とある竜のお話 改正版 FE オリ主転生 独自解釈 独自設定あり   作:マスク@ハーメルン

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初の戦闘シーンでした。
とても懐かしい限りです。


とある竜のお話 第七章 2

 

サカとベルンの境界線上にある命溢れる草原と厳格な山々が入り混じった複雑な地域。

竜族の住まう人間には過酷な大地、竜の人智を超えた恐ろしい技術力によって作られ支配された文明の端の端。

 

 

ベルン地方を竜の王国として見て、『殿』を首都兼ね王城とするならばここは辺境の辺境、僻地である。

 

 

しかし僻地といえど生物が居ない訳ではない。どの様な場所でも生物は高確率で存在するものだ。

極寒の凍土にも、灼熱の砂漠にもだ。

 

 

 

森の中。

勿論人の手など伸びてなく、道ともいえない道。俗に獣道と呼ばれるうっそうとした茂みの中を何かが全力で走っていた。

 

 

 

走る。走る。走る。

 

 

 

全身の毛穴から止めどなく汗が溢れ、口からは荒い息と共に濁った涎と泡を吐き出し、顔面を涙で濡らしながら走る。

 

 

 

「はぁ……はッ、はッ、はッ………畜生! 何なんだよ、アレは!!!」

 

 

 

一旦立ち止まり、息を整えながら自らの境遇を嘆き、汚い言葉を吐き散らす。

言葉を話せるという事は竜か人間だという事が判る。

少なくとも全ての第三者に聞こえるように話せる種族はこれぐらいしか居ないからだ。

 

 

精霊は素質のある者しか声を聞くことは出来ない。

 

 

 

男。何かから逃げる様に全力で走っていたのは人間の男だ。

竜族とは明らかに身に纏っている雰囲気が違うし、何よりも彼が竜であったならば、今の様な状況には陥らないからだ。

 

 

男はボロ布同然の衣服に身を包み、片手には血がベットリと付着した手斧を持っている。

この男は全うな市民や何処かの傭兵や騎士などではなく、はぐれ者――盗賊の類であった。

 

 

 

何度も何度も後ろと『空』を探るように恐怖の眼で見渡し、そしてもう一度走り出し、何とか隠れられる場所を探す。

その血走った眼に宿るのは生への何処までも強い執着。生きたいという思い。

 

 

が。その思いは直後に最悪の形で裏切られる事になる。運命の女神は男には味方しなかったのだ。

 

 

 

――ギ、ギギギギギギイ。

 

 

 

掠れ、潰れ、思わず鼓膜を捻りたくなる、何かの咆哮と思わしき声がこの僻地におぞましき反芻する。

 

 

「ひっ!?」

 

 

男が身を竦ませ、情けない声をあげる。

最悪だ。男は自分の不遇をどこまでも嘆いた。

 

 

ベルン地方には竜が住んでおり、人はあまり立ち寄らない。

つまり裏を返せば何処かの貴族の兵士などに襲われる心配などが少ないということだ。

 

 

だからこそ男達は今まで国家に討伐されず、好き勝手に人々を恐怖に陥れることが出来た。

奪いたい時に奪い。殺したい時に殺し。犯したい時に犯せた。

 

 

竜族に眼をつけられない様に地を這う虫ケラの様に卑屈にいきて、竜の怒りを買うことも避けて来た。

 

 

 

だからこそ信じられなかった。本来はベルン地方の奥深くに生息する飛竜達が自分達を皆殺しにしたことを。

そしてその仲間の死体を貪ったことを。

 

 

ここはベルン地方の北西の端の端。リキア地方やサカと隣接する僻地なのに何故飛竜がこんな所に?

疑問は尽きないが、今は逃げることが最優先だ。命はどのような宝よりも価値がある。

 

 

 

ふと。ここまで思考を巡らせた男が何かに気がついたように辺りを見渡す。

 

 

何か、おかしい。何かが変だ。荒い息で辺りを伺いながら男がその『違和感』が何か必死に考える。

 

 

 

全ての音が、なくなっていた。鳥達のせせらぎも、植物が風に揺れる音も、水が流れる音もだ。

 

 

 

 

男がソレに気がついたのは全てが手遅れになった時だった。

 

 

 

 

男に影が差した。森の木々が落とす影よりも尚暗く恐ろしい影が。

 

 

 

 

「!!」

 

 

男が何かに気がついて真上を見るが、遅い。既に遅すぎる。

 

 

 

「うわぁ………!」

 

 

断末魔の悲鳴をあげるよりも尚早く、巨大な何かが男の腰から上半分を無慈悲に圧倒的な力でもぎ取った。

残った下半身が、臓物と血を噴水のように噴出して倒れる。

 

 

クチャクチャと肉を咀嚼し、血を啜る音が無音の森の中で一際響く。

次いで響くのは男を真っ二つにしたソレが身じろぎ、木々をなぎ倒す音。

 

 

 

――ギギギギギギ、ギギギギイ

 

 

ソレの血そのものを固めて目玉にした様な色の瞳が肉を味わい、満足げに細められる。

久しぶりの食事だ。

 

 

男の上半身をもぎ取り、肉を味わうソレは飛竜であった。ベルン地方に住まう特徴的な種族。一応は竜の名を与えられた種族。

ペガサスほどの高い知能は無く、竜族ほどの知恵と知識、超大な力もない。

 

 

あるのは本能だけ。言うなれば空を飛ぶ獣だ。しかも普通の獣よりも遥かに強い。

その鋭い爪と牙は簡単に人を殺めることが出来るだろう。

 

 

しかも今男の上半身を食べ終わり、下半身を食べに掛かる飛竜は普通の飛竜ではなかった。

 

 

まず、身体の大きさが異常だ。

普通の飛竜は大きくても全長4メートル程度なのだが、これは有に10メートル以上ある。

 

 

そして何よりも異常なのはその飛竜の全身に隙間なくビッシリと刻まれた青白く輝く紋章の様な――否。これは正真正銘の紋章である。

 

 

紋章の名は【デルフィの守り】翼の神デルフィの加護を受けている証だ。

この飛竜は産まれ付きこの紋章を身体に刻みこまれており、他の飛竜を圧倒する巨体と他の飛竜よりも優れた能力で群れの王にまで上り詰めた。

 

 

 

そして今、王たる彼は群れの部下を率いて餌を求めて大規模な移動を行っていた。

前居た地域ではほぼ全ての獲物は狩りつくしてしまったのだ。

 

 

 

――ギギギギギギギギギギギギギギギギ、ゲゲゲゲゲゲゲゲゲ!!!!

 

 

 

咆哮。聞くもおぞましい狂音を血の滴る口から吐き出し、森を揺さぶる。

それに呼応するように、何十、何百の似たような咆哮が空から降り注いだ。

 

 

まるで王たる彼を称える歓声のように。

それを聞く彼は人で言う『歓喜』に近い感情を覚える。

 

 

 

ここら一帯に巣食っていた人間はあらかた食い尽くした。良き悪しき関係なく。

彼らがこの賊の一味をおそったのは決して正義感からなどではない。

ただ単純に人数が多く、一箇所に固まっていたからだ。

 

 

 

そう。どんな動物よりも、旨く、多く生息しており、弱い生き物を彼らは見つけたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イドゥンとイデア。神竜姉弟は今、このサカ草原に来て初めての困難に襲われていた。

 

草原に一つだけ孤独に立っているゲルが気になり

近場に身を潜めて様子を窺っていたら、恐らくはゲルの住人と思わしき少女に弓で狙われているのだ。

 

 

弓矢。

 

二人はこの武器を知っていた。

曰く しなやかな木を削って形を整え、そこに弦をかけてその弾力を利用して矢と呼ばれる凶器を射る武器。

 

 

これの殺傷力及び飛距離は中々馬鹿に出来るものではなく

射程距離は風向きや射手の技量、弓の種類にもよるが、下手をすると200メートル先の標的に届くそうな。

 

 

 

「そこの草むらに隠れているのは分かっている! 大人しく出て来い! さもなければ射るぞ!!」

 

 

双子が応じなかったため、再度の呼びかけ。それと同時に矢を番えた弦を引き絞り、いつでも放てる状態にする。

ギリリリと弦がしなる独特の音が身を隠しているイドゥンとイデアに届く。

 

 

(ど、ど、どうする・・・…?)

