とある竜のお話 改正版 FE オリ主転生 独自解釈 独自設定あり   作:マスク@ハーメルン

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ここら辺から徐々に一話当たりが長くなって、更新が遅くなったんですよね。


とある竜のお話 第七章 1

 

「殿」に存在する神竜王ナーガが執務を執り行う執務室。今、その部屋にはこの部屋の主であるナーガ以外にもう一人の人物が居た。

玉座に堂々と腰掛ける彼の前に一人の女性が膝をついている。

 

自らの主の前に跪いているのは紅い髪に、紅い眼、そして纏う雰囲気まで“紅い”女性――ナーガの腹心の部下の一人である純血の火竜アンナである。

 

 

二人がまとう空気は何処までも重く、そして冷たい。そしてその表情は一切の感情を排除した完全な無表情。

イドゥンやイデアが見たら震え上がるであろう表情だ。少なくとも何も知らない子供に見せて良い類の表情ではない。

そして両者がその身に纏う空気は何処までも冷たく、殺伐としたものだ。

 

 

この事からこの二人は浮ついた話や、雑談をなどをしている訳ではないのは判る。

いや、アンナはともかくナーガに至っては既に性欲があるのかどうかさえ怪しいものだが。

 

 

「報告しろ」

 

 

王座に腰掛け、片肘をついたナーガが気だるげな、ありとあらゆる感情が完全に抜け落ちたいつもの声で彼女に命令した案件の報告を求める。

アンナが膝をついたまま一回小さく頷き、主の求める答えを流暢に、しかし一切の感情が篭もらない凍てつく声で告げる。

 

 

「ご指示の通り“知識の溜り場”の各所への転位陣の配置の構想図の企画、及び探索避けのためのダミー456箇所のエレブ各所への設置

 そして【里】の座標設定、その全てを完遂させました」

 

 

 

アンナがその手に持った上質な紙の束をナーガに向けて差し出す。紙束は彼女の手を離れ、ナーガの元にフワフワと飛んでいった。

自らの元に引き寄せた紙束をナーガがその手に取って広げ、竜族の言語でびっしりと刻まれた文章の列を素早く黙読していく。

 

 

ものの十秒ほどで数枚の紙に書かれていた文を読みきり、内容の全てを記憶した彼がソレを灰も残さずに焼き払う。

そしてもう一度アンナに眼を視線を向け、口を開いた。

 

 

 

「……エイナールにこれを渡しておけ」

 

 

エイナール……親友の名前にピクリと一瞬だけではあるがアンナが反応を示した。

ガタリと、ナーガの執務机の引き出しの一つが開かれて中から一枚の紙が浮かび上がってくる。

ナーガがそれを手に取り、手早くサインをした。そしてソレをアンナの元に飛ばす。

 

 

「仰せの通りに」

 

 

フワフワと飛んできたソレをアンナが仰々しく受け取り、眼を通さずに直ぐに懐にしまう。

 

 

「……気になるか?」

 

 

ナーガが彼には珍しく少しだけ感情が篭もった声でアンナに問う。少しだけ凍りつめていた部屋の空気がゆるくなった。

 

 

 

珍しい……アンナはそう思った。

 

 

彼女の知る自分の主、ナーガは彼女が知る限り感情という物を極限まで外に出さない男であり、ましてや無駄な問い掛けなどほとんど行わない竜なのだ。

それに行ったとしてソレらの言葉はほとんどが牽制や、威圧、腹の探りあいの際に発する駆け引きの一手である。

 

 

 

それに本当に欲しい情報などは有無を言わさず魔導の力で吐かせるという場合もある。

 

 

 

茶を濁すか、素直に答えるか、一瞬だけアンナは思考を巡らせたが此処は下手に隠し立てしな方がいいだろうと思い、正直に答えた。

エイナールとアンナ、火と氷という対極の属性を司る彼女達の仲が大変良いのはナーガも知っているのだから。

 

 

 

「はい」

 

 

「ヴァロール島に用意した緊急時の避難所への地図と、其処に幾重にも張っている加護及び隠蔽結界の通行書だ。……奴は少々有名すぎる」

 

 

有名になり、名が知れ渡るという事はそれだけ多くの人間から思われるという事だ。好意にせよ悪意にせよ。

どうしてもナーガはその部分が気にかかった。だから【里】とは別にもう一つの避難所を彼女に用意したのだ。

昔の様にエイナールが独り身ならば身動きも軽いのだろうが、家族が出来た彼女は昔の様には動けない。

 

 

簡単に言ってしまえば、神竜王ナーガは配下の氷竜エイナールを心配していて、万が一の時のための避難場所を用意した。

それだけだ。

 

 

「渡し方はお前に任せる」

 

 

それだけ言うとナーガは手元の書類の山に意識を移し、黙々と仕事に取り掛かった。無言でアンナに退室を促す。

アンナは小さく主に礼をすると、そのまま下がった。

 

 

「……………」

 

 

アンナが退室した後もナーガは黙々と執務を続ける。その脇に置かれた報告書の一枚には竜族の文字でこう書かれていた。

 

 

 

 

―――ベルン北東部で飛竜が異常繁殖。そして凶暴化した飛竜達の一団が餌を求めて大規模な移動をしている。

 

他にはエーギル操作技術で成長と味を変化させた香辛料や食物の生産量の報告書などが机の上にはどっさりと乗っていた。

 

 

 

 

何を思ったか一旦手を止め、それらをナーガは無感動に眺める。腰の【覇者の剣】の柄を軽く撫でて、そして机の引き出しの一つをあける。

そこに安置してあるのは一冊の古びた本。姉弟が文字の練習に使った物だ。

 

 

