めた。

そして無言のまま頭を小さく振る。

 

 

 

 

「……ど……ぃ… ま……て」

 

 

 

ボソッと小さく呟くと、そのまま動かない。

まるで先ほどのニニアンとニルスがエイナールに甘えていた時みたいだ。

 

 

 

 

「うん。どういたしまして」

 

 

 

かつてイデアに教わった返答をし、イドゥンが弟の頭を撫でてあげる。

たしか、これをすれば彼は眠りに付くはずだ。

 

 

 

イドゥンと一緒ならこのエレブでずっと生きていける と、イデアは頭を撫でられながら思った。

 

 

 

これは、そんなイデアのお話。

 

 

 

 

 

 

 

 

真っ赤な、血よりもグロテスクで、炎よりも情熱的で、溶けた岩よりも粘質な紅い満月が天に昇っている。

まるで心臓を生物から取り出したような巨大でおぞましい物体が空にあるというのは、見るものに生理的な恐怖と嫌悪を抱かせた。

 

 

『殿』の中でもかなり高い階層に位置する執務室の窓から見たソレは地上で見るよりも、巨大で恐ろしい。

 

 

 

ナーガが数え切れない程の年月を共にした執務室はその様子を変貌させていた。

 

 

いつもは大量に置かれていた資料も無く、整理されたのか、または知識の溜まり場に送られたのか、その存在の一切がなくなっていた。

部屋の中にある調度品や装飾の類もほとんどなくなっており、部屋の様子は閑散としている。

 

 

 

いつも彼が腰掛けていた金や銀で装飾を施されていた玉座も

その後ろに配置されている神竜族のシンボルたる太陽をモチーフにした紋章も、部屋の中のありとあらゆる物が寂れていた。

かつて感じた威圧感や雄雄しさ、神々しさの一切が失われている。

 

 

 

殺風景。この部屋を一言で表すとそうなるだろう。完全に生気の消えた部屋。生活観の一切を感じない部屋だ。

 

 

 

 

そんな部屋の窓際に一人の男が立っていた。

男が身に纏うは金で幾つもの装飾を施された白い豪奢なローブに、同じく金で縁取りされた豪奢なマント。

腰に差されたのは金銀やエメラルドで装飾された宝剣【覇者の剣】かつて彼が葬った始祖竜の剣である。

 

 

 

手を後ろで組み、直立不動で赤い月を見つめるその色違いの瞳には何も浮かんではいない。

ただ、じっと月を眺めているだけである。

 

 

男――ナーガが音も無く振り返り、今まで自分が永い年月を過ごした部屋を見渡す。

その眼には相変わらず何も浮かんでは居ない。そう、何も。

 

 

 

二本の足でしっかりと歩き、絨毯の感触を堪能する様にゆったりとした足取りで今まで自身が掛けていた椅子に向かい征く。

何処か気だるげに玉座に腰を降ろし、机の上に手を置く。

火の灯ってない暖炉の変わりに、窓から入り込む赤い光が部屋を禍々しく照らす。

 

 

まるで部屋の中が血塗れになった様な錯覚を見た者は覚えるだろうが、生憎この部屋にはナーガを除いて誰も居ない。

 

 

 

ナーガが瞠目し、思考を巡らせる。

思い出すのはこの『殿』が作られた時の記憶。

 

 

 

始祖竜との戦争が終わり、一度は崩壊しかけたこの『殿』を当時生き残っていた様々な竜が力を合わせて再建した事。

あの時はまだ人という種はあまりこのエレブにはおらず、竜族もあまりその存在を気に掛けては居なかった。

 

 

当時の『殿』は竜族本来の大きさに合わせて建築されたため

現在よりも巨大で、こう言っては何だが少々大雑把な造りであった。

それがどんどん改築や増築などを繰り返し、今の人の姿でも済める構造に変わったのだ。

 

 

 

 

