とある竜のお話 改正版 FE オリ主転生 独自解釈 独自設定あり   作:マスク@ハーメルン

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とある竜のお話 第六章

 

 

時間が経つのは早いものである。

特に一日一日を何かに夢中になり、楽しんで過ごすとそれが良く実感できるだろう。

 

 

一時間一時間を24回繰り返し一日が過ぎて、それを約30回繰り返し一月、そしてそれを12回繰り返せばあっという間に一年だ。

 

 

 

特に人より遥かに永い寿命を持った竜族は時間に対する感覚が人間とずれている者も少なくない。

竜にとっては鮮明に思い出せるつい、この間の出来事でも人にとっては何年も昔の事だったという事も多々ある。

 

 

だが、それも仕方ないだろう。根本的に寿命が―――生物としての生きる時間が違うのだから。こんな簡単な事、説明されれば子供でも分かる。

 

 

 

それでも。

 

 

その何処までも過酷で残酷な現実を分かっていても。

竜と歩む事を選択した身の程知らずだが勇気ある人間、短い時間だが人と歩む事を選択した優しい竜、と言うのはほんの数える程度だが確かに存在する。

 

 

そして、人の姿を取った竜との間には子供を作る事も可能だという。

両者の間に生まれた人でも竜でもない新たな種――それらは『竜人』と誰とも無く呼ばれ、それが正式な呼び名として何時の間にか浸透していた。

 

 

この種族を超えた愛の結晶に対する反応は竜、人問わず様々だった。強いて言えば竜は喜びと興味と嫌悪、人は畏怖と恐怖だ。全ての者がそうとは言い切れないが。

 

 

 

ナーガは直ちにこの『竜人』の生態――具体的には寿命や身体能力、エーギルの質や量の平均、竜化の可否

身体的特徴、その他、などを徹底的に調べ上げた。勿論、その子の両親には許可はとってある。人体実験などはやってはいない。半分は守るべき同族なのだ。

 

 

……裏を返せば半分は人間だが。

 

 

調査の結果分かったのは

寿命は竜の血の濃さや種類にもよるが大体が人の寿命の約数十倍から百倍程度――これは半分が竜の血の場合である。

しかし、中には人と全く同じ寿命の者もいた。個体差がとてつもなく激しいのだ。

 

 

 

更に『竜人』が人と交わって、孫やひ孫になれば血は薄くなり、寿命は更に短くなるだろうと竜の魔道師は予想した。

……最も、その孫やひ孫は今のところはほんの片手で数える程度しか存在していないので平均を出そうにも、確かめようがないのだが。

 

 

『竜人』が『竜人』と交わるケースも全くとは言わないが、本当に極僅かなため調べようがない。

 

 

人と同じ寿命の者についてはさっぱり分からない。俗に言う「お手上げ」状態だ。単に竜の永遠の寿命を受けつぐ確立があるのかもしれないという結果に取り敢えず落ち着いた。

 

 

 

エーギルについては親の竜の属性をある程度受け継ぐ事が分かった。しかも人としてのエーギルとは別にだ。

つまり、『竜人』は人と竜、二つのエーギルを持っていることになる。

 

 

竜化が出来るかどうかも寿命と同じく個体差がある。竜化出来る者と出来ない者に分かれた。

原因はまだ不明だ。これも単に確立の問題かもしれないし、そうでないかも知れない。

 

 

もしかしたら竜が元の姿に戻る時の、イデアも経験したあの独特の感覚が分からないだけかもしれない。事実、質問では戻れないほとんどの者がそう答えた。

そんな竜に成れない『竜人』も自らの血に宿る竜の力を固めて竜石を作り出すことは出来る。

 

 

竜石から力を引き出しても竜化こそ出来ないが、変わりに超人的な身体能力や魔力を手に入れる者が多い。

これも個人差こそあるが、ナーガの調査では大体そうだった。

 

 

 

何せ……こう言っては悪いが『竜人』はサンプルが少なすぎるのだ。平均が取れないので、それなりの人数を調べなければ分からない課題については謎が多いのも仕方ない。

 

 

 

しかし、人から見れば自分達と同じ姿こそしているが中身は全くの別物

 

 

―――むしろ人の姿をしながら人外の力を有する『竜人』は畏怖と恐怖とそして羨望の対象でしかない。

人の姿をして、その姿で竜の力が振るえるからこそ恐ろしさが倍増する。そして更にその親である竜への恐怖が増加する。

 

 

だから人は信仰というご機嫌取りを表向きは竜へ行うのだ。

どうかその力をこっちに向けないでください。どうかその力を私達を守るために使ってくださいと言いながら。

 

 

信仰を受け取る竜もその裏に隠された、いや、隠れてさえ居ないか。人の本心を見ながら信仰を受け取るのだ。今の関係を崩したくないから。

もっと単純に言ってしまえば嫌われたくないから。

 

 

だが、中には本心から竜を敬い理解し、共存を試みる人間も居るという事を忘れてはならない。そういった者も確かに居るのだ。

 

 

歪な関係の人と竜。その関係が完全に崩壊する日は決して遠くはないだろう。その時は恐らく――未だかつてない大規模な戦争が起きるだろう。

人という生き物は決して自分達を脅かす存在を許しはしないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そろそろ夏……かな? 

 

 

『殿』の自室のテラスからに出て部屋から運び出した木製の椅子に腰掛けて、

頂に万年雪を被った広大な山々の連なりを見ながら、涼やかな風を感じていたイデアはおぼろげにそう思った。

同時にこれがエレブに産まれて大体3か4回目の夏になるという事を思い出した。

 

 

しかして、イデアの外見は大体10歳前後。産まれた当時は4~5歳ほどの外見だったのを考えれば、驚異的なスピードで成長を続けているといえよう。

全ては竜族の成長を促進させる『殿』とただその場にいるだけで竜族全ての力を育む空間を形成する神竜の力の恩恵だ。

 

 

特にイドゥンとイデアは『殿』や最強の神竜であるナーガの力だけではなく、常に傍にいるため両者が両者の成長を促進させているのだ。当然の結果といえよう。

 

 

今の時間はおおよそ昼前。ナーガがそろそろ昼食を持ってくる筈だ。天辺に上った太陽が暖かい日光を届けてくれるお陰で風が吹いても大して寒くない。

エイナールの部屋で焼き菓子作りでも習ってる姉のイドゥンもそろそろ戻ってくるだろう。

 

 