 

 

直ぐ近く所か、隣に居るのに念話でイドゥンが弟のイデアに話しかける。

イデアが隣で伏せている姉に顔を向け、眼と眼を合わせる。

 

 

そして本当に小さな小さな声で。

 

 

「と、と、取り敢えず、出ていこうよ……このままだと、射られそうだし」

 

 

ガチガチと歯を鳴らし何度も声をどもらせながら何とか伝えたい内容を喉から搾り出す。

竜族の敏感な五感と第六感は自分たちに向けられている敵意をこれ以上ないくらいに双子に伝えていた。

 

 

 

――出てこなければ 射る。

 

 

 

即ち この言葉は本音であり、一切の冗談も、嘘も含まれてないという事だ。

このままこの林に篭もっていれば確実に矢が飛んでくるだろう。

 

 

 

ぎゅっと双子が手を強く繋いで、立ち上がり林から出て行く。

もう片方の手は抵抗の意がないことを示すために上げている。

 

 

 

 

「子供……それにその身なり……」

 

 

イドゥンとイデアを見た少女が僅かだけ弦を絞る力を弱め、番えた矢の向きを変える。

そのままじぃっと観察し判断を下すかの様に二人を凝視する。

 

 

足元、膝、腰、ベルトに付いた魔道書と鞘に収まったナイフ、胸元、首、顔、尖った耳、そしてその紅と蒼の特徴的な眼、そしてその奥――。

 

 

 

時間にして一分にも満たないが永劫にも感じる時が過ぎ去った後、少女が矢を下ろした。

先ほどの凛とした声とは違う、穏やかな声でガタガタ震える姉弟に子供をあやす様に話しかける。

 

 

「もう弓は向けないから、出来れば名前などを教えてくれないか?」

 

 

「わ、私は……神竜のイドゥンっていいます」

 

 

ガクガク震え、イデアの手をぎゅっと強く握り締めたまま、それでもかつてイデアが教えた通りにお辞儀をする。

エイナールに始めて出会った時と同じだ。

 

 

「お……弟の、イデアです」

 

 

弓矢が下ろされ、殺気もほとんど霧散した今でも少しだけ震えつつ、何とか返答する。

視界が潤んで見えづらい。気がつかない内にイデアは少しだけ涙ぐんでた。

 

 

「怯えさせて済まない。約束の通りに弓は向けんから、その泣きそうな顔をやめてくれないか?」

 

 

下ろしつつも矢を弦に番えていたソレを躊躇わずにポイっと投げ捨てる。

ついでに背中に背負っていた矢を大量につめておいた矢筒もゆっくりと地面に置く。

 

 

そして一回だけゲルの中に戻り、直ぐに二枚の小さな布を持ってくる。

布はぬるま湯で濡らしており、ほのかに湯気が出ている。

 

 

「とりあえず顔を拭いた方がいい。涙などで大変な事になっているぞ?」

 

 

少女の態度の変化に固まっている二人に近寄り、その布を手渡した。

 

 

 

「拭き終わったら、私のゲルの中に入ってきてくれないか?」

 

 

そして自分は二人を置き去りにしてゲルの中に入ってしまう。

戻る際にしっかりと弓と矢筒を回収するのも忘れない。

 

 

 

顔を拭き終わったイドゥンとイデアが綺麗になった顔を見合わせる。

二人揃って頭上に?マークを浮かべ、何とか状況を整理する。

 

 

そして、とりあえず自分達の命が助かった事を確信し二人で揃って大きな溜め息を吐いた。

林の中に置いておいた皮袋を取り寄せて、ゲルの中に入っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「知らなかったとはいえ武器を君達の様な童に向けてしまい、本当に済まない

 だが、分かってくれ。草原で一人暮らしというのも、大変なんだ」

 

 

 

ゲルの中に案内され、

とりあえず中央の絨毯の敷いてある所に座らされたイドゥンとイデアの前で、向かいあって地に座っている少女が小さく頭を下げる。

 

 

 

「あの……私達も覗き見なんてして、ごめんなさい。でも、何で私達が見ているって分かったの?」

 

 

 

イドゥンがおずおずと質問をする。

ちなみに彼女の手はまだイデアとしっかり繋がっている。

 

 

少女は笑って答えた。

 

 

「私達サカの民は気配を察知することに長けている。

 そうでなければ狩りなど出来ないからな」

 

 

 

「おぉ……狩りって」

 

 

狩りという単語にイドゥンが反応を示す。

 

彼女の頭の中で展開される【狩り】は全身を包む重鎧を纏い

巨大な剣やら槍やらを用いて飛竜などに挑む光景。

 

 

想像の中の狩人が何故か獲物を狩猟笛でぶん殴ったり、槍の先端から爆炎を噴出したりしているが気にしてはいけない。

横っ飛びでブレスだろうが、光線だろうが、何でも回避している事も無視だ。

 

 

「……多分、お前の想像は間違っていると思うぞ……」

 

 

 

眼を夜空の星のごとくキラキラさせながら別の世界を見ている神竜の姉に少女が呆れた様に言う。

少なくとも弓矢は恐ろしい命中精度で矢を数本同時に発射したり、連射することなど出来ない。

 

 

「それはそうと、何で一人で住んでいるのですか?」

 

 

別世界で【狩り】を行っている姉を横目にイデアが少女に先ほどまでから疑問に思っていた事を問う。

何故ここに一人で住んでいるのか、他の部族の仲間はどうしたのかと。

 

 

少女が大きく溜め息を吐いた。そして口を開き、ポツポツと語り始める。自分がなぜ一人なのかを。

 

 

 

「私の部族の呪い師が星々の占いで何かを見つけたそうだ。そして私に

 『お前には大切なやるべき事がある、それを見つけて来い』そう言って呪い師は私を部族から追い出した。

 未だにその“何か”を探して旅を続けているのだが、困ったことに一向に見つからん」

 

 

そして一泊おいて

 

 

「もう3年は旅をしているし、半年は他者と会話していない」

 

 

 

「た、大変ですね…寂しくないですか?」

 

 

 

半年間誰とも会話出来ないというのはどの様な状況なのか、少しだけ想像して背筋がゾッとしたイデアが何とか返す。

少なくとも並みの精神では狂ってしまうだろう。

同時にこの少女を部族から追い出したその呪い師とやらに文句を言ってやりたくなった。

 

 

お前は何を考えているんだ。もっと具体的な事を言えよと。

 

 

 

少女がイデアの問いに頷きながら答える。

 

 

 

「あぁ寂しいさ。だからお前達をゲルに入れて話している。こうやって他者と話せるのは、かれこれ半年ぶりだしな

 だから、ゆっくりしていってくれ。こうやって出会えたのも母なる大地と父なる天の意思だろう」

 