『秩序』を破壊するほどの戦争の影響で、竜族全体がその力を衰えさせており、その力の回復に専念するために

早急に神竜族の力を増幅させる場が必要だったというのも大きいだろう。

神竜族や魔竜もほとんどあの戦争で始祖竜やそれに加担した地竜達と相打ちになり、残ったのは自分だけ。

 

 

 

そんな自分に従い、この『殿』を竜族総がかりで再興させた時は本当に輝いていた時期の一つだったのだろう。

 

 

 

 

 

 

やがて人と言う種が発展を遂げ、争いながらも国という集団を作り始めた。

西にエトルリアという国がおぼろげながらも出来始めた頃だ。

サカにも遊牧民族と呼ばれる者たちの始祖が生まれ始めた。

 

 

 

 

 

この頃だろう。竜族が人間という存在に興味を持ち始めたのは。

自分達とは違う、しかし獣とは違い確かな理性と知恵を持っており、話合える。触れ合える。

 

 

永い時を生きる竜にとっては最高の暇つぶしの相手だったのだろう。

 

 

しかし姿が問題だった。竜の姿は人にとっては恐怖心と敵意を煽るものだったのだ。

山よりも巨大で、その尾の一振りで軽々と城をなぎ払う竜に恐怖を抱いてもしかたがないといえる。

 

 

 

 

だからこそ、竜族は編み出した。人と同じ姿を取る術を。

 

 

 

それは急速に広まり、人との接触が始まる。

中には竜本来の姿に誇りを持ち、人の姿にならない竜族も当然ながら存在した。

 

 

 

 

竜族は人に様々な事を教えた。

しっかりした家の作り方や、統一された文字、魔導の基礎やもっと多くの穀物を育てる方法。

魚の取り方や精霊との対話の仕方。思い起こせばキリがない。

 

 

 

今思えば竜が人を助けた理由は単なるお節介だったのだろう。

見ていて危なっかしくてたまらず、色々と手を加えて育てた。一番近い心境といえば親心か?

 

 

 

……いや、『育てた』のではなく『育った』のだろう。少なくとも今日の人の発達は彼ら自身の努力の賜物であろう。

それを否定し、全て自分達が育て上げたというのはただの傲慢に過ぎない。

 

 

 

 

 

――― もしも。もしもここで自分が人に関わらないと決断を下していれば、今の様な事態は避けられたのだろうか?

 

 

 

 

 

いやと、ナーガが思い浮かんだ思考に答えをはじき出す。結果は変わらないと。ただ、遅いか早いかの違いだ。

遅かれ早かれ人は竜という種を消しに掛かるだろう。あれの思考は永い年月観察しているので大体は理解できる。

 

 

 

自分達と違った存在が恐ろしくて堪らないというのが人という種の根幹にはあるのだ。

事実、産まれた子が異形だった場合、親はソレを愛さずに捨てたという例をナーガは何度も見ていた。

 

 

 

髪の色が違う。四肢のどれかが欠けている。瞳の色、肌の色、声、どれか一つでも親が気にいらないと化け物と蔑まれ捨てられる。

 

 

 

言ってしまえば、臆病な種なのだろう。人間とは。

『恐怖』の前に理性は消し飛び、道理は踏みにじられ、挙句は損得さえも無視される。

 

 

 

しかも質が悪い事に人間は恐ろしい恐怖の元を消し去るために団結することも覚えているのだ。

いつもはそんな事は滅多に出来ないのに、共通の敵を葬るためには手を取り合い、共に戦う。

本当に困った種族だ。

 

 

 

 

しかし。しかしだが、同時にナーガは確かに知っている。人と言う種の素晴らしさも。

 

 

竜よりも遥かに短い寿命を必死に閃光の様に生きる人間の素晴らしさを。

そんな人間に心奪われ、困難を承知の上で結ばれることを選んだ竜さえも存在するのだ。

 

 

 

竜と人の間に産まれた新たな種『竜人』は一体これからどの様な未来を作っていくのか、それが見れないのが少々残念である。

 

 

 

 

そして何より、イドゥンとイデア。

あの二人の成長を見れないというのが心残りであると思うのは長としての心残りか、それとも親としての感情か?