本の表面を撫でるよう触れた後、机の引き出しを閉めてナーガは再び執務に黙々と取り掛かった。

彼はこれが終わればイドゥン、イデアに昼食を持っていくという大切な仕事があるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ~~極楽だなぁ~~」

 

神竜姉弟の部屋。椅子に腰掛けたイデアは蕩けた顔で思わずそう漏らさざるを得なかった。

彼の後ろでは二本の杖がフワフワと浮かび、淡い光をイデアに浴びせている。

 

 

二本の杖の名称はそれぞれ【ライヴ】と【レスト】

【ライヴ】は身体の外傷を治し【レスト】は病気や毒などを身体の中を直す術の発動媒介だ。

 

 

そしてこの二つの術は体力を回復させる効果もある。

それらを同時に浴びれば今のイデアと同じ状態になってもおかしくない。

 

 

 

「どう私の術は? 上手く出来てるかな?」

 

 

彼の向かい側に腰掛けたイドゥンが何処か心配そうに弟に聞く。

指をモジモジさせ、何処か不安げだ。

これは彼女の術の練習の一つで、ちゃんと回復の術が発動しているかどうかの確認でもあるのだ。

 

 

炎を生み出し操る、光を矢に変える、影を支配し命を飲み込む、これらの術ならば発動していると直ぐに判るが回復系統の術は

誰かにかけて意見を聞かなければ発動していると判りづらいからだ。

 

 

「だいじょーぶだよぉ……。ちゃんと発動しているさー」

 

 

イデアが恍惚とした表情で杯に手を伸ばして、中に満たされたチョコレートに口をつける。

カカオの豆から生成され、人間では一部の貴族や権力者しか口にすることの出来ないソレを贅沢にも飲み込んでいく。

余談ではあるが、カカオ豆の加工方法と類似品の「コーヒー」の生産方法をエレブの人々に教えたのは百年程前の竜族だそうな。

 

 

教えた竜族の者は今もどこかでチョコを美味しく飲んでいることだろう。

 

 

 

ソレを見たイドゥンが満足そうに笑った。ちゃんと術が発動して何よりだ。

それに此処まで気を抜いたイデアを見るのも珍しいし、見ていて和む。

 

 

彼女が知る限り、イデアがこんな表情を浮かべるのはエイナールに撫でられた時と、好物であろう魚や白米、あの味噌汁とやらを味わっている時ぐらいだろう。

他には自分をからかってる時も恍惚とは言いがたいが、楽しそうな笑みを浮かべている。

 

 

一度、イデアがふざけて眠る前に怖い話をイドゥンに聞かせてあげた時は、一晩中イドゥンが眠れなくなったという事もあったのも今となってはいい思い出だ。

特に大きな鋏を持って、金属音を高らかに鳴り響かせながら何処までも追いかけてくる男の話は情けない事に悪夢で再現され飛び起きた程である。

 

 

イドゥンがずずーっと杯の中に満たされた黒い液体、チョコとやらを飲む。甘い。しかし彼女はこれよりもリンゴの甘さの方が好きだ。次点で果物のナシとブドウだ。

 

 

これは何と言うか……甘すぎる。こういう加工された甘さよりも自然な甘さの方が美味しいと思う。

 

 

「……はぁ、ごちそうさまでした」

 

 

空っぽになった杯をテーブルの上に置いて、真っ赤な顔をしたイデアがポンッと手を合わせ唱える。

彼の食料に対する敬意の表し方だ。

 

 

杯をテーブルの端に力を使って「掴んで」動かすと、自分の横に置いてあった一冊の分厚い本を手にとってそれをテーブルの上に乗せて広げる。

 

 

「何読んでるのー?」

 

 

チョコを飲み終えたイドゥンが椅子から降りて、弟の横に歩いていく。

そして何気ない動作で二本の杖に向かって指を軽く振る。

 

【ライヴ】と【レスト】の杖から発せられていた光が消え、二つの杖が彼女の手に吸い寄せられるように飛んでいく。

それらに杖という物の本来の役割道理に体重を預けながらイドゥンは弟が取り出したまだ自分は読んだことのない書物について問う。

 

 

イデアが不満げな眼で二本の杖を見るが、直ぐに表情を元に戻した。

 

 

「これは竜族とか、ペガサスとかについてまとめられてる図鑑みたいな本だよ。ナーガが新しく持ってきた本の中にあったんだ」

 

 

もうずっと前から月に一回程度の周期でナーガは双子の部屋に様々なジャンルの本を持ってくる。

地理に歴史に魔術に初心者向けの魔導書にただの御伽噺に童話、生き方についての考え方、兵法、ありとあらゆるジャンルの本をだ。

 

 

ナーガ本人が直接双子に授業をする回数そのものはかなり前からがくっと減ったが、その代わりと言わんばかりに大量の本を持ってくるのだ。

読み終えた本はちゃんと指定された場所に置いておけばナーガが回収して図書館に戻しておいてくれる。

 

 

基礎的な事は全て教えた後、自力で発展させるのがナーガのやり方なのだろうとイデアは思っている。

最も、イデアは娯楽の一部として本を読んでいるので魔導と御伽噺、それ以外の興味の湧いた本しかイデアは読んでいなかったりする。

さすがに一冊一冊がとてつもなく分厚く、文字もびっしりと刻まれた本を何冊も読めるほどイデアの気力は多くないのだ。

 

 

……余談ではあるが、イドゥンは何気に全ての本を読破し、その内容まで大まかではあるが暗記していたりする。

少しでも多くの知識を取り込みたいという彼女のイデアよりも強い純粋にして根源的な欲求がソレを可能にしているのだろう。

 

 

 

そんな彼女でもまだ読んだことの無い新しい本を弟のイデアが読んでいる。気に掛かる理由としては十分だろう。

 

 

 

「私達について纏めたもの?」

 