本当はイデアも一緒に行きたかったのだが、残念な事に彼にはやりたい事があった。とても熱中できる事が。

物思いをやめたイデアがうーっと両腕をピーンとさせ背伸びをして、少々の休憩時間を終了させると、膝に置いておいた二冊の本の内一冊の古びた分厚い本を手に取る。

 

 

竜の文字で書かれた本の名前は【エルファイアーの魔道書】中級魔術の発動媒体だ。もう片方の本には【精霊との交信】と書いてある。

どっちも既に穴が空くほど何回も読みつくした物だ。

 

 

下級魔術をほぼ完全に覚えたイデアの今の悩みは思うように中級魔術が思うように使えないことなのだ。

正確には発動そのものは、させる事はできる。しかし、使いこなしているか? と、聞かれれば首を横に振らざるを得ない。

 

 

その事について授業の中でナーガに言われた対策と言えばたった一つだった。「経験を積み。失敗を重ねろ」だそうだ。

これ以上ないくらい分かりやすい対策だ。

 

 

だが、現に彼が言ったとおり一回一回練習し、失敗を重ね、それを乗り越える度に着実に会得に近づいているのがイデアには分かっていた。だからこそ止められない。

勿論、やりすぎで身体を壊したりしないように適度な休憩を挟んではいるが。そしてナーガが万が一に備えて監視してるだろうという事も知っている。

 

 

「よしっ!」

 

 

パチンと頬を叩いて渇を自分に入れると、【エルファイアーの魔道書】を開き、細く白い人差し指をバルコニーの柵のはるか先、広大に連なる山々へと向ける。

意識を集中させ魔道書に【エーギル】を注ぐと同時に書が注がれたエーギルの色である金色に輝きだし、【ファイアー】よりも強大な力を持った炎を形成し始める。

 

 

 

産み出された【エルファイアーの炎】が書からイデアの指元へと酸素を燃やしながら移動していく。しかしイデアは全くと言っていいほど熱を感じていない。

当然だ。自分の力で産み出した炎は完全に制御されている限り、術者を傷つけることなどない。

 

 

最も暴走したらその限りではないが。特に闇魔道などで術を暴走させてしまったら術者はもれなく世にも悲惨な眼にあうだろう。

 

 

指先に創った直径20センチメートル程の火球を見てイデアが満足げに口元に薄く微笑を浮かべる。以前よりも素早く火球を形成し、且つ威力の上昇も達成できたのだ。

だが直ぐに笑みを引っ込めて再度意識を研ぎ澄ませる。今回扱ってる力は昔ベッドの上で爆発させた【ファイアー】よりも遥かに巨大なのだ。

もしもあの時と同じように爆発などさせてしまったら指どころか、手が吹っ飛んでも可笑しくない。

 

 

最も今のイデアなら爆発する前に何処かに火球を飛ばしてしまうなりなんなり出来る程度の技術はあるのでそんな事は滅多に起きないが

だからといって真面目にやらない者に訪れるのはいつだって手痛いしっぺ返しだ。

 

 

すぅぅぅぅっと、息を吐き、次いで静かにゆったりと大きく息を吸い、そしてまた吐く。

これを何回か繰り返し、精神を落ち着かせてからイデアが指先の火球に渇を入れた。

 

 

火球が指先から弓矢のごとく飛び出す。

そのまま視界の彼方に存在する山の肌へと向かっていき数瞬後、草木一本生えてない荒れた肌を晒す山の中腹辺りで赤い小さな光が発生した。

 

 

恐らくは今光っているあの場所に着弾したのだろう。遅れて微かにだが、どぉーんという音と共に空気が振動してくる。

 

 

「ありゃぁ……ちょっと強すぎたかな?」

 

 

イデアが遠く離れた場所からでも分かる程の光を上げるそれを見て、額から冷や汗を流しながら呟く。

当初の彼の予想ではここまで強力な威力で放つつもりはなかったのだ。

 

もしもあそこに生き物がいたら、恐らくは無事ではすまないだろう。

まだまだ未熟な腕とはいえ、莫大なエーギルと魔力を持った神竜が本気で撃った中級魔術が直撃したら、並みの生き物はこっぱ微塵になること間違いない。

 

 

イデアが未だに少し煙を上げている指を顔の前に持ってきて、それにふっと息を吹きかけ煙を消す。

そして、もう一度遥か彼方の着弾点を見て、ぶるっと小さく身体を震わす。

 

 

「危なかったぁ…」

 

もしも暴走したらどうなるか考えてしまい、少しだけ怯える。

 

 

と。

 

 

パチパチ……。

 

 

イデアの後方から手と手を叩き合わせる独特の音、拍手の乾いた音が響いた。

イデアが振り返る。

 

 

「お見事ですイデア様」

 

 

そこに居たのは口元に人を和ませ安心させる柔らかな微笑を浮かべた、蒼い長髪と紅い眼をした氷竜エイナールと、その隣にもう一人。

イデアにとってエレブで生きていく上で絶対に居なくてはならない人物。彼の半身と言っても過言ではない存在。

 

 

「凄かったよイデア」

 

 

 

無邪気な笑みを浮かべてイデアの魔術を称えたのは彼の姉。数少ない純粋な神竜のイドゥンだ。

 

 

その容貌は数年という時間を経て、成長し、美しく、可憐になっていた。

上質な絹のようだった紫銀色の髪は質はそのままに腰まで伸びており、リボンの様な純白の布で纏められており

同じく胸の辺りまで伸びたもみあげも、激しく動いても大丈夫な様に布で纏められている。

 

 

 

何処か気品漂う、だが未だ幼さが残る顔には徐々に可憐さとは別に大人の美しさが開花し始めていた。

その身体は女性特有の男性には無い丸みと服の上からでも分かる柔らかさを身につけ始めている。

 

 

10歳前後の外見でこの美しさならば、成人したらきっと誰も勝てないだろうなと、一番近くでその成長を見ていたイデアは思っていた。

 

 

最も双子の弟であるイデアもそれに負けず劣らずはあるのだが、自分の外見にあまり興味を持っていない当の本人はそのことには気がついていない。

まぁ、仮に気がついたとして特に何も変わらないのだが。

 

 

イドゥンの言葉にイデア魔道書を椅子の上に置き頭を掻いて、はにかみながら答えた

 

 

「ありがと姉さん。これからも頑張るよ」

 

 