 

 

イデアが少女の顔を見る。少女が笑った。太陽の様に美しい笑顔だった。

エイナールの浮かべる物などと同じく、見ている者を安心させる笑みだ。

 

 

「あの! ちょっといい?」

 

 

 

何時の間にか夢の狩りの世界から帰還したイドゥンが声をあげる。

その視線は壁に掛かっている鞘に収められた二本の剣――エレブでは【倭刀】と呼ばれる種類の剣に注がれている。

 

 

二本の刀のうち、上の刀は鞘からして太く、男性用にも見え

下に掛かっている刀はどちらかと言えば細く、女性などが使っていそうな印象を見るものに与える。

 

 

「あれって……」

 

 

 

イドゥンに存在を指摘されて始めてソレの存在に気がついたイデアがじーっと興味深そうな物を見る目で

二振りの刀を見つめた。その眼の奥にあるのは懐古に近い感情。

 

 

 

「その倭刀の事か?」

 

 

うん、とイドゥンが首を縦に振った。

 

 

「上の倭刀を【ソール・カティ】下のを【マーニ・カティ】と言う。旅立ちの時に両親に持たされた、我が一族に伝わる業物だ」

 

 

ハハハと、自嘲する様に少女が笑った。

 

 

「もっとも、私は剣の才は全くと言ってもいいほど無くてな。

 こうやって壁に飾り、時折家族の事を思い出すためにしか使わないのだよ」

 

 

そして刀を食い入るように見つめるイデアに気がつく。

 

 

 

「……鞘から抜いてみるか?」

 

 

 

「本当にいいの!?」

 

 

「ひゃっ……」

 

 

腕を強く引っ張られたイドゥンが声をだす。

 

 

ガバッと勢い良く立ち上がり、叫んだイデアに少女が眼を瞬かせると不思議そうに首を傾げた。

イデアの眼も姉のイドゥンと同じようにキラキラ輝いている。まるで憧れの人などを見る眼だ。

 

 

 

実際、今のイデアの頭の中は本物の刀を見れる興奮と期待で埋め尽くされている。

 

 

 

「抜くだけなのに何故そこまで……まぁいい、少し待ってろ」

 

 

 

立ち上がって、二本の刀が掛けられている壁の前まで行くと。

まずは下の刀【マーニ・カティ】を固定具から外す。

 

 

ソレを横において、次は上の刀を持ち上げようとするが……。

 

 

 

「すまんが、手を貸してはくれないか? この【ソール・カティ】は……かなり重いのだ」

 

 

「「はい」」

 

 

二人がその小さな手を刀に向けて翳す。その手から金色の密度をもった光が伸びた。

 

 

「!?」

 

 

一瞬だけその光に警戒を抱く少女だったが、光が双子から出ているのと

何よりも敵意を全く感じなかったため、直ぐに警戒を解く。

 

 

 

光は刀の柄や鞘に絡みつくと、ソレをゆっくりと持ち上げた。

 

そしてそのまま緩慢な動きで先に床に置かれた刀【マーニ・カティ】の隣に安置する。

 

 

「凄いな……これも竜の力の一つか?」

 

 

「うん! もっと色々な事が出来るよ!」

 

 

褒められて嬉しいのかイドゥンが元気良く返事をする。

もう警戒心はなくなったのか、結構前からイデアの手を握るのは止めている。

 

 

はぁ、とイデアが溜め息を吐いた。

さっきまであんなに震えていたのに、凄い移り変わりの速さだ。

 

 

まぁ、そこがイドゥンのいい所でもあるのだろう。

エイナールと始めてあった時も率先して挨拶をし、良好な関係の礎を築いたのも彼女なのだから。

 

 

 

「では、望みどおり……」

 

 

少女が【ソール・カティ】の柄を握り、刀身を引き抜こうとする。

 

が……抜かれない。

 

 

「あれ? おかしいな……」

 

 

再度力を込めて刀身を抜き取ろうとするが、抜けない。

フッフッと、気合を入れて引き抜こうとしているが、刀はビクともしない。

 

 

 

 

「無理だよ……この子、嫌がってる」

 

 

 

【ソール・カティ】をじっと見つめたイドゥンが告げるように言った。

いつもの彼女からはあまり考えられない、冷ややかな声。

 

 

 

「この子達だったんだよ……このゲルの中から感じた強い二つの精霊は。そしてこの子達、私とイデアを嫌ってるみたい」

 

 

「姉さん?」

 

 

弟の声に、はっと我に返ったかの如くイドゥンが無垢な眼で捉えると、直ぐに笑顔になる。

そして弟の手を再び握って、指を弄び始めた。が、直ぐに飽きたのか手を離す。

 

 

 

「済まない。今の言葉はどうやら真実のようだ……」

 

 

足で鞘を固定して柄を思いっきり引き抜こうとしても駄目だった少女が諦めて手を離すと

ふぅと息を吐いて呼吸を整える。

 

 

「仕方ないか……」

 

 

未練がましい眼で【ソール・カティ】を見ながらイデアが呟く。あそこまでやって駄目なら仕方が無い。

物には魂が宿るというらしいが、その魂に拒絶されたなら、諦めるしかないか。

 

 

……何故拒絶されたのか、ほんの少しだけ気になったが、どうでもいい事だと思い直ぐにその考えを消し去る。

 

 

 

「外に居るのは【馬】だよね?」

 

 

 

刀を前あった位置よりも低い位置に置きなおしているサカの少女に

好奇心旺盛な神竜の少女が問う。彼女が刀の次に興味を持ったのは外の馬だった。

 

 

さっき林の中に隠れていた時も馬は見たが、あの時はそれどころではなかったのだ。主に7つ目7つ耳の化け物などで。

今冷静になって考えてみると、直ぐ外に本で何度も見た馬が居る。その事実は彼女を動かすに値するものだ。

 

 

「あぁ。あれも私の大切な家族だ」

 

 

「見てきてもいい?」

 

 

「いいぞ。ただし、私が行くまであまり近寄るなよ それと絶対に馬の後ろに立たないことを約束できるか?」

 

 

「うん!」

 

 

許可を貰うや否や、疾風のような速度でゲルの中から走り去っていく。

それを見てイデアがまた溜め息を吐いた。一つ幸運が逃げていくような気がした。

 

 

そして少女に姉の事や刀の事など、諸々の件で改めて謝罪を述べようとしたが……ここで気がついた。

 

 

 

「あの、……名前を教えてくれませんか?」

 

 

 

「ん? そういえば名乗ってなかったな、私の名前はハノンだ。ウルス族のハノンと言う」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……お尻が、お尻が痛いよぉ……」

 

 

 

「その言葉は色々とマズイと思うよ姉さん」

 

 

 

ゲルの中、イドゥンがうずくまり、痛みに悶えていた。

それをイデアが冷ややかな眼で見つめ、ごそごそと皮袋の中からライヴの杖を取り出す。

 

 

何故こうなったかの理由は簡単だ。乗馬したのだ。それも長時間。

 

ハノンの愛馬を馬自身がが逃げるほど食い入るように見つめていたイドゥンであったが

その余りにも熱い視線にハノンがうっかり「乗ってみるか?」なんて言ってしまったのが事の始まりである。

 

 

幼い頃より馬と過ごし人馬一体の技術を持つ、ハノンが見守る中嬉々として馬に乗ったイドゥンであったが、結果は散々であった。

 

 

動きやすい服を着て来たため、またがって乗れたのはいいがそこから先は正に最悪の一言に尽きる。

 