 

「一緒に読んでみる?」

 

 

「うん」

 

 

判ったと、イデアは小さく頷くと身体を横に寄せてイドゥンが座れるスペースを作る。

が、彼女のとった行動はイデアの予想しえないものだった。

 

 

「ちょっとごめんね」

 

 

「え?」

 

 

フワリとイデアが座った体勢のまま少しだけ浮かびあがった。

よく眼を凝らせばイデアの下に金色の光が纏わりついており、それが彼を持ち上げていると判るだろう。

 

 

 

スカートの裾を少し持ち上げたイドゥンが浮かんでいるイデアの丁度真下にあぐらに近い形で座る。次にゆっくりとイデアを自分の足の上に降ろす。

更にイデアの肩に頭を乗せ視界を確保。最後にイデアの脇の下から手を通す。これで完成だ。

 

 

第三者から見れば今のイデアはイドゥンに後ろから抱きとめられたような格好になっていた。

 

 

「ね、姉さーん? コレは、一体、どういうことー?」

 

 

顔を先ほどとは違う理由で真っ赤に火照らせたイデアが真横にある姉の顔に向けて何処か力ない声で言う。

 

 

神竜の力と竜殿の効力で成長を限界まで促進されたイドゥンの人間形態時の肉体年齢は13~4と言ったところだ。

当然人間と同じ様にイドゥンもそれなりに女性として肉体が変化し始めているのだ。胸は大きくなるし、身体は細いながらも女性としての柔らかさを備え始める。

 

 

声もかつての美しさに磨きをかけ、どこかに艶さえ含んだ物になるし、纏っている気配そのものも神竜の神聖さと女としての妖艶さを備え始める時期。

そんな女性に後ろから抱きとめられているのだ。後ろからという事は当然ながら膨らみ始めた胸などもイデアの背にあたるという事だ。

 

弟の抗議とも言えない言葉にイドゥンはさも当然の様に、それが当たり前だと言わんばかりに答える。

ついでに更に胸部がイデアの背に密着し少しだけ形を変える。イデアの顔面が更に真っ赤になった。今なら神竜なのに火竜のブレスが出せそうだ。

 

 

「こっちの方がいい」

 

 

「ぁ………そう……」

 

 

火照った顔のまま本を浮かばせ、姉も中が読める位置まで持ち上げる。そしてそのまま手を使わずページをめくる。

最初のページには太陽を連想させる光放つ球体を背負い、世界をその手で握っている巨大な竜――神竜が神々しく描かれていた。

 

 

「これはお父さんなのかな?」

 

 

「かもね」

 

 

 

イドゥンの声に相槌を打ちながらイデアが本に描かれた神竜の絵をじぃっと眺める。

 

ナーガが竜に戻った時のあの巨大さ、力強さ、そして神々しさをイデアは未だについ先日の出来事の様に思い浮かべる事が出来た。

あの山よりも遥かに巨大な体躯、全身から噴出す圧倒的なエーギルとオーラ、王冠の様な角、魔導を少しかじった今なら判るあの正に神がかった超大な力。

魂が弾け飛びそうな程のあの威圧感。全てにおいて次元違いだ。

 

 

あの存在が本気を出せば一晩でエレブを完全に消し去る事が可能なのではないかとイデアは思っている。

ナーガのブレスでエレブ大陸が粉々に砕ける場面をイデアははっきりと想像できた。

 

 

 

 

…・・・例え自分を害する気がなくてもこんな化け物が隣に居たら、怖くて怖くてたまらない。そんな考えが一瞬だけ彼の頭をよぎった。

 

 

 

 

次のページには神竜についての説明文が書かれていた。

そこに記されていた内容は神竜本人(竜)をして正直誇張されすぎではないかと思えるほどの物だ。

 

 

要約してしまうと、神竜はほとんどの事が出来る。これの一言に尽きる。

最も多少の誇張は入っているだろう、時間が経つと尾ひれ背びれなどが付くのは噂と大して変わらない。

 

 

 

「私達ってこんな事できるんだー」

 

 

 

チラリとイデアが肩に頭を乗せてゴロゴロ言っている姉に眼を向ける。

眼があった彼女が楽しげに弟に無邪気に笑いかけた。この顔をみる限り、竜と言うよりも子猫などの小動物と言った方が近いだろう。

 

 

「次のページお願い~」

 

 

「はいはい」

 

 

脇の下から通した腕をブラブラさせながら頼んでくるイドゥンに疲れた声でイデアが応じる。

本がペラリと捲れた。

 

 

次に描かれていたのは神竜と何処か似ているが、決定的に何かが違う巨大な竜。これも世界の上に雄雄しく立っている。

そしてその竜の背後と足元には数え切れない程の無数の火竜と思わしき小さな竜たちがおり、王を守る騎士の様に絵の外側に居るのであろう敵対者に明確な殺意をぶつけていた。

まるで竜の大軍団だ。

 

 

「これは何だろう? 何て名前の竜なのかな?」

 

 

「ちょっと待ってて…」

 

 

ページを捲り、この竜の説明が書かれている場所を出す。そこにはこう書かれていた。

 

 

 

【魔竜】

 

 

かつての始祖竜と神竜の戦争の際、始祖竜達は深遠の闇の力を用いて数え切れないほどの異形を生み出し、それらを操り己が兵にした。

それに対抗するため神竜族の一部の者は神竜の王の令と自らの意思で改造を施し魔竜となり、新たな力を獲得して始祖竜とその眷属である異形達と戦った。

 

 

【魔】竜と呼ばれこそされど、この竜の本質は神竜である。魔竜が居なければ神竜族の勝利はなかったのかも知れない。

しかし魔竜は全てが戦で始祖竜と相打ちになり、戦死してしまったため今では記述のみが残る。

 