素直に褒められるのが嬉ばしく、だがやっぱり恥ずかしいため何とも言えない表情をイデアは浮かべた。

 

 

“トントン”

 

 

不意に木製の扉を誰かがノックした。

いや「誰か」と言うのは間違いだろう。何故なら既に三人とも誰が訪ねて来たかは知っているからだ。

 

 

青い澄み切った空を見れば太陽が先ほどよりも更に高く昇っていた。俗に言う正午である。昼食の時間だ。

そしてこの時間にこの部屋を決まって訪れるのはナーガしかいない。

 

 

「では。私はこれで失礼します」

 

 

エイナールが深く一礼し、背から水色の光の翼を展開させて自室に戻っていく。

 

 

「またねー!」

 

イドゥンが手を振りながらそれを見送る。イデアも喋りこそしないが、片手を揺らしてそれを見送る。

 

 

「……? 姉さん、それは何?」

 

 

ふと、イデアが、姉がもう片方の手にバスケットを持っているのに気がついた。ついでにそれからとても甘くて良い臭いがするのにも。

聞かれたイドゥンが待ってましたと言わんばかりに心底嬉しそうな笑みを満面に浮かべた。

 

 

「私が作った焼き菓子だよ。お父さんに食べて貰うの!」

 

 

何処か興奮した様子でそう告げる姉にイデアが苦笑いを浮かべた。

あのいつでも何処でも無表情なナーガが娘の焼いた菓子を食べたらどんな反応を示すか彼には全く予想できなかった。

 

 

いや、さすがに面と向かって「マズイだの」「要らぬ」とか言うとは思えないが。

何年間も顔を毎日の様に合わせて授業などを受けたりすれば、大体の人格はつかめてくるのだ。

 

 

『冗談は通じないが、決して愚かではない。むしろ賢人と言える部類』これがイデアの中の彼の評価だった。むしろ愚かでは竜の長は務まらないだろう。

最もそれでもナーガに対する苦手意識は消えないし、色々な感情が大分欠落してる男だとイデアは思っているが。

 

 

「勿論イデアの分もあるから、後で一緒に食べよ」

 

 

バスケットを見つめながら色々と考え事を始めたイデアを見て

イデアも焼き菓子が食べたいのだろうと思ったイドゥンがバスケットを部屋の隅の机の上に置きながら答える。

 

 

「デザートを楽しみにしてるよ」

 

 

イデアがバスケットに視線を固定させたまま言う。バスケットから放たれる甘い香りは昼飯前の彼の胃袋に強烈な刺激を与えていた。

後から後から溢れてくる唾を飲み込む。体内から本人にしか聞こえない程度の音量でぐ~っと言う音が聞こえてくる。

 

 

「どうぞー」

 

 

イデアが扉の先に声を掛ける。早く昼食を食べたいのだ。そして姉の手作りの焼き菓子に早く舌鼓を打ちたい。

ガチャリと扉が開かれ、予想通りナーガが入ってくる。今日もいつもと同じく『殿』の二人の周りはある程度は平和だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

双子の我が子に食事を届けて、執務室に帰ったナーガの手には白い布で幾重にも包まれた焼き菓子があった。これを焼いたのは彼の娘であるイドゥン。

それは知ってる。遠見の術で見ていたから。しかし、これはイデアやエイナールと行った親しい者達と食べると思っていた。

 

まさか自分に渡すとは思いもよらなかった。

 

 

「…………」

 

 

じぃーっと片手に持ったそれをしげしげと見つめるナーガ。毒などが入ってない事は分かっている。何せ造っている過程を直接見ていたのだから。

もしも入ってたとしても毒など彼には効果がないが。

 

 

「……………」

 

 

玉座に腰掛けて、焼き菓子をそっと机の上に置いてそれをまたも見つめるナーガ。その色違いの瞳からは何も読み取れない。

 

 

「………………」

 

 

おもむろに手を伸ばして、包みを丁寧に取り去る。解き放たれたフワッとした甘い香りが彼の鼻腔をくすぐる。

中から出て来たクッキーの様なそれを一枚掴んで口元に運ぶ。

 

 

咀嚼すると濃縮された甘さが口の中を満たす。

正直な話、味や食感などは専門の者が作った菓子の足元にも及ばない。

 

 

だが、ナーガはこの菓子を美味だと感じていた。旨いと。

何故かは知らないが、美味いのだ。

 

 

もう一枚掴んで口元に運ぶ。やはり美味い。甘い物も案外悪くないと彼は思った。

 

 

「…………………」

 

 

彼以外誰も居ない執務室で神竜王ナーガは黙々と娘の焼いた菓子を食べ続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時は瞬く間に進み行き、季節がまた移り変わった。

今は冬―――それは死の季節。美しき白銀の雪とは裏腹に知恵なき者、貧しき者、そして運なき者に例外なく死を配る残酷な季節だ。

 

 

ベルンの南部、「殿」が存在する山岳地帯も山頂よりも尚高き場所に存在する雲々から降り注いだ雪に余す所なく覆われ、今や一面銀世界となっている。

 

 

「……はぁ」

 

 

そんな一種の神々しい景色を、ピッチリと隙間無く締め切った窓から眺めていたイデアが小さく溜め息を漏らした。

吐かれた吐息が窓を曇らせる。いや、もっと正確にいうなら窓の曇りと同化したというべきか。

 

 

眼を動かし、上空を覆う鼠色の雲を見て憂鬱を含んだ声で疲れたように一言呟く。

 

 

「早く止まないかなぁ……」

 

 

最初の頃こそ雪だ雪だとはしゃいでいたが、それが何日も続けば飽きて嫌になってくる。

ましてやこの景色が続いている間はあのエイナールに会えないなら尚更だ。

そう、氷竜エイナールはこの雪と寒さから人を守るためにイリアに戻ってしまった。帰ってくるのは春になってからだろう。

 

 

特に意味もなく手で窓の曇りを拭き取り、もう一度外を見ようとする。曇りが無くなった窓に映されるイデアの顔の後ろに、もう一つ彼に似た顔が映った。

一瞬ドキッとしたイデアだったが、直ぐにそれが誰だか分かり直ぐに気を取り直す。

 

 

「何見てるの?」

 

 

後ろの人物、イデアの姉が不思議そうに弟に話しかけた。

 

 

「外の雪だよ。止まないなぁって思ってた」

 

 

「綺麗だよね。白くて、フワフワしてて」

 

 

 