 

 

 

 

ナーガが瞠目しながら、首を小さく横に振った。何とふざけた事を考えているのだ自分は。

 

 

 

親? たった10数年程度の年月を共に過ごし、食事を与え、ほんの僅かながらの知識と経験を与えただけで、親?

そんな都合のいい馬鹿な事があるかと思い、小さく溜め息を吐く。

 

 

 

違うだろう。ただ自分は後を任せる後継者が欲しくて、限られた時間の中でそれを造ろうとしただけ。

結果、まだまだ未完成だが、両者がもう片方を支える形になれば少しは……。後は周りの状況次第だ。

 

 

 

 

 

 

そう。愛など無かったのだ。愛などなかった。自分が両者に抱いていた感情は親が子を愛する感情ではなかった。

 

 

 

 

そうに決まっている。自分は、間違っても本当の意味でのあの双子の親ではない。自称だったのだ。

 

 

 

言い訳の様に何度も何度も繰り返し思う。

 

 

 

ただ、短い年月の間育てただけ。万人が見ても皆が口を揃えて親ではないというだろう。

 

 

 

 

 

 

 

だが。

 

 

 

 

だが、もう少し時間があればもっと様々な事を教えてやれたのだろう。

 

 

教えてない術など夜空の星の数ほどある。まだ教えてない学問はそれ以上の数だ。

歴史も御伽噺も算術の式も諺もまだまだあるのだ。10数年程度では教えきれない程の数が。

 

 

それこそあの知識の溜まり場の中には文字通り無限の知識が詰まっている。

そして自分の頭の中にもだ。

 

 

 

 

もしもソレらを教えられたら、あの双子はどの様な反応を示すだろうか?

 

 

 

最初に魔術を教えると言った時にやけに舞い上がっていたイデアを思い出す。

そして先ずは概要だけだと自分が言った瞬間の何処か落胆した表情も。

 

 

 

その後、イドゥンが自分も撫でて欲しいと言って来た時は正直な話、困惑したものだ。

それに定期的に焼き菓子を作ってくるのも困ったものだ。

 

 

 

と、ここで思い出す。

 

 

 

「………真の名を、教えてなかったな……」

 

 

 

それは最初の魔導の講義の際に双子に教えた事。名前も魔術的な要素を含んでいるということ。

そしてあの二人は未だ自身の本当の名前を知らない。

 

 

普段呼んでいる『イドゥン』も『イデア』も、人が聞く事の出来ない両者の“本来の名前”の一部なのだ。

最後の機会に教えてやらなくては。

 

 

 

……幾つもの書物を読み漁り、双子の名前に相応しい文字の羅列を考えた時は、楽しかったのだろうか。

少なくとも、最高位の魔導書を読んでいる時と同じぐらいは集中したのは覚えている。

 

 

 

 

机の引き出しを開ける。そこにあるのは古びたノート。双子が文字の練習に使ったノートだ。

ソレを手に取り、ページを軽く捲っていく。

 

 

お世辞にも上手とはいえない基礎的な文字の羅列。

しかしそこに込められた早く上達しようという気迫をナーガは確かに感じた。

 

 

ノートを閉じて、片手で持って顔の前に持ってくる。

このまま焼いてしまおう。意味のない物だ。

 

 

 

所持していても、何の魔術も発動などさせられない。

ただの落書きが書かれた書物など不要だ。むしろ何故今まで持っていたかが疑問である。

 

 

 

指に僅かばかりの魔力を集中させ、火を灯す。

 

 

 

指の先端に現出する小さな小さな【ファイアー】の灯火。

これをノートに接触させてしまえば、終わりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

 

 

 

下らない。

 

 

指先から移った炎が凄まじい速度でノートを侵食し、灰に変えていくのを呆然と見ながらナーガはそう思った。

 

 

果たしてその“くだらない”という感情が何に向けられたものなのかは彼自身もわからない。考える気もない。

答えが出るのが怖いから。決して自分がこの“茶番”を続ける事を望んでいるなどと認めてはいけないから。

 