 

色々と大仰で遠まわしな文体であったが、要約してしまうとこうなる。

 

 

 

「……お父さん、なのかな? 指示した王様って」

 

 

「どうだろう?」

 

 

ナーガの持っていた剣――【覇者の剣】を思い出す。確かアレは始祖竜そのものだとか言っていたはず。

同時にあの翡翠色の美しい剣が持っていた禍々しさも記憶の奥底から蘇る。アレを滅ぼすために戦うのに魔竜が必要だったのだろう。

自分の意思でなったとも書いてあるので、戦死したとしても魔竜となった神竜は本望だったのだろう。

 

 

……最も、どんなに考えたとしても自分は当事者ではないので魔竜となった者の気持ちなど判るはずもない。

すると陰鬱な雰囲気を壊すようにイドゥンが声をあげた。

 

 

「次、いってみよー!」

 

 

「へいへい」

 

 

気のない返事と共に本に力を送り、ページを捲る。イドゥンが頭を肩の上に乗せてじっくりと食い入るように本を読み始める。

どうやら馬について書かれたページらしく、生息地や生態などが書かれている。何故いきなり馬? とイデアは思ったが口には出さずに胸の内で消化した。

きっと執筆者にしか判らない何かがあるのだろう。そしてイドゥンはその馬の描かれている絵、正確には背景の草原をじっとその瞳に映している。

 

 

ずいぶん熱心に読むなと思いながら、何気なく動けないイデアが眼を下に向ける。両膝を椅子につけ、あぐらの形で座っている姉の素足が見えた。

 

 

 

 

ムクムクと悪戯心が鎌首をもたげてくる。チラリとイデアが隣のイドゥンの顔を盗み見る。本に夢中でどうやら他の事は眼に入ってないようだ。

好都合・・・…ニヤリと小さく笑うと気が付かれないように気をつけながら慎重に身体を動かす。

 

 

力を使ってそれとなく羽ペンを手元に引き寄せ、ついでに姉の腕にも薄くエーギルを纏わり付かせとく。

 

 

「サカかぁ、ねえイデア……ん? イデア、どうしたの?」

 

 

「フフフ……」

 

 

何やら弟の様子がおかしい事に気がついた彼女だったが時は既に遅し。

演技10割のわざとらしい笑い声に不吉な何かを感じたイドゥンが腕を抜こうとするが……動かない。がっしりと固定されている様にビクともしない。

 

 

「え? え! え!?」

 

 

ガクガクと力を込めて脇から引き抜こうとするが、がっちりとイデアの力によって囚われている。

 

 

「フフ、残念だったね姉さん。貴女の座り方が悪かったのだよ」

 

 

手に持った羽を姉の眼前でヒラヒラと振ってみる。

それを不思議そうに一瞬眺めたイドゥンだったが、羽を足に向けて動かすとその顔が青ざめた。

イデアが何をするか理解したのだろう。足に力を込めるが、やはり動かない。ごそごそと身体を左右に揺さぶるがやはり動けない。

 

 

「ま、待って! ちょっと待って!」

 

 

涙ながらに訴えるイドゥンにイデアが意地の悪い笑みを浮かべ、指を顎に当てて首をわざとらしく傾げる。

そして笑いながら

 

 

「冗談だよ……少し本気だったけど」

 

 

ぽいっと手に持った羽ペンを投げる。同時に彼女を拘束していた力を解除する。

イドゥンが自由になった腕でぎゅっと少し痛い程度の力でイデアを抱きしめた。

そのままギリギリと締め上げる。

 

 

「イデアぁー、信じてたよぉ!」

 

 

「あぁ……はいはい」

 

 

イデアが顔をまた真っ赤にさせ、気のない様子で感無量といった感じで抱きつく姉に対応する。

その……強く後ろから抱きしめられると、当たるのだ。アレが。

 

 

もう少し味わっていたい所ではあるがこれ以上は理性が危ないので、ここまでとするために話題をふる。

 

 

「さっき何か言いかけてたみたいだけど、何て言おうとしたの?」

 

 

「ん? あれはね、私達ももうそんなに小さくないし、外の世界に二人で行きたいなーって言おうとしたの」

 

 

彼の目論見どおりに抱きしめる力を緩めて、ひょこっと顔を肩の上に出した姉が答える。

それにイデアが答えようとした時、まるで狙っていたかのごとく扉が規則正しくノックされた。

 

 

 

 

 

 

昼食の時間だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うーん……」

 

 

「あーうー……」

 

 

 

イドゥンとイデアは今、数枚の羊皮紙と睨みあいながら唸り声を上げていた。

この紙は何か? と、問われれば答えは簡単である。ただの申請書と予定表だ。

 

かつてエイナールも書いたあれだ。

 

 

いつも通り食事を持ってきたナーガにそれとなく外に二人で出たいという旨の事を言ったらこの羊皮紙を書き方の説明と共に渡されたのである。

 

全て二人で企画してみろ。破綻してなければ許可を出してやる。

持って行く武器や魔導書、食料や根本的にどこへ何時に向かい何時に帰ってくるのか? などを詳細に書き記せとナーガは言った。

まるで遠足の企画だとイデアはナーガの話を聞きながら思った。

 

 

この手の書類は書いたことはないけど、無難にやれば大丈夫だとイデアは信じている。

間違っても行き先に飛竜の巣や恐ろしい黒騎士が居るどこぞの港町の民家などど書かなければ大丈夫だろう。

 

 

そう思って万年筆を手に取る。取り敢えずは持ち物に「竜石」と書いておこう。念のため。

次は行き先だ。まずはコレが決まらなければどうしようもない。

 

ここは姉さんの意見も聞いて――。

 

 

「イデア」

 

 