 

馬が、イドゥンを拒絶するかの様に激しく上下運動を繰り返し彼女を草原に見事に尻餅をつかせたのだ。

 

 

頭は打たないように直ぐ横を飛んでいたイデアが「力」でいつでも保護できる様にしておいたので危険性は少なかったが

彼は内心ヒヤッとしていた。

 

 

 

鞍や鐙などがあれば話は別だったかも知れないが、そういった便利な物はまだ発明されてはいない。

 

 

 

「ウィルソンは暴れ馬すぎるよぉ……」

 

 

「だから、その言葉はまずいって」

 

 

イドゥンがイデアからライヴの杖を受け取り、術を自分に掛ける。

ちなみにウィルソンというのは彼女がハノンの馬に勝手につけた愛称だ。

どういった基準でこの名前になったかは弟であるイデアでさえも理解は出来ない。

 

 

……この愛称で呼び始めてからウィルソン(馬)が凶暴になった気もするが、気にしてはいけない。

 

 

 

「きっと、竜と触れるのを本能的に嫌がっているのだろうな……それとあいつに愛称をつけるならゴンザレスの方がいいと私は思う」

 

 

回復の術を掛けて、幾らか痛みがひいた臀部をさすっている神竜を見ながらハノンが言う。

さりげなく愛称を悪化させようとしているが、気にはしない。

 

 

 

「それはそうと、本当に竜というのは凄いな。まさか人の姿のまま背に翼を出して飛べるとは思わなんだ」

 

 

イデアの背を見つめ、先ほどまでそこにあった翼を思い出しながら語る。

その言葉に篭もる感情は純粋な羨望。黒い瞳から向けられる視線に思わずイデアはドキッとした。

 

 

「一度でよいから、私も空を飛んでみたいものだ」

 

 

 

「じゃ、いつか俺が・・・…」

 

 

 

背中に乗せてあげますよと、続ける事は出来なかった。

 

 

 

竜の本能とも言うべき部分が全力で警告を鳴らす。

第六感が冴え渡り、自分達の危機を告げる。

 

 

イデアが姉を見た。

彼女もまたイデアと同じ類の物を感じ取ったらしく、青い顔をしていた。

 

 

「? どうしたんだ? ……!!」

 

 

ハノンが突如、顔色を変えた双子を心配し手を伸ばそうとするが、サカの民の優れた感覚を持つ彼女も

イドゥンとイデアが感じている感覚に近い物を感じ取り、反射的に弓と矢筒を手に取る。

 

 

 

 

――――ギギギギギギ、ガガガガガガガガアアアアアアア!!!!

 

 

 

何処からともなく聞こえる身の毛のよだつ恐ろしい叫び。それがゲルを揺らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼らは目指していた。もっと大量の餌が取れる場所を。

北だ。もっと北に行けば、暖かい大地に、多くの『餌』が生息している。

 

彼らは知っていた。最も美味しく、取れやすく、弱い餌を。

 

 

一体一体で掛かれば負けてしまうかも知れないが、

多数の群れで挑めば抵抗らしい抵抗も出来ずに喰われてしまう弱い弱い存在を知っていた。

 

 

今までその群れるという事そのものを飛竜たちはあまり得意ではなかったのだ。

 

 

餌やメスの取り合い。冬を越すための巣の確保などなど協調性がお世辞にも高いとは言えない飛竜達はある程度の大きさの群れを作ってしまうと

そこから群れを大きくすることは無くなってしまうのである。何故ならそれは競争相手を増やすのと同義であるから。

 

 

しかし、彼の群れは違った。彼という絶対の支配者の下で一つになった群れだ。

群れの飛竜は彼には逆らわない。本能で勝てない事を理解しているから。

 

 

彼に従えば外敵を恐れる心配もなく、尚且つ餌を取るのにも不自由はしない。

少なくとも足りない頭でも飛竜達はソレだけを知っていた。

 

 

そして彼は群れの飛竜達の期待通り、理想的な餌の存在を教えてくれた。

千頭近くまで膨れ上がったこの巨大な群れの飛竜達の腹を満たせる数がおり、味もよく、力も弱い餌の存在を。

 

 

 

 

――その理想的な餌の名前は『人間』という。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遠くから聞こえる飛竜達の咆哮が音の衝撃となって伝わり、大地を揺るがす。

置いてあった皿などはガタガタと震え、二本の倭刀も揺れる。

普段の双子ならばその揺れる刀や皿を見て、楽しむ余裕があるだろう。

 

しかし今の双子にはそんな余裕は欠片もなかった。

 

 

顔は青を超えて真っ白になってしまい、歯は噛み合わずガチガチと不快な音を鳴らし、

身を寄せ合い身体を小さく震わせている。

 

 

竜族の鋭敏な感覚をもって感じ取ってしまったのだ。

今、ここに向かってくる自分達に害を成す『敵』の存在を。

敵意でもなく悪意でもない。純粋すぎる獣の欲望が手に取るように分かってしまい怯えている。

 

 

 

「少し待っていろ。直ぐに戻るさ」

 

 

使い慣れた短弓を持ち矢を弦に番え、ハノンが足早にゲルの中から出て行く。

その様子をイドゥンとイデアはただ震えながら見ていることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゲルの入り口を潜り、おぞましい咆哮が伝わってくる方向を見る。

眼を凝らす必要は無かった。直ぐにこの嫌な予感の原因が判明した。

 

 

ハノンの遊牧民として優れた視力は遠く離れた『敵』を認識する。

 

 

雲、茶色の雲が遥か遠くにあった。そこから狂音は聞こえてくる。

ただし風ではなく翼で宙を飛び、大量の肉を貪る凶暴な意思をもった雲だ。

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 

ハノンが雲――数え切れない程の数を成した飛竜の群れを睨みつける。

 

 

ふつふつと自分の身体の奥底から嫌悪感と敵意が湧き上がって来るのが彼女には分かった。

 

 

 

どうやってこの状況を切り抜けるかに対しての答えを出すべく思考を巡らす。

 

 

 

 

逃げるか? 

 

 

無理だ。相手は翼を持ち、空を飛ぶ。馬で逃げても追いつかれるだろうし、そもそも荷物を纏めるための時間も無い。

それに一番近くの人が住んでいる箇所であるブルガル地方まで、馬を全力で走らせても数時間は掛かる。

 

 

隠れる? 何処に? 