トトトと、イデアに歩み寄り彼の後ろ髪を指でクルクルと弄くる。

イドゥンと違い定期的に髪を切り落としているイデアの髪はそこまで長くないが、それでも艶やかなそれはサラサラと指の動きに合わせて動く。

切った髪はナーガが何処かに持っていったが、どうなったかはイデアの知ったことではない。

 

 

「暇だねぇ……」

 

 

イデアが溜め息を吐き、愚痴るように呟く。本を読みすぎるのは眼に悪いから現在休憩中だ。

窓の外には変わらず世界を染め上げる雪が降り続いている。恐らくこの窓をあければ部屋の温度は一気に10度近く低下するだろう。

最もそんな事したら冬の山々の冷気によって凍死しかねないので絶対にやらないが。

 

 

憂鬱気なイデアの背中を黙って見ていたイドゥンはやがて何かを思い出したかのようにポンッと手を叩きあわせると、弟の手を引っぱり始めた。

そのまま部屋の中央辺りにあるテーブルと椅子に向かう。

 

 

「どうしたのさ、姉さん?」

 

 

姉の意図がわからないイデアが問う。最も大分予想そのものはつくのだが。

 

 

「お父さんが来るまで、遊ぼうよ」

 

 

ふむ、と少しだけ考えたイデアだったが特に断る理由も無いし、何より退屈でしょうがなかったので素直に姉の提案を受け入れることにした。

 

 

「うんいいよ。で、何するの?」

 

 

「それはねー……」

 

 

イドゥンが何かを操るかの様に指小さく何度か動かす。

ガタンと言う音と共に物入れの扉が勝手に開き、中からマスが刻まれた白黒模様の板とこれまた白黒の様々な種類の戦場の兵士の種類を模した駒が大量に出て来た。

 

 

 

出てきたのは遊戯板。イデアが元いた世界で言うチェスに近いルールの遊びだ。人竜問わず頭を使って手軽に遊べるという事で人気のゲームである。

ただの暇つぶしの他に金や命、情報などを賭ける者もいるそうだが、勿論神竜姉弟はそんなことはしない。ただ純粋にゲームとして遊ぶだけだ。

 

 

イカサマなど不可能に近いこのゲームは純粋に頭の回転の速さ、先を見る才覚などが問われる。それ故に知力を比べるのにこれ以上ないほど適している。

 

 

「久しぶりに、やろ?」

 

 

何度も弟とこのゲームで戦っても、彼女は未だに一回も弟に勝てないでいたので、この機会に弟から白星を勝ち取りたいのだろう。

そんな姉の内心を手に取るように読めていたイデアは逃げも隠れもせず受けて立つことにした。

外見こそ同じだが精神年齢は自分の方が上なのだ。絶対に負ける訳がないとイデアは自分の勝利を硬く信じていた。

 

(第三者からみれば大して外見上の精神年齢が変わらないという事を彼は知らない。最も知らない方が色々と都合が良いが)

 

 

 

「いいよ。それでハンデはどうする?」

 

 

ニタリと挑発的な笑みを浮かべてイデアが言う。2~3駒ぐらい使用を禁止されても勝つ自信が彼にはあった。

そんな弟の言葉にイドゥンが少しだけ怒った顔で答えた。

怒った顔と言っても100人に聞けば100人が「怖い」というよりも「微笑ましい」もしくは「かわいい」と答える顔であるが。

 

 

「ハンデなんて要らない! 今日は私が勝つの!」

 

 

必死に自分の勝利を宣言する姉にイデアが心底その様子を楽しんでる笑みを口元に貼り付けた。

そして、彼には珍しく何処か挑発的な口調で

 

 

「いやいや……それはどうだろ?」

 

 

人差し指を立てて左右にそれを軽く振りながら言う。

 

 

「じゃ、私が勝ったらどうする?」

 

 

「……どうしよう?」

 

 

手をパタパタと振りながらイデアが、からかい半分の笑みで答えた。その様子から自分が負ける可能性など無いと信じきっているのがイドゥンにはわかった。

その動きが彼の姉の対抗心に火をくべ、燃えあがらせる。

 

 

それと同時に込みあがる弟遊べる事に対しての喜びの感情。何だかんだ言っても嬉しいものは嬉しいのだ。

特に最近だとイデアは魔術とか、歴史とか、それ以外にも様々なジャンルの本を読み漁って、あまり構ってくれなかったのだから。

 

 

イデアの手を離して、向かい側の椅子に腰掛け白の駒を手に取り、それをマスの上に配置していく。

イデアも向かい合って椅子に座り、黒いキングの駒を手に持って指で一通り弄くった後、決められたマスの上に置き、他の駒も配置していく。

 

 

「じゃ、始めよっか?」

 

 

イデアの楽しそうなその声を合図に、ゲームは始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………」

 

 

いつもの通りに昼の分の食事と、エイナールからの手紙を持って双子の部屋を訪れたナーガが眼にしたのは中々に面白い光景だった。

一言で言えば、イドゥンが燃え尽きていた。真っ白に。ぐったりと力なく椅子に腰掛け、「あう~」とか哀れな声で唸っている。

そしてそんな彼女の後ろに立っているイデアが姉の肩を何回も優しく叩いて励すような動きをしていた。その顔には疲労が少しだけ浮かんでいる。

 

 

 

そして彼女の前にある机の上には遊戯版、盤の上の形勢は完全に黒が圧倒していた。駒の配置から察するに白がイドゥン側だろう。

それならばこの彼女の状態にも説明がつく。大方何回も何十回も弟に完膚なきまでに叩きのめされたのだろう。そしてそれに付き合わされたイデアに合掌。

イドゥンとイデアが暇つぶしにこのゲームを何回も楽しんでいたのをナーガは知っていた。

 

 

「昼食と手紙だ」

 

 

「待ってた……!」

 

 

食事と聞いた瞬間イドゥンが放たれた矢の様な速度で白い燃焼状態から回復する。

その回復速度の速さといえばまるで上級回復魔術の【リカバー】を掛けられたかのようだ。

余りの立ち直りの早さにイデアがぼそっと「食い意地はってるなぁ……」、と呟いたのが父には聞こえたが、それはご愛嬌。

 

 

 

ナーガが力を使い机の上の遊戯版をまとめて浮かばせて端によせる。

そして空いたスペースに食事の乗った盆を載せ完成。

 

 

「手を洗ってこい」

 

 