真剣な声で名前を呼ばれたのでそちらに顔を向けるとイドゥンが何やら深刻そうな表情でイデアを見つめていた。

まるでこれから戦場に向かう騎士や傭兵の顔だ。そのただならぬ面構えにイデアが思わず生唾を飲み込む。

 

 

まさか、もう企画の構想が終わったのか? 行き先から持ち物までこんな短時間で考え終わるとは凄い。

イデアが胸中の興奮を押し込めながらも姉の言葉を待つ。

 

 

そして驚愕の真実を、誰も知りえない世界の真理を詠いあげるか如く彼女は言った。

 

 

「―――――リンゴは何個持っていけるのかな?」

 

 

「……………」

 

 

全ての表情を消したイデアが万年筆を筆立てに入れ、羊皮紙をしまうと羽ペンを手に取る。

姉に罪はないのは判る。勝手に期待した自分が愚かだったのも理解できる。

 

 

だが・・・・・だが。

 

 

「え? イデアーー?」

 

 

いきなり身に纏う雰囲気を先ほどの様に変えた弟に怯えるような声で話しかけるイドゥンだったが返事はなく

変わりに全身を簀巻きの様にイデアの力でグルグルに拘束されてしまった。

しかも万が一にも抵抗出来ない様に念入りに「竜石」まで取り上げる。そしてそのままベッドの上まで浮かばせて輸送。

 

 

 

「とりあえず色々と言いたい事はあるけど、まずはたーっぷりと笑い転げようか?」

 

 

 

姉の竜石を片手で弄くりながらイデアが本当にいい笑顔を浮かべる。イドゥンがこれまで見てきた中でも上位に入るほどの顔だ。

そう、例えるならまるで思う存分憂さ晴らしをしてる時の顔だ。

 

 

 

「い、イデア! 落ちついて! 話せばきっとわかるよ!!」

 

 

芋虫の様に全身をくねらせながらイデアから距離を取ろうとするが、移動した分だけイデアが距離をゆっくりとつめて来る。

直ぐにベッドの端まで追い込まれた。横に転がって移動しようにも、見えない手で押さえられている様で動けない。

 

 

 

「やめて、そんなことされたら……私ぃ……」

 

 

目尻に涙を浮かべ、力なく首を左右にふって懇願するがこれも無視。内心、少しだけ心に届いたが構わず続ける。

そして無情にもイデアはその手に持った神竜を笑い狂わせるであろう羽を彼女の素足に走らせた。

 

 

 

姉弟の部屋から叫び声にも聞こえる笑いが響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

太陽の光が眩しい真っ青で平和な空。

 

 

しかし快晴という訳でもなく空には幾つかの巨大な雲の群れが山よりも高く浮いており、それらはゆったりと風の流れに

身を任せて悠々と大空を飛んでいる。そしてその合間を高所を飛ぶ特定の鳥達が水の中を泳ぐ魚のごとく征く。

 

 

そんな雲と鳥の中に混じって1つだけ巨大な影が、他の全てを置き去りにする速度で空を飛んでいた。

それの背に生えた4つの黄金色の翼が力強く羽ばたく度に金色の粉を撒き散らし、衝撃を発生させる。

 

 

天空の絶対の捕食者である飛竜が塵芥に見えるほど巨大で、神々しい雰囲気を持った影の正体は『竜』

人よりも遥かに強く、優れた叡智と寿命を持った種族だ。

しかも大空を弓矢の様に飛んでいるのはそんな竜の中でも頂点の存在である神竜。超越種の中の超越種だ。

 

 

全身を金色の鱗と甲殻に覆われてはいるが、半分ほどは羽毛に近いのを見るとまだまだ幼い神竜だと判る。

紅と蒼の眼に確かな理性と知恵を湛え、猛烈な速度で過ぎ去っていく下界を見渡す。

 

 

そして。

 

 

 

(イデア イデア! 凄いよ! 私ってこんなに早く飛べたんだ!!)

 

 

 

「あー、はいはい。凄いね」

 

 

 

鱗に包まれた広大な竜の背にぽつんと置いてある小さな金色の繭

エーギルで編みこまれ、作り出された小さな部屋の中でこの竜の半身とも言える人物、イデアが素気なく返事を返した。

 

 

もう何度も同じ内容の言葉を言われて、一々返事を返すのにも飽きてきた。

 

 

 

幾度かの失敗を繰り返してようやくナーガの許可を貰える程度までに計画表を完成させた双子は現在目的地へと向けて飛行中である。

イドゥンの背にのったイデアが色々な物を詰め込んだ大きな皮袋を枕代わりにして寝ころがる。

彼の視界全面に広がるのは青い空でも、遥か下の大地でもなく純粋な金色。

 

 

何故二人同時に竜化しないのか簡単に言ってしまうと

まだ双子はエイナールやナーガの様に何もない所からポンポンと本やらバスケットやらを取り出す事が出来ないからだ。

あれも恐らくは何か高度な魔術を使っているのだろう。残念だが双子はまだ其処まで魔道を極めてはいない。

 

 

 

竜化して背中に荷物を乗せて持っていってもいいが、落としたら悲惨な事になることは間違いないだろう。

うっかりしたミスで大事な荷物が空中にばら撒かれるのをイデアはありありと想像できた。

 

 

ならばどちらか片方が竜化し、その背中にもう片方が乗って荷物の管理をしようという事になったのだ。

最初冗談交じりにイデアがこの意見を言ったら彼の姉が「面白そう!」と食いついてきたのも大きい。

そして荷物と自分の片割れを乗せて飛ぶことになったのはイドゥンに決定された。

 

 

飛行速度などはほとんど同じであるが、決定された理由で一番大きいのは彼女が精霊の声を聞くことが出来るというのがある。

 