 

 

このサカの大草原は隠れるための障害物などほとんど無い。

あの双子が隠れていた小さな林や、少し離れたところに川があるが望みは薄いだろう。

 

 

見逃してくれるのを期待する。 論外だ。

 

 

ハノンの直感は明らかにあの飛竜の群れがこちらを害そうとしていると言っていた。

彼女の狩人としての直感。今度は自分が狩られる側になるとは……。

 

 

 

 

戦う。 勝てる望みは薄い。いや、絶望的と言ってもいいだろう。

 

 

数が多すぎる。2~3頭程度ならば何とかなったかも知れないが、ぱっと見であの群れの数は

数百、下手をすれば千は居るだろう。正に数の暴力というやつだ。

 

 

 

状況は絶望的という言葉さえ生ぬるい程にまずい。遊戯版で言うところのチェック・メイト。

どうあっても生存は不可能だと万人は言うだろう。

 

 

「……父なる天と母なる大地よ、今この時ばかりは偉大なる貴方達に御恨み申しあげます……」

 

 

 

肩を落とし、もう一度雲を見る。そして彼女が信仰する天と大地に恨み言を言う。

死ぬのは嫌だが、この状況はどうあっても切り抜けるのは無理だ。

 

 

一旦眼を瞑り、心の中で精霊達に祈りを捧げる。

死を覚悟こそしないが、腹を据える。

 

 

 

時間にして数秒の祈りを終えて、瞳を開いたハノンの眼には少量の諦めの色と、決意があった。

 

 

 

彼女がやるべきだと心に誓ったこと。それはあの姉弟を逃がす事。

竜族とはいえ、まだまだ子供だ。

 

 

あんなに小さいのに命を散らせることなどない。

 

 

 

あの姉弟も空を飛ぶことが出来るだろう、それで逃げれば逃げ切れるかもしれない。

……否「しれない」ではなく確実に逃がすのだ。

 

 

その為に戦えるならば意味がある。

少なくとも草原の端で何も答えを見つけられないまま飛竜達に食われるよりはマシだ。

 

 

あの姉弟が自分を覚えていてくれれば、それでいい。

遠い未来にほんの僅かでもハノンという人物が居たことを思い出してくれる事を祈ろう。

 

 

サカの民は何よりも誇りを重んじるのだ。

誇りある死と、無意味な死のどちらかを選べといわれたら、迷わずに前者を選ぶ。

 

 

 

「同じ竜でも、こうも違うとはな……いや、それは真の竜族に失礼か」

 

 

 

改めてあの特徴的な眼をした姉弟を思う。

竜と名乗ってこそいたがその実、人と全く変わらない双子を。

矢を向けられ涙ぐみ、そしてまだゲルの中で怯えているのだろう。

 

 

そんな二人に指示を出すべく、彼女は急いでゲルの中に戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「飛竜の大群がこっちに向かってきている。お前達は急いで逃げろ」

 

 

 

飛び込むようにゲルの中に戻ってきたハノンの言葉にイデアはやっぱりなと思った。

あのけたたましい鳴き声は、かつてナーガと竜の姿になる練習の際に聞いた事があるからだ。

 

 

同時にあの時生で見た飛竜の姿を思い出す。

 

 

神竜などの真の竜族の姿に感じられる一種の完成された芸術性は一切無く、ただひたすら野生で生きることのみを追い詰めたような野蛮な姿。

聞いただけで寒気のする鳴き声。群れの仲間同士であろうと容赦なく食い合う凶暴性。

 

 

全てが自分達は違う生き物なのだと一目で理解できる。

 

 

 

そんなものの大群がこちらに向かっているとハノンは言ったのだ。

 

 

 

「ハノンさんは、どうする、の……?」

 

 

イデアの服の裾を掴みながらイドゥンが言う。彼女の震えは大分納まってきている。

今、この場で弟が頼れるのは自分、自分がしっかりしなければ、そんな強い考えが彼女の心を平常に保っていた。

 

 

「馬でかく乱してくる。少しは時間が稼げるだろうから、その間に飛んで逃げろ。飛ぶときは出来るだけ低空で飛ぶんだ」

 

 

 

「それって……」

 

 

 

「危なくなったらすぐに逃げるさ」

 

 

 

ごそごそとゲルの奥から皮の鎧を取り出してソレを着込み、恐らくはこのゲルの中で最も大きな矢筒にありったけの矢を詰め込むこみ

幾つかの傷薬を懐にしまうと、まるで散歩にでも行くような足取りでゲルから出て行く。

 

 

そんなハノンをイデアは何も言えずに見送った。

本当に何も、言葉を掛けられなかったのだ。

 

 

そも。あって少ししか経ってない自分が何を言えるというのか。彼女の事を何も知らないというのに。

 

 

 

「イデア」

 

 

姉の声が隣から聞こえ、イデアが顔だけをそちらに向ける。

イドゥンが言いずらそうな顔で真実を告げた。

 

 

 

「…精霊が教えてくれたんだけど……飛竜の数、凄いんだって……」

 

 

その言葉をイデアはどこか遠くで聞いているような感覚を覚えた。

 

 

……。

 

 

飛竜の群れ……想像もできない。

ただ、凄く恐ろしいものだという事だけは分かる。

 

 

 

「……どうしよ」

 

 

「イ、イデア?」

 

 

呆然と、感情の篭もらない声でそれだけを言うと立ち上がり、ゲルから出る。

姉がそれに続く。

 

 

南の方角を見た。

雲、全ての生き物を食いつぶす雲があった。何百の飛竜で構築された雲だ。

 

 

 

ここまであの耳障りな叫びは聞こえてくる。しかも複数の声がだ、

 

 

そんな悪夢そのものと言える光景を見て、イデアが踵を返そうとする。

そして見てしまった。そんな雲に馬一頭で向かっていく人物を。

 

 

雲が、飛竜の群れが、まるで一つの生き物の様に一斉に馬へ降下を始める。

 

 

「あっ!」

 

 

 

イデアが思わず声を上げてしまうが、馬の乗り手は予想していたのかソレを馬を操って草原を縦横無尽に駆け回りながら回避する。

そして馬から何度も小さな物体が飛んでいくと、ソレに当たった飛竜はもがきながら落ちていく。

 

 

落下する飛竜の怒りの声が聞こえてきた。イデアの心を掻き毟る声だ。

懐に手を突っ込み、そこにある竜石を意味もなく弄びながらイデアが考える。

 

 

 

あって一日も経たない。名前だってさっき知ったばかり。

何でそこまでしなきゃならないんだ、命が危ない。

逃げろって言ったんだ。見捨てたことにはならない。

逃げよう。

 

きっと姉さんだって賛成するさ。

逃げれるさ。竜化して飛べば飛竜ぐらいじゃ追いつけない。

ナーガはどうしたんだ。助けてよ。

怖い。怖い。怖い。あんなのと戦いたくない。

 

 

 

荒い息を吐きながらイデアが必死に考える。

 

 

 

「痛っ!」

 

 

が、その思考は突如竜石を弄くっていた手からの鋭い痛みによって切り刻まれる。

懐から抜き出した手にパックリと切り傷が出来ていた。まるで鋭利なもので切り裂かれたかの様な傷だ。

 

 

 

血がポタポタ滴るそれを見て、イデアが恐る恐る懐にもう一度手を差し入れ、恐らくはこの傷を作ったであろう物を探す。

 

すぐにそれは見つかった。竜石ではないソレを取り出し、見てみる。

 

 

「これって……私の鱗かな?」

 

 

イドゥンが取り出された物体をみて言う。

 

 

血が付着しながらも金色に眩しく輝くそれは鱗であった。

サカにくる途中、誤って剥ぎ取ってしまったイドゥンの鱗。

 

 

二人のこの人の姿が仮のものであり、本来は神竜であることを示す証拠。

 

 

 

鱗を黙って見ていたイデアが突如大きく溜め息を吐いて、そのまま何回か深呼吸をする。

身体をほぐす様に何度か背伸びをして、最後に自分の頬を思いっきり力任せにひっぱたく。

 

 

そして赤く腫らした頬のまま、どこか決まらない顔で。

 

 

「姉さん。俺はハノンさんを助けたいけど、姉さんはどうする?」

 

 

未だ震えの取れない身体でイデアは全く震えていない姉に言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マズイ。

ハノンは矢を弓に番えつつも馬を操るという人馬一体の技術で軽やかに飛竜の攻撃をかわしながら思った。

 

 

 

矢の本数は大体残り半分、矢を撃つ手の指の皮は赤くなり、切れて血が出てきている。

傷薬の残りは後3つといったところ。しかし塗る暇が無い。

 