シャキシャキとした動きでイドゥンが部屋から出て、手を洗いに行く。その後にイデアがもはや癖になったとも言えるため息を吐きながらついていった。

 

 

 

 

 

 

 

「「ごちそうさまでした」」

 

 

今日の昼食である暖かい野菜と肉のスープ、焼きたてのパンとソーセージ

そしてデザートのりんごを無事に完食した双子が既に日課となっている食物に敬意を表す動作をして、食事と言う行為を終わらせる。

 

 

「ねぇねぇ、お父さん……ちょっといい?」

 

 

「なんだ?」

 

 

食事の光景を黙って見ていたナーガに食事を終わらせたイドゥンが話しかけた。

好物のリンゴを食べて弟にコテンパンにされた気分が大分回復したのか、今の彼女は平素通りの様子だ――つまり、子供特有の活発さに満ちている。

 

 

「あの遊戯版で何回やってもイデアに勝てないの。どうすればいいかな?」

 

 

言われてナーガが先ほど食事を置く際に退けた遊戯版に眼をやる。白の王の駒が黒の駒にチェック・メイト(将棋で言うところの詰み)を掛けられていた。

恐らく黒がイデアで白がイドゥンだろう。それに娘の話を聞くにあの状況に追いやられたのは何も今回だけではないらしい。

 

 

「ふむ……」

 

 

ナーガが眼を細めて考える。彼もこのゲームは暇つぶしで時々やるのだ。それなりに腕は立つ。

いや、むしろかなり強いと言えるだろう。

 

 

「イデア。お前はどうであった?」

 

 

不意に話しかけられたイデアがビクッと肩を跳ねさせる。

 

 

「どう……って?」

 

 

首を傾げて言葉に含ふんだ意味を問う。

 

 

「どの様に勝ったか言ってみろ」

 

 

うーん、と暫く唸って考えた後、イデアが答えた。

 

 

「分かんない。気がついたら勝ってた」

 

 

「だろうな。言葉で簡単に説明出来る物ではない」

 

 

「まぁ……ねぇ」

 

 

イデアが渋々頷く。こういった事はやっぱり言葉にしづらいのだ。どうやって勝ったか? 質問なんて尚更答えづらい。

少なくとも自分には具体的な言葉には出来ない。

 

 

それと同時に眼の前の男がどれだけこのゲームが強いのかイデアは気になってきた。見かけはポーカーフェイスの権化とも言える男だが

もしかしたらこう言ったゲームは案外弱いのかも知れない。

 

 

そうと決まれば勝負に誘ってみる。何、負けたとしても何もデメリットは無いのだ。ここは好奇心に負けても問題はないだろう。

 

 

「ねぇ」

 

 

「何だ?」

 

 

イデアの声にナーガが反応する。

 

 

「一戦、してみない?」

 

 

「……」

 

 

ナーガが無言で遊戯版に眼を移し、そして次いでイデアに眼を移す。

好奇心と期待に満ち溢れた息子の色違いの瞳がキラキラと輝いていた。

 

 

時間は……まだ問題ない。一戦くらいなら余程勝負が長続きしない限り大丈夫だろう。手紙はその後に渡せばいい。

 

 

 

「いいだろう。好きな色の駒を使うといい」

 

 

食器が載った盆を浮かばせ、遊戯版を盆のあった場所に持って来る。遊戯版の上の駒が独りでに所定の位置に戻っていく。

あっという間に全ての駒が配置され、いつでもゲームを開始できる状態になった。

 

 

イデアがさっきと同じ黒の駒を手に取る。ナーガが彼の向かいに座り、腕を組む。

 

 

「先手は俺からでいい?」

 

 

イデアの問い掛けにナーガが無言で頷く。それを合図にゲームが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

「あーーうーーー……」

 

 

イデアが枕に突っ伏して情けない声を上げる。奇しくもその声は先ほどのイドゥンに限りなく近い声だ。

勝負の結果は惨敗。三回戦って三回ともボロ負けだ。見事に三回ともチェックメイトされて負けたのなんて始めてだった。

自分の強さにそれなりの自信は持っていたが、ナーガの強さは異常だった。それこそ彼に勝つのを諦める程に。

 

 

手も足も出ない程の強さ、絶対にこのゲームを100年単位でやり込んでるのだろう。

それほどの経験を積んで腕を磨き続けて来た彼に勝てる訳がない。

それでもあふれ出る悔しさにイデアは唸り続ける。

 

 

 

「まーけたー……」

 

「あー、よしよし」

 

 

恨みがましく唸り続ける彼の頭をイドゥンが慰めるように優しく撫で続けてあげる。

その表情は面倒見の良い姉そのものだ。

 

 

「最低でも後100年は経験を積むのだな」

 

 

勝利者であるナーガはと言うと、装飾の施された椅子にゆったりと腰掛け、何処から持ってきたのか紅茶を優雅に飲んでいる。その仕草は絵画に出来る程に美しい。

正に勝者の余裕という奴と言えよう。

 

 

クイっとカップの中の紅茶を飲み干すと、先ほど渡し損ねたエイナールからの手紙を双子に向けて飛ばす。

ヒラヒラと羊皮紙の手紙が二人の下へと飛んでいき、直ぐ近くに落ちる。

 

 

「ほ、ほらイデア! エイナールからの手紙だよ! 一緒に見ようよ!!」

 

 

イドゥンが何処か取り繕った表情で必死にイデアに手紙の存在をアピールし、何とか立ち直らせようとする。

イデアがエイナールからの手紙と聞いて、耳がピクッと反応する。顔を上げて、直ぐ近くに置いてあるそれを確認する。

同時に唸るのを止める。

 

 

「ほら、読もっ!」

 

 

イドゥンが手紙を広げて、イデアの前に持ってくる。

イデアが起き上がり、姉と寄り添いながら手紙に眼を通し黙読する。

 

 

一回眼を通す。双子が書かれている言葉の意味があまり理解できず、目を揃ってパチクリさせる

二回眼を通す。徐々に内容が頭の中に浸透してきて、イデアの顔の色が青ざめる。イドゥンはというと、余りよくわかってない。

三回眼を通す。「うっそぉおおおおおおおおおお!!!??」「きゃっぁ!?」イデアが奇声を上げ、イドゥンが驚きの悲鳴を上げる。

 

 

 

ナーガはその光景を二杯目の紅茶を優雅に飲みながら見ていた。あの手紙の内容は既に読んだので知っているのだ。

そう、彼の記憶が正しければあの手紙の内容は―――。

 