 

 

 

そう。自分は親ではないのだ。そう何度も暗示のごとく言い聞かせる。

 

 

 

 

座りなれた玉座から腰を上げ、部屋に無言で別れを告げる。

扉に手をかけたナーガは最後まで一回も振り返らずに部屋から出て行く。

 

 

 

 

 

病的なまでに徹底的に掃除された部屋に、一箇所だけ灰の山が積もっていた。

そしてその横、部屋に一枚だけポツンと置かれた羊皮紙の報告書にはこう書かれていた。

 

 

 

 

――― エトルリア王国 王都アクレイアに大陸に存在する人類のほぼ全兵力が集結中。戦支度を始めている。

    かの【大賢者アトス】及び【大魔導師ブラミモンド】【神に愛された少女エリミーヌ】などの姿も見受けられた。

 

 

 

 

 

その報告書にも灰から僅かな数の消えかけの火種が飛び移り、紙はやがて炎に包まれて灰へとその姿を変えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤い月だ。恐ろしいまでに赤い月だ。真っ赤な光が世界を照らし、昼間の様な明るさを地上に与えている。

イデアは窓から見える今まで一度も見たことがない程の赤い月を見て、何処か酷く胸騒ぎを感じていた。

 

 

 

嫌だ。以前も感じた事があるこの感覚だが、今日のは何処かがオカシイ。

胸を掻き毟られるような焦燥感と粘性な恐怖が心の底から滾々と湧き上がって来るのを感じながらイデアが背後へと振り返る。

 

 

 

 

そこには椅子に腰掛けたイドゥンが居た。

イデアの視線にも気が付かない程集中しているのか、一生懸命にその白く綺麗な手を動かしていた。

最近彼女は手芸に嵌っているのだ。本をナーガに持ってきてもらい、独学で勉強している。

 

 

 

手に持ったのは先端が緩やかに尖った二本の細くて長い棒針。椅子の正面に置かれているのは白い糸の塊。

二本の棒を器用に動かし、表編みと裏編みを繰り返して何かを作っていた。

 

 

 

長い形状からするとマフラーか何かの類であろう。

編み物について詳しくないイデアでも判るほど、上手とは言えない出来栄えたが、必死に編みこむ姉の顔はとてもかわいらしかった。

 

 

思わずイデアは話しかけていた。答えなど判りきっているのに。

 

 

 

 

「それは誰にあげるの?」

 

 

 

「お父さんとイデアだよ。お揃いにしてあげるね!」

 

 

 

一旦編みこむ手を止めて、イデアを見たイドゥンが花の咲く様な笑顔で答える。

少しだけ、イデアの焦燥感が薄れた。

 

 

 

 

しかし。

 

 

 

 

“トントン”

 

 

 

 

いつもと同じ様に部屋の扉が叩かれる。

いつもと全く同じ叩き方。ナーガの叩き方。

 

 

 

イデアはいつもと同じ様に答えを返していた。

 

 

 

 

「どうぞ」

 

 

ガチャリと扉を開き入ってきたナーガの顔はいつもと変わらない無表情。

全ての表情を失った彫像の様な顔。そして紡がれる言葉もいつもと変わらない声で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「最低限必要な荷だけを持って、我についてこい」

 

 

 

 

 

たった一言。イデアがその意味を問おうと口を開きかけたが、直ぐに口を閉じた。

でなければ彼は無様に恐怖の悲鳴を上げていただろう。

 

 

 

彼が見たナーガの瞳は、ガラス細工の様にどこまでも澄み切っていて、その中に宿していたのは底の知れない虚無だったからだ。

真っ暗な瞳。何も映さず、何も反射せず、輝きもしない瞳。

 

 

 

いつも見ているナーガとは全く違う気配。そして威圧感。何が何だか全くわからなかった。

 

 

 

 

「あ、あの……」

 

 

 

 

イドゥンが手に持った出来かけの編み物を恐る恐るナーガに差し出すが、彼は差し出されたソレを視界にさえ入れなかった。

 