 

馬も疲れてきており、相手もソレをわかっているのかどうかは知らないが距離を取り

最初の様に襲ってこようとはしない。まるで疲れさせようとしているかのようだ。

 

 

矢を放っても撃ち落せるのは一頭のみ、しかし相手の群れの数は減っているどころか、さっきよりも増えている気さえした。

それに何よりも気になるのはあの全身に青い刺青を施された様な異常な大きさを持つ飛竜。

 

 

 

巨大な漆黒の体表に青く発光する刺青、赤い翼幕といいまるでサカの童話に出てくる魔物のような飛竜だ。

血のような眼球がこちらを高みから見下ろしている様は見ていていい気がしない。

 

 

恐らくはあれがこの群れの長なのだろうとハノンは見当をつけていた。

一定の距離から絶対に近寄ってこないし、こちらを襲うでもなくただただ状況を静観し続けている。

 

 

矢で何度も射ったが、不思議な事に全ての矢は見えない力で逸らされているかの様に、狙いとは全く違う見当はずれの方向に

飛んで行ってしまい、当てることが出来ない。

 

 

しかもあの刺青の飛竜が一声あげるたびに、飛竜達が動きを揃えて攻撃をしたり、間のとり方を変えたりしている。

まるでハノンの弱点や死角を探しているかのように動く様は不気味さを感じ取れる。

 

 

 

――ギギギキ、゙ギギ、ギギギ!

 

 

 

刺青の巨大な飛竜がまた声をあげた。喉を潰された鳥のような掠れた声であった。

距離を取り、全方位を囲むように飛んでいた飛竜達が一斉に間合いを縮め、その強靭な足、そして足に生えた爪で引き裂こうと襲い掛かる。

 

 

 

「!」

 

 

手綱を握らずとも馬が乗り手の意思を感じ取り、右に左にギャロップを繰り返し巧みに降下攻撃を避け、馬の上に半立ちになった

ハノンが連続で矢を数発射り、数頭の飛竜を撃ち落す。残りは後――数百。

 

 

 

 

 

飛竜達の波状攻撃をかわし、矢を弦に番えようとした瞬間、指の傷が広がった。

皮が裂け、血があふれ出す。

 

 

「つぅ!」

 

 

思わず痛みでハノンが眼を瞑ってしまった。

 

 

 

その光景を他の飛竜よりも遥かに優れた視力で見て

それの意味を理解した飛竜が、黒い魔物がうごいた。

 

 

 

天空の黒い飛竜の眼が細められ、人で言うところの笑みを湛えた。

人のそれとは構造からして違う口を大きく開き、赤い舌をチロチロさせる。

 

 

そのままハノンに向け凄まじい速度で降下を開始。

 

 

そして喉の奥から湧き上がってくる『力』を形にして射出。

吐き出されたのは巨大な炎の塊。規模こそ小さいが、竜族の吐き出すソレと同じもの。

普通の飛竜では出来ない攻撃方法。

 

 

中級魔術の【エルファイアー】に匹敵、もしくは上回る威力の業火が立て続けに3発、撃ち出された。

 

 

恐ろしい速度で撃ち出されたソレは馬の前方に命中、草原の大地を抉り、炎と衝撃を撒き散らす。

 

 

ハノンと馬がその衝撃で空を飛んだ。

馬から弾き飛ばされ何回か草原を転がり、そのまま動かない。

 

 

勝利に酔いしれ、自らの力を誇る戦士のごとく刺青の飛竜が天高く咆哮する。

そしてゆっくりと馬とハノンに向けて降りていく。この獲物は自分の物だといわんばかりに。

 

 

他の飛竜は撃ち落された、息のあるなしに関わらずに群れの仲間だった飛竜達に喰らいつき、その肉を味わう。

 

 

 

ゾクリ。

 

 

 

何かとてつもなく嫌なものを感じとった刺青の飛竜がハノンと馬を一飲みにしようとしていた口を閉め

牙のスキマから唸り声を漏らす。

 

 

『グゥゥゥウゥゥゥ』

 

 

赤黒い翼幕を広げて羽ばたき、高度を上昇させる。

 

 

――ギイィイイィイイイイィイィイィ!!!

 

 

 

飛竜達が耳障りな声をあげ、それに続く。

彼らも本能で何かを感じとったのだろう。

 

 

 

 

 

瞬間、光が爆発した。

 

 

 

爆風も衝撃も伴わない、純粋な光の放射。地上に直接太陽を置いたがごとき光。

 

 

 

 

 

これによってほぼ全ての飛竜は視力を一時的に奪われ、無茶苦茶に飛び回り、

仲間同士で衝突などを繰り返し同士討ちを引き起こした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、出来た、出来たよ! イデア!!」

 

 

ゲルの近くにある林、飛竜の雲がよく見え、尚且つ自分達の姿も隠せる場所に双子はいた。

そして光の爆発で混乱している群れを見ながらイドゥンが歓喜の声をあげる。

 

 

 

双子の傍には群れの只中に突っ込み、刺青の飛竜のブレスで吹き飛ばされた筈のハノンとその愛馬が横たわっている。

 

 

ハノンは全身が傷だらけで、逆に傷がない場所を探すほうが難しい状態であり

身につけていた皮の鎧は黒く焦げ、今も煙をあげていた。

 

 

意識はないようだが、弱弱しくエーギルを感じる事が出来るため、まだ生きている。

馬も足をやられたようだが意識はあるようで全身を震わせ荒い息を吐いていた。

 

 

 

「…………はぁ、良かったぁ……」

 

 

一人と一頭の生存を確認したイデアが溜め息を吐いた。

 

成功するかどうかは微妙だったけど、成功してよかった。

 

 

 

そう。あの光の爆発はイドゥンが起こしたのだ。

とある術を再現しようとしたら発生した計算外の出来事であったが、あの群れの混乱ぶりを見ると

嬉しい誤算といえよう。

 

 

 

イドゥンが使用した術は転移の術の真似ごと。サカの精霊のアドバイスの元実行された。

自分を遠く離れた場所に転移させる転移の術に近い術で、逆に遠く離れた場所にあるものを自分の近くに

転移させる術を『真似』たのだ。

 

 

 

 

絶大なエーギルを使った力技で“場”を捻じ曲げ、空間を超越させ、ハノンと馬が倒れていた

“場”と今自分達がいる“場”を無理やりつなげて、彼女達を引き寄せたのである。

あの光は“場”を無理やり捻じ曲げた力の一部が引き起こしたものだ。

 

 

 

本来の手順ではない強引極まりない力技であるため、エーギルの消費もとてつもない事になるのだが

純粋、純血の神竜であるイドゥンは全くといっていいほど疲れた様子を見せてはいなかった。

 

 

まだまだ成体には程遠いとはいえ、神竜であるイドゥンの力がたかだか“場”を捻じ曲げた程度で尽きるはずがない。

 

 

 

イドゥンが手に持っていた【ライヴ】の杖にありったけの魔力を注ぎ込んで回復の術を発動させる。

全身につけられていた傷が見る見る塞がっていく。

 

 

同じように馬にも術を掛けてやると折れていたらしい足も元通りになり、馬は静かな呼吸で眠りについた。

 

 

 

「さて……」

 

 

 

二人の無事を見届けたイデアが覚悟を決めた顔で竜石を取り出す。

 

 

彼の胸中にあるのは覚悟と自分の不幸に対する嘆き。

 

 