 

そう、理魔法を行使する者はありとあらゆる場所に存在する精霊の声を聞いてその力を借りる事が出来るそうだが、

イデアには精霊の声が全くといっていいほど聞こえないのだ。

 

本当にこれっぽっちもだ。精々精霊の存在を感じる事が出来る程度で、そこから先には10年近く経っても到達出来てはいない。

 

 

ナーガにその事を相談したら「理魔法への適正が低いのかもしれん」と言われて本気で凹んだりした事もいい思い出だ。

 

しかし姉の「イデアが聞こえないなら、私が精霊の言葉を教えてあげる」という励ましと

「一応は理魔法も使えなくはない」と前向き思考で持ち直してその事は気にしないようにイデアはしている。

 

 

 

話を戻そう。

 

 

イドゥンによると精霊は本当に色々なことを教えてくれるらしい。

今日や明日の天気に風の向きや強さ、何処にどんな鉱石があるか、地下に暖かいお湯があるよ、大地が揺れるから気をつけて、などなど例をあげればキリがない。

 

 

そんな精霊達にサカへの道案内を頼んで、イドゥンは精霊の導きに従って飛んでいるのだ。

落ちないようにエーギルで個室をつくり、その中にイデアを格納して彼女はスイスイ飛んで行く。

 

 

人や馬なら何日も、何週間も、何ヶ月も掛かって行く道程をまだ幼いとはいえ神竜の翼は僅か数時間で移動する。

飛行の速度で神竜に勝てるのは成長しきった風竜ぐらいであろう。

 

 

 

話はそれるが、かつて存在した風竜フォルセティという竜はその昔ナーガに飛行速度で勝負をしかけた事があるそうな。

結果ははっきりと判っていないのでこの話自体が御伽噺の類である可能性もあるが、真実を知っているであろうナーガは黙して語らない。

後、噂によるとこの名を冠した超魔法が知識の溜まり場には眠っているらしい。

他にも知識の溜まり場にはかつての戦争の際の超魔法や、恐ろしい力を秘めた武器の製造方法などが厳重に封じられているという。

 

 

 

閑話休題。

 

 

 

暇だ。イデアの胸中を埋める感情は退屈であった。

寝転がっても金色。起きても金色。足場は鱗と羽毛、甲殻。しかも移動できる範囲は狭い。

 

 

少なくとも今のイデアを取り巻く環境は最悪とはいえないまでも、決していいとは言えないものだった。

 

 

「……ふぅ」

 

 

半身だけ起き上がり、ぼぉーっと何処か遠くを見る。

そして手に力を込めて、立ち上がろうとした時

 

 

 

パキ

 

 

 

そんな乾いた音が手元からした。

イデアが何だろうと思い、音のした場所に眼を向ける。

 

 

「あ」

 

 

思わず反射的に気の抜けた声をあげる。

 

 

……鱗が、剥がれていた。見事なまでに。

 

 

「あああぁ……」

 

 

鏡の様にキラキラと光り、自分の焦りに満ちた顔を映し出したそれを見ながらイデアがガタガタと震える。

 

 

(どうかしたの? 酔っちゃった? 一回降りて休む?)

 

 

弟の姿は見えずとも焦りは伝わってきたのだろう。イドゥンが彼を案ずる声を脳内であげる。

不思議なことにいつも色々教えてくれる精霊はクスクスと悪戯が成功した子供の様に笑って何も教えてくれない。

 

 

「いい! 大丈夫だから!! 早くサカにいこう!!」

 

 

イデアの腹の底からの叫びを聞きながら、イドゥンは予定通りサカへ向けて猛烈な速度で北上を続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サカ草原はベルン地方の北、エレブ大陸の中央部に存在する大草原地帯だ。

草原の面積はベルン地方の2倍以上の広大さを誇り、そこには厳密な国家は存在しない

 

 

国家の代わりにサカに存在するのは部族で、サカの民は部族単位で移動し、共に助け合い生活している。

そう考えると部族というのは一つの大きな家族といえるだろう。

 

 

主な移動方法は馬で、馬車などにゲル(サカの住民が暮らす民家であるテント)を積み込んで大規模な移動をすることもある。

そして馬の上から弓を射る技術も日常的な狩りなどで鍛えられているため、かなり高い。

 

 

信仰という点ではサカは天や大地、理魔道で言う精霊などを深く信仰しており、これらへの感謝と畏敬の念を強く持っている。

そしてサカの民は嘘などを嫌い、自らがサカの出身である事を誇りに思っている者が多数。

 

 

それと同時にサカに住まう彼らは仲間や家族などを何よりも大切にする者が多く、彼らを仲間につけることが出来れば

例え世界を敵に回しても味方になってくれるだろう。

 

 

以上 竜族の地図 サカ地方の特色より一部抜粋。

 

 

 

 

 

 

 

サカの壮大な大地。

地平線の果て、何処までも続く広大な草原に突如影が差す。

太陽の光が雲に遮られた際に発生するソレに近い影だ。

 

 

最初は小さな影だったが徐々に大きくなり、同時に辺りに強風が吹きすさび若草達を激しく揺さぶる。

 

 

ズドォンと重厚な音を響かせ、影を落としていた物体――金色の竜の巨体が大地にその身を降ろす。

四本のしなやかながらも頑強な脚、そこから生える成長と共に三本から五本に増えた鋭い竜爪で大地をしっかりと握り締め、自重を支える。

 

 

 

二対四枚の見る者を圧倒する翼をたたみ、着陸終了。

 

 

 

竜の全身が輝いた。太陽のごとく暴力的な光を撒き散らす。

光は徐々に小さく収まっていき、やがては拳程の大きさの竜石となって収束する。

 

 

「ふぅ……」

 

 