 

 

 

「急げ」

 

 

 

 

次に放たれた言葉は確かな威圧の色を含んでいた。イドゥンとイデアが震え上がる。

編み物をほっぽり投げたイドゥンがイデアの傍まで来て、その服の裾を掴む。

 

 

震えながら、イデアの腕に抱きつくイドゥンは確かに怯えていた。始めて父であるナーガに恐怖していた。

かつてイデアにお父さんは怖くないと言っていた彼女がだ。

 

 

 

ナーガが一歩踏み出す。イドゥンが何日も掛けて必死に編んでいた編み物が彼の足によって踏みにじられた。

糸が解れ、ほとんどバラバラになる。

 

 

 

そんな光景を見てしまい、思わず恐怖心を忘れてイデアが文句を言おうとするが……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「「!!」」

 

 

 

 

 

突如、殿が揺れた。大規模な地震か、間近で火山が噴火したかの様な激しい揺れ。

耳障りな轟音が恐ろしく響く。まるで大量の竜が一斉に咆哮しているように世界が揺れた。

 

 

 

 

 

が、直ぐにソレも収まる。時間にして5秒も揺れてないだろう。

 

 

ナーガが顔を何処か明後日の方向に向け、無表情、無感動な顔で。

 

 

 

「時間だな。これ以上ここに居ては感づかれる」

 

 

 

 

 

 

激しい揺れが起こるのをまるで始めから知っていたかの様に「父」が語る。

そしてその手をゆっくりとイドゥンとイデアに伸ばして―――二人が何かを言う前に魔術を発動させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【ワープ】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界が眩い光と共に廻った。大地と空の認識さえも歪み、今自分がどこにいるのかさえも判らなくなる独特の浮遊感。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

発生した閃光と浮遊感に眼を瞑ってしまったイデアが、恐る恐る眼を開ける。

腕に感じる姉の確かな温もりが取り乱してしまいそうなイデアの心を何とかつなぎとめていた。

 

 

 

一体何が起きている? ナーガはどうしたんだ? 何がどうなってる?

 

 

グルグルと状況に付いて行けずに混乱する頭を何とか正気に保ちながら、イデアが周りを見回す。

 

 

辺りは先ほどまで居た殿の部屋とは違い、暗くて周りが良く見えない。

しかし完全な闇という訳でもなく、空の巨大な赤い月から放たれる光がほの暗く周囲を照らしていた。

 

 

 

 

 

竜族の優れた眼が人の何倍も素早く瞳孔を無意識に操作し、辺りの景色に素早く適応していく。

 

 

赤黒くてよく判らないが、周りに鬱蒼と茂る大量の草や木、花。虫たちのやかましい鳴き声や、この湿り気を多分に含んだ

空気の質からして、どこぞの森だろうとイデアは思った。事実彼の推測は当たっていた。

 

 

 

イデアが突き刺さるような視線を感じて顔を真正面に向ける。

 

 

 

 

彼の真正面にナーガが立っていた。輝かない瞳でイドゥンとイデアを観察するように眺めている。

瞬き一つせず双子を見つめている彼はまるで、二人の姿を脳裏に焼きこんでいるようにも思えた。

 

 

 

 

「ついてこい」

 

 

 

それだけを言うと返事は聞かないと言わんばかりに踵を返し、二人に背を向けて歩き出す。

思わずイデアがそれに続こうとするが、腕に強い力を感じて足を止めた。

 

 

 

 

 

「離れないで……暗い所に一人は嫌だよぉ……」

 

 

 

今にも泣きそうな声。いつも明るさを失わない彼女からは考えられない程に弱った声だった。

父に拒絶され、訳の判らない状況に放り出されて、今にもボロボロに泣きそうな顔は年相応の少女のものだ。

 

 

 

 

そんな彼女の手をイデアはしっかりと握り締めると、ナーガの後におぼつかない足取りで続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらく行くと、不意に森は終わりを迎えて開けた場所に出た。