まさか始めての遠出でこんな眼に会うとは思わなかった。

普通に遊んで、普通に帰ることを想像していたのに、この仕打ちは酷い。

 

 

自分に幸運値というものがあるとしたら、確実に一桁台であろう。

 

 

正直な話、まだやりたくないと思っている。

しかし、やるしかない。

 

 

やらないで、後悔するよりは少なくとも何倍もマシだ。

 

 

 

 

「ハノンさん達のこと、頼むね」

 

 

 

今のところ回復の術を使えるのは彼女だけなので、ここを離れる訳にはいかない。

 

 

 

「うん、気をつけてね。危なくなったら直ぐに逃げてよね? 絶対だよ? 約束だよ?」

 

 

「分かってるって」

 

 

 

それだけを言うとイデアが背に四枚の翼を出現させ、群れともゲルとも違う方向に向けて飛び立つ。

見送ると同時にイドゥンがありったけのエーギルで繭を作り、その中に閉じこもった。

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらく行った所でイデアが竜石の力を完全に解放。

姉であるイドゥンと全く同じ大きさ、同じ姿、同じ力、同じオーラを持った竜に戻る。

 

 

 

蒼と紅の瞳に確かな理性と知性、そして覚悟を浮かばせて大きくそのアギトを開く。

四本の足で地に身体をしっかりと狙いを外さない様に固定する。

 

 

標的は、飛竜の群れだ。今からそれに全力でブレスを叩き込む。

あの中に飛び込んで暴れる勇気はイデアにはない。

 

 

 

背の四つの翼が名だたる名剣の様に鋭く変形し、ジジジと雷を帯びて周囲の空気を激しく震わせ、震撼させる。

同時に喉の奥底から湧き上がってきた莫大な力を口内に収束、爆縮し破壊の力へと変換。

 

 

 

 

視力を何とか回復させた飛竜の群れが散開しつつも黄金の竜――イデアに向けて敵意を剥き出しに襲い掛かる。

精神を直接擦られる不愉快な声をあげ、突っ込んでくる無数の飛竜の群れをイデアは静かに見つめ、そして瞳を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

刹那。サカを黄金の光が満たした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

音も無く放たれた神竜の吐息は回避しきれなかった飛竜達を黄金の濁流に飲み込み

群れの半数を完全に蒸発させ、エレブから完全に消し去った。

 

 

 

巻き込まれた飛竜達は痛みを感じる瞬間もなかっただろう。一瞬で消し飛んだのだ。

 

 

 

イデアの口から放射状に広がり、範囲内の物体全てを消し去り飛んでいったブレスは最後に

天空の雲々を吹き飛ばすとそのまま彼方に飛んでいってしまった。後に残るのは雲ひとつ無い快晴な空。

 

 

 

 

 

イデアが、瞳を開けて成果を見る。

 

 

 

天を埋めるほど居た飛竜の群れがその数を大きく削られていた。

千に迫るほど居た群れが、今や半分ほどにまで減っている。

 

 

 

他の飛竜は死体も残ってはいない。

 

 

 

 

(これで逃げてくれればいいんだけど……)

 

 

 

かつてナーガが威嚇として【ライトニング】を撃って追い払った事を思い出す。

あの時のように逃げてくれればいいのだが……。

 

 

 

 

全力でブレスを吐いた事の弊害で喉に焼け付くような痛みを感じながらイデアが考える。

 

 

 

 

ふと、少しだけ、さっきよりも視界が暗くなった様な気がした。

 

 

(!?)

 

 

直感的に視線を真上に向ける。

 

 

 

火球。

イデアが認識できたのはそれだけだった。

 

 

神竜のエーギルが、【力】そのものがイデアの意識とは関係なく金色の結界を展開し火球を防ぐ壁を創造。

 

 

 

 

直後、火球が砕け、轟音と共に爆風を轟かせた。

 

 

 

 

――オオオオォオオオオオオ!!!!

 

 

 

 

突如の爆発と眩い光によって今度は自分が視力を一時的に失い、混乱に陥ったイデアが巨体を無茶苦茶に振り回す。

 

そんな暴風に向け、一つの大質量の影が直上から猛烈な速度で迫っていた。

 

 

 

全身に刺青を入れた巨大な飛竜――飛竜の枠組みからも外れた飛竜達の王だ。

 

 

 

赤黒い翼幕は破れ、頭部の角は数本が折れ、全身の鱗に皹を入れて至る所から血を流している彼であったが

その眼に浮かぶ生命力は欠片も薄れてはいなかった。

 

 

 

いや、むしろ先ほどよりもその禍々しさは増大している。

喉が破れ、そこから炎が吹き出ているにも関わらず平然と何度もブレスをイデアに向け乱射。

 

 

一回ごとに喉が裂け、血と炎が彼の身体から飛び散るが全く気にも留めない。

 

 

 

全身に刻まれた【デルフィの紋章】がさきほどよりも不気味に強く輝き、彼の全身を治癒する。

イデアのブレスに耐え切った彼は次は自分の番だと言わんばかりに何度も何度もブレスを金色の壁に撃ち込む。

 

 

 

既に高位魔術と同レベルと言える威力の火球を口から吐き出し続け、少しづつだが、確実にイデアの前の壁を削っていく。

 

 

二十発程度を撃ち込んだ辺りで金色の壁がガラス細工が砕けた音と共に砕け、イデアを守る物が無くなった。

 

 

 

全身の体重を掛けて、自分よりも巨大な体躯を持つイデアの“頭”に体当たり。

ズズン、と、重い音と共に混乱していたイデアが気を失い、その場に倒れ伏す。

 

 

 

彼の口が不気味に歪んだ。人が浮かべる笑みのごとく。

 

 

 

 

自らよりも巨大な『獲物』を喰おうと口を開いた瞬間。

 

 

 

彼の本能が、理性が、直感が、全てが濃厚な、どこまでも純粋な『死』を感じた。

 

 

 

『!!??』

 

 

いつの間にか、彼の眼の前に一人の男が立っていた。

白いローブにマント。白い長髪に紅と蒼の眼をした男だ。

 

 

それが無表情に彼を見ている。

 

 

 

否。

 

 

 

顔こそ人形のごとく何も表情を浮かべてはいないが、その色違いの眼には隠し切れない純粋な……。

 

 

 

彼は見た。錯覚や幻覚の類でもなく、確かに『見た』のだ。

 

 

 

男の後ろに、世界を背負うほどの巨大な金色の竜が座し、その力で自分を飲み込もうとしているのを。

 

 

 

『― ⊥ Б Ξ Χ Ψ Й ∽ П £ ―』

 

 

 

男が口を開き、人には意味を知ることはおろか、聞き取ることさえも不可能に近い言語で何かを唱える。

彼の巨体が軽々と不可視の力によって持ち上がり、上空で待機していた群れの中に放り込まれた。

 

 

『力』から抜け出そうともがくが、翼を動かすことさえ不可能。

 

 

同時に、世界がズレた。

 

 

飛竜達をすっぽりと覆うように、サカの一部が切り取られ、エレブから独立する。

世界を切り取り、新たに小さな閉鎖世界を創造した力の色は『金』

 

 

 

群れの全てがもう仲間意識など関係なく少しでも早く、遠く、男から逃げようと飛び散るが直ぐに元の場所に戻ってしまう。

まるで円の上を走り回っているように、閉ざされた空間を飛び交い、群れの飛竜同士で衝突し、自滅を繰り返す。

 

 

 

『― £ Й Ψ П ξ Χ σ £ ―』

 

 

 