 

 

 

 

 

 

『子供が出来たので、しばらく殿には帰れません。落ち着いたら子供と一緒に会いに行きますね』

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それが貴女の選択ね……エイナール」

 

 

今朝届いた親友からの手紙を読みながら、火の様に紅い眼、火炎の様に紅い髪をした女、火竜アンナは一人呟く。

そして小さく溜め息を吐き、首を左右に力なく振るう。

 

 

もう一度眼を通すと、手紙を小さく畳んで懐にしまい歩き出す。

 

 

「それにしても……子供、ね。早く会って見たいわね……」

 

 

フフフと妖艶に笑うとアンナは手紙に軽く口付けを落とし、その紅い唇を動かして言った。

 

 

「……幸せにね。エイナール」

 

 

友を祝福する言葉が響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

月日がまたグルグルと油をさされた歯車の様に軽やかに周り、気がつけばエイナールの驚愕とも言える手紙での告白からまた一年と少しが経過していた。

今は冬の後半とも言える季節だ。

 

 

イデアの時間に対する感覚の変化は顕著だった。

気がつけば一週間、気がつけば一ヶ月と、凄まじいまでの速度で進んで行ってるのを彼はまざまざと肌で感じていた。

 

 

このまま行けばあっという間に年を取って老衰でぽっくり逝ってしまいそうだが、それは人間の話。竜が老衰で死ぬなどほぼ有り得ない。

 

少なくとも神竜である彼は老化による死を恐れる必要は無いのだ。

それが彼にとって幸せなことかどうかは置いておくとして。

 

 

イデアが月日の流れを早く感じるようになった原因はもしかすれば感性が徐々に人間のそれから変化し始めているからかも知れないと彼は薄々感づいていた。

しかしこのエレブには人間だった頃の彼を知っている者など存在しないので、考えたところで意味がない事柄なのかも知れない。

 

 

とりあえず、イデアは毎日が楽しいから時間が過ぎるのも早いのだと自己完結させている。

 

 

 

その日、イドゥンとイデアの二人はいつにもなく緊張していた。

これほど緊張感を覚えたのはいつ以来だろうか? 

 

恐らくは誕生した日の竜の大群を見た時や竜化したナーガのあの神々しいまでの威圧感に当てられた時ぐらいだろう。

 

 

今日はエイナールが殿に帰ってくる日なのだ。二人の子供を赤ん坊を連れて。

 

 

 

……そう、子供は二人。

 

何の因果かイドゥン、イデアと同じ双子だ。

しかもこれまた因果な事に姉と弟という構成。

正直な話イデアは何かの意思を感じて身震いしたほどだ。

 

神という存在は神竜を除けばあんまり信じていない彼だが、運命というものは少しだけ信じてもいいかなと思った。

 

 

 

エイナールが自らの愛しい子につけた名は、姉は【ニニアン】弟の名前は【ニルス】双子とも氷の精霊であるニニスからもじった物らしい。

エイナールから送られてきた手紙にはそう書いてあった。

 

 

その後に続くのは延々と娘と息子の愛くるしさや、夜鳴きはするけど特に苦ではないやら、ニルスは夫に似てるとか、ようやく首が据わったとか、ニニアンは私に似てるとか

夫も子育てを付き合ってくれるとか、俗にいう「嬉しい悲鳴」という奴だ。定期的に送られてくるそれらを姉と一緒にニヤニヤしながら読むのがイデアの今の一番の楽しみだった。

 

 

だが、時々手紙の内容があまりにも甘すぎて想像だけで胸焼けを起こしかけた事もある。そんな時はデザートは姉に譲ってあげるのだ。

あぁ、あの時の申し訳なさそうな、それでいてデザートを多く食べれる事に対して何処か嬉しさを隠しきれてないイドゥンの顔もかわいかったなぁ……。

 

 

そして今日、遂にエイナールが殿へと帰ってくる。

日帰りという条件付だが。

夫との付き合いを考えればまぁ、妥当だろう。

 

 

 

そう、何日も一人ぼっちで家の番をさせるというのも酷なものだ。

というか、夫も殿にくればいいのに、何で来ないんだろう?

 

 

 

夫と言えば、そういえば手紙にも一度も夫の名前が書かれてなかったなと、イデアはふと思いだした。直後にだからそれがどうしたと思い、頭をブンブンと大きく振る。

エイナール達にはエイナール達の都合があるのだろう。

 

 

あまり詮索するのはよそう。嫌われる原因になる。

 

 

どうやら自分で思ってた以上に興奮しているようだ。一回冷水に顔を突っ込んで頭を冷やしたくなる。

だから、窓を少しだけ開け、山の空気(雪が降るほどの寒さ)に頭を晒し、降り注ぐ雪を頭に積もらせて冷凍させる。

 

 

 

「イデアー、大丈夫? 少し落ち着こうよー……それと寒いから窓しめよ?」

 

 

さっきから落ち着き無く動き回り、その度に何もない所でずっこけたり、家具に身体をぶつけたり、挙句に窓を開け、頭を極寒の外に突っ込んでるイデアに彼の姉が不安そうに聞いてくる。

今の彼の様子はとにかく怪しかった。

 

 

それでいて滑稽さもある。大道芸人として生きていけるのでは? と思えるほどに。

 

 

「だって……ねぇ……? 動いてないと、どうにかなりそうなんだもん」

 

 

頭の上に小さな雪だまを乗せたイデアがキッとイドゥンを睨むように言い返す。

が、直後頭上に「頭冷やせ」と言わんばかりに多量の雪がドサッと落ちてきて、イデアの頭を小さくて滑稽な雪だるまに変えた。雪球から耳だけが露出して、パタパタ震えて雪を落とす。

イデアが口の中に入った雪を咳き込み、吐き出す。

 

そして、何かを悟ったように彼は呟いた。

 

 

 

「・・・・大人しく、待ってよっか・・・・・」

 

「……うん」

 

 

顔面を雪だるまに変貌させた弟の提案をイドゥンは受け入れるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それにしても、姉さんはどう思う?」

 

 

イドゥンに手渡された布で頭をゴシゴシと拭き、暖炉の前で小さく震えながら暖を取っているイデアが、後方のベッドに腰掛けた姉にこの1年で何度も聞いたことを再び問う。

それに答える彼の姉の答えはこれまたいつもと変わらない。

 

 

 

「私は、詳しくは判らないけど、エイナールが嬉しいならそれで……」

 