ナーガは既にどんどん先に行ってしまい、今やその気配だけを追っている状況である。

 

 

 

 

そしてソコに合った物に思わず二人は声を失った。

 

 

 

 

 

 

それは巨大。どこまでも巨大。小さなではなく、正真正銘、山ぐらいの大きさの建物。

屋根を支える柱も、入り口の大きさも、全てが人が使うにはあまりにも大きすぎる。

 

 

 

 

 

一目で人が作ったものではないと理解できる、所々にこれまた巨大な装飾の数々を施された、竜を奉る神殿にも似たどこか神聖な雰囲気を漂わせる外観の灰色の建造物。

竜族が長い年月を掛けて作り出した「門」である。

 

 

 

産まれて初めて見るソレを呆然とした様子で眺める二人にナーガの声が脳内に届いた。

 

 

 

 

 

(その建物の中に入れ。 中で待っている)

 

 

 

 

念話を受け取った神竜姉弟が一瞬だけ顔を合わせ、頷きあう。

手を握ったまま二人は「門」に歩を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「門」の中は壁や床などが薄く発光していた。

まるで最初の日、イドゥンとイデアが産まれた祭壇の場所を思いださせる造りと造形でもであった。

長い長い通路を抜け、広大な面積を誇る大広間に出る。広間の床には巨大な太陽を模した神竜族のシンボルマークが彫られており

この巨大な建物の所有者が誰なのかをイドゥンとイデアに教えている。

 

 

 

 

 

 

広いという言葉では表せない程の面積を持つ広間のずっと奥に光で作られた坂があるのを二人は見つける。

そしてその奥からまるで姉弟を呼んでいるかの様にナーガの巨大な気配はある。

 

 

 

近づいてみると、それは光で造られた坂などではなく、単に階段の列が一段一段が発光しており、それが何列も重なりまるで光の坂に

見えていたという事が判った。本来ならばこの不思議な光る石に興味を示したのだろうが、今の双子にそんな余裕などない。

 

 

 

 

 

二人で並んで一段一段、しっかりと震える足を叱咤しつつも昇っていく。

時に踏み外しそうになるのをもう片方が支えて、助けたりなどする。

 

 

 

 

何千段昇っただろうか? それとも何万? 

 

 

数えることさえも億劫になるほどの段を昇りきった上に白い金で縁取りされた豪奢なマントを羽織り、いつも通りの白いローブを着込んだ細身の男、ナーガは居た。

 

 

 

 

その容姿はイデアがあの祭壇で始めて会った時から老けても若返ってもおらず、まるで時が止まってしまったか如く同じである。

段を上りきって来た二人を観察する様にじっと見つめている。紅と蒼の瞳にイドゥンとイデアが映っているのが二人にも分かった。

 

 

 

が、しかし。雰囲気は決定的に違った。先ほどの彼の気配は威圧的であったに対し、今は何も感じない。何もだ。

 

 

威圧感も殺気も怒気も悲しみも感じない。ただ、無表情な仮面の表情と全ての感情を封じ込めた瞳があるだけ。

 

 

 

 

「―――ィ――で――ァ―― そして ――ィ―――ど――ゥ ン―――――」

 

 

 

口だけを動かしナーガが竜族の言語で声を発する。人には聞くことも理解することも極めて難しい言葉、発するなど不可能に等しいだろう。

しかし人ではなく竜族であるイドゥンと竜族の身体を持つイデアはその言語をはっきりと聞き取ることが出来た。

不思議と身体の奥深くまで染み渡るような不思議な音として、確かに。

 

 

 

 

「お前達の本当の名だ。知りたがっていたのだろう?」

 

 

 

そう言うと双子に後ろを向け、背後のまるで絵の入ってない額縁を思わせる形状をした巨大な建物を見る。

 

 

 

 

「お、お父さん! 殿に帰ろうよ!! ここは暗くて嫌だよぉ……」

 

 

 