謳うように、流れる様に男が古い竜族の言語で詠唱を続けそして――。

 

 

 

『― Ω Ψ Й ―』

 

 

 

 

極大魔術を発動させた。

 

 

 

彼の金色のエーギルが翡翠色に変わり、男に最上級の『風』の加護を与える。

今の彼は全ての『風』を支配できるだろう。

 

 

 

だが、これはこの術を使う事による副産物でしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                              

 

 

 

                                   【フォルセティ】

 

 

 

 

 

 

 

 

発動されるは竜族の魔法。その中でも最も凶悪で強大な力を持った物の一つ。

竜族が編み出し、かつての始祖竜と神竜の戦争で行使された極大魔術。

 

 

山々を切り刻み、海を断ち切り、島を消し去った術の一つだ。

世界の根源たる『秩序』を破壊した戦争の際に使用された術が今、発動する。

 

 

男が飛竜達を閉じ込めたのは、この術でサカの大地を抉りたくなかったからだろう。

故に檻に飛竜を封じ込め、その中に放つ。

 

 

 

 

 

全ては一瞬で完全に終わっていた。

 

 

 

 

飛竜達が痛みを感じる事はなかった。

何故なら発動された術は隔離された世界ごと、その魔風によって全てを消し去ったからだ。

 

 

 

 

後には塵一つ残さず、ただ、平和な青空が広がるだけ。

ついさっき、この空を飛竜が埋め尽くしていたなんて嘘の様な爽やかな空。

 

 

 

 

そんな空を、鳥が一匹、自由に飛んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イデアが眼を開け、一番最初に見たのは真っ赤な顔をした姉の顔であった。

泣いていたのだろうか、目元は真っ赤で鼻水も少しだけ出ている。

 

 

 

「姉さん?」

 

 

どうしたの? と続けて起き上がる。

痛みこそ感じないが、頭が少しだけぼぉっとした。

 

 

 

「イ、イ、イ、……イデアぁあ!! やっぱり私が行くべきだったよぉ!! ごめんなさい!!」

 

 

わーわーと人目も気にせずに大声で泣き出す。何度も何度も謝罪の言葉を述べる。

顔がぐしゃぐしゃになり、折角の美人が台無しだとイデアは思った。

 

 

 

辺りを見渡す。

 

 

見覚えのある調度品に布に骨組みを入れた天井。

 

壁に掛かった二本の倭刀……。

 

 

 

恐らくはここはゲルの中だろう。

 

 

 

「あぁ……生きてたんだ」

 

 

 

頷きながら何処か他人事の様にイデアがそう呟いた。あれだけ怖がっていたのに。

そんな彼に姉が全力で抱きつき、もう一度イデアの意識を一時的に闇に叩き落した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当に世話になった この恩は感謝してもしきれない」

 

 

 

ゲルの前で傷が一つもなくなったハノンが頭を深々と下げて

眼の前のイドゥンとイデア、そして男―― ナーガに言った。

 

 

 

日はもう沈み掛かっており、太陽が地平線の彼方より半身だけを出して辺りを照らしている。

 

 

 

ナーガが双子より一歩さがる。

 

 

 

「……」

 

 

「……」

 

 

 

イドゥンとイデアがバツの悪そうな顔で視線をあちらこちらに飛ばす。

 

 

結果的に全員助かったにせよ、自分達はハノンの言葉を破ったのだ。

それは彼女の心遣いを踏みにじった事になるのではないか?

 

 

そんな考えが双子の中で暗い尾を引いていた。

 

しかし、そんな悩みはあっという間に息を潜めてしまう。

 

 

 

「ありがとう。父なる天と母なる大地に誓って、この恩は必ず返す。絶対にだ」

 

 

確かに彼女は死を半ば覚悟していたが、助かることを決して完全に諦めていた訳ではなかったのだ。

 

 

それに、もしも双子が今日ここに来て、

自分と出会わなければ自分は生きてはなくただの無駄死にで人生を終わらせていただろうと

ハノンは思っていた。

 

 

 

要は、終わりよければ全て良しの精神だ。

 

 

 

そうしてハノンは本当に綺麗な顔で笑った。そして最後にもう一度。

 

 

 

 

「ありがとう。イドゥン、イデア」

 

 

 

その顔を、イデアは忘れられないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

殿の自室に転移の術で戻って来た神竜の双子であったが

イドゥンは疲れていたのか早々とベッドに潜り込んで眠ってしまった。

 

 

無理もない。精神的にも肉体的にも、疲れて当然だ。

 

 

結局、ナーガは何も言わずに二人を寝室に置いていくと同時に何処かへ行ってしまった。

それが逆に怖い。怒られる事も覚悟していたイデアにとってはナーガの沈黙は何よりの恐怖であった。

 

 

一人残されたイデアが椅子に座って今日の出来事を振り返る。既に陽は完全に沈み、殿の外は暗闇だ。

眼の前で暖炉の火がパチパチと燃えているのを眺めながら今日の出来事を整理する。

 

 

 

 

サカ草原にハノンさんにあの飛竜の群れ……。

 

 

一つ一つを鮮明に思い出す。

ぶるっと身震いをした。かなり危険な状況だった事を思い出し、今更ながらに恐怖を感じる。

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 

 

溜め息を吐き、立ち上がって自分もベッドに潜り込もうとした時、ドアがノックされた。

 

 

 

「あぁ……そういえば」

 

 

今夜の夕飯はまだだったと思い出す。同時に腹が空いている事も。

 

 

「どうぞ」

 

 

手短にそれだけを告げると、扉が開いて思った通りナーガが入ってくる。

彼の傍には皿やバスケットが浮いており、いい匂いが漂ってくる。

 

 

 

「食事だ。取るか?」

 

 

ナーガの言葉にイデアは首を縦に振った。

 

 

イドゥンは起こしても起きなかったため、イデア一人で食事を取ることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、ナーガ・・・・・・」

 

 

食事を食べ終わり、ナーガが皿や盆を持っていこうとする際にイデアが彼に話しかける。

ナーガが動きを止め、イデアをその眼で見やる。

 

 

 

「何だ?」

 

 

いつも通りの声が今はイデアを何故か安心させると同時に恐怖させる。

 

 

 

「俺、逃げようとしたした……」

 

 

「……」

 

 

ポツリポツリと降出した雨のごとくイデアが語る。

その声は今にも消えてしまいそうな程に弱い。

 

 

 

「怖くて、逃げようとしたんだよ……ナーガは、怒らない?」

 

 

イデアの父が手を伸ばす。

一瞬だけイデアが眼を瞑り、固まるが――。

 

 

 

「……?」

 

 

叩かれることもなく、その手がイデアの頭の上に乗り、優しく撫でる。

サラサラと髪の毛を摩り、とても気持ちいい。

 

 

 

――大きい手だ……。

 

 

 

そんな事を考えてしまう程に心地よい時間。

 

 

 

「遅れてすまない。本来ならば直ぐにでも駆けつけるべきだった」

 

 

 

ナーガが遅れた理由にヴァロールの【門】から以前葬った者よりも強力な魔物が現れ、それに対処するために遅れたというものがあるが

双子はそれを知る由もないし、ナーガもそれを言い訳にするつもりはなかった。

 

 

 

ただ、自分の子供の危機に遅れた事を謝罪する。それだけだ。

 

 

 

恐怖を思い出したイデアが堪えきれずに怖かったとナーガに泣きながら抱きついても彼はイデアを撫で続けていた。

そのまま息子が眠るまでナーガはイデアを撫でていた。

 

 

 

 

 


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