 

ここまでは何時もと同じ。しかしエイナールが子供を連れて『殿』を訪れる今日はこの答えに少しの増量があった。

イドゥンが両手の指をもじもじさせながら顔を真っ赤にさせながら言う。

 

 

「それに……赤ちゃんもちょっと見て、許されるなら、触ってみたいし……」

 

 

「……ニニアンがエイナールに似てて、ニルスの髪の色は夫そっくりだって書いてあったね」

 

 

髪の毛を拭き終わり、後は暖炉で乾かすだけになったイデアが満面の笑みで姉に言う。

何だかんだで彼も早くエイナールの子供達にあって見たいのだ。そしてあわよくば触ってみたい。

 

 

それにしても、とイデアは思う。エイナールと結婚できた夫は何て勝ち組なんだろうと。

 

 

もしも、もしもだが、彼女を泣かせたりなんかしたら、その男の顔の形が馬みたいに変わるまで殴ってやろうと、密かに彼は思った。

 

 

 

 

 

 

“トントン”

 

 

不意に双子の部屋のドアが規則正しくノックされた。双子が飛び上がる。

 

 

 

「あの、エイナールです。入ってもよろしいでしょうか?」

 

 

部屋の外から聞こえてくるのはとても懐かしい、聞いていると何処か人を安心させる柔らかい声。

イデアが立ち上がり、姉の横に歩いていき。そこに腰掛ける。

 

 

 

双子の返事は決まっていた。意図せずに自然に声を合わせて叫ぶように答える。

二人の声が合わさり、二重になった。

 

 

「「どうぞ!! まってたよ!!」」

 

 

 

「では、失礼します」

 

 

ガチャっと部屋の扉が開かれ、一人の青いゆったりしたローブを着た女性が赤子を乗せた揺り篭を宙に浮かばせながら部屋に入ってくる。

その姿を見てイデアは思わず言葉を無くし、見入った。そして何故か唐突に涙が溢れそうになった。

 

 

一年ぶりに見たエイナールの外見はそこまで変わってはいない。当たり前だ。人間でも余程のことがない限りは1年では余り外見は変わらない。

外見は変わらない。しかし彼女が纏う気配は大分様変わりしていた。

 

 

 

それはまるで等しく全てを愛する女神の様な。

それはまるで子を立派に独り立ち出来るまで、愛を持って育ててくれた慈愛に満ちた母の様な。

それはまるで道を踏み外しそうになった子を叱り、導こうとする親の様な。

それはまるで自分の為ではなく、他者のために全てを捧げえる程の強い精神を持った天使の様な。

 

 

以前から持っていた全てを包むような柔らかく温和な気配は、更に結婚という竜族でもあまり無い経験を糧に

二児の母としての貫禄と、子を持った親の凄みとも言えるものをエイナールに足していた。

 

 

1年会わない内にエイナールが何処か自分でも手の届かない場所に行ってしまったようにイデアには思えた。

始めて会ったとき、驚愕のあまり顔を崩して叫んでた彼女が懐かしい。

 

 

「ぁ……エイナー…ル?」

 

 

イデアが何とか声を振り絞り、眼の前の女神のような人物、いや竜に何ともアホらしい質問を問う。

 

 

――貴女はエイナールですか?

 

 

エイナールが例えるなら鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。それは姉弟が知っている、驚いた時のエイナールの顔だ。

……あぁ、良かった。この人はエイナールだ。と、何ともどうしようもない事にイデアが安寧を覚える。

 

 

「あ、はい。私はエイナールですけど……」

 

 

「あ、いや。馬鹿なこと聞いちゃったから、忘れて。というか忘れてクダサイ」

 

 

済まなそうな顔で答えるエイナールにイデアが慌てて謝罪の弁を述べ、先ほどの醜態を返上しようとする。

しかし言葉が上手く紡げず、あーでもない、こーでもないと彼の中で論争が始まってしまった。

 

 

「久しぶりだね! エイナール」

 

 

イデアがあたふたしてる間に彼の姉がエイナールに話しかけた。

彼女にとっても今日と言う日は正に一日千秋の思いで待っていたものなのだ。

 

 

「お久しぶりです。イドゥン様、イデア様」

 

 

エイナールがローブの裾を小さく持ち上げ、挨拶をする。

その一連の動作がまた絵画に出来るほど美しく、イデアの脳内論争はあっという間に閉会してしまった。

そして今度はその光景を網膜と記憶に焼き付ける作業に全能力を回す。

 

 

「今日は赤ちゃんも連れてきたんだよね!?」

 

 

イドゥンが期待に眼を文字通り輝かせながら彼女の傍に安置している揺り篭に眼を向ける。

その視線にこもった思いは純粋な子供の持つ自分が未だ見たこと無いものに対する好奇という感情。

 

 

「はい。今日は二人とも連れて来ました」

 

エイナールが揺り篭をゆったりと揺らさないように眼の前に浮かばせ、持ってきて、その上に掛けてあった薄い布のベールを取る。

イドゥンがそこに居た者に対し、イデアの様に声を失う。

 

 

二人の赤子が、寄り添うように。――まるで最初の日のイドゥンとイデアの様に、氷竜の姉弟はいた。

スヤスヤと安心しきった笑顔の表情で眠っている。ニニアンと思われる(髪の色でイドゥンとイデアはニニアン、ニルスをを判別した)赤子は

首に小さな、銀色の指輪を紐に通して掛けている。そして氷竜姉弟を守るように薄っすらとエイナールの青いエーギルがオーラのように覆っていた。

 

 

恐らくはかなり強力な魔術の守護だろう。迂闊に触ったりなどしたら、どうなるかは眼に見えている。

 

 

二人の赤子はまだまだ小さい。が、それでも生きてると一目で判る力強いエーギルを双子は感じた。

 

 

「あ、あの! 触ってもいい……?」

 

 

イドゥンが頬を朱色に染めあげ、何処か艶かしい表情で勇気を振り絞り己の願望を告げる。

エイナールがそんな彼女を見て、少しだけ考える表情をした後、答えた。

 

 

 

「はい。どうぞ」

 

 

彼女が手を軽く横に振ると、赤子達を守っていたオーラが霧散する。

 

 

イドゥンが恐る恐るといった様子で手を震わせながら赤子の頬に近づける。

彼女の弟がゴクリと固唾を呑み、自分でも知らないうちにギュッと握りこぶしを作ってその結末を見守る。

 