竜石を持った紫銀色の長髪が特徴的な少女、神竜イドゥンが竜石を懐にしまうと、身体をほぐすようにグっと背伸びをした。

後ろを振り返り、今まで背に乗せていた自分の最も大切な半身の様子を見る。

 

 

彼女の半身であるイデアといえば、荷物を傍らに放置し何やら青い顔で四つんばいになっていた。

簡単に言えば、とある事情から発生した緊張によって酔ってしまったのだ。

さしずめ竜酔いとでも名づけておくか。

 

 

「イデア?」

 

長く美しい髪を翻しながら弟の元に駆け寄り、その顔を覗き込む。

 

 

「大丈夫、大丈夫だよ……」

 

 

イデアが片手を今にも息絶えそうな老人のごとくプルプル震えさせながらあげて、何とか無事であると主張する。

まるで産まれたての小鹿だ。しかし彼の顔はどちらかと言えば棺桶に片足を入れている顔だが。

 

 

嘘だ。少なくともイドゥンには大丈夫には見えなかった。真っ青な顔で四つんばい、声には生気がなく、いつも元気よく存在をアピールしてくる

尖った耳もへたれている。こんな状態を少なくとも彼女は元気とは呼ばない。

 

 

特に尖耳なんて全身で「体調は最悪です」と訴えてきているではないか。

 

 

いけない。自分はお姉さんなのだ、弟が体調不良なら助けなければいけない。

かつて弟に守ると言ったあの言葉を忘れた訳ではない。

 

今この場でイデアが頼れるのはお姉さんである自分だけなのだから。

 

 

「ちょっと待ってて!」

 

 

荷物として持ってきた皮袋の中身を漁り、突っ込んでおいた小さなレストの杖とライヴの杖を手に取る。

持ち運びが便利な大きさに整えられた杖だ。

 

 

 

その二本の杖に彼女は力を流し込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当にありがとう。助かったよ姉さん」

 

 

「どういたしましてイデア。後、他に何か困ったことがあったら、何でもお姉さんに言ってね?」

 

 

 

二つの回復の術をかけられ、何とか復活したイデアが自分に術を掛けてくれた姉に感謝の言葉を言う。

正直な話、危なかったのだ。あのままだとサカの澄んだ大地に汚いものを吐いていたかもしれない。

 

 

冗談ではなかった。

ブレスでさえまだ、まともに撃ったことがないのに口から胃の内包物を吐き出すなど絶対に嫌だ。

 

 

しかし口から出たのは本心とは反対の強がりな言葉。素直に助けてと言えなかった自分を憎み、自己嫌悪に少しだけ陥る。

俺の馬鹿。ゲ○が出そうな時ぐらいは意地を張るなよと。

 

 

口には出していないが、内心で考えていることが顔に出ているイデアの十面相をイドゥンが不思議そうに眺め

次いで今まで上空から眺めていたサカの大草原を今度は地上から見る。

 

 

「やっぱり、どこまでも草がいっぱいなんだね」

 

 

本に書かれていた通りのサカの大地にうんうんと満足したように頷く。

上空からみたサカも地平線の果てまで自然が続く美しい大地であったが、こうやって地に降り立ってみると

また違う世界に見える。

 

 

 

ここから更に北に行けばエイナールが家族と共に住んでいるイリア地方らしい。

エイナール曰くイリアは冬のベルン地方とあんまり変わらないらしいが、いつか弟、そしてお父さんと一緒に行ってみたい。

 

 

そしてもう一度弟を見る。イデアは二本の杖を皮袋に戻している最中だった。

そして袋の中から魔道書と何かを取り出してイドゥンに渡す。

 

 

 

「はい【ファイアー】の魔道書と青銅のナイフ」

 

 

手渡されたのは少々薄い持ち運びを便利にするためにページを削られた魔道書と皮で作られた鞘に収納された小さなナイフ。

護身用にイデアが持ち物に追加したものだ。幾ら竜化すればどうにかなるとはいえ、備えあれば憂いなしの精神だ。

 

 

双子が書とナイフを腰のベルトに固定する。

 

 

「サカには人間が住んでいるんだよね?」

 

 

「そうだね 確か遊牧民族っていったっけ」

 

 

遊牧民……前の世界のとある国ではそういう風に呼ばれた人たちが居た事をイデアは知っていた。

しかしソレは遠い昔の出来事だし、今、この大地にそういった人種が現実に居ると言われてもいまいちイデアは実感が湧かなかった。

 

 

「どんな姿なんだろうね? 人間って」

 

 

イドゥンの心からの疑問の声。

本で竜の人化の術は人を真似ているなど、色々な記述で人と言う単語を目にした彼女であるが

実際に人間にあったことはないのだ。我々と同じと言われてもいまいち判らない。何せ彼女は人を直接見たことがないのだから。

 

 

ナーガはもちろんエイナールも竜であるし、ニニアン、ニルスも竜だ。

イデアは………………少なくとも身体は竜だろう。

 

 

 

 

「もしかしたら、耳と目が7つあったりしてね……?」

 

 

「い、いやだよぉ……」

 

 

思わず想像してしまったのだろう

顔が多数の目と耳に覆われ、長い腕をくねらせながら執拗に追いかけてくる『人間』を。

 

 

髪を揺らしながらイヤイヤと頭をふって

何とかその魔物と融合した様な『人間』の想像図を脳内から追い払おうとする動作は非常に可愛らしいものだ。

 

 

ハハハとイデアがこらえきれない様に笑う。

そして皮袋から取り出した羽ペンで頭を抱えてうーうー唸っているイドゥンの尖耳の先端を軽く一撫で。

 

 

「ひゃっあ!?」

 

 

艶かしい声をあげてビクンとイドゥンの身が跳ねる。

顔をあげて、イデアの持っている羽を見て顔が青ざめる。

 