弟の腕を強く抱きしめながらイドゥンが涙ながらに父の背に向けて叫んだ。

しかしナーガはそんな声さえも耳に入っていないように言う。苛立つほどいつも通りの無機質な声だった。

 

 

 

「暫くここで待っていろ、直ぐに迎えの者が来る。詳細もその者達が言うだろう。そして、我はお前達の父などではない」

 

 

 

 

無機質な声質に反して、突き刺さるような内容の返答に神竜の片割れたる紫銀色の髪の少女が全身から力が抜け

ズルズルと滑るように地面に膝から倒れこむ。

 

 

 

 

 

ナーガが絵の入っていない巨大な額縁――『門』に向かって緩慢に歩き出す。

『門』の内部の空間が淡く発光を始め、稼動。エレブとは違う世界への道を創造する。

 

 

 

そんな事をイドゥンもイデアも知る由も無かったが、本能的に悟った。「父」がどこか遠い所へ行こうとしているのだと。

そして自分達は連れていってはくれないだろうという事も。

 

 

 

ここで今まで衝撃的な事が立て続けで起きたせいで半ば思考能力が停止しかけていたイデアが無意識に動いた。

力なく片手を伸ばし、かつて自分が身を預けたその背に向かってぎこちない足取りで歩き出す。

 

 

 

まるで夢に浮かされたような顔で淀んだ『門』の光に向かい歩を進める「父」に追いすがる。

 

 

 

 

そして。

 

 

 

 

「待ってよ、父さん……」

 

 

 

 

 

 

10年以上もナーガの事を只の一度も父とは呼ばなかったイデアが始めて、そう無意識に口にした。

 

 

ナーガの歩みが停止した。否。全ての動きが停止した。

 

 

 

 

 

 

1歩。2歩。3歩。イデアが着実に大きな背中との距離をつめて行く。

 

 

 

後、1歩。もう1歩踏み出せば、その背に抱きつける。イデアの手が「父」の背に伸びる――。

 

 

 

 

 

しかし。

 

 

 

 

「がっ……!?」

 

 

 

 

 

ドンと、鈍い音が響いた。

 

 

 

 

いつもナーガが腰に差していた【覇者の剣】の柄がイデアの腹部にめり込んでいた。

 

 

 

 

 

―― なんで……?

 

 

 

 

 

鈍い痛みと共に意識が消え行く。完全に思考が停止するまでイデアはナーガの背を見ていたが、結局彼は一度も振り返らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

眼が覚めたイデアは冷たい床の上に倒れていた。

いつも眠っているベッドの柔らかさも何もない。どこまでも無感情で冷たい石の床。

 

 

 

 

起き上がり、周りを見渡す。

 

 

 

 

誰も居なかった。ナーガもイドゥンも、誰も。いつも傍に居た者は皆居ない。

 

 

 

 

 

「姉さん!? ナーガ!!」

 

 

 

 

怒鳴るように叫ぶが誰も答える者は居ない。虚しく声が反芻され、その後に訪れるのは完全な沈黙。

腹部に少々の痛みを感じながらも何とか立ち上がる。

 

 

 

 

カチャリという金属音が響いた。何か金属質のものが擦れたような音だった。

 

 

 

「これって……」

 

 

 

 

イデアが金属音を響かせた原因を手に取り、多少の重量があるソレを両手で何とか持ち上げる。豪奢な装飾の鞘と柄。

翡翠色のソレにイデアは見覚えがあった。

 

 

 

 

いつもナーガが持っていた【覇者の剣】だ。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

暫く呆然と手に持ったソレを見つめる。まだ、僅かであるがナーガの温もりが感じられた。そんな気がした。

 

 

 

 

「…うぅ・・・・あぁああああああ……」

 

 

 

 

降出した雨の様に、紅と蒼の瞳から涙が溢れ出し、雷鳴の様にはち切れた声が口から漏れる。

あまりにも理不尽で、あまりにも唐突な終わりに悲しみだけではない混沌とした感情があふれ出てきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

イデアを除いて誰も居ない『門』に、無力な子供の悲痛な慟哭が響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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