 

 

「あ……柔らかい……」

 

 

ふに。そんな効果音が似合うほど呆気なくイドゥンの手はニニアンの頬に触れ、プニプニとその感触を確かめる様に何度も押したりする。

その度にニニアンの頬は素晴らしいまでの弾力で彼女の指を押し戻す。

 

 

「…あぅ……」

 

 

ニニアンがくすぐったそうに小さく声をあげ、その小さな指でイドゥンの指を握ってそのまま口元に持っていき、ちゅぱちゅぱと舐め始める。

 

 

「い、イデアーー……?」

 

 

イドゥンが助けを求めるようにリンゴのような真っ赤な顔で頼れる弟の名を呼ぶが、彼は小さく肩を竦め、俗に言う「お手上げ」の意を示す。

イドゥンが泣きそうな、しかし決して嫌悪ではない表情を浮かべ、視線をニニアンに戻し、その顔を凝視する。

 

 

一心不乱に自分の指を舐めるニニアンを眺めていると、何だか狂おしいまで愛おしさが湧いてくるのを神竜の姉は感じた。

まだ歯は生えてないらしく、時折ハムハムと噛まれても痛いどころか、心地よい刺激だ。

 

 

「エイナール。一つ聞いてもいい?」

 

 

イドゥンの気がつかない内に彼女の傍に接近していたイデアが、ニニアンを愛おしげに眺めかながら、氷竜姉弟の母に質問する。

 

 

「何でしょうか?」

 

 

エイナールが優しげに答えた。

 

 

「ニニアンの首に掛かっている指輪は何?」

 

 

イデアがニニアンの首に紐に通されて掛かっている指輪を示す。薄く青白く光る銀色のそれは一目でただの指輪ではない事が窺われる。

まるで氷竜姉弟を守る意思が込められているようにニニアンの首元でゆらゆら揺れている。まるでイドゥンが敵かどうか決めているようだ。

 

少しすると、敵ではないと解が出たのか揺れが収まった。同時に青白い光も消える。

 

 

「それはですね、『ニニスの守護』という名前でして。私の竜石を削って作った指輪ですよ。ありとあらゆる災厄からこの子達を守る力を込めました」

 

 

言われてイデアがもう一度、じっくりと指輪を観察する。

魔力さえ込めて観察すると、指輪の中には膨大な量のエイナールのエーギルが吹雪のように渦巻いているのがイデアには見えた。

最早この指輪はエイナールの分身と言っても過言ではないだろう。

 

 

……なるほど。子を守ろうとする母の意思が具現化したものか。

 

 

理解したイデアがうんうんと関心したように頷く。触ってみたいが、汚したりしたくないのでやめておく。

自分達の一応の父であるナーガは自分達を此処まで思ってくれているのかどうか少しだけ彼は気になった。

 

 

 

「あ……寝ちゃった」

 

 

イデアが考え事に集中していると、イドゥンが声をあげ、彼の意識を現実に引き戻す。

現実に帰ってきたイデアがニニアンを見てみると、彼女は握った指を咥えたままスヤスヤと安らかに寝ていた。

 

 

「どうしよう?」

 

 

イドゥンが先ほどと同じ困った顔でイデアに聞く。イデアが視線をエイナールに向けた。

エイナールが軽く頷くと、手を伸ばし、優しくニニアンの指を解いてやる。

一瞬だけ険しい表情をしたニニアンだったが、エイナールが頭を撫でてやるとすぐに安らかな表情になった。

 

 

イデアがおずおずと手をニルスに伸ばし、頭を撫でてやる。イデアと同じ弟の彼も姉と同じく安心しきった笑みで眠り続けていた。

 

 

「ねぇ。エイナール」

 

 

ニルスの父親似だという薄い緑が掛かった髪の毛を優しく撫でながらイデアが何気ない声音でエイナールに聞く。

答えなど始めから判りきっているが、それでも本人の口から確認を得たいのだ。

 

 

「はい?」

 

 

「……いま……幸せ?」

 

 

「はい」

 

 

エイナールは一片の迷いなく、最高の笑みでイデアの予想通りの答えを言った。

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 

その日の夜、エイナールが帰った後、イデアは疲れた様にベッドにその身を埋め何度も何度も溜め息を吐いていた。

なにやら胸の中がムカムカにも似た黒い感情に満たされていて、お世辞にも上機嫌とは言いがたい。

 

 

「何なんだろ……」

 

 

ゴロゴロ、ゴロゴロと身体を回転させながら原因を考えるが、何も判らずに苛立ちが募っていく。

そもそも何故苛立っているのかも自分でもわからない。エイナールに夫と子供が出来たのは喜ばしい素晴らしい事なのに何処にイラつける要素がある?

 

何もない。無い。絶対に無い。顔も名前も知らない男があの優しい女性と結婚したぐらいじゃないか。

もしも彼女を泣かせたりしたら顔面を竜のブレスで焼いてやると決めた男だ。殴る程度ではやはり物足りない。

 

 

「あぅ……」

 

 

ゴロゴロと纏まらない思考を何とか纏めようと足掻いていると、イデアは何かにぶつかった。

 

 

「イデア、どうしたの?」

 

 

そのぶつかった何か――彼の姉の顔が上下逆さまでイデアの視界に映る。

イデアが身体を少し起こし、姉の顔を正常に戻す。イドゥンはベッドの上に座っていた。

 

 

「な、なに?」

 

 

そのままじぃっとイドゥンの顔を凝視する。少しだけ、気分が楽になった。

しばらくそうしていたイデアだったが、のっそりと身体を動かすと、その頭をイドゥンの膝の上にゆっくりと乗せる。

そのまま微動だにしない。

 

 

「イデア、ほんとうに大丈夫?」

 

 

「撫でて」

 

 

心配そうに声を掛ける姉にイデアがぶっきら棒に一言で要求を伝える。

言われたイドゥンは一瞬眼を瞬かせ言葉をゆっくりと咀嚼し、自分の膝の上のイデアに眼を落とす。

 

 

其処に映ったイデアが何やら何時もよりも幼く見えた。

そう、具体的に言うなら拗ねた子供だ。

 

 

何だかそれが可笑しくて、フフフとエイナールに似た柔らかい笑みを零すと、イドゥンは弟の頭に手をやり、エイナールがニニアンにやったように金色の髪の毛を優しく撫でてやる。

 

 

しばらくそれを続けていると、やがて小さな寝息が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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