 

「羽ペン……あ、アレだけは許してぇ!」

 

 

簀巻きのごとくイデアの力でグルグルに拘束された状態で足の裏を羽とイデアの細い指でくすぐられた事は彼女にとって

小さなトラウマになっていた。

 

しかし正直な話、顔を真っ赤にして、自由に動かない身体を苦しそうにくねらせ、荒い息を吐きながら抗議する彼女もイデアの奥深くに存在する何かを

かなり刺激し、くすぐりを助長していた気もする。

 

 

羽ペン。ただ文字を書くだけのアイテムに恐怖の視線を向ける神竜にイデアが溜め息を吐き、ソレを袋の中に放り込む。

 

 

そして色々と仕切りなおしにすべく口を開く。

 

 

このまま小動物のごとく瞳を潤ませた姉を観察してもいいが

……否。何が観察だ。それではまるで彼女が本当に小動物みたいになってしまうではないか。

 

 

 

「帰りの時間までこの草原を自由に探索できるけど、まずは何処へいこうか?」

 

 

 

イデアの魔法の言葉「自由に探索」にイドゥンの眼が宝石のごとく輝いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

暫く広大な草原を走ったり、気まぐれに背に翼を出して飛んだり、

綺麗な川の水で喉を潤したりして思い思いにサカを満喫していた二人がそのゲルを発見したのは運命だったのだろうか。

 

 

ソレは誰にも判らない。

 

 

広い広い草原に一つだけポツンと立っているそのゲルに双子が気がついたのは竜化はせずに翼だけ出して

飛行で移動している最中だった。

 

 

本来サカの民は部族と呼ばれる何十、何百、何千という大家族で生活し、移動しているのだがそのゲルは一つだけだった。

 

 

どんなに小さな部族でもゲルが一つというのは有り得ない。

そのゲルの周りには数頭の馬と羊が人工的に作られた柵の内側に閉じ込められており、人が生活しているというのが判る。

 

 

ここは竜の住むベルン地方に近いサカの南方であるため、人が居ること自体珍しいのだが双子はそこまで詳しい事は知らない。

基本的に部族はサカの中央部を誰に遠慮することなく縦横無尽に駆け巡っているのだ。

 

 

 

最もナーガはそれを判って精霊達になるべく人の居ない地域に導くように命令したのだが、イドゥンとイデアはそれを知る由もなかった。

一回目のイデアの計画書には全ての準備が万端ではあったのだが行き先がリキア地方になっていた。

リキア地方にはそこそこの数の人間が住んでいた為、却下にしたのだ。

 

 

 

人が多数群れている中に何も知らない絶大な力を秘めた神竜、それも二柱を放り込むような真似はしたくない。

人が竜に抱く感情は決していいものだけではないのだ。

しかしそれでも世界を直接見て、触れて、経験を積むことは重要なことだ。

 

 

だからこそ人の密集率が低いサカへの旅行を許可した。

仮に人に出会ったとしてもサカの人間ならば完全とは言えないが他の地域に比べれば、前述したとおりの人間性からマシともいえる。

 

 

最悪ナーガが降臨してしまう手もある。だが、それはあくまで最悪だ。

 

 

この旅で困難が双子を襲ってもよほどでない限りナーガは手を貸しはしない。

その事は二人が旅立つ前に何度も言い聞かせておいた。

 

 

自分達の力で企画し、自分達の力で向かい、自分達の力で帰って来いとナーガは二人に言った。

 

 

 

 

 

 

そして今の双子は――伏せていた。大地、そして林と同化するためにじぃっと伏せてゲルの様子を窺っていた。

まるでどこぞの国の密偵のごとくに。

 

 

「ねぇ、姉さん」

 

 

「何? イデア」

 

 

「俺達、何で伏せているんだろ?」

 

 

「それは……それはぁ……」

 

 

明確に答えられず小さく唸り始める。というよりも何故自分達はあのゲルをこんなにも気に掛かっているのだろうか?

それも判らない。

 

 

「ちょっと精霊に聞いてみる?」

 

 

「それがね、あのゲルの中に凄く強い力を持った精霊が二つ居て、他の精霊は近寄れないみたい」

 

 

イデアが眼を凝らしてゲルを見る。よーく集中すれば何となくだが、確かに強い存在感を二つほどゲルの中から感じ取れた。

理魔道士が住んでいるのか? それともサカに住まう呪術などを専門としたシャーマン? ゲルの中に対して疑問は尽きない。

 

 

「本当に……7つ目7つ耳の化け物が住んでいたりして……」

 

 

「そうだったら、イデアは私が何とか守るよ…!」

 

 

言っている事こそ勇ましいがゲルの中で7つ目7つ耳の『人間』が巨大な包丁を研いでいる所を想像した彼女の身体はガクガク震えている。

 

 

マズイ 本当にマズイ。イデアは焦っていた。この世界で始めての人間との遭遇だというのに、どうしようもなく恐ろしい。

逃げてしまおうか――出来るだけ逃げるという言葉をオブラートに包み込んで姉に提案しようとした矢先、ゲルの入り口が勢いよく開いた。

 

 

 

「「!!!???」」

 

 

 

双子が同時に声にならない叫びをあげる。

ゲルから飛び出してきた人物も双子の隠れている場所に大声で叫んだ。

まるで最初からそこに居るのが判っていたように。

 

 

凛とした声が草原に響き、双子の鼓膜を揺らす。

 

 

「そこに潜んでいるのはわかっている! 大人しく出て来い!!」

 

 

 

出てきたのは7つ目7つ耳の化け物などではなく

サカ地方でよく使われる狩猟用の短弓に矢を番えた黒髪の少女だった。

 

 

 

 

